【スリランカ旅行記⑩】シギリヤロックのシギリヤレディーとミラーウォール

スリランカ旅行記:3日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日

 

シギリヤロックの聖域

シギリヤロックに登る途中から見えた景色

さてこの緑が一面に見える景色は、スリランカでも一番の人気観光地であるシギリヤロック(Sigiriya Rock)の岩の中腹から見える景色です。

 

シギリヤロックにて

シギリヤロックに登る途中から見えた岩肌

シギリヤロックを登って行くと、そんな巨大な岩が垂直に切り立っている所に通路が付けられているのが分かる。今から約1500年前に当時の王様であるカッサパ1世が、この岩の頂上を居城にしていた時代には岩山をグルグルと取り囲むようにして通路が付けられていたという。

 

シギリヤロックに登る途中から見えた岩肌-2

そして手前で記念撮影しているお兄さんの指先辺りにある螺旋階段を登って行った所に、有名な”シギリヤレディー”の壁画が現存している場所がある。

 

シギリヤロックに登る途中から見えた景色-2

昔の人々が造った要塞やお城は高い場所に造られていた事が多い。というのもこのように見晴らしがいい場所だと、敵がやって来ると直ぐに分かる事のと、闘うには高い場所の方が有利だから。しかし高い場所だと自分達の物資を運搬する作業も大変なので、争いが少なくなる後年にはそんな高台の城を捨てて、平地に城を構える事が多くなるのである。

 

 

シギリヤレディーの間へと進む

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む

さて通路の先では渋滞が発生しています。というのもこの先は再びチケットを再確認する場所があり、通路も1人ずつしか進めないようになっているので。

 

 

シギリヤレディー手前の景色 動画

 

 

シギリヤロックに登る途中から見えた周辺の景色

それにしても眼下には緑が一面溢れていて、自然がとても豊かなスリランカの国。

スリランカ旅で一番印象に残ったのは、こんな自然の豊富さであった!

 

シギリヤロックに登る途中に見上げた岩肌の様子

岩山の上を見ると、所々に金属の棒が埋め込まれている場所が見える。この辺りは通路の上なので、崩れ落ちないよう設置しているのだろうか?

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む-2

こちらのお兄さんが履いていた、涼しそうなズボンはミャンマーで購入した物らしい。同じ仏教国であるスリランカでも同じようなズボンが売っていたので購入して早速履いてみたけど、このズボンは生地が薄いのでポケットが付いていなかった・・・。

だから基本手ぶらになりたいボクは速攻、普段のズボンに履き替える事に。。

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む入口

シギリヤレディーの壁画のある空間では、写真撮影は禁止されている。もしその禁止場所で撮影すると罰金30万円だとか。

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む入口に並ぶ人達

ボクらが来たのは朝早くだけど、みんな同じ事を考えているので早くから大勢の観光客がやって来ていた。

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む入口に並ぶ人達-2

シギリヤレディーの壁画の場所は撮影禁止だけど、まだこの入口付近は撮影OK。だからギリギリまで写真は撮れるだけ撮る事にする。

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む入口にいる監視員

このシギリヤレディーの壁画の間に続く通路には係員さんが常駐していて、再度ここでチケットを確認するという。ただしボクらは日本人の団体で面倒くさいからか、顔パスで進めた。

 

シギリヤロックの入場チケットはここで2回目の確認をされるので、捨てないようにして提示してください!

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む入口に並ぶ人達-3

この螺旋階段は20世紀前半にイギリス人が設置したというが、約100年程の歴史を持つ螺旋階段でもある。

 

 

螺旋階段で登る人々 動画

 

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む階段を登る

「まだいける・・・まだまだいける・・・けど、もうちょっとだね・・・」と自分に言い聞かせながら進む。

何せ罰金30万円だから・・・

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む階段を登る-2

ただこの螺旋階段は約15m程はありそうで、結構高い位置まで登りそうだ。

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む階段からの景色

螺旋階段もそうだったけど、ここから金網がしっかりと張られていた。あるガイドブックを見ていたら「通路で手すりがなく、落ちたら崖下のような所を歩く場所もある」と書かれていたので、楽しみにしていたけど、通路には全部手すりがあって落下防止がしっかりとされていた。。

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む階段にあった注意書き

そしていよいよ写真&ビデオ撮影禁止の看板が見えてきた。そんな看板だけど上からシンハラ語・タミル語・英語・日本語と、上から4番目に日本語があって中国語よりも上に書かれているのを見て、ちょっと優越感を感じてしまう日本人。。

 

 

シギリヤレディーの間にて

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む階段を登る-4

本当に螺旋階段に差し掛かるまでのギリギリまで写真を撮影する。。

 


シギリヤレディーの壁画-2

”シギリヤレディーの間”に描かれている絵の一部

この”シギリヤレディー(Sigiriya Lady)”の間には、このようなフレスコ画が描かれていた。写真とかで見るよりも自分の目で見た方が、綺麗に見える絵。5世紀に描かれたフレスコ画だけど、今でも目の前でこれだけの美しさで見られるのは奇跡と言ってもいいのかもしれない。

 

シギリヤレディーの壁画

”シギリヤレディーの間”に描かれている絵の一部-2

ここに描かれている壁画はみな女性ばかりで、その大半は上半身を露わにしている。これだけの女性の裸体が描かれたというのも、世界的に珍しいのではないだろうか?ある説によれば衣服を着て体が隠れているように描かれているのは身分が低い女性で、身分の高い女性は胸が描かれていたのだろうと推測されている。

ブッダ君
ブッダ君

ワシの修業中に、もしこのシギリヤレディーの壁画があったら、誘惑に駆られていたかもね!

 

ただ今では18~23個が現存する壁画も5世紀当時はこの西側の斜面いっぱいに描かれていたと推測されている。イギリス人考古学者のジョン・スティル(John Still)はシギリヤロックを調査した人物で、彼曰く「西側の壁、幅140m高さ40mの場所には約500人の絵が描かれていたという記録がある。世界で現存する最大の絵である!」と言ったそうな。

 

シギリヤロックに描かれているシギリヤレディーの壁画 昔の写真

20世紀初頭に撮影されたシギリヤレディーの壁画

こちらは20世紀初頭に撮影された写真だそうで、シギリヤレディーの壁画が剥き出しになっているのが見える。この残っている壁画は壁をくり抜いたようになっているので、雨露を凌げた為に現存するに至ったという。

また雨風の他には、裸体の女性が描かれていた為にそれに反対する人々が作為的に剥がした跡もあるという。これは非常に残念な事ではあるが、人間の裸体についてはヨーロッパでも問題視される時期もあったけど、世界どこでも同じようだ。

 


シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む階段を登る人達

という事で写真撮影は禁止な、シギリヤレディーの壁画を約5分間眺める。

ただし人間の記憶という物は曖昧なもので、さっきまでしっかり目に焼き付けていた筈の絵が写真を見ないと思い出せないのである。。

 

シギリヤロックに登る途中にあるシギリヤレディーの間に進む階段から下を眺める

螺旋階段を降りる際は別に写真撮影もいいようなので、これから再び写真撮影モードを解禁する。

 

 

螺旋階段を降りる時の景色 動画

 

 

シギリヤロックの中腹にあるミラーウォール

さてシギリヤレディーの間を過ぎた後は、通路にしっかりとした壁が取り付けられているのが見える。

 

 

ミラーウォール(鏡の壁)を見つめる

シギリヤロックの中腹にあるミラーウォールがある場所

ここからの通路は「ミラーウォール(鏡の壁:Mirror Wall)」という場所。名前だけ聞くと、壁が鏡張りになっているようなイメージを思い浮かべてしまう。

 

シギリヤロックにあるシギリヤレディーの間に近い場所にあるミラーウォール

この壁は土台がレンガでその上に漆喰が塗られていた。そして某ガイドブックによると、更にその上には卵の白身と蜂蜜と石灰を混ぜたものを塗り、徹底的に磨くと鏡面状になったんだとか。それで右側の岩側には美女のフレスコ画を眺め、左側の壁にはそんな美女が反射されて当時は見えていたという。

そこまでする位ならこの壁にも、フレスコ画を描けば良かったのではと思うけど・・・

 

シギリヤロックのミラーウォールには落書きが沢山されている

今のミラー・ウォールを見ている限りだと「そんな名前が何で付いているの??」と思うような状態で、更に落書きまでされている。しかしこの落書きは最近の物ではなく、1000年以上は前の物らしく、落書きも古ければそれなりの味になっているようだ。こちらの落書きにはシンハラ語で、このシギリヤロックにまつわる詩などが書かれているらしい。

ブッダ君
ブッダ君

古い落書きであれば、それはそれで歴史的な作品と解釈されるんじゃ!

 

ミラーウォールの景色 動画

 

シギリヤロックのミラーウォールの道を進む

本当にこんな壁が鏡になっていたのかと思うけど、現在の鏡程に反射していた訳ではないだろう。実際にこの壁が出来上がった時の「ミラーウォール」と名付けられた状態を見てみたかったという気持ちに駆られる瞬間でもある。

 

シギリヤロックのミラーウォールの道を進む-2

現代人の考える鏡と、約1500年前の人達が使っていた鏡なんて、雲泥の差があるのだろう。

どうせならこのミラーウォールの端っこ辺りでも当時の磨き方を試した部分を、作ってて欲しかったけど。。

 

シギリヤロックを登る途中に見えた、周辺の景色

ちょっと名前負けしていたようなミラーウォールだけど、現代人の鏡と比べたのが間違いだろう。しかしシギリヤロックから眺める、周辺の景色の美しさは今も当時もそこまで大きく変わってはいないのではなかろうか?!

 

シギリヤロックを登る途中に見えた、周辺の景色-2

人類の歴史は21世紀に入り、地球上の自然環境が大幅に破壊されていっているが、スリランカにはまだまだ自然が残っている。

ブッダ君
ブッダ君

ただし他の国に比べれば自然は溢れているが、昔のスリランカと比べると自然環境は悪化しているんじゃ!

 

シギリヤロックを登る途中に見えた、周辺の景色-3

それにしても約1500年も前の人達が、ここで農業や貯水湖や庭園を造っていた事には驚く。地上から約100~200mも離れた高い場所にというのだから。

 

シギリヤロックの階段を登って行く 動画

 

シギリヤロックを登る途中に設置されている通路を進む

このシギリヤロックの通路はさすが21世紀だけあって、このように手すりがちゃんと設置されていたので、万が一落下してしまうような場所も無かった。

 

シギリヤロックを登る途中に設置されている通路を進む-2

紀元前5世紀に王として君臨していたダートゥセーナ王(Dhatusena:治世455~473年)には2人の息子がいた。長男カッサパ1世(KashyapaⅠ)の母親はカースト制度のあった当時では位が高くなく、その息子であるカッサパ1世が世継ぎになる事は出来ない世の中だった。

そして次男のモッガラーナ1世(MoggallanaⅠ)の母親は王族の血を引く家系だったので、このモッガラーナ1世が王位継承権を持っていた。

 

シギリヤロックの頂上て前に見られた貯水池跡

そしてこの家系に関わってきたのがダートゥセーナ王の娘と結婚した、当時の軍事司令官でありダートゥセーナ王の妹の息子であったミガラ将軍。そしてその後次期国王について身内で揉めた際に、ダートゥセーナ王は彼の妹を殺すように指示。その行為により自分の母親を殺されたミガラ将軍が復讐心を生む事になり、このままでは王になれないカッサパ1世を担ぎ援助して、父親であるダートゥセーナ王殺しへと導くのであった。

 

シギリヤロックの頂上に向かう階段をひたすらに進む

そして父親を殺して国王となったカッサパ1世、かたや自分の命も狙われるかもしれないと危機を持った次男モッガラーナ1世は南インドに逃亡し、助けを求めた。カッサパ1世は国王となったものの、いつ弟が南インドの援助を受けて強力な軍隊を率いて戻ってくるかと怯えていた為に強固な要塞を造り上げる必要があった。それがこのシギリヤロックであったという説が、一番ここに宮殿を造ったという有力な説なんだとか。

ブッダ君
ブッダ君

自分の周りで一番警戒しないといけないのは、実は身内なんじゃ!

 

シギリヤロックの頂上に向かう階段をひたすらに進む人達

そしてカッサパ1世が11年過ごしたシギリヤロック。しかし495年に弟であるモッガラーナ1世が南インドで軍隊を編成して、父とそして王位を奪った兄に戦いを挑んだのである。

 

シギリヤロックの頂上に向かう階段から見える景色

そんな天下分け目の戦いもカッサパ1世が乗る象が危険を感じた為に、沼地で進路を変えたという。するとカッサパ軍の兵士達は国王が逃走したと勘違いし、四方八方に逃げ出したという。そしてすっかり自軍の兵士が消えてしまい、取り囲まれてしまったカッサパ1世はその場で自害したというお話が残っている。

スリランカに来るまではこんな小さな島国の規模などで舐めていた節があったけど、そんな昔の出来事も年数まで詳細に記録が残っているのには驚いた。スリランカ特有の文字を持つ位に発展していた文化だったスリランカは、恐るべしである・・・。

 

シギリヤロックの頂上に向かう階段に現れたお猿さん達

こんなシギリヤロックの通路の壁の上にも、このようにお猿さんだらけ。まるで人間が居る場所にはどこにでも猿も居るかの如く。。

 

手すりでのんびりとするお猿さん 動画

 

シギリヤロックの頂上に向かう階段からの景色

身内争いの影響で結果的に創り出されたのが、このような奇跡的な遺跡。ただこれだけの高い場所に住むとなったからには、色んな技術革新が生まれたのだろう。後で登る頂上で見られる貯水湖や自然庭園など、当時にしては高度な治水技術があったとされている。

限界を超えた無理難題はストレスを与えると共に、技術革新を生み出すのである!

 

 

ライオンの入口にて

シギリヤロックの頂上の手前にある「ライオンの入口(Lion Terrace)」の広場

そして狭い通路を進んで行った先に、ちょっとした広場が広がっていた。こちらが「ライオンの入口(Lion Terrace)」と呼ばれる場所である。

 

シギリヤロックの頂上の手前にある「ライオンの入口」にあるライオンの手の像

「何でここがライオンの入口なんだろう??」と思って、右側を振り向くと大きな足が見える・・・。思わずスフィンクスのような大きな像があるのかと思って、上を見上げてみると・・・・

 

シギリヤロックの頂上の手前にある「ライオンの入口」の様子

ライオンの右手は見えたけど、残念ながらライオンの顔は見当たらなかった。楽しみにしていたライオンの頭部は昔に崩れ去って、跡形もなく破棄されてしまっているようだ。

エジプトにあるアブシンベル神殿のラムセス2世の像のように、像の顔が崩れ落ちていてもそれをそのまま置いといて欲しかったね・・・

 

シギリヤロックの頂上の手前にある「ライオンの入口」の様子-2

ここから更にライオンの入口を進んで、上に登っていった先がやっと頂上のようだ。それにしても朝一番にやってきた人達が大勢行き来しているのが見える。

 

ライオンの入口の景色 動画

 

シギリヤロックの頂上の手前にある「ライオンの入口」にあるライオンの像の右手

こんな岩の上にこれだけ大きな彫刻作品が造られているのを見ると、是非ライオンの顔も見てみたかった。

しかし無い物はどうしようもないので、それはそれで諦めて上に登るのみ!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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