スリランカ旅行記:2日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
アヌラーダプラで一番高い建造物
ここはスリランカでも古代シントラ王朝時代に、首都とされていたアヌラーダプラ(Anuradhapura)の街。仏教が最初にスリランカに伝来してから、仏教一色の場所となり1982年には世界遺産に認定されるのである。
インド国内のお釈迦様が悟りを開いた”ブッダの菩提樹”の挿し木が成長して、今でも長い枝を伸ばしている”スリー・マハー菩提樹”(Sri Maha Bodhi)の見学も終了。
スリランカで昔に造られた仏教関連施設には、このように階段の下には「ガードストーン」と呼ばれる魔除け的な彫刻の石が置かれています。それと合わせて地面にある半円形の「ムーンストーン」は神聖な場所を表すものです。
こちらの階段の装飾にはワニのような動物も彫られているのが見えます。こちらは「マカラ」と呼ばれる空想上の怪獣で、ワニ・ゾウ・ライオン・イノシシなどが組み合わされて、ほぼ無敵な存在である。
さて見学が済んだので、事前に預けた靴を返却してもらいます。最後の方まで靴が出てこないと「もしかして、他の人に間違えて渡してしまったのでは・・・?!」と思ってしまうけど、ちゃんと自分の靴が返却されました。
ルワンウェリ・サーヤ大塔へ向かう
さて次はルワンウェリ・サーヤ大塔という、これも紀元前3世紀に造られた大きな仏塔を見に行きます。ここからは歩いて行ける距離にあるそうです。
そこに向かう途中にはお祈りし過ぎてお疲れが出たのか、現地民と見られる方々がゴザを引いてシエスタ・タイムのようでした。
そんな寝っ転がる人を踏みつけないように歩いていると、その先にはなにやら小さなガラス張りの小屋が見えてきます。
こちらでは仏教のスリランカに伝来してきた頃に、インドのアショーカ王の王女が運んできた”ブッダの菩提樹”の挿し木を当時のシントラ王であるデヴァナンピヤ・ティッサ王(Devanampiya Tissa)に渡している瞬間を再現したもの。ただしこの模型では挿し木を渡している人物は王女ではなく、僧侶だったけど。。
その後のスリランカが仏教国になる、伝説的なワーンシーンじゃ!
右手には柵が閉まっていて入れなかったけど、紀元前2世紀に造られた「黄銅の宮殿」(Loha Prasadaya)と呼ばれた、何と9階建ての建物があった場所だという。9階建ての建物の屋根には銅の瓦が葺かれていた為にこのような名前が付いたという。
手すりには珊瑚で装飾されて更に宝石などが散りばめられた豪華な部屋が1000以上もあったというが、ドゥッタガマーニ王の死後に火災が発生して焼け落ちた。その後再建された宮殿は7階建てになったそうな。。
この建物は紀元前2世紀に活躍したドゥトゥガムヌ王(Dutugamunu)の時代に、約6年掛けて造られたとされている。当時の建物には一番下の階にこのような基礎となる石柱が埋め込まれていた。この建物には縦横ともにそれぞれ40本の石柱が合計1600本も埋め込まれているという。。
そしてこの道を歩いていたら現地ガイドのパリタさんから、ガイドレシーバー経由で「ここにお猿さんがいますが、絶対に目を合わしたり、食べ物を与えないでください!襲われますから・・」と聞こえてくる。
道端にたむろする不良猿?! 動画
「目を合わせないでください!」とか警告されると、思わず不良やギャング団がいるのかと思ってしまう。。
よく見たらお猿さんで、お腹には小さい子供を抱いていた。
しかしそんな警告を言われても、思わず足を止めて魅入ってしまっている欧米系観光客の人達。
こちらの猿は生物学上は霊長目オナガザル科の、ハヌマンラングール(Semnopithecus entellus)という名前が付いているお猿さんでこのアジア地方に生息しているようだ。ヒンズー教徒はこのハヌマンラングールを神様の使いである「ハヌマン」の生まれ代わりだと信じている。
インドでも問題になっているけど、お猿さんは神様として考えられているので現地の人々は追い払ったりはしない。逆に餌を与えたりするので、どんどんと数が増えてきているという。
このハヌマンラングール、リーダーの雄は雌を8匹前後有するハーレムを成している。リーダーの雄は別の雄が勝負を挑んできた場合に闘い、負けてしまうとそのグループは乗っ取られてしまう。そして群れを乗っ取った新しいリーダーは前のリーダーが残した1歳以下の子供を殺す「子殺し」という行動を取る。
この「子殺し」という習性を世界で1962年に最初に発見したのが、日本人学者であったという。ちなみに子供を目の前で殺された母親猿は新しいリーダーの雄に噛み付く訳でもなく、翌日には発情して交尾に至るという。
見た目は可愛いお猿さんだけど、彼らはスリの一味で人間を見ると餌を持っている生き物という認識しか無いようだ。だから自分の前を通る人間のカバンなどを、ジロジロ物色しているのがよく分かる。
のんびりお猿さんをカメラ越しで眺める 動画
そうして横目でお猿さんを眺めながら、道を歩いて行くと奥の方に大きな仏塔が見えてくる。
今まではガジュマルも菩提樹も似たような木だと思っていたけど、全然違った。こちらはガジュマルの木が結構生えていたけど、暖かい地方でしか育たなく、去年鹿児島旅行時に見かけた記憶が甦る。
こちらの日陰では地元民がのんびりとくつろいでいた。それにしてもどこの国でも小さい子供は可愛らしいものである。
段々と白く綺麗に外壁が塗られている仏塔が近づいてきます。
ルワンウェリ・サーヤ大塔にて
こちらの仏塔がルワンウェリ・サーヤ大塔(Ruwanweli Maha Seya)と呼ばれるもので、紀元前2世紀にドゥッタガマーニ王の指示により造られた仏塔。ただしドゥッタガマーニ王は完成を待たずに亡くなったという。
そのドゥッタガマーニ王が亡くなる寸前に衰弱して目も弱っていた時に、王位を引き継ぐ弟が辺りに白い垂れ幕を張った。そして弟はドゥッタガマーニ王にこのルワンウェリ・サーヤ大塔が、いかにも完成したかのように見させて彼を満足させたという。
この仏塔は外壁がとても綺麗に塗られていたので近代の建築物だと思っていた。実際には紀元前2世紀に造られたものだけど、その後他の都市に遷都されたアヌラーダプラ地方は廃墟と化す。
ルワンウェリ・サーヤ大塔を眺める 動画
そんな廃墟と化していたルワンウェリ・サーヤ大塔は20世紀初頭に大きく改修された。今では毎年外壁を白く塗り直しているそうで、その為にそんな古い物には見えないのである。
こちらは改修前で廃墟となっていたルワンウェリ・サーヤ大塔。約1000年位も人々から放置されていたので、レンガの裂け目から雑草などの植物が生えまくっていたようだ。。
こちらの仏塔は世界的にも最も古い部類に入り、世界的に瓦で造られた建造物としては世界最古の物だという。
仏教はキリスト教よりも古くて歴史あるんじゃ!
こちらの仏塔の高さについては色んな資料によって記載されている高さが違っている。一説には紀元前2世紀に造られた当時は110mの高さがあったとされていて、今では55m程の高さになっているようだ。。
20世紀初頭にはスリランカには1万頭を超えるスリランカ・ゾウが野生していて、この辺りにも多くいたという。そんな象が敷地内に入らないようにと造られたような外壁には、そんな象の彫刻が飾られているのが見える。これも仏塔が造られた当時にこのような象の壁があったらしいけど、新し過ぎて余り有難味が無いようにも見えてしまう。
近くでルワンウェリ・サーヤ大塔を眺める 動画
リアルな象が並んでいる壁の前には看板が置かれていて、よ~~く見ると日本語のカタカナでも何か書かれているのが見える。
ルワンウェリ・サーヤ大塔を一周する
そしてそんな紀元前2世紀に造られた、古代の仏塔を見るだけではなく近くまで行けるとの事。なのでここで少しの間自由行動となり、有志の人間だけルワンウェリ・サーヤ大塔に近寄りに行く事にする。
この仏塔は大仏舎利とも呼ばれていて、このアヌラーダプラ地方で一番仏舎利(お釈迦様の聖遺物)が納められている仏塔だという。ただ仏舎利が多く納められていると言いながらも、この仏塔内部全体が満タンになるまで納められるほどに仏舎利が沢山存在する訳でもないんだけども。。
このルワンウェリ・サーヤ大塔を見学するには、入場料は不要だったけど靴を預けるので靴代が必要だった。だけどこのルワンウェリ・サーヤ大塔は中には入れなくて、外側をただ一周する位しかする事が無いんだけども。。
するとルワンウェリ・サーヤ大塔の周りで、京都銀行のCM以上に長~~~~~~~~~い仏旗を担いで行進する地元の仏教徒の人達が居たので、その旗持ちに参加させてもらった。
長~~~~~~~~~い仏旗を担ぐ 動画
ボク達以外にも欧米系の観光客など、その辺に居た人達まで参加している。というか逆にここにいる全員の力を借りないと、仏旗が地面を擦るようになってしまうのだが。
という事でボクも実際にその長~~~~~~~~~い仏旗の下に入り込み、一緒に担いでみる。
ここでお祈りを捧げる人達は、基本白い服装をしているようだ。ただ別にお祈りを捧げるように何かを喋る訳でもなく、黙々と仏旗を担いでいた。この場所にはスリランカの色んな場所から仏教徒が集まって、このような儀式を行っているようだ。
ルワンウェリ・サーヤ大塔近くの景色 動画
さてそんな仏旗の下に入って担ぐのを参加していると、近くにいた添乗員さんが気を使って写真を撮ってくれました。
イマイチどういう儀式かは分からないけど、こういった行事に参加できるのは楽しいのである。
こちらの地方ではサリーという女性が着る衣装があるけど、スレンダーな女性よりもそのサリーから横っ腹の肉がはみ出している体型の女性の方がモテるんだとか。昔の男性は実利主義だったようだ。
ただし元々スリランカではサリーは着られておらず、1910年頃にスリランカに持ち込まれて、それがスリランカ国内に流行っていったものだそうだ。インドから帰ってきたエリート階級の女性達がインド式のサリーを着こなし、それが拡がっていったという。
そして今では女性の国会議員は全員サリー姿で、公共機関に勤める女性も基本はサリーなんだとか。ただしサリーは雨に弱くて、雨が降ると役所勤めの女性は遅刻したり欠勤する事が多いそうだ。
長い仏旗の先頭はこちらまで続いていた。ただしイマイチどういうお祈りをする儀式かは掴めなかった。。
儀式の内容よりも、仏教を信じる心が大事なのじゃ!
お祈りに来る仏教徒の半分以上の人達は、ここに献花されているような花を持って来ていた。仏教ではお釈迦様に対する修業の誓いとして、このように花を捧げるそうだ。
このルワンウェリ・サーヤ大塔は夜のアヌラーダプラでも、綺麗にライトアップされる建物として人気があるようだ。こちらの通路の上には小さな電球が沢山取り付けられていて、夜には綺麗に光るようだ。
さてアヌラーダプラの観光は、一応これにて終了。本当は他にも見所はあるけど、全部見るには時間も無いし、暑いし、そこまで興味も無いし・・・といった三拍子がちょうどいいような。こちらにも野犬のような犬がいて、ワンちゃんの気配には気を抜けないスリランカである。
お釈迦様の存在がとても重要な仏教。日本でも主流な仏教だけど、こちらの地方とは同じ仏教でも流派が異なるので、仏教の建物も全然違ってくる。そういう意味では仏教に興味がある人は、このように色んな国の仏教に関連する物を見ておいた方がいいのだろう。
その通り、仏教は伝来した国それぞれで独自の発展をしているのじゃ!
イマイチお釈迦様がどういった偉業を成し遂げた人かは分からないけど、その考えが今の時代まで通用している所を見ると大した物だと思う。
ワシの偉大さが分からないとは無礼な!(怒) もっと真剣に仏教の歴史について勉強するのじゃ!
こんな旅はまた次回に続きます!
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