【スリランカ旅行記㊳】ジェフリー・バワが設計したシーマ・マラカヤ寺院

スリランカ旅行記:5日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日

ジェフリー・バワの寺院

ジェフリー・バワが設計したコロンボ市内にあるシーマ・マラカヤ寺院の入口

さてコロンボ市内にやって来て、まずはスリランカを代表する建築家ジェフリー・バワが自宅兼オフィスにしていた建物を見学しました。そして続いてやって来たこちらの先にある寺院は、オリジナルの寺院が19世紀後半に造られたが1970年代に池の中に沈んで行った為に、ジェフリー・バワが設計して再建した寺院があります。

 

コロンボ市内にて

ジェフリー・バワが設計したコロンボ市内にあるシーマ・マラカヤ寺院の入口-2

こちらはベイラ湖(Beira Lake)と呼ばれるが、外洋であるインド洋と繋がっている。今あるコロンボ周辺に都市を築いた当時のポルトガルは、スリランカ王朝側から都市を守る為に湿地帯であったこの周辺を掘り、外堀のように改造したのが名残である。

 

シーマ・マラカヤ寺院(Seema Malakaya)

 

住所:Sir James Pieris Mawatha, Colombo

 

 

ジェフリー・バワが設計したコロンボ市内にあるシーマ・マラカヤ寺院の靴置き場

ここも神聖なる寺院なので靴は手前の預かり所で、一旦預ける必要があります。

ブッダ君
ブッダ君

スリランカに来たら、この寺院での脱靴ルールの徹底をお願いしたいんじゃ!

 

コロンボ市内にあるシーマ・マラカヤ寺院の靴置き場の案内板

もう少し目の位置に近い場所にこの看板を飾っておかないと、寺院で靴を脱ぐ風習が無い海外観光客とかには気付きにくい看板の位置であった。

 

コロンボ市内にあるシーマ・マラカヤ寺院の靴置き場-2

そんな分かりづらい所に「靴は脱ぎなさい」という看板が置かれていたからか、アメリカ人観光客と思われる若いグループは平気で靴を履いた状態で寺院内に入って行っていた。

 

シーマ・マラカヤ寺院周辺にいた、珍しい外観をした鳥

するとある奥様から声を掛けられて「珍しいのが撮れた!」と言われた。そこには眼鏡をかけたような珍しい鳥が、写真に写っているではありませんか。そんな珍しい鳥がどこにいたのかを聞いてみると、「ソコに居ったで!」との返事で周囲を探してみたら・・・居た!

 

 

シーマ・マラカヤ寺院周辺にいた、珍しい外観をした鳥「野バリケン」

こちらの珍しい顔をした鳥は「野バリケン(学名:Cairina moschata)」と呼ばれるカモ科の鳥類だそうだ。カモでは珍しく木の上で生活するそうで、アメリカ大陸が原産の鳥だという。

 

 

バリケンという珍しい顔をした鳥 動画

 

シーマ・マラカヤ寺院周辺にいた、珍しい外観をした鳥「野バリカン」-2

何故アメリカ大陸原産の鳥がここコロンボに居るのか? それはポルトガルが支配していた南米から、持って来た可能性が考えられる。ちなみにカシューナッツの木も南米から、ポルトガルがスリランカへ持ち込んできたものである。

 

シーマ・マラカヤ寺院周辺にいた、珍しい外観をした鳥「野バリカン」-3

それにしても”目の周りが赤い”というか、”フチが赤く太い眼鏡を掛けているように見える”鳥である。この赤い部分は個体差があるようで、この鳥さんは赤いイボが何個もくっ付いているように見える。

 

シーマ・マラカヤ寺院の受付

そんな珍しい鳥を見た後はこれからシーマ・マラカヤ寺院の見学である。

 

シーマ・マラカヤ寺院の見学

シーマ・マラカヤ寺院へと進む人達

こちらの真ん中右側に見えるカップル達が靴を脱がずに寺院に立ち入った、アメリカ人観光客に見える人物たち。キリスト教の教会でも露出の多い服や短パンは禁止なのに、こんなタンクトップどころではない露出が多い服装で平気で寺院に来ていた。まさに彼らの振る舞いは「自分達の都合さえ良ければいいんだ!」というような態度に見えた。さすがアメリカ人(確証はなし)と思わせる感じである。

ブッダ君
ブッダ君

アメリカ人が悪い訳ではなく、ルールを知らないだけなんじゃ!

 

シーマ・マラカヤ寺院へと進む途中にあった、お釈迦様の足跡

こちらは入口です。早速涅槃像がお出迎えしてくれています。こちらの中央に見えるのは、仏陀の足跡を再現した物だそうだ。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂

1976~1977年にジェフリー・バワの設計で再建されたシーマ・マラカヤ寺院(Seema Malakaya Temple)

ただジェフリー・バワらしさが、あまり見て取れなかったように思うけど・・・

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂前にあった像

この寺院が造られているベイラ湖は4つのエリアに分かれている。そのベイラ湖の中でも南西湖に寺院が造られているのである。そして元々は湿地帯であった為に地盤が柔らかく、元々19世紀後半に建てられた寺院は少しずつ沈下していったという。

 

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂前にあった像の説明文

そしてこのベイラ湖は、元々はポルトガルがスリランカ王朝側からコロンボの街を守る為に堀として改造し、さらにそんな湖の中にワニを放って、敵軍の侵攻を食い止めていたという。ポルトガルに激しく抵抗し戦ったシーターワカ王国は、ワニがいるこれらの湖の水を排出する事に成功し、一時はコロンボの街に攻め込めるチャンスがあった。しかしインドから援軍が駆け付けたポルトガル軍の前に、敗走する事になってしまうのである。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂から見える、周辺のベイラ湖と新興建築物

そして昔は戦いの為に造られた湖は時を経て、物資を運搬する為にも使われる。そして現代ではその一部を埋め立てて新たな建物が増設されていっている。この写真奥にはまさに建設中の高層ビルディング群が見える。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂に並ぶ、黄金の仏像

寺院を囲むように配置されていた仏陀像もよく見ると、それぞれにポーズが違っている。そして勿論、それぞれのポーズには意味合いがあるのである。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂に入る

こちらの寺院の管理はここではしておらず、近くにあるガンガラーマ寺院が行っているという。ちなみにこのガンガラーマ寺院はここから歩いて行ける距離にあり、後で訪れる予定である。

 

シーマ・マラカヤ寺院周辺に見られる「アルテア・スリランカ(Altair Sri Lanka)」という高層ビルディング

ありきたりな寺院よりもツアー参加者さん達の目を惹いていたのが、こちらの「人」の字のように寄りかかっている「アルテア・スリランカ(Altair Sri Lanka)」という名前の高層ビルディング。イスラエル人建築家で「マリーナベイサンズ」や「ジュエル・チャンギ空港」の建設にも関わったモシェ・サフディー(Moshe Safdie)を含む建築家グループが携わっている。この垂直な建物は高さ240m、斜めの建物は高さ209mで高級マンションとなっているようだ。

 

シーマ・マラカヤ寺院にあった仏像

スリランカで最初に訪れたアヌラーダプラの街みたいに、周辺に大きな建造物とかなければ寺院や仏塔などの建造物に目が行くけど、このように周囲に特徴的な新しい建造物があれば、自然とそちらの方へと目が行ってしまう。。

 

シーマ・マラカヤ寺院の景色 動画

 

シーマ・マラカヤ寺院でベイラ湖に浮かぶ寺院

ここに来るとバックに見える建物群のように、コロンボが今高層ビルディングの建設ラッシュに沸いている事がよく分かった。その背景には莫大な中国資本が動いている訳だが。。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂内の景色

寺院の内部に入ります。湖の上に造られているだけあって、全然寺院内は空調が効いてなくても暑くはありません。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂内の景色-2

寺院内にあったこちらの写真パネルの場所は「スリーパーダ (Sri Pada)」「アダムスピーク(Adam’s Peak)」と呼ばれる海抜2,243mの山である。この山の頂上には約2mの大岩に大きな足跡のような跡が残っているという。

そして仏教徒は「それが仏陀の足跡だ!」と主張し、イスラム教徒は「それがアダムの足跡だ!」と主張し、ヒンズー教徒は「それがシヴァ神の足跡だ!」と主張し、キリスト教徒は「それが聖トーマスの足跡だ!」と主張しているという。だからこの場所はそんな各宗教の聖地にもなっている珍しい場所なのである。ちなみに『東方見聞録』を書いたマルコポーロも登頂した事があるんだとか。

ブッダ君
ブッダ君

宗教同士の無駄な争いも、未だに続いているようじゃ・・・

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂内の景色-3

まあ冷静に考えれば、そんな大岩に人間の足跡が付くなんて事は考えられないんだけど、宗教ってのはそれが本当かではなく”信じる事に意義がある”のが宗教なのである。

まさに「信じる者は救われる」って言葉通りである!

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂内からの景色

寺院の外を見ると仏陀のポーズを真似て写真撮影中の、先程の無礼なアメリカ人カップルの姿が見える。ただ仏陀に背を向けて写真を撮っていた訳ではないので、これは仏陀に対しては無礼な行為にはならないようだ。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂内に置かれた仏像

ジェフリー・バワの設計した寺院だけに「寺院の建物のど真ん中に、菩提樹が植えられている!」という勝手なイメージをしていたけど、普通にシンプルな寺院だったので少々ガッカリ。。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂のムーンストーン

スリランカにある仏教寺院には付き物のムーンストーンが、寺院入口の段差下にちゃんと配置されていました。

やっぱりこれがあると、スリランカの仏教寺院というイメージが出ますね!

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂の外に並ぶ仏像

仏陀の耳は彼の特徴的な箇所の”福耳”である。仏陀は”三十二相八十種好”という身体的な特徴があったというが、「舌が髪の毛の生え際まで届いた」とか「何を食べても美味しく感じた」とか、子供の発想で考えたような現代では考えにくい項目もあるようだ。。

ブッダ君
ブッダ君

ワシはいつの間にかに超人化されているけど、普通の人だったんじゃ!

 

シーマ・マラカヤ寺院にある仏塔

こちらの寺院には建物の上にまで仏像が置かれているし、ちゃんと仏塔までも造られているのが見える。

 

シーマ・マラカヤ寺院にある仏塔近くに置かれている涅槃像

そして隣には中央に菩提樹が植えられており、その前には昼寝をする仏陀・・・・ではなく涅槃像が大小2種類置かれていた。大きな涅槃像は目を瞑っているけど、足はまだ崩れていなかった。

 

シーマ・マラカヤ寺院にある仏塔近くに置かれている涅槃像-2

そんな涅槃像の前で更に涅槃像もどきポーズをして記念撮影をしようとしてたら、警備員に注意された男。そういえば仏像に背を向けての記念撮影は、無礼な行為として禁止されていたのを忘れていた・・・。

先程のアメリカ人カップル以上に、無礼な男でしたね・・・orz

 

シーマ・マラカヤ寺院内に置かれていたヒンズー教の神である「ヴィシュヌ(Vishnu)」の像

そしてこちらは仏教寺院のハズだったけど、仏教以外の神様も祀られているのである。こちらは青い肌で4本の腕を持つヒンズー教の神である「ヴィシュヌ(Vishnu)」の像。

 

 

シーマ・マラカヤ寺院内に置かれていたヒンズー教の神である「スカンダ」の像

こちらの顔が6つで腕が12本の孔雀に乗ったのはヒンズー教の軍神「スカンダ(Skanda)」で、それが仏教にも吸収されて「カタラガマ・デビヨ(Kataragama deviyo)」とも呼ばれるスリランカの守護神。ちなみに日本では「韋駄天」の名前で知られる仏教の神様である。

 

ヒンズー教ではシヴァ神の息子とされていて、このような体をしているのは6人兄弟がくっ付いたからという説もある。

 

シーマ・マラカヤ寺院内に置かれていたヒンズー教の神である「スカンダ」の像が手に持つ首

このスカンダはシヴァ神の息子だけにとても強かった為に、当時の神軍最高指揮官インドラでもスカンダを打ち果たせなかった。その強さにインドラはスカンダに軍神の地位を譲る事になる。ちなみに彼の手には1つの打ち首が持たれていた。そしてインドラの兄はゾウの頭を持つガネーシャだという。

という事はもしかして、切り落とされたガネーシャの元々の頭を拾ったのかもしれない?!

 

シーマ・マラカヤ寺院内に置かれていたヒンズー教の神である「ガネーシャ」の像

そしてヒンズー教でも有名な神「ガネーシャ(gaṇeśa)」である。シヴァ神は自分の息子だと知らずに、ガネーシャが無礼な行為をしたと激怒し、首を切り落として投げ去った。しかしその後に自分の息子だと判明し、投げ去った頭部を探しに行ったが見つからなかった。

その時に出会った1匹のゾウを見て、シヴァ神は「もうメンドクサイ、このゾウでいいや!」とそのゾウの首を切り取り、そのゾウの頭部をガネーシャの体にくっ付けたとか。

何とも滅茶苦茶な話で、ゾウもガネーシャも可哀想・・・

 

 

シーマ・マラカヤ寺院内に置かれていた仏像たち

「あれ~~おかしいな?! ボクが作った仏教には神様が居ないハズなのに、勝手にヒンズー教の神様まで取り入れちゃって無茶苦茶やりおるわい!」と思っているかもしれない偉大な仏陀。

ブッダ君
ブッダ君

色んな宗教を融合して、いいとこどりをしたものが最善なんじゃ!

 

シーマ・マラカヤ寺院内に置かれていた仏像たち-2

今日まで語り継がれてきた昔からの宗教は、もうその理念が大事とかではなく、政治団体のように生き残りに必死なのかもしれない。宗教団体として生き残る為であれば、異なる団体とも合体したり、分裂したりと。

 

シーマ・マラカヤ寺院内に置かれていた仏像たち-3

ちなみに仏教では仏陀の教えは当初文字で伝承せずに、口頭でのみ伝承されていた時期があるという。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂を眺める

仏教と一口に言っても、キリスト教のように伝来していった地方によって、独自のシナリオを形成していっている。それはその土地の人々に対して、変異して受け入れられていった証でもあろう。

ブッダ君
ブッダ君

伝言ゲームじゃないけど、口頭での伝承ではどうしてもその途中で正しく伝わらなくなるんじゃ!

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂から周囲を眺める

ベイラ湖もコロンボの街もポルトガルが造ったものである。ポルトガルが入植してから約500年が経過し、途中で退散したポルトガルだがその名残はこのようにしっかりと残っているのである。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂から周囲を眺める-2

このベイラ湖の面積は100年前に比べても、だいぶ小さくなってきているという。その理由は奥の建設中の建物のように、この湖沿岸にも新しい建物を造るために湖の一部を埋め立てしていっているからである。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂

今から100年後位には、この湖もひょっとしたら消えているかもしれない。

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂-2

建築ラッシュに沸くコロンボの街は、今で以上に急成長しているようだ。しかも人造湖で無用な湖であれば、更にどんどん埋め立てして高層ビルを建てていく可能性は充分考えられる。

 

 

シーマ・マラカヤ寺院の本堂にあった、蛇のような像

そんな様子を毎日、口を開けて舌を出した状態で眺める事しかできない、こちらの像。。

 

シーマ・マラカヤ寺院周辺のベイラ湖は、ゴミが浮いて汚れている

このベイラ湖は水質汚染でも問題になっており、このようにゴミが浮いているのが目立つし、汚染物質が平気で流されているという。

 

シーマ・マラカヤ寺院周辺に生息する、のバリケンという鳥

そんな汚い水質の湖周辺に生息していた、特徴的な顔の「野バリケン」という名前だったカモ。

 

シーマ・マラカヤ寺院

こちらがジェフリー・バワ氏が設計した、仏教寺院である「シーマ・マラカヤ寺院」でした。

 

シーマ・マラカヤ寺院周辺のガンガラーマ寺院へと向かう

そしてお次はここから歩いて行ける距離のガンガラーマ寺院に向かいます。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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