スリランカ旅行記:3日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
仏像だらけの寺院
ここはスリランカでも”文化の三角地帯”と呼ばれる、アヌラーダプラとキャンディーとポロンナルワという、過去にスリランカの首都が置かれていた街に囲まれた歴史的な遺跡などが残っているエリア。その中にあるダンブッラの石窟寺院を見学中です。
なお、今回の旅程は6日とちょいと短めなので三角地帯の内、ポロンナルワの街は残念ながら訪れませんでした。しかしガイドブックや資料に目を通すと、中世時代に首都が置かれていただけあって色んな遺跡などがあるようなので、スリランカを訪れるのであれば是非訪れるべき場所だろうと思う。
ダンブッラ石窟寺院にて
ダンブッラ石窟寺院に入り、まずは一番手前にある最古の「第一洞窟」内を見学済。ここの第一洞窟と第二洞窟の間にはヒンズー教の寺院もあるらしく、全てに仏教だらけという訳でも無いようだ。
このように寺院の上には岩がせり出しているのが見える。というか岩が窪んでいる場所にこのような寺院を造ったのであるが。。
日本人は基本的に仏教と神道が混ざった文化の国なので自然と仏教には馴染みがあるけど、欧州系観光客達は仏教にはあまり馴染みが無いと思うので、彼らがこの仏陀をどう感じているのか聞いてみたいような気がする。
第二洞窟寺院にて
それにしてもこの旅行時は2月上旬だったけど、スリランカは基本的に暑いので日差しに当たると余計に暑い。なのでこの寺院見学時もなるべく日陰に入るか、洞窟内の見学をせざるを得ない状況でもあった。
これから入る「第二洞窟寺院」が一番ここにある寺院の中で大きく、そして見所の多い場所だという。
早速寺院内に入ってみると、奥に向かう程に天井が狭くなっているけど、そんな天井には仏陀の絵だらけである。
この部屋にはご覧のようにまず入口を入っただけで、多くの仏像が見える。この部屋だけで50体以上の仏像が置かれているという。
この一番大きい第二洞窟寺院内は、幅約50m・奥行25m・高さは入口付近で6mの空間だそうだ。でもそれよりは狭そうに見えるのは、沢山の仏像が置かれているからかもしれない。
さっきも見かけたけど、ここでもまた大きな涅槃像が設置されています。個人的には無宗教者と自分の事を思っていて、最近はあまり神にすがったり祈ったりする事がないので、これだけの数の仏像を造って設置する意味合いがあまりよく理解できない。しかしここでは仏陀には超越した超人的な力があり、仏陀の事を神の中の神と捉えている為にこれだけの仏像が造られているようだ。
ワシは神様ではなく、1人の修行僧なんじゃ・・・
第二洞窟内の景色 動画
こちらの涅槃像の足先はご覧のようにピタッとくっ付いていたので、こちらは涅槃寸前の説法している時の仏陀という事になる。
そしてこの洞窟内では「ピチャ~~、ピチャ~~」と音がしている。何かと思っていたら部屋の中央付近に金網が設置されていて、薄暗いその中に水を受ける壺が置かれているのが見えた。
この洞窟の天井から湧き出る水は聖水とされていて、昔から絶える事も増える事もなく一定量が滴り落ちてくるという。そしてこの聖水はこの石窟寺院の宝物とされていて、特別な儀式の時には僧侶が聖水を口にするんだとか。
この洞窟はここで一番大きいだけあって、出入口は2箇所造られている。その出入口でも第三洞窟側に造られている方が正式な出入口らしく、その第三洞窟側に来ると急にこの洞窟が広く感じた。さっきの場所とこの辺りの場所では、天井の高さが全然違うみたいだった。それもそのはずで造り物の天井ではなく、天然の岩の天井なので画一的高さでは無かったのである。
この仏陀の絵には後光というか光背とも呼ばれる、神様や聖人などが出すオーラまで描かれている。
このダンブッラ寺院は紀元前1世紀のアヌラーダプラ王朝時代に王だった「ワッタガーマニ・アバヤ王(Vattagamani Abhaya)」が、南インドから侵略してきたタミル人達にアヌラーダプラを侵略されて、身を潜めていた場所でもある。
ワッタガーマニ王はここで身を潜め武力を整えて、約14年後にタミル人に反撃し見事撃退したという。スリランカ国内のシンハラ人文化では昔からタミル人を撃退した王様達は英雄とされている。ただしスリランカにはシンハラ人だけではなく、タミル人も15~20%程いるのでタミル人からは勿論彼ら王様は英雄視はされていないのであるが。
元々は仏教徒が修業していた場所であったが、タミル人との戦争に打ち勝ったワッタガーマニ王はここを洞窟寺院として改造したという。その勝利の裏に仏陀の恩恵があったかは分からないが、仏教徒の助けがあったのは間違いないだろう。
そしてこの辺りはまだ天井が高いので、小さいながらもストゥーパ(仏塔)が設置されているのが見える。
ここではこのようにコブラのとぐろの上に座った仏像も見られる。これは古代インドにおいて蛇の神とされていた「ナーガ(Nāga)」で、仏陀が悟りを開く時に彼を護ったとされているので仏教界では守護神とされているのである。
悟りを開くと人間界を飛び越して、自然界の生き物とも意思疎通が出来るかのようだ。
そんな超能力は悟りを開いても、身に付く訳ではないんじゃ!
しかしスマホのカメラの機能は年々向上していっているので、暗闇で実際に目で見ると暗い景色でも、スマホのカメラで写真を撮る方が明るく撮れたりする。なのでこういった暗い洞窟内を撮影する時は強い味方になるスマホである。
昔はこの仏像の裏側まで行けたそうだが、今では前にテーブルや囲いがあって近づけないようになっている。
というのもマナーの悪い観光客が仏像を触ったりするので、このように隔離されるようになったそうだ。人間は欲深い生き物なので自分の手の届く範囲にあるものは何でも触りたがるので、触られたくない場合はこのように隔離しておいた方が無難である。
そしてここで現地ガイドのパリタさんがスマホを取り出し、そのライトを点けて天井に向けだした。
パリタさんがスマホで照らしていた先には、小さな悪魔が潜んでいるのだとか。
そしてそんな悪魔が描かれている上の方には、その悪魔を追い払うかのように手を下に下げている仏陀の絵が描かれている。
そんな小さな悪魔をアップで撮ってみたのがこちら。悪魔というよりは上半身裸の女性のようにも見えて、誘惑を振りまいて煩悩を増やそうとしているようにも見て取れる。
さすがに男であるワシなんで、このような誘惑に対抗するのは辛かったんじゃ!
仏陀は29歳で出家し、3人の仙人に弟子入りする。しかし彼らの卓越した考えには違和感を感じて、尊敬はするものの自分の求める物とは別物と判断し、独自の苦行を行うのであった。
そして山林に6年間閉じ籠って行った、殆ど水分と食糧を摂取しない過度な断食苦行の影響で、殆ど骨と皮状態になったという。もしここまで断食で痩せる事が出来たのであるならば、超人的な意志の強さと肉体を持っていたのだろう。
いや~~人間って極限状態までいっても、なかなか死なないんじゃ!
そしてそんな苦行を実践した所で仏陀は満足な境地を得る事が出来なかったので、苦行が真実の道ではないと認識し苦行を辞めるのであった。
「辞める」という決断も大事なのじゃ!
そして1人の少女(スジャータ)と出会い、彼女がくれた牛乳粥を飲み干し、川で体を清めた後に菩提樹の下で悟りを開く事になるのである。
スジャータちゃんは心優しい少女だったんじゃ!
ちなみにテレビCMでよく耳にした「スジャータ」の商品名は、この牛乳粥を差し出した少女の名前を付けられたのである。
この第二洞窟寺院の壁には、フレスコ画だらけである。一番広い寺院でもこのように隙間無く、至る所に仏陀や彼のストーリーが描かれているのである。
しかしここのフレスコ画は大昔の物ではなく、17~18世紀頃に塗り替えられた作品だという。というのもここでロウソクを灯していると、その燃えたススで壁画が黒くなったりしてしまうので、それを修復する意味で塗り替えられていたようだ。
こちらの仏像の奥の壁に描かれている絵は殆ど消えかかっている。。
こちらはこの第二洞窟でも左側の入口から入ったらまず見える景色で、ここから入るのが正式なんだとか。確かに天井にも大きな仏陀が描かれているので、こちらの方が荘厳な感じを受ける。
さてここが一番の写真スポットでもあるので、一斉にカメラを構えて写真撮影に興じるツアー参加者さん達。
菩提樹には神聖な力があり、瞑想状態の時に悪魔からの脅迫や誘惑があった為に、この菩提樹の下を選んだとされている。
表に出るとそこには小さな池が造られていて、その池には蓮の葉が浮かんでいるのが見える。仏教やヒンズー教では蓮は神聖な物として扱われる存在だが、人類に食べられている植物でもある。
あまり日向には人が居ないと思ったら、現地ガイドのパリタさんから「外は日差しがアツイから、この通路は日陰になっているのでココを通りましょう!」との事。
第三洞窟寺院にて
そしてお次は第三洞窟寺院の見学に移ります。
こちらの洞窟は比較的新しく、18世紀に当時キャンディ王朝の王様だった「キルティ・スリ・ラージャシンハ(Kirti Sri Rajasinha)」の指示で造られた寺院。
ここにも大きな涅槃像が設置されている。こちらも黄金色に体が塗られているようだが、金箔を貼っている訳ではないので、光り輝く黄金色では無かった。
ただこの涅槃像の上の天井が迫っていて、結構圧迫感があったので少し窮屈そうに説法している様子であった。
今まで見た涅槃像は全て目を開けたものばかりで、まだ目を閉じて涅槃に入った状態とされている像にはお目に掛かった事がない。
みんなはワシが死んだとは思いたくなかった事の現れじゃ!
さて涅槃像が説法中か、それとも涅槃に入ったかを判断するのがこの足元である。だがご覧のようにピタッと足先が揃っているようには見えないけど、足先がズレているようにも見えないという中途半端な感じの状態だった。。
仏陀は35歳で悟りを開き、それから45年間毎日この姿勢で弟子たちに説法を聴かせたという。これが一番の自然体ポーズだったのかもしれない。
修業で疲れすぎたので、この体勢が一番楽だったんじゃ!
こちらの洞窟内には57体の仏像が設置されていて、先程の第二洞窟寺院内の仏像数よりもこちら第三洞窟寺院の方が多いという。
仏教はキリスト教が生まれる約500年前に派生したもので、いくつかの類似点があるという。仏教はギリシャ地方までは広がっていたという記録が残っているので、キリスト教にも影響を与えていた可能性は大いにある。
個人的には全く宗教に興味が無い訳ではない。それぞれの宗教の考えの中でも全てを盲目的に受け入れるのではなく、自分でそれぞれの考えを吟味し、自分にとっても真理に近いと思える事を受け入れるようにしている。ただ単に神様という存在に対して一方的に祈るだけという行為については、無意味な行動だと思っているだけである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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