スリランカ旅行記:5日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
デザイナーの自宅
さてやって来たのはコロンボ市内にある、スリランカでは有名な建築家だったジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa)氏の自宅兼事務所跡です。
住所:3, 11 33rd Ln, Colombo 00300
『Number 11』の見学
やっと見学の順番が来て、入口は玄関では無く、横のガレージから入ります。そして建物内は土足厳禁なのでここで靴を脱ぎます。
まずは入ってから直ぐに建物内を見学する訳でなく、まずはビデオを鑑賞してからのスタートになるようです。
入口を入って通された部屋には、スリランカの仏教寺院の入口には必ず敷かれているムーンストーンが壁に飾ってあります。
スリランカを代表するデザイナーだけあって、ムーンストーンを壁に配置するとはさすがじゃ!
1919年7月23日に当時はまだイギリス領だったセイロン島で生まれたジェフリー・バワ。彼の父親はムスリムとイギリス人の混血、そして母親はドイツ人とスコットランド人とシンハラ人の混血という家庭に生まれたバワ。
コロンボの裕福な家庭で育ったバワは、高校を卒業した後にイギリスのケンブリッジ大学に渡り、英語と法律を学びイギリスで弁護士として働く。そして27歳でコロンボへ帰り、その後母親が死去し、それを機に約2年に及ぶ世界放浪の旅に出かける。
最期に訪れたイタリアに定住する事も考えたバワだったが、最終的にはコロンボへ帰って来て自分の理想郷を作ろうと建築家を志す。そして再びイギリスに向かい、大学で建築を学んで帰って来るのであった。そしてコロンボに戻って来て建築家として再スタートを始めたのは38歳の時であった。
この通された部屋はエアコンは設置されていたけど、電源は入っていなかった。しかし隣のガラス張りの事務所はクーラーが入っていて、快適な感じで職員は働いているようだった。
まずは椅子が置かれていた先にある、こちらのテレビで動画鑑賞を行うようだった。そしてツアー参加者さん達があまりにもみんな口を揃えて「この部屋、暑い・・・」と言ってたので、テーブルの上にあったエアコンのリモコンをスイッチONにして冷房を入れてみた。
ボクはあまりこういった芸術的なセンスは持ち合わせていないので、こういった絵のどの辺りが素晴らしいのかがイマイチ理解できない。
ジェフリー・バワは生前、スリランカ国内に10軒以上のホテル・デザインを行ったが、その殆どが海岸沿いのホテルだったようだ。
そんな動画の開始を待つ間に部屋を見回していたら、某ガイドブックにも載っていた日本人が現地で作っている日本語情報誌「SPICE UP Sri Lanka(スパイスアップ)」が置かれていた。
一昨日キャンディのシルク生地の服屋さんを訪れた時に、近くで看板を見た「食べましょう!」のお店の事が載っていた。スリランカでもだんだんと日本食レストランは人気になってきているようだ。
建物内の見学スタート
先程の部屋で簡単な動画(勿論英語)を見せられた後は、スタッフのオジサンが建物内を案内してくれるようです。
ジェフリー・バワも建築家の中では名の知れた存在のようですが、あまり建築には興味無い人からすると全然名前すら知らない人物です。現地ガイドのパリタさんも、彼の生前時は全然バワ氏の存在すらも知らなかったようです。
まずは入口だった車庫でジェフリー・バワ氏の愛車だったロールス・ロイスの車を眺めます。バワ氏と彼のお兄さんは裕福な家庭に生まれたので、数台のロールスロイスを所有していたようだ。
そのバワ氏が最後まで愛用していた、こちらのロールスロイスは勿論お触りは厳禁です。
こちらのロールスロイスは1934年に生産された『ROLLS-ROYCE PHANTOM Ⅱ CONTINENTAL DROPHEAD COUPE』で、4,000~5,000万円程の価値だそうだ。バワ氏が1950年に購入し、1951年にセイロン島へ運んできたものである。
そしてあまり車には興味が無いボクでも知っているのが、こちら車の先端に取り付けられている女神のエンブレムで、ロールスロイス(rolls royce)の象徴でもある”スピリット・オブ・エクスタシー(The sprit of Ecstacy)”である。
ちなみに今世紀に入ってからのロールスロイス車は、このエンブレムが自動でボンネットの中に引っ込むようになっているという。それはロールスロイスの象徴でもあるこのエンブレムが盗難される事が多いので、その盗難対策としてそのような細工がされるようになったという。
スリランカ旅行のパックツアーでもジェフリー・バワ氏が設計した、リゾートホテルに宿泊するプランの物もある。ただし勿論その分宿泊料が掛かるので、ツアー料金自体もあがってくるけども。
まずは少しの階段を降りていくと、脇には壺が何個か並べられていた。
そしてバワ氏の建築スタイルで”トロピカル・
ちょっとした中庭で鉢植えを置いて植物を飾るのではなく、実際に土の地面に植物を植えているのである。
そしてその植物が生えている部分には屋根が取っ払われており、直に太陽光や雨が降り注ぐようになっている。現代の日本人からすると「夏場は暑かったりして、エアコンが付けれないやん!」とか「家の中に雨が入ってくるやん!」とか思ってしまう建築である。
ただ個性的な建築家の建物は住みやすさを追求した物ではなく、あくまでもその建築デザイナーの個性が溢れる建物である。ボクの親父も安藤忠雄氏が設計したコンクリートの打ちっ放しの建物で、オフィス兼自宅を構えていたけど、「夏場は暑く、冬は寒くて、住むには適してない所」と言っていたのを思い出す。
だからデザイナーズマンションもそうだけど、こうやって部屋を見るだけと実際に住むのでは全然印象が変わってくるのである。だからこのようなデザイナー拘りの建物には、そんなデザイナーの考えを共有できる人間しか住めないのである。
ジェフリー・バワは彼のお兄さんと共に同性愛者だったという。なので結婚せず、そして子供も残さずに他界していった。
そしてバワ氏は2003年5月27日に83歳で亡くなった。晩年は脳卒中を起こして、下半身が不自由だったそうだ。
こちらの場所は「PRIVATE AREA」と札が張られていて、台所・キッチンになっているようだ。基本的にはバワ氏が生きていた頃の内装を、そのままにして保存しているようだ。
そんなプライベート・エリアの中をちょっと覗いてみる。
すると今年のカレンダーや新しめの冷蔵庫があったりで、一応この建物はホテル(1組だけしか宿泊できない)なのでその対応をする為に使われている部屋のようで、ここはバワ氏の生前のままでは無さそうな部屋だった。
自然と建物の融合を理想としていたので、建物内にはこんな太い木も生えているのである。
そしてそんな木は、こちらの開放感ある天井から麒麟のように首を出している。
そしてスリランカでは伝統的に昔から貴重な雨水を蓄える貯水湖が色んな所で造られてきたが、ここはそんなイメージを醸し出す空間が造られていた。
ただその横にあった粘土の置物はスリランカっぽいゾウでは無く、馬だったけども。。
人類がクーラーという設備を基本的に建物に完備しだしたのはまだ最近の事。一昔前まではクーラーなんて使わなかった人達が、今日になると「暑い暑い、クーラー付けよう!」と言い出す。とても贅沢になってしまった人類だけど、その代償として何か大事なものを失ったようにも思う。蒸し暑くても外気と触れ合うのが自然本来であるが、現代人はクーラーに当たり過ぎて逆に体を壊す人が増えているのである。
21世紀の人類は自分達が生み出した発明品によって、逆に苦しんでいるのじゃ!
ボクの親父が生きてここに来ていたら、喜びそうなバワ氏の自宅兼オフィス。デザイナー同士であれば趣味が通ずる所があるだろうけど、あまり才能の無いボクからすると「住みにくい所・・・」という印象の方が強かったかもしれない。
建物内に飾られている、このようなポスターなども一枚一枚にその人なりが出ている。単にその辺の市場で安かったから買ったのを飾っている訳ではなく、バワ氏の拘りが詰まったポスターなのである。
そしてここから先の部屋は、バワ氏の寝室など本当のプライベートルームだった場所なので、ここから先は写真撮影は禁止のゾーンだという。ちなみにバワ氏の寝室には2匹のライオンのぬいぐるみが飾ってあったが、それも実際にバワ氏が生前時から愛用していたものだという。
そんな彼が設計活動などをした部屋の見学を終えて、入口まで一旦戻ります。
バワ氏が31歳の時に購入したロールスロイス。裕福だった親が残したお金で買ったのか? それとも自分で稼いだお金で買ったのか?
建物のベランダも見学
そして2階の部屋と、上にあるベランダも見学が可能だというので上に登ってみる事に。
日差しがキツいスリランカだったけど、日が当たらない建物内でこのように吹き抜けになっていると、風が通ってそんなには暑く感じない。
2階には客間があり、こちらには壁画もあったり、椅子やソファーなどが沢山置かれている。
ちなみにこの真ん中に見える白いイスは、ボクの親父も同じ物を持っていたのを思い出す。
こちらの椅子はフィンランド人の建築家でありデザイナーでもあったエーロ・サーリネン(Eero Saarinen)がデザインした「チューリップチェア」である。”ペデストル・フォーム”と呼ばれる一本足の構造で、デザイナーには人気がある流線型の椅子である。
デザイナーの人が住んでいただろうなと思わせる家であり、かつ自然との融合を大事にしていた人とも感じれる。
ちなみにジェフリー・バワは1970年の大阪万博の時の「スリランカ館」をデザインした人物でもある。
上に登るとそこにはまた緑が見えてきて、気持ちのいい青空とマッチしている景色である。
これが雨が降っている日だと全然イメージが変わっていただろうけど、今日は晴天だったので気持ちいい景色が広がっているテラスである。
この辺りはコロンボ市内にありながらも落ち着いた閑静な住宅街で、しかもそこそこに木も植えられている。
コロンボに来るまでは全然ジェフリー・バワの名前すら聞いた事が無かった。コテコテのシンハラ人でもなくタミル人でもなかったバワ氏は、独自のスリランカ文化を作ったのである。
今回はあまり建築関係やデザインとかに興味のありそうな人は居なかったけど、それなりに皆さん見学を楽しんでいるご様子。
こんな旅はまた次回に続きます!
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