スリランカ旅行記:3日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
シギリヤの朝
スリランカ3日目の朝、6時半に目覚めるとシギリヤロックがある方向には朝日が昇っていました。今日もいい天気になりそうです。
シギリヤにて
昨晩宿泊したホテルは「カサッパ ライオンズ ロック(Kassapa Lions Rock)」。敷地内からはシギリヤロックが見えるホテルだけど、この周辺にはもっと近くでシギリヤロックが見えるホテルもあるようで、後は予算次第。比較的リーズナブルなパックツアーでは高級なホテルには、あまり泊まる事がないのである。
さてまずは朝食タイム。朝6時半から朝食会場がオープンで、そのオープンと共に押し寄せるツアー参加者さん達。
こちらのオバサンはパンケーキのような物を焼いてくれているようです。
自然溢れるスリランカだけあって、並べてある野菜は一段と美味しそうに見える。
こちらには最近のボクの大好物となっているニンニクが、瓶に山盛りに入れられたオリーブオイル。勿論ニンニクの香りがとても効いていて、思い切り朝ご飯に掛けました!
それにしても食では冒険しないボクなので、今日も全然スリランカに来ているイメージの無い朝食でした。。
せっかくのスリランカなんだから、もっとスリランカっぽい物を食べるんじゃ!
レストラン会場の目の前にはプールが見える。やっぱり視野の中に海やプールが見えるだけでも心地よく感じてしまうのである。
シギリヤロックへ向かう
さてホテル内の敷地から見えていた、スリランカでの観光のメインでもある「シギリヤロック(Sigiriya Rock)」へとバスで移動します。ただスリランカでも一番の人気観光スポットであり、また太陽が昇ると暑くなる場所なので朝7時30分と比較的早めにホテルを出発します。
シギリヤロックまで向かう途中の景色 動画
シギリヤロックまで向かう途中には全然何もありません。しかも道路も舗装されていなくて、土の道路の部分があったりと手付かずの自然を感じれる場所でもあります。
シギリヤロックの入口へ
さすがにホテルの敷地内からシギリヤロックが見えていただけあって近く、バスの乗る事15分程で駐車場に到着します。こちらのお兄ちゃんはバスのドライバーさんではなく、ドライバー志望のアシスタント君。ちなみに将来日本に行ってみたいそうだがお金が無いので、今回のツアー参加者さん達の中から支援してくれる人を探している一幕もありました。。
住所:Rock Front, Sigiriya 21120 Sri Lanka
バスのドア付近でなにやら現地のオジサン達が集まって来ています。こちらはシギリヤロックの観光ガイドさんらしく、やって来る観光客を見つけると餌を求める鳩の如く、群がってくるようです。ちなみに日本語ガイドさんも少なからずいるようで、ガイド料は1500~2000ルピーとか。
産業が少ないスリランカでは、こういった観光業の収入が大事なんじゃ!
こちらが正式国名「スリランカ民主社会主義共和国(Sri Lanka)」の国旗でライオンのシンボルマークとなっている。スリランカに渡ってきたシンハラ人(ヴィジャヤ王子)はライオンと人間から生まれた子孫の家系と信じられていたので、スリランカは”ライオンの島”(シーハラ・ディーパ)と呼ばれていた。
ちなみにスリランカの国名に変わる前のセイロンは他の民族が付けた名前である。まずは香辛料交易で訪れたアラブ人が「セレンディプ(Serendib)」と訛って呼び、ポルトガル人が「セイラン(Ceilão)」→→→オランダ人が「ゼイロン(Zei-Lan)」→→→「セイロン(Ceylon)」と呼ばれる事になったという。
このような大型観光バスには専属で現地ガイドさんが付いている場合が多いので、ガイドの仕事にありつけないとは多少分かりつつも、万が一の可能性を掛けて客待ちしているガイドさん達。ただ今回も残念ながら我々のバスに乗っていた人達からは仕事にありつけなかった。。
さて駐車場からシギリヤロックに進む方向には世界遺産のマークが見えています。ここは1982年に文化遺産『古代都市シギリヤ』として世界遺産に登録されている場所。このスリランカには合計8つの世界遺産があり、今回のツアーではその内5箇所を見学する予定。
「HAVE THE VIRUS NOT THE CHINESE」と入口に横断幕が張られている。この2月上旬は中国人観光客は団体での国外旅行が禁止されていたので、スリランカでも殆ど中国人観光客の姿を見かけなかった。
スリランカはあまり経済的に豊かではなく、アフリカ地方でもよく見られるように中国の援助に頼っている。しかしそれは中国の世界進出の策略であり、上の記事にもあるように港を乗っ取られたりと中国の思うがままに支配されつつあるようだ。。
さて今日はスリランカでも一番の有名スポットの観光がこれから始まります。入口前にはトイレ(有料)があるけど、敷地内に入ってしまうとトイレが無いのでなるべくスッキリとした状態で入場するようにしましょう。
それとシギリヤロックは約180mの高さの頂上まで階段を使って登って行くので、出来るだけ身軽にしておいた方がいい。それと段々と日が昇れば暑くなってくるので、水分は必需品である。
入口脇にある注意看板。猿は勿論、蜂がいっぱい飛ぶシーズンもあり、その際は一番上まで登れない事もあるんだとか。それと共に象のマークやワニのマークもあるけど、本当に敷地内にいるのかな?!
昔ワニは沢山居たんじゃが、最近ここではワニを見てないんじゃ!
まずは入場チケットの購入、勿論現地ガイドさんが代行して購入してくれるので我々ツアー参加者さん達は談笑しながら待つだけ。
シギリヤロックには博物館もあるようだったけど、我々は寄らずじまい。今日は午後にも別の世界遺産を見に行き、夜はまた別の世界遺産登録されている地区のホテルに泊まるので結構忙しいのである。
こちらはシギリヤロック周辺の地図である。岩山の上に昔の王様が住んでいたので、周辺には大事な水を確保する為の貯水湖やその水路などが沢山造られている。
こちらがシギリヤロックの入場チケットでこのような人気観光地としては珍しく、普通のレシートタイプ。外国人の入場料は約3,200円とそこそこするけど、スリランカ人の場合は何と100ルピーである(約60円)。
ではチケットを1人1枚ずつ貰い、シギリヤロックの入口へと向かいます。そろそろシギリヤロックが見えてくるけど、まだ手前の木々が邪魔してハッキリとは見えない。
こちらがシギリヤロックの入口で、ここでチケットのQRコードをかざして入ります。ただし機械ではなく人がチェックしていく、アナログな入口でもある。
そして一か所の窓口しかないので、団体さんがやって来るとこのように行列が出来てしまうのである。。
チケットは、途中に通るシギリヤレディーの間でもう一度提示する必要があるので、チケットは必ず捨てないように持ち歩きましょう!
シギリヤロックの敷地内に進む
こちらは「Inner Moat」と看板があり、入ってすぐに内堀が見える。このシギリヤロックって、それまではず~~っとスリランカ(シントラ王国)が誕生してからアヌラーダプラに首都が置かれていたけど、5世紀の王様の気まぐれによってここに首都が移された場所。
しかもその王様は腹心である指揮官にそそのかされて、自分の父親である国王を殺害し、王位を継承した親殺しでもあった。でも昔はそんな事は日常茶飯事だったけど、彼は腹違いの弟に殺されるのを恐れた。そしてここを拠点に変えて、しかも大岩の上に宮殿を造って住んだのだとか。
人類は無駄な争いが多過ぎる。そのパワーをもっと大事な事に使えばいいんじゃ!
だから単なる宮殿ではなく、防御に特化した要塞だった場所でもある。ちなみにこの辺りが使われていたのは5世紀頃なので、約1500年前の遺跡。
今回ツアー参加者さん達の中で1人だけ、パックツアーには付き物のガイディング・レシーバーを受け取らずに拒否したオジサンがいた。そのオジサンは”ちょい悪風オジサン”と名付ける事にするけど、昔に参加したツアーで無くして罰金を支払って以来、その苦い記憶があるのでガイディング・レシーバーは要らないとの事。
シギリヤロック入口にある内堀 動画
このガイディング・レシーバーを付けないデメリットとして、現地ガイドさんや添乗員さんの話を聞かずにドンドンとマイペースで進んでしまう事がある。案の定、途中でこの”ちょい悪風オジサン”が集団から居なくなり、1人先々へと進む事になってしまった。。
この掘に昔はワニが居たそうだけど、今はワニの姿は見る事が出来なかった。
その内堀を超えると周辺には庭園のように緑が広がっている。このシギリヤロック周辺にはこのような庭園が何箇所か造られていて、世界的にも古い庭園なんだとか。
親を殺して国王になったカッサパ1世(Kashyapa Ⅰ)は、当時の陸軍司令官にそそのかされて父親を殺したけど、水と緑の重要性は認識していたようだ。
スリランカではアヌラーダプラでも見る事が出来たけど、人口貯水湖を沢山設置していた。暑い地方で場所によっては降水量も少ない場所も多いので、水の確保が命を分けていたのだろう。
ここに首都を移して国王として君臨したカッサパ1世は、西暦473~495年の約20年間は王位にあった。しかし最終的には腹違いの弟に殺されてしまう事になり、身内殺しは最終的に身内に殺されるという皮肉的な最期を迎えるのである。。
日本では四季に富んで降雨量も多いのであまり水不足には悩まされる事は少ないけど、このように熱帯で乾燥地帯などに住んでいると水を確保するのにとても労力が払われていたという事実を知る事が出来る。だからその名残もあってか、こちらの国ではあまり街中で洗車している光景を見かけない。道路を走る車はどの車も砂だらけである。
このように池に階段が付いている所は貯水池ではなく、沐浴場として体を清める為に使われたのを意味する。
それにしても人間は地球環境をこんなにも簡単に変える事が出来るという事実に、改めて驚いてしまう。地球上に住む生物だろう、川の流れを人工的に変えたり、湖を作ったり山を削ったりと出来るのは。
遂にシギリヤロックとご対面!
そして通路を歩いているとそれまで木々が邪魔していたけど、この先は木々が無いので遂にシギリヤロックの全景が間近で見れそうだ。
まだ朝の8時位だけど、太陽が綺麗に今日も昇って、煌々と照らす中に見えるシギリヤロック。実際にスリランカに来るまでは知っている観光地って、このシギリヤロックしか知らなかった。それに旅行のパンフレットでも必ずこのシギリヤロックがメイン写真で使われているので、逆にこれだけは知っているものでもある。
”古代都市シギリヤ”として世界遺産に認定されているんじゃ!
間近で眺めるシギリヤロック 動画
横には貯水湖などが見えている。このシギリヤロックを造らせた王:カッサパ1世は腹違いの弟の母親よりも、自分の母親の身分が低かった為に王位継承権が無いと知り、自分の父親でもある前国王ダートゥセーナ(Dhatusena)を監禁して王位を剝奪した。
そして腹心から前国王が莫大な富を隠していると言われて、前国王ダートゥセーナに「あなたの財宝を見せろ!」と脅した。すると前国王ダートゥセーナはカッサパ1世をある人口貯水湖に連れていき、その水を手に取って「これが私の財産である!」であると伝えたという。
するとそんな様子を見てバカにされたと思ったカッサパ1世は、前国王であり父親であるダートゥセーナをその池の堤防の壁に生き埋めにして殺害したという。しかし前国王ダートゥセーナが築いた王国には、18個にも及ぶ大きな貯水湖を作り、それで農業の発展を促した。カッサパ1世も後年にその水の重要さが分かったのか、このシギリヤロック周辺には沢山の貯水湖を造る事になるのである。
欲まみれになった人間には、今何気なくある自然の大事さには気付けないという事じゃ!
父親が言った事をバカにしていたけど、自分も歳を取ってくると親の言っていた事が何となく分かってくる時が訪れるのである。
シギリヤロックは朝7時からオープンしているみたいだけど、暑い地域なので早く来ないととても暑くなってくる。しかも頂上は日陰が全然無いので、帽子とか無かったら暑すぎる。。
敷地内に見える貯水湖などの景色 動画
こんな旅はまた次回に続きます!
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