【スリランカ旅行記㉛】ゴールの要塞からインド洋に沈む夕陽を眺める

スリランカ旅行記:4日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日

広大なインド洋

ゴール旧市街地にあるお土産店の様子

スリランカはスリランカでもここはヨーロッパ人達が侵略して、植民地として支配していたスリランカ島南部の湾岸都市であるゴール(Galle)の街。

 

ゴール(Galle)の街にて

ゴール旧市街地にある建物の瓦

ヨーロッパ人が造ったヨーロッパ人の為の街なので、このように瓦が屋根の上に載せられている光景も見られる。

 

ゴールの旧市街地の道を走るスリーウィーラー

こちらのスリーウィーラーとも呼ばれるトゥクトゥク(オートリキシャー)は、世界でよく見かける三輪車タクシーである。こちらの車体はインドのムンバイに本社を置く「バジャージ・オート(Bajaj Auto Limited)」という会社が製造しており、この三輪車タクシーの世界シェアNo.1メーカーである。

新品であれば約30万円、中古であれば約10万円で購入できるそうだ。そして個人営業の三輪車タクシーが殆どで、大体はオーナーがレンタルで貸し出しているのを借りて、運転手は仕事をしているケースが多いという。

ブッダ君
ブッダ君

ワシもトゥクトゥクを運転してみたいんじゃ!

 

 

ゴールの街を散策する

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた建物

昔はセイロン島でこの辺りはポルトガル人・オランダ人・イギリス人と支配されてきた場所だけど、1948年に独立してからはシンハラ人の為の国として”シンハラ・ナショナリズム”を推進してきた経緯がある。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた建物の前に置かれていたサボテン

ヨーロッパ人の支配により長年築いてきた、スリランカ独自のシンハラ人文化が崩壊の危機を迎えた。その原因になったのはイギリス人が持ち込んだプランテーション政策である。今では高地で栽培されてすっかりスリランカの名物になっている紅茶の栽培で、その労働者として賃金が安い南インドのタミル人が入植させられてきた。そしてヨーロッパ人の住み着いた場所には学校が造られており、そこにタミル人が通い英語を習得していった。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた建物-2

本格的にイギリスの支配度が増していく程に、公務員や議員などの要職に就くには英語を読み書きできる必要が出てきた。昔ながらのシンハラ語を一番と考えていたシンハラ人達は、自分達の伝統を優先したので新参者のタミル人に英語力で遅れをとった。そして次第に少数派であるタミル人の中からエリート層が輩出されて、余計に政界などに影響力を増していくのであった。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、香水などを売っているお店の外観

スリランカでは約70%を占めるというシンハラ人達は、そんなイギリスの政策に適合するタミル人を排除し、シンハラ人の立場を回復する運動を始める。それが”シンハラ・ナショナリズム”であり、そこにはシンハラ人が信仰する仏教の復興も合わせて行われた。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、香水などを売っているお店の外観-2

そしてタミル人を蹴落としたシンハラ人は、タミル人の選挙権を剝奪し、シンハラ語公用語法案を議会で議決させる。するといきなり国から排除される形になったタミル人は各地で暴動を起こし、次第に過激派が生まれて、1983~2009年までの約26年間に渡り内戦が勃発するのであった。

 

スパ用品のお店に立ち寄る

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、香水などを売っているお店に入る

そしてゴールの旧市街地を歩いていたら、こちらにスパ用品などで使われるアロマや化粧品関係の商品が置かれているお店を発見。すると数人の女性が「中に入ってみた~~い!」と言い出すと、ちょっと時間に余裕があったのか?添乗員さんは「じゃあ、ちょっとだけ寄りましょうか!」と言ってここで休憩をする事に。

 

SPA CEYLON HERITAGE SPA & BOUTIQUE I

 

住所:No. 54A Lighthouse St, Galle 80000 

 

 

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、香水などを売っているお店に入る-2

こちらのお店の商品は完全に女子向けで、あまり男性には興味のないお店であった。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、香水などを売っているお店の店内の様子

こちらにはディフューザー(アロマ)が置かれていて、日本にある香りとはまた違った種類があって、興味深そうに物色する奥様の姿が見える。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、香水などを売っているお店の店内の様子-2

ただスリランカまで来てわざわざ買う必要も無いけど、物価が日本に比べるとだいぶ安いスリランカなので、欲しい人はこっちで買い溜めするのもアリかもしれない。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、香水などを売っているお店の店内の様子-3

このお店の商品はスリランカでも最近、とても人気があるそうでパッケージのデザインもこのように可愛らしいものになっていた。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、香水などを売っているお店に置かれていた口紅

口紅までも色んな種類が揃っていて、女性にとっては楽しそうな店だけど、男性陣は大体直ぐに店の外に出て雑談をしていた・・・。

 

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、コーヒーショップ

個人的にはゴールのこの旧市街地で、20分程のフリータイムにしてくれた方が有難かったけども。そもそもこの街では自由行動の設定は無かったようだ。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、建物など

スリランカで起こった内戦はシンハラ人側のスリランカ政府軍と、タミル人側のタミル・イーラム解放のトラ (LTTE)という集団との間でどちらかが武力的に鎮圧されるまで行われた。両軍合わせて約5万人以上の兵士が死亡し、それに巻き込まれた一般民間人の数は把握されていないという。両軍ともに一般市民をわざと巻き込み、誘拐や殺害などを平然と行っていたという。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、建物など-2

そして紛争が起こっていた地域では安全に暮らせないと、難民が10万人以上発生し、その多くはインドへと渡って行った。しかしインド側が用意した難民キャンプでは貧しい暮らしが待ち受けており、考えられない位の安い賃金で重労働を課せられたので、渋々スリランカに戻らざるを得ない難民も多くいたそうだ。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、建物など-3

スリランカに来る前は「スリランカ国内には、地雷が埋められている場所もある」と本に書いてあったのが意外だった。しかし実際にスリランカに来てみると、ヨーロッパ人から独立したと思ったら、次はスリランカ国内に住む人種間でも争いが始まったのである。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、レストラン

しかし日本人から見れば、シンハラ人もタミル人も同じインド人の祖先を持つ民族で、外見だけではほぼ判別は出来ない。しかしシンハラ人としては約2500年前にインドから入植してきたウィジャヤ王子(Prince Vijaya)の一族が、このスリランカの文化や歴史を作ってきたという自負があるのであろう。だから新参者のタミル人が、自分達より上の地位にいるのが気に食わなかったのだろう。

 

ゴールの旧市街地の道を歩いて見えた、レストランの看板

所詮敵が居なくなっても、新しい敵が身内から生まれるだけという事を歴史は証明しているかのようである。

ブッダ君
ブッダ君

財産があればある程に、それを目当てに寄って来る人が多いんじゃ!だからワシはそれを放棄したんじゃ!

 

ゴールの旧市街地の運動場でまだクリケットをする人達

こちらの公園ではやはりイギリス植民地時代の影響で、クリケットに興じる人々が見える。ただし日本人にはクリケットは全然馴染みすら無いので、ルールもイマイチ分からない。。

 

クリケットで遊ぶ人達 動画

 

ゴールの旧市街地を一周して要塞跡に向かう

さてゆっくりと旧市街地を周って、要塞跡に近づいてきました。

 

ゴールの旧市街地を一周して要塞跡に向かう-2

要塞に進む事に、段々と時計塔が大きく見えてきました。

ただ時計の針は正確な時間を示しては、いなかったけど・・・

 

ゴールの要塞にて

ゴールの旧市街地を一周して要塞跡に置かれている像で遊ぶ現地民

こちらでは楽しそうに写真撮影しているお兄ちゃんがいる。銅像の恰好だけ見ていると、イギリス軍っぽいような衣装。

 

ゴールの旧市街地を一周して要塞跡の景色

ポルトガルにとってシナモン交易はとても儲かるという事が判明した為に、1517年にインドから合計27隻の艦隊を集めて強引にこの場所に要塞を築くのであった。

 

ゴールの旧市街地を一周して要塞跡に建つ時計台

ポルトガルがスリランカに辿り着いた1505年にはスリランカ国内は西側にコッテ王国(1372~1597年)、北側にジャフナ王国(1323~1620年)、そして中央部にコッテ王国から独立したキャンディ王国(1474~1815年)と3つの王国に分かれていた時代。

 

ゴールの旧市街地にある要塞跡から、インド洋に沈む夕日を眺める

残念ながら夕陽は見えなかったけど、綺麗な夕焼けがぼんやりとインド洋に反射して見えている。

 

ゴールの旧市街地を要塞跡から見た景色

そしてゴールに要塞を建設したポルトガルは、スリランカの植民地化に向けて進みだす。コッテ王国と同盟を結んだポルトガルはコロンボの街を建設する。しかしポルトガルと手を組んだものの弱体化してきたコッテ王国は1521年に国王が暗殺されて、その息子の代でコッテ王国は3つに分裂する事になる。

そしてこのタイミングで独立機運の高まっていたキャンディ王国は正式に独立する事に。コッテ王国が分裂した中でも末の弟が率いたシーターワカ王国は果敢にポルトガルとの戦いを挑み、武器に勝るポルトガルにも劣らず奮迅を続けた。
そんな情勢を見ていたキャンディ王国は、隣国シーターワカ王国の強大な力に危機感を感じて、一時はポルトガルと同盟を結んだ。しかしシーターワカ王国の度重なる攻撃にも関わらず、軍事力では段違いであったポルトガルの牙城は崩す事ができなかった。

 

 

ゴールの旧市街地を要塞跡から見た景色-2

そしてシーターワカ王国は王が死に息子に王が移るも、その新しい王が死んだ後は解体されてシーターワカ王国は消滅してしまう。それと時を同じくしてコッテ王国も内乱が起きて、その際にポルトガルに併合されてしまう。そして1619年に北部のジャフナ王国もポルトガル領となってしまい、残るはキャンディ王国だけとなってしまうのであった。

 

要塞の上から眺めるゴールの街 動画

 

ゴールの旧市街地を要塞跡から見た景色-2

唯一残ったキャンディ王国はスリランカ人の意地を見せて、ポルトガル人とオランダ人の侵攻を防ぎ、撃退する事に成功する。しかしそんなキャンディ王国も最終的に国内で内紛が起きて、それに乗じたイギリス軍により1815年に滅ぼされるのであった。

 

ゴールの旧市街地を要塞跡の時計台の前で記念撮影

そんな色んな歴史が凝縮したゴールの要塞。今でこそこうやって何気なく写真を撮って楽しめる場所になっているが、ず~~っと長い間常に戦争の地でもあったゴール。

 

ゴールの旧市街地を要塞跡から見た夕焼けの景色

昔はこんな広大なインド洋に10数隻の艦隊が集結し、海上から大砲を放ってシーターワカ王国の攻勢などを防いでいたのだろう。

 

ゴールの旧市街地を要塞跡から見た夕焼けの景色をバックに記念撮影

そしてそんな要塞の壁の上でも、既に定番化している「落ちる~~~!」ポーズを披露し満足気な顔をしている男。。

 

ゴールの旧市街地を要塞跡にある像で楽しむ人達

こちらではまた先程の銃を構えたイギリス兵と思われる銅像と、遊びながら写真を撮って楽しむ人達の姿が見える。

 

ゴールの旧市街地を要塞跡にある像

こちらはインド人兵士のような姿がしている。

しかも裸足だし・・・・

 

ゴールの旧市街地を要塞跡にある、イギリス兵と奴隷の像

イギリス軍に支配されていた時の様子だろうか?!

 

ゴールの旧市街地を要塞跡で見かけた猫ちゃん

足元では猫ちゃんが軽快な足取りで、目の前を通り過ぎていった。猫ちゃんもカワイイ顔をしているけど、噛まれたら大変な事になるらしいので、簡単に手を出してはいけないのである。

 

ゴールの旧市街地を要塞跡での見学を終えてバスに向かう

そしてゴールの街観光もそろそろ終わりの時間。この要塞を出た所でバスが待ち受けているので、急かされる。そのバスが待機している場所では、あまり長くバスが停められず下手したら罰金を課せられるという。

 

 

ゴールの旧市街地内にあったテニスコート

この辺りではイギリスが持ち込んだスポーツが盛んのようだ。テニスの発祥はこれもイギリスのようなイメージだけど、実は16世紀にフランス貴族の間で定着したゲームだという。

 

ゴールの旧市街地を要塞跡を最後に眺める

ゴールの要塞、この辺りも大勢の屍が散っていった場所なのだろう。ただ今となっては全然そんな雰囲気を感じさせない場所となっているが。

 

バスに戻ると先程貰ったナンプレをプレイする

バスに戻り、今日の観光は終了。という事で今晩宿泊するホテルに向かう道中に、”マジシャン会長オジサン”からナンプレを2ページ分もらい「アンタもしなさい!」との事。

ナンプレは一時期ちょっとだけやった事があるけど、10年ぶり位の再会であった。

 

ゴール新市街地の街並みをバスから眺める

結局スリランカの歴史も世界中の歴史とも比べても、最終的には同じ家系の人間同士で争って自滅パターンの歴史が多い国であった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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