小田原城内にある動物園で最後まで残ったサル園も終焉を迎える・・【神奈川&東京旅14】

神奈川県&東京旅(2022年12月中旬)-14

訪問:2022年12月中旬(2泊3日)

最後のサル!

小田原城跡 常盤木門前

2022年12月に訪れた、神奈川県小田原市にある「小田原城跡」

 

【小田原城址公園】

住所:神奈川県小田原市城内6番1号
営業時間:9時~17時頃(天守閣)
電話番号:0465-22-3818
天守閣入館料:大人510円/小中学生200円

 

 

 

小田原城跡にて

小田原城跡 常盤木門 正面1

小田原城跡の二ノ丸から本丸への入口となっている「常盤木門(ときわぎもん)が、通路の右側に見てくる。

この常盤木門は本丸へ侵入してくる敵の最終防御施設ともなっているので、小田原城内に存在した数多くの門の中でも、特に堅固に造られていたという。

 

小田原城跡 常盤木門 石碑

常盤木門という名前は、本丸に生えていた7本の松の木から由来しているという。

ちなみに現在ではそんな松の木も、1本しか現存していないそうだ。

 

常盤木門を本丸側に入ったすぐ裏にある生き残りの松の木は、『小田原城跡本丸の巨松』として小田原市の天然記念物にも指定されている。

黒玉親父
黒玉親父

高さ約30mの『巨松』も、1人では立てないようになってきたタマ・・・

ニイハオさん
ニイハオさん

老木も介護が必要アルね・・・

 

小田原城跡 常盤木門 石垣

常盤木門は1971年に復元されているが、外観は江戸時代風だが建物内は「常盤木門SAMURAI館」という資料館とお土産売り場が併設されている門ともなっている。

江戸春男
江戸春男

2階の資料館は有料施設だぜい!

 

小田原城跡 常盤木門 正面

本丸への敵の侵入を防ぐ為の門だけあって、とても立派な門ともなっている常盤木門。

小田原城跡の再建も天守閣が先に実施されたが、やっぱり本丸入口の門が再建されるだけで、”重厚な城”という雰囲気が大きく感じられるようになった事だろう。

 

 

小田原城の本丸にて

小田原城跡 本丸内

『正規登城ルート』から復元された門を何個も通過して、やっと天守閣のある本丸に到達する。

常盤木門と天守閣の間には、そこそこに樹齢が古そうな松の木が見えているが、この木々は「常盤木門」の由来にもなった江戸時代から生えている木ではないようだ。

 

小田原城跡 本丸内 動物園のサル園

そんな松の木の脇には、こちらの「サル園」がなんと本丸内にも関わらず設置されているのに驚く。

この小田原城跡の敷地は「小田原城址公園」として整備された為に、昔は動物園や遊園地や図書館、更には学校などが造られていた。

朋ちゃん
朋ちゃん

小田原城の動物園や遊園地は、何回か来たな~!

 

しかし、1970年代に文部庁から「歴史ある史跡に相応しくない建物は撤去すべし」というお達しを受け、それらの施設は時代を追う毎に消え去っていく。

 

そのように小田原城から姿を消していった動物園の中でも、このサル園だけが7頭のサルの引き取り手が見つからなかった事もあって、まだ残っていた。

だが、2023年中にそのサルも茨城県内の動物園に引き取られる事になり、今年中で小田原城跡の動物園は消滅する事になった。

 

 

もう見れないサル園のお猿さん!動画

 

 

小田原城跡 本丸内 天守閣

現代人からすれば、「何で城跡の、しかも本丸内に動物園なんて作ってたのか??」と思う人も多いかもしれない。

だが昔は「城跡」には建物がなくて、ただ広い空き地という場所が多かったので、今みたいに城郭建築物の再建ブームが起きる以前は、市民の憩いの場所となる施設に転用される事が多かったようだ。

黒玉親父
黒玉親父

1960年まではこの天守閣も無かったタマ!

 

小田原城跡 本丸内 天守閣正面

こちらは明治時代初期頃まで存在していた小田原城:天守閣の資料を参考に、1960年に外観復元として再建された”3重4階の複合式天守閣”

ちなみに最上階の外側に付いている高欄付き廻縁は、江戸時代には無かった物だが、観光用に新たに取り付けられている。

 

天守閣内部は鉄筋コンクリート造りで、高さは石垣を含めて地上約38.7mとなっている。

ちなみに小田原駅周辺では、小田原城天守閣の景観保全の為に、天守閣の高さを越えない”建造物の高さ31m以下”、もしくは”標高68.3m以下”という高さ制限で規制されている。

大坂黒門
大坂黒門

大阪城も周辺の高さ制限をすれば良かったのにな・・・

 

小田原城跡 本丸内 天守閣正面 記念撮影

とりあえず小田原城に来た記念撮影を行うが、毎回ブスッと突っ立つしか出来ないオカンに、無理やり何かのポーズを要求してみた。

オカン
オカン

こんなんしか、できんデ!

大坂黒門
大坂黒門

相変わらず、異様な動きするオカンやな(笑)

 

小田原城跡 本丸内 天守閣正面 記念撮影2

朋ちゃん
朋ちゃん

そこに息子も入ると、余計に変な2人組になるね~!(笑)

 

 

いざ、小田原城天守閣内部へ!

小田原城跡 本丸内 天守閣 下から

というオフザケも交えながら、本命の「小田原城天守閣」内部へと向かう。

10年以上前に1回来た事があるのだが、出張ついでに立ち寄った事もあって、全く天守閣内の記憶が残っていないが。。

 

小田原城跡 本丸内 天守閣 下から2

この小田原城天守閣は1960年に造られ、2016年に耐震補強工事が実施されて、少々外観にも変更が加えられているという。

1960年というと築60年を越える建造物なので、外観は補修されてキレイだが、そこそこに年代物の建築物となってきているようだ。

 

小田原城跡 本丸内 天守閣入口から眺める本丸

やっぱり城跡に来ると、周囲の近代建築物が見えるだけで味気なく思ってしまうけど、小田原城本丸内では大きな松の木が数本植えられていたので、それらの木で周囲の建物が目隠しされていた。

黒玉親父
黒玉親父

大きな木は目隠し効果もあるタマ!

 

小田原城跡 本丸内 天守閣入口

小田原城天守閣内は博物館ともなっており、館内は写真撮影できる場所と、出来ない場所に分かれている。

 

小田原城跡 天守閣内 資料

小田原城は秀吉が掌握した後は徳川家康の領地となり、江戸時代は譜代大名の大久保家が長く治めた「小田原藩」の中心地でもあった。

 

小田原藩は徳川家康の家臣として長く活躍した「大久保 忠隣(おおくぼ ただちか)が初代藩主となり、その後は老中となって第2代将軍:秀忠の側近にもなるが、可愛がっていた嫡男が早世し、そこから度々問題を起こして改易されてしまう。

 

小田原城跡 天守閣内 資料2

それ以降の小田原藩は、阿部家(1代)、稲葉家(3代)を経て、他家に預けられていた大久保忠隣の子孫が約14年後に赦免された。

大久保忠隣の孫にあたる「大久保 忠朝(おおくぼ ただとも)は老中首座にも選ばれる程の逸材で、唐津藩主、佐倉藩主を経て、1686年に小田原藩主に舞い戻ってくる事になる。

黒玉親父
黒玉親父

それから10代大久保家は続いて、明治時代を迎えたタマ!

鹿角クン
鹿角クン

家康を怒らせると、怖かったんだな!

 

小田原城跡 天守閣内  天守の模型

こちらは小田原城跡に創建された大久保神社が所蔵している、江戸時代末頃に当時の天守閣を模って作られた「小田原城天守模型(大久保神社模型)

ちなみに小田原城天守模型はこれ以外に、東京大学と東京国立博物館が所蔵する2つの模型も残されているという。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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神奈川&東京旅(2022)

2022年12月中旬に『どこかでマイル』を使って訪れた、2泊3日の神奈川県&東京旅です。

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