スリランカ旅行記:6日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
日本の豚骨ラーメン
スリランカからの帰りに乗継で訪れたシンガポールのチャンギ空港で、無料の市内観光ツアーに参加してマリーナベイサンズやマーライオン像を見に行きました。
シンガポール市内にて
この辺りには漢字が見えてきて、中華街になってきました。この辺りは19世紀になり、中国系移民の居住エリアに指定された場所で結構広いエリアになっているようです。
ただこの無料ツアーはチャンギ空港やシンガポール政府などが合同で主催している空港ツアーなので、万が一トラブルがあって飛行機に乗り遅れる事があってはならないので、その殆どがバスに乗って車窓からシンガポールの街を眺めるのがメインになっています。
なので暇潰しにシンガポールの街にちょっと出てみたいという人にはいいかもしれないけど、ちょっとアクティビティに街を周りたい人は自分で出掛けてみた方が自由があっていいかと思います。
シンガポール市内を巡っていると、再び先程近くで見学したマリーナベイサンズが遠くに見えてきます。
高さは約200mというホテルで、最上階にはルーフトップの「インフィニティプール」があり、新しいシンガポールの顔ともなっている魅力的な建物です。
初めてのシンガポールの街並みは大きな建物だらけで、尚且つとても綺麗な街並みが広がっていたので少し驚いてしまった。
今回の無料ツアーに参加して知り合った日本人の女の子は、建築系の仕事をしているのでこれらの街並みを興味深そうに、次から次へと建物の写真を激写していましたね。。
シンガポールの人種としては中国系が3/4を占めているので中国系の建物が多いと思いきや、”人種のるつぼ”とも呼ばれる国だけあって、色んな様式の建物が街には混在しているのです。
そんなシンガポールで一番割合が多いのが中国系だけあって、特別中華街が大きいのです。
中華街付近の景色 動画
人種は中国系に次いで、マレー系が約15%、インド系が約10%。そして色んな人種が住んでいる国なので公用語も多彩で、英語・中国語・マレー語・タミル語と実に4つもの公用語があります。
基本的にビジネスとかは英語がメインで使われているようです。この中にあるタミル語はスリランカでも公用語となっている、インドから来た言語です。
そしてまたそんな人種や言語に対応する形で、シンガポールの宗教割合も多様になっています。
仏教徒:約33%、キリスト教徒:約19%、イスラム教徒:約14%、道教徒(中国系):約10%、ヒンズー教徒:約5%と人口全体から見た割合になっていますが、それぞれの人種毎に宗教の割合は異なります。
色んな人種と共に寛容に受け入れられている宗教といった感じの国なんでしょう。ただ最近のご時勢もあり、無宗教を自認する人が増えて来ている傾向にあるという。
これはシンガポールに限らずにどこの国にでも近年に見られる傾向で、科学の発展した21世紀を生きる現代人にはもはや20世紀以前の考えを許容できなくなってきているようです。
宗教ってのは諸刃の剣にも似たような物で、信じる事で力を与えてくれるが、ハマリ過ぎると周りが見えなくなってしまう物である。
また現在的に発展している宗教程に政治的な力が働いており、本来の伝道者の意図が伝わりにくくなって形骸化している場合が多いように思う。
ワシも悟った真理を弟子達に託したけど、意図した内容が現代人には伝わってないんじゃ!
こちらの建物の壁には一面アート的な絵が描かれていたけど、残念ながら横にあった空き地に木が何本か生えていたので、それらが邪魔してあまり絵をしっかりと見れなかった。。
確かに建物好きの人にとってはシンガポールは、色んな新しい建物が密集しているエリアなので、そんな街並みを見ているだけで楽しいみたい。こちらの中央に見えるのは、ハニカム構造をした外観のビル。
第二チェックポイントにて
そしてこちらで再びバスが停まり、ちょっとした自由時間となります。
チャンギ空港もそうだったけど、シンガポールは自然環境を大事にしているので、街中にも緑が溢れていた。
そして到着したのは「マレー・ヘリテージ・センター」(Malay Heritage Centre)。ここで約15分の自由時間となります。
マレー・ヘリテージ・センターはマレー系民族の文化を紹介する博物館のようになっていますが、この15分という短い時間では館内を見学する事は不可能に近い。ここで使える公衆トイレを利用する為に、立ち寄った場所といった感じでした。
ただ既にシンガポールでの一番人気の観光スポットに立ち寄れたので、それで充分に満足してしまっていた。
なのでここはトイレを済ませた後に、簡単に近くに見えるイスラム寺院のような建物の写真だけを取って、早々とバスへと戻る事にする。
1人旅でスリランカに旅行していて、たまたま帰りのシンガポール航空の同じ便だった女の子。
この無料ツアーで知り合った訳だけど、彼女はボクらを引率していた添乗員さんを見て「私ツアーに参加した事がないんですけど、あんなに添乗員さんて常にバタバタしている感じなんですか?」と聞かれた。
今回の添乗員さんはあまり器用なタイプではなかったので、常に動き回って無駄な動きが多い人のように感じた。
だから飛行機機内でも何回も客席を回っている姿を見かけたり、最初に泊まったホテルでは20回程も電話を掛けてきたりと(部屋の問題が無いかの確認の為)。。
シンプルな服装だったけど、猫ちゃんデザインの可愛らしいTシャツを着ていた女の子。熊本県出身だったので、くまモンらしい可愛らしい印象だった。
ちなみにスリランカ旅行で一番困った思い出を聞いてみたら、現地に到着した時に使ったタクシーの運ちゃんが、「帰りの時もオレが迎えに行って空港まで送ってあげるよ!」と言われたのでアテにしていたら、帰国当日にホテルまで迎えが来なくてちょっとだけ焦ったとか。
そしてここでちょっとした事件が起こる。というのはこの2回目のバスSTOPでは「集合時間通りに、キッチリ出発しますよ!」と現地ガイドさんが言っていた通りに、なんと集合時間にまだバスに帰って来ていなかった参加者さんを待たずにバスが出発してしまったのである。
「海外の主催するツアーでは、集合時間を過ぎたらバスは待たずに出発するのが普通」と聞いていたけど、それを実際に目の当たりにするのであった。
ただそんなこんなもありながら、何だかんだで約2時間に及ぶ無料ツアーも、もうチャンギ空港へと帰る時間となってしまった。知り合った日本人の女の子と楽しくお喋りをしていたら、あっという間に時間が過ぎ去っていた。
相変わらずロボットのように、毎回同じ内容で同じ口調で喋っているだろうと思われる現地ガイドさん。ただ毎日この仕事をしていたら喋る内容は同じになってしまうし、観光客の反応が無くても1人で盛り上げないといけないので、大変な仕事だとは思う。
そしてチャンギ空港に到着します。そしてまだ乗継時間に余裕のある人は、空港横に去年新しく出来た「ジュエル(Jewel)」という複合施設にも追加で行けるとの事。
なので知り合った日本人女の子は次いでにジュエルも見学するという事でこちらでお別れとなります。
出会いは”一期一会”で、その出逢えた時間を大事に過ごすんじゃ!
チャンギ空港内にて
そして約2時間ぶりにチャンギ空港に戻ってきました。まずは入口で簡単にイミグレーションを通り抜けて、再び空港内へと戻ってきます。
このチャンギ空港では空港内に入る時には荷物検査はなく、飛行機の乗る搭乗ゲート直前にだけ荷物検査がありました。
そして行きの時にチャンギ空港で入手した、20ドル分のバウチャーは最初は添乗員さんにあげようと思っていた。しかし色々考えて今回の添乗員さんにあげても恐縮するだけかと思い、結局は自分で使う事にした。
そして買い物よりも何かを食べたいと思い、日本的ラーメンのお店を探す。すると空港スタッフの女性が寄って来て「ラーメンを食べたい!」と伝えると、最寄りのラーメン店に案内してくれた。しかしここは日本的なラーメンのお店ではなかったので、一風堂に行ってみる事にした。
行きの時にここチャンギ空港でツアー参加者さん達の自己紹介会をしたのが、一風堂の近くだったのでそれを思い出して隣のターミナル2へと向かう。
そんなターミナル移動間に乗ったモノレールの窓からは、奥にジュエルの建物が見える。こちらは空港から歩いても充分に行ける距離で、”ミャンマー兄さん”はツアーでは無く自分で歩いて訪問したそうだ。
一風堂でラーメンを食べる
そして目的の「一風堂(IPPUDO)」の看板を見つけます。そして店員さんに20ドルのバウチャーが使えるかを聞いたみたら、帰ってきた答えは「ノ~~!」との事・・・。
ただわざわざ第二ターミナルまでやって来たので、とりあえずラーメンを食べる事にしてみた。
店員のオバサンは何気に腕がとても太くて、ボクよりも太かったように思う・・・。
そしてボクがチョイスしたのは「博多スペシャル」14ドル(※シンガポール・ドル)。ラーメンの入った器は発泡スチロールで、カップラーメンっぽかった。
さて日本国外で食べるラーメンの味は、どんな感じなのか? 楽しみに食べます。
すると流石に一風堂の名前だけあって、日本らしい博多ラーメンの味で、全然外国でラーメンを食べている感じがありませんでした。
空港内のラウンジで一服!
そして空港内で添乗員さんと出会い、「ラウンジ、入れるんだったら折角だから1杯だけでもいいので、入った方が悔いも残らないのでいいですよ!」と勧められて、”マジシャン会長オジサン”の誘惑を今回も跳ねのけてラウンジへと向かう。
このラウンジは空港で貰えた20ドル分のバウチャーが使えるラウンジらしく、バウチャーを使って数人のツアー参加者さん達も入ってたとの事。
ただしボクがラウンジに入ったのが遅かったので、ツアー参加者さんの姿はありませんでしたが。
ちなみにこちらのラウンジは、プライオリティパスなどを使って入るのとバウチャーを使って入るのは別待遇のようでした。バウチャーを使って入場した人の話を聞いていたら、アルコールは出せないと言われたそうです。
なのでこのラウンジではビールは缶ではなく、スタッフに注文する形式となっていました。そしてシンガポールだけに、当然の如くタイガービールでした。
そこそこの広さがあるラウンジだったけど、全然人が居てませんでしたね。あまり食べ物とかも置いてなかったので、人気が無いのかもしれません。
そして急いでビールを飲み干してから、搭乗ゲートに向かう前にこちらの植物園みたいな所にやってきました。自然環境を大事にするシンガポールだけあって、空港内にはこのように緑溢れる滝なども設置されているのです。
空港内を飛び交う蝶々 動画
こちらのパイナップルの輪切りの上には、沢山の蝶々が羽をパタパタさせながら止まっていましたね。まさか国際空港の建物内で、これだけの蝶々を眺める事が出来るなんて想像にもしていませんでした。
さて20ドル分のバウチャーを使おうと、こちらのお菓子類を購入。
そして19ドル分になる事を計算してレジに持って行ったら店員さんが「あと1個買えるよ!」と言ってくれたので、もう1個持って行ったら合計21ドルになってしまいました・・・。なので断る訳にもいかずに仕方なく、超過した1ドル分だけをカードで支払う事に。。
そして搭乗ゲートに向かうと、既に大阪行きの便は搭乗開始になっています。
飛行機に乗る前には直前に必ず搾り切るようなイメージでトイレに向かってから、飛行機に搭乗するのがボクのルーティーンです。
日本へは約6時間強のフライトで到着する見込み、勿論日本へと帰る便もシンガポール航空さんにお世話になります。
そして搭乗口付近で椅子に座って、ボクを待っていた”マジシャン会長オジサン”と再会します。
こちらはそんな”マジシャン会長オジサン”が持ち歩いている、背中や腰をグリグリとマッサージするボール。
軟式ソフトボールの玉ですが何でこのように書いているかというと、荷物検査の時に単なるボールだと怪しまれるので、その時の説明用にこのように書いておけばすんなり通過できるからだそうだ。
そしていよいよシンガポールを出発する時間となります。
日本へと到着するのは22時と遅い時間帯なので、神戸から来ていた”ミャンマーお兄さん”は大阪到着後は直ぐに帰るからとここでお別れの挨拶をします。
ボクは大阪市内なのであまり気にしていなかったけど、22時関空着だと下手にもし飛行機が遅れたら帰る事が出来なくなる人もいるようだ。
添乗員さんは京都在住だったけど、とりあえずツアー参加者さん分のガイディング・レシーバーを関空の荷物発送サービスに預けたいとの事。
その荷物受付カウンターが23時に閉まるので、そうなったら後日会社まで持って行かないといけないのが手間なので、早く全員が問題なく到着したのを見送って閉まる前にカウンターに行きたいそうだ。
帰りのシンガポール航空の飛行機内では、先程ラーメンを食べた事もあって機内食はパスして、ひたすら爆睡する。
そしてあっという間に関西国際空港に到着。予定通り22時に空港に到着し、久しぶりに大谷君ともご対面し挨拶を交わす。そして楽しかったスリランカ旅行にも、終わりを告げるのであった・・・。
<まとめ>
今回の旅行は6日間と今まで選んできた1人参加限定ツアーとしては短い日程だったので、実はちょっと不安であった。
というのも6日間だとツアー参加者さんと仲良くなってきた頃に、その旅行が終わってしまうからである。
今まではそう考えて6日間のツアーは選ばなかったのだが、スリランカという未知の国に対しての興味がそんな想いを上回ったのだ。
スリランカの事前知識は「セイロンティー」で有名な紅茶と、大きな岩の上に王様が暮らしていたシギリヤロック位。
だがスリランカに訪問してみると、今から約2300年前位の遺跡がしっかりと残っていたり、それ位からの歴史書が残っていたりと想像していたよりも古代から文明が発達していたスリランカ。
そんなスリランカが一気に仏教国として加速したのが、紀元前3世紀にやって来た仏教伝来である。スリランカの古代歴史は正確には仏教の僧侶が記した歴史書である。
なのでどうしても仏教徒寄りの内容に偏っていて、スリランカでは主になっているのが紀元前5世紀にインドから渡ってきたウィジャヤ王子(Prince Vijaya)の血を引く、仏教徒のシンハラ人である。
そしてインドからは仏教の象徴でもある”ブッダの菩提樹”も伝来し、そのDNAを引き継ぐ菩提樹まで祀られている。
紀元前3世紀にインドのアショーカ王により擁立された仏教は、直ぐにスリランカの人々にも深く根付くのである。
元々はインドから来た人々の子孫であるシンハラ人達のシンハラ王朝は、度々南インドから侵略にやって来たタミル人に占領されたりする時期もあった。
なので島国だけど隣国とは仲が今でもあまり良くはなく、日本と韓国のような関係である、スリランカとインド。
スリランカでは国民の約70%が仏教徒の国であるが、日本の仏教とは全然違う寺院の雰囲気であった。
元はブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いた仏陀の教えが、語り継がれたハズだけど約2500年間の間で、大きく内容が変化していった世界中の仏教。
似通っている部分もある仏教だけど、基本ベースは同じ仏陀の教え。仏教国の日本に住みながら、今までの人生で仏陀については全然興味が無かったけど、今回のスリランカ旅行でだいぶ仏陀について興味が出てきた。
もっと仏教について興味を持って、勉強するんじゃ!
そんな古代スリランカ王朝時代の遺跡で全く仏教の形が見られなかったのが、こちらのシギリヤロックである。
今の時代から見れば父親を殺して王様になるのは非道とか言われるけど、約1500年前の事でその当時からしたら身内を殺すのは当然の事でもあった。
何せ一番自分の命を狙うのが、次期王位継承権を持つ身内なのだから。
野生の猿も新しくボスになった雄は、今までのボスの子供を噛み殺すという。それもこれも自分の血(DNA)をこの世に残していく為の、地球上の生物に埋め込まれた本能なのである。
そんな父親ダートゥセーナ王を殺して王様になり、こんな180mの大岩の上に遷都し宮殿を築いたカッサパ1世。
彼がここに宮殿を築いたのは腹違いの弟が復讐に来るのを恐れていたとされている説が一般的だが、ここから見える周辺の景色がとても綺麗な絶景スポットでもあるので、居心地は良かっただろう。
少なくともカッサパ1世が親を殺してここに宮殿を築いてくれていなければ、今我々がここからの絶景を見れる事はなかったであろう。
そう思うとカッサパ1世の親殺しには、感謝せざるを得ないのかもしれない。
そして今回の旅程は少し短めだったので、アヌラーダプラの次に首都が置かれていたポロンナルワ(Polonnaruwa)には訪れる事が出来なかった。
なのでこれからスリランカ旅行を計画されている方はポロンナルワ込みの8日間位の日程を選んだ方がスリランカを満喫できるとは思う。
そして晩年スリランカ王朝で権力の象徴でもあった”仏歯(仏陀の犬歯)”を保管している、キャンディの仏歯寺。
そして仏歯寺の目の前にあり、世界遺産のエリアの中に佇むクイーンズホテル。スリランカがイギリスの統治下に入った時代に産声を上げた建物であり、スリランカでは最古の部類に入るホテルである。
そして仏教徒がそんな仏舎利にひたすらに祈りを捧げる姿も眺めた。スリランカの僧侶は出家し家族を持たないので、日本の坊さんが結婚し家庭を持っている事を見て驚くという。
キリスト教でいえばカトリックとプロテスタントのような違いがあるようだ。
スリランカでは野生のゾウも多く暮らしており、このようなゾウの孤児院では水浴びしていた大量のゾウを間近で眺める事が出来た。
しかしこの100年間に人間の活動範囲の広まりにより、スリランカ・ゾウの個体数が大幅に減っており、今では絶滅危惧種に設定される位になってしまっている。
そういう意味ではゾウさん達にとって、生きにくい21世紀となってしまうのだろう。
なお余談だが、こちらの『冒険起業家 ゾウのウンチが世界を変える。』という面白いタイトルの本に図書館でたまたま出会った。
その際にこんな本があるという存在すら知らなかったのだが、タイトルに『ウンチ💩』という文字が見えたので、思わず本能的に手に取ってしまったのだ。。
アンタも『ウンチ』という言葉に、よく反応するな・・・
そしてこの本を手に取ってチラっと中身を見てみたけど、イマイチな雰囲気がしたので本棚に戻そうとした時に、再びこの本のタイトルを見たら『ゾウのウンチ』とあったので、何かを思い出したかのようにもう一度中を確認する事にした。
すると、作者がスリランカでビジネスをした話になっていて、更にスリランカ滞在中に見かけた”ゾウのウンチ”を使った紙で、そのビジネスを大きく成功させていた事が書かれていた。
それで期待せずにとりあえず借りてみる事にしたのだが、帰宅してから読み出すと、その面白い起業エピソードに引き込まれて一気読みしてしまった。
スリランカ滞在中には全く知らなかった日本人起業家の苦労の末に、今の”ゾウのウンチ”を使った紙がこれだけ大々的に生産される所以となっていた事に、最近気付いてとても驚いたという、個人的な最近のスリランカ・インパクトでした。
対する人間はゾウさん達が水浴びする川辺に、綺麗なホテルを建ててそのプールからビールを飲みながらゾウさんを眺めるという贅沢ぶり。
こういう光景を見ていると日本より自然が多く見えるスリランカだったけど、もう野生のゾウさんの個体数が増えていく事はないだろうと感じた。
そしてスリランカ王朝が大きく翻弄される事になるのは、1505年にポルトガルの船が漂着してからである。この頃には大航海時代が始まっており、アジアの特産品を求めてやって来たヨーロッパ勢にアジア地方が浸食されていく時代が訪れるのである。
そしてスリランカ王朝としてヨーロッパ勢に抵抗したものの、1815年にスリランカ王朝はイギリスに滅ぼされてしまう事になる。
なので今スリランカにある物はその多くがヨーロッパから持ち込まれて、植民地時代に形成されたものが多く見られる。
特に首都だったコロンボの街はスリランカ独自の文化というよりも、ヨーロッパの1つの都市のようでもあった。
そして今ではすっかり有名になってしまった紅茶も実はイギリスの植民地になるまでは、全然スリランカには無かったものである。
てっきり昔からスリランカの特産品だと思っていたけど、実は1880年頃から栽培された物で下手したら紅茶では無くコーヒーの国になっていたかもしれない。
それにしても温暖な南国の気候だったので、南部のビーチリゾートはとても景色がキレイで気持ち良かった。
菩提樹の下で瞑想するのもいいけど、ヤシの木の下でビーチを前にしながらの瞑想も格別の物である。
そして”TSUNAMI”という言葉が知れ渡っているスリランカでは、過去に津波により約4万人近くの犠牲者を出していた。
それだけの多くの被害者を出した背景には、海岸線を観光客誘致の為に開発した影響と”TSUNAMI”という言葉すら知らない事が影響したようだ。
そしてパックツアーでは定番の観光地にしか寄らないが、スリランカで見逃してはならないのは2009年まで約26年間に渡って続いたシンハラ人とタミル人との内戦である。
現在のスリランカ政府としては”負の遺産”としてあまり表には内戦の過去を出したくないようだけど、街中の標識を見るとその内戦の影響を感じれる。
この標識のように上からシンハラ語と続いてタミル語で表示されているのは、スリランカではマイノリティーになるタミル人が闘って多くの犠牲を出しながら勝ち取った物であった。
今回はペラヘラ祭というスリランカ独自のお祭りは見れなかったけど、このようにペラヘラ祭が行われる寺院で飼っているゾウさんを間近で見れたので充分である。
そして今回もまた新しい旅のお友達が沢山増えた。久々に参加したクラブツーリズムだけに「よく参加した阪急交通社に参加する人達とは、ちょっと人種が違うかな?!」と思っていたけど、フタを開けてみると皆さん旅行好きで吹っ切れた人ばかりで今回もとても楽しめた。
それと共に乗継で立ち寄ったシンガポールでは、ちょっとした市内観光でシンガポールの街を満喫できて、新しい楽しい出会いもあった。
コロナ・ウイルス大騒動に世界中が巻き込まれた2020年だけど、やっぱり異国の辺鄙な所でこのように胸いっぱいに現地の空気を吸い、太陽の光を浴びて刺激を受けるのはとても重要な事であると再認識する日々である。
そして今回のスリランカ旅行でもっと仏教についても知りたくなってきたので、今まであまり訪れていないアジア地方に行きたくなってきたのである。
もっともっと勉強して、大きな人間になるんじゃ!
だから外へ踏み出せる機会が訪れたら、遠慮せずに前に踏み出そう。
<完>