スリランカ旅行記:2日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
スリランカの仏教が始まった場所
聖地アヌラーダプラにて
古代シントラ王国時代に首都が置かれていた、このアヌラーダプラ(Anuradhapura)の街。紀元前4世紀に首都となり、その後約1,300年に渡り栄えた都市である。
イスルムニヤ精舎の博物館にて
スリランカは元々インドから渡ってきたシンハラ人のヴィジャヤ王子に因んで「ライオンの島」という名前が付けられた。なんでも伝説によると、このヴィジャヤ王子はライオンと人間の間に生まれたシーハバーフ王子の子供なんだとか。
そしてライオンとのミックスであるシーハバーフ王子は最終的に自分の親でもある、このパパ・ライオンを自分の手で殺したのである。というのもこのパパ・ライオンはある日帰ってきたら、人間の奥さんと子供達が家から消えていた。それに怒って人間界まで降りて街を破壊したりして暴れていた。
それに困った当時の王様がこのパパ・ライオンに懸賞金を掛けた。するとそこに名乗り出たシーハバーフ王子がパパ・ライオンと対峙すると、パパ・ライオンは何かおかしな雰囲気を感じて手を出さなかった。しかし息子であるシーハバーフ王子から矢で撃たれて絶命した。
そしてその後シーハバーフ王子が実は王家の血が流れている事が判明して、王は次期国王の座を譲るがシーハバーフ王子はそれを受け取らずに将軍に譲り、生まれ故郷に帰って行った。その故郷で子供を作り、その長男がこのヴィジャヤ王子なのである。
こちらの彫刻がこの博物館に飾られている作品の中で、一番重要な作品だという。こちらは4~6世紀頃の作品で「恋人の像」と呼ばれるもの。これは前回にも紹介した紀元前2世紀のドゥッタガマーニ王(Dutugamunu)の息子である、サリーヤ王子の駆け落ち話で結ばれたカップルの様子を彫った物。
このアヌラーダプラ地方にあった、アヌラーダプラ王朝時代には100人前後の王様が居たけど、そんな中でもやっぱりこういった人間臭いストーリーは昔の人も好きだった模様。
インドのヒンズー教ではカースト制度という、身分階級を分けた制度が作られた。しかしそんなカースト制度に反対したとされるお釈迦様から生まれた仏教の国でもあるスリランカにも、そんなカースト制度は存在した。生まれた家柄によって就ける職業が決められていたというのは、インドやスリランカに限らずに昔の世界中にも同じような考えがあった。武士の子は武士、貴族の子は貴族といった感じで。。
こちらは王様が座っていただろう、王様の玉座的な椅子だったもの。ただし石で出来ているので、長時間座るにはしんどかったかもしれない。。
この現地ガイドのパリタさんは日本語がそこそこ上手に喋れる。それもその筈、一時期日本にホームステイしていたんだという。スリランカの政府が資金援助してくれて、若い頃に行けたんだけど、今はお金があまり無いので日本には行ける余裕がないんだとか。。
ここにあるのは石の作品ばかり。というのも古い時代の物過ぎて、石を加工して造られた物しか現存していないのだろう。
そして博物館の見学を終えた後は、裏にある大きな岩の上に登って行きます。勿論ここも靴を脱いだ状態で進んで行きます。
そんな階段の上には意図的にこうなっているのか? たまたまこうなっているのか? 岩と岩の間にまた別の岩が挟まっているのが見えます。
どうも意図的にここに大岩が嵌められたような感じ。
イスルムニヤ精舎の岩の上にて
それにしても天然の大きな岩である。そんな大岩にわざわざこのような寺院を隣接して造ったのだろう。世界中の昔の人達はどこの国でも大きな岩には魂が宿ると考えていたようで、同じように大岩を利用して信仰の場所として扱っていたようだ。
仏教の寺院内は脱靴と共に、サングラスや帽子は外して参拝する必要がある。キリスト教では教会内は女性だったら帽子を着帽したままでもいいけど、仏教では女性も帽子を取る必要があるという。
そしてスリランカの寺院を見学する時はこのようになるべく靴下を履いておいた方がいいとの事。ボクは今回クロックスのスリッパでスリランカを訪れたけど、裸足だと足の裏が蒸れるので靴下は元々履いていた。靴下を履いていない人が居て、その人は岩山を歩いていたら「熱い、足の裏が熱~~い!」と叫んでいた。
強い直射日光を岩が吸収して熱いので、靴下は履いていた方がいいようじゃ!
日本の奈良にある明日香古墳も大きな岩が重ねられたものがあるけど、ちょっと似たような雰囲気を感じるような。
今でこそこうやって階段や柵があるけど、大昔はこんな階段とかは無かったハズ。
そんな世界遺産にある大きな岩には、残念ながら沢山の落書きが書かれていた・・・。
本当に人間って自分勝手なのが多い生物じゃ!
さて更に上に登って行きます。こちらは階段となっているので比較的登り易いです。
岩の上に登ると、周辺には大きな建物が無いので周囲を見回す事が出来ます。
こちらの柵の中には、沢山の硬貨や紙幣が投げ込まれていた。どこの国でもお賽銭のようにお金を投げ入れる風習があるようだ。
この大きな岩の上に上がって来て見えるのは、一面緑の景色のみ。21世紀の現代では他の国では高層ビル群などが連立する景色ばかりだけど、この辺りは昔首都だったけどその後は廃棄されたので、昔からの自然が未だに残る場所となっている。
さて、この大きな岩はまだ上にも登る事が出来ます。という事で手すりが付いた、こちらの急な階段の上にも登ってみます。
スリランカに来てから初めて裸足になる場所だったので、あまりにも石が熱すぎたようで、次の寺院からはわざわざ裸足になる時だけ靴下を履く人もいましたね。
こちらが先程仏像のある本堂に入った場所の後方上から、入口方向を見た景色である。
大岩の上から周囲を眺める 動画
後ろにはこれまた先程昼食を食べたレストランの前に見えた人造湖である、ティッサ・ウェア湖(Tissa Wewa)が見える。このアヌラーダプラはスリランカでも北側に位置しており、この地方はあまり雨が降らない場所。だから首都となり多くの人々が生活する為に、紀元前3世紀にため池として造られたのがこちらの湖である。
今回のツアー参加者さんの中には、仏教に興味があってスリランカにも来てみたかったという人が数人居た。仏教は日本にも馴染みがあるだけに親しみを感じやすい。ただ厳密には同じ仏教でも日本とスリランカは流派が違い、内容が少し違うのだけども。
インドで生まれて悟りを開いて涅槃の境地に辿り着いたお釈迦様が開いた仏教。しかしそんな発祥の地であるインドでは一時仏教が広まったが、ヒンズー教などの宗教に負けて次第にインドからは消えて行った。だが東南アジア諸国では逆にそんな仏教が広まっていったのである。
そんなイスルムニヤ精舎にある大岩の上から下を見ると、ここまで登って来る途中の道は岩の間をすり抜けてきたのが見て分かる。
そして奥に見える、白いお椀型の上に塔が見えるのがストゥーパ(stupa)と呼ばれる仏塔で、昔はインドから持ち込まれた仏舎利が安置されていたという。
一応ワシの骨の一部が安置されている事になっているけど、本物かどうかは分からないんじゃ・・・
今回のツアー参加者さんは、スリランカという日本人からするとメジャーではない観光地を選んで来る人間達なので、そこそこの強者が揃っていた。そしてそんな強者さん達はそれぞれに強烈な個性を持っており、添乗員さんの言う事はあまり聞かないマイペースな人が多かったように思う。
イスルムニヤ精舎の大岩の上からの景色 動画
今回のツアー参加者さんはボクを入れて全員で17人で、元々はもう1人参加予定だったけどコロナウイルスの影響でキャンセルになったという。そしてあまり写真を撮らない人は次々と進んで行くのが見える・・・。
写真大好きな人は、ず~~っと写真をまだ大岩の上で撮りまくっているのに。。
という事で古来の仏塔をバックに、写真好きメンバーで記念写真。ちなみに今回のツアーでは強烈な個性を持っていた人達が、”四天王”と陰で呼ばれていた。ちなみにこの四天王という言葉は仏教から来ているのである。四天王とは古代インドの世界観の中央にある、須弥山(しゅみせん)の頂上に住む帝釈天に使えていた神の事である。
そしてボクが働いていた時の職場があった、大阪の四天王寺前夕陽ヶ丘にある四天王寺という寺は聖徳太子が建立したお寺である。そんな寺の名前の由来はこの四天王から来ていて、それと天王寺と普段からよく耳にする地名はこの四天王寺を省略して天王寺となったのを今初めて知ったのである。。
仏教国はそれぞれに距離が離れていても、昔から信仰心で繋がっていたのじゃ!
今日本では無宗教者と自認する人達も知らず知らずのうちに、仏教から多くの影響を実は受けているのにあまり気付かずに生きているのである。
そういう意味ではこういった仏教国を旅行して、色んな仏教の遺跡を勉強するだけで自分のルーツにも影響を与えていたんだなと感じれるような気がした。
大昔の人が造る建築といえばこんな岩を削る建築が多かったので、昔の人達にとっては岩は大事なものであり神聖なものでもあったようだ。
そして仏教では切っても切れない存在の木である「菩提樹」。今から約2500年前にお釈迦様がこの菩提樹の木の下で悟りを開いた時以来、菩提樹は仏教には欠かせない木となり、仏教国に苗木が広がって行き色んな場所で見る事が出来る。
そんなお釈迦様が実際に悟りを開いた”ブッダの菩提樹”(Bodhi tree)は、スリランカにも仏教の伝来と同じように、今度はアショーカ王の王女が苗木(挿し木)を持って来たのである。
そんな実際にお釈迦様が下に座った”ブッダの菩提樹”の苗木が植えられていたであろう、こちらの場所。今ここに生えている菩提樹は残念ながら、その時の菩提樹では無いという。ちなみにお釈迦様はこのスリランカに3回来島した事が記録されているという。そして実際にこのアヌラーダプラ地方にもやって来て、説法を行ったそうだ。
そういえばそんな事もあったっけな?!
ただインドにあった”ブッダの菩提樹”は仏教迫害の影響で切り倒されてしまった。しかしこのアヌラーダプラに伝えられた”ブッダの菩提樹”の苗木から成長した3代目の菩提樹が、インドのお釈迦様が悟りを開いたブッダガヤの大菩提寺に里帰りして現地に植えられているという。
紀元前3世紀にインド:マウリヤ朝の第3代アショーカ王が、仏教を世界的に広げた。スリランカに仏教が伝わったのも彼の息子の影響だし、”ブッダの菩提樹”の苗木も彼の王妃がスリランカに持って行ったのである。
キリスト教もそうであるが、世界的な大きな宗教も元々それが拡がるきっかけは当時の治世していた権力者の影響によるものが大きいのだろう。キリスト教の場合ではローマ帝国の国教として認められてから、大きく世界中に拡がるきっかけとなったのだ。
先程イスルムニヤ精舎の本堂を見た時にも見る事の出来た、岩に彫られている3匹の象がここからだと見て分かる。
古代から人間と密接な関係だった、スリランカ・ゾウ。観光地に行くと象に乗れる場所もあるようだけど、現地ガイドのパリタさん曰く「象の上に乗るのは、象にとっては悲しい事。象にとってはストレスにしかならないし、籠が付いていない象に乗るのは危険」なんだとか。
そんなもっと象の彫刻まで近づける通路には、鉄扉ではなく、このようにグルグル巻きになった有刺鉄線が置かれていた。
さて、これでとりあえずイスルムニヤ精舎の見学は終了。ただまだアヌラーダプラには、昔の首都だった場所だけあって他にも見学します。その前に近くにあるトイレへと向かいます。
そんなトイレの奥には、なにやら牛の群れのようなのが見えます。
水牛がのんびりする様子 動画
日本ではあまり見れない水牛と、白い鳥が仲良さそうに牧草を食べている。
そして近くには野良犬が地面に座ってくつろいでいる。暑い国では体力を消耗しないように、地面に座り込む犬が多い。ただし先進国ではない国では、犬にかまれると狂犬病になる可能性があるのでなるべく近づかないようにしましょう。
こんな旅はまた次回に続きます!
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