【スリランカ旅行記⑬】シギリヤロックのコブラの岩で、コブラを見かける

スリランカ旅行記:3日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日

 

コブラもお手の物?!

これからシギリヤロックに登る、女学生たちの長い列

スリランカでも一番人気のシギリヤロックの観光を終えて、入口周辺の登り口に戻ってきました。するとご覧のように地元の小中学生達が大勢並んでいる様子が見えます。

 

シギリヤロックの周辺にて

これからシギリヤロックを降りて、帰り道にあった標識

地元スリランカ人と外国人観光客とは入場料が50倍程離れているだけあって、外国人観光客専用の道があるようです。こちらは帰る方向の看板です。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道が渋滞する

こちらの皆さんは既にシギリヤロックの観光を終えた人達ばかり。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進む

このシギリヤロック周辺も色んな遺跡が残されている可能性があるかもしれないが、現状では満足に発掘作業がされていないようでこれからに期待。でもシギリヤロックでは全然仏教などの宗教的なものを全然見なかった。

ブッダ君
ブッダ君

親殺しをする奴にはワシの尊い考えは、理解できないんじゃ!

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道にシギリヤロックを見上げる

なのでこのシギリヤロックの頂上を居城としたカッサパ1世は、無宗教者だったのかもしれない。シギリヤレディーなどの壁画はあったけど、仏陀とかの壁画や像は全然見かけなかった。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んで見えた景色

このような岩もドコかからか、運んできた物だろう。途轍もない労力を払って、巨大な岩を遠くから運んできていたのだろう。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んで見えた会議する場所だった岩

次に見えたのは大きな岩が、真っ平に真っ二つされたようになっている場所。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んで見えた会議する場所だった岩の看板

こちらにある看板には「Audience Hall」と書かれていて、会議する場所だったみたい。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んで見えた会議する場所だった岩-2

昔の人達も会議を沢山していたのだろうか? 現代でも会議が無駄に多い会社は”ダメな会社”である。というのも本来会議は多数の人々を集めて行う情報共有の場なのだが、何回も会議を重ねて行くとその重要性よりも会議を行う事だけにしか意義が無くなって行き、本来の目的から逸脱してしまう事が多い。

そして会議に参加する人数が増えれば増える程に、それらの人達の貴重な時間を消費してしまう。そういった事を考慮せずに自己満足だけで会議を行う上層部の居る会社は、大体右肩下がりの会社となっていくのである。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく

このシギリヤロックは王宮であり、要塞でもあったので周辺にはこのように大きな岩を固めて門代わりにしている箇所が多い。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく途中にあった大岩

これだけ大きな岩同士の間の狭いスペースだと、体の大きい象などは入り込めなかったのではないだろうか?!

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく途中にあった大岩-2

この中央アジア付近では大昔から野生で多くの象が生息していて、そんな象は頭が良くて従順だったので、人間は戦争に象を活用した。特にこの地方では野生の象が多く居たので、象兵と呼ばれていて騎兵隊代わりの存在であった。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく途中にあった大岩-3

初めはこのような重なった大岩は天然物で自然に倒れてきて、このようになっているのだろうと思っていたけど、こうやってシギリヤロックを見ていたら、それらは作為的に置かれているように見えて仕方がない。

 

シギリヤロックの出口にもある、巨岩で挟まれた門のような道

でもこんな大きな岩を動かすなんて、とても簡単には出来ないハズ。ましてやこの遺跡が造られたのは今から約1500年も前の事である。秀吉が造った大阪城の石垣には巨大な岩があるけど、あれでも約400年前である。でも古来の人達は頭を使って、これら巨大な岩を動かしていたのだろう。

 

 

”コブラの岩”にて

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく途中にあった「コブラ岩」

こちらの岩の頭部分がコブラの頭に見える事から、「コブラの岩」と名付けられた岩。ただし頭の一部が欠けているように見える部分は、残念ながら崩れ落ちてしまったという。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく途中にあった「コブラ岩」-2

こうやって見るとコブラのようにも見えるし、後ろの大きな岩とセットで見ると亀のようにも見える岩。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく途中にあった「コブラ岩」周辺

その脇に置かれていた、この大きな岩がそのコブラの岩の崩れた頭部分なんだとか。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく途中にあった説明板

スリランカの案内板にはこのように上からシンハラ語、タミル語、英語と3つの言語での説明がある。多民族が住み着いたスリランカではこれらの言語の争いや文化の変動が過去にあった。ちなみに英語はイギリス統治時代に公用語にしようと導入されて、国会議員など要職は全て英語で喋らないといけないし、書類も全部英語である。しかしこの国で最も比率が多いシンハラ人は、英語をあまり導入せずに昔からの文化であるシンハラ語を優先した。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく途中にあった「コブラ岩」の下を通る

しかしスリランカではマイノリティになる、第二の勢力であるインド系移民タミル人達はヨーロッパ諸国が造った学校に通い、小さい頃から自然と英語を身に付けていった。そしてイギリス統治時代は英語を身に付けた人々の方が要職に就けたので、タミル人達がどんどんとエリート職に活躍の場を広げていった。

ちなみにスリランカでのタミル人は2種類存在し、昔からスリランカに住んでいるタミル人系(スリランカ・タミル人)と19世紀後半にプランテーションで働く為に連れて来られた新しいタミル人系(インド・タミル人)とが分かれている。彼らはそれぞれにタミル語を使うが、その内容は全く同じ物ではなく新タミル語と古タミル語というように違ったものらしい。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく途中にあった「コブラ岩」を下から眺める

そんなマイノリティであるタミル人達が要職に就くのを悔しく見ていたスリランカの大多数を占めるシンハラ人は、「シンハラ・(仏教)ナショナリズム」という運動を起こした。その根拠にはシンハラ語を喋るシンハラ人は”純粋に優越したアーリア人”と、されるべき存在であるという考えであった。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく途中にあった「コブラ岩」を下から眺める-2

この「アーリア人は優越した民族である」という考えは、実はナチスドイツ帝国を築いたヒトラーも同じ考えであった。結局は同じ人間で、しかもシンハラ人とタミル人は日本人から見れば同じインド地方出身で見た目には全然違いが見られない人種であるにも関わらず、そこに優劣を付けようとしたのである。

 

これからシギリヤロックを降りて、帰り道用の道を進んでいく-2

そんな運動でスリランカでは約80%を占めるシンハラ人達はタミル人社会を封じ込み、シンハラ語のみを公用語とするのであった。そしてその動きに反発したタミル人が武装し、スリランカでも負の歴史である内戦に突入するのであった。

ブッダ君
ブッダ君

シンハラ人とタミル人の争いは、2000年以上前から続いているんじゃ!

 


スリランカの内戦 sri lanka civil war-2

スリランカ内戦時の武装勢力の写真

1983年に始まったこの内戦は2009年まで続くのであるが、スリランカ政府(シンハラ人)と武装タミル人の抗争で多くの一般人が犠牲になり、更に家を捨てた多くの難民も続出する。紛争地の学校にそれぞれの兵士が押しかけ、学生達に「お前たちはどちら側に付くのか?!」と問われ、多くの学生がさらわれたり殺されたりしたという。

 

スリランカの内戦 sri lanka civil war

スリランカ内戦時に息子の死を嘆く女性

この内戦は最終的にスリランカ政府が武装タミル人勢力を武力で鎮圧し、一旦は終結する事となった。そしてその後、タミル語も公用語として認められ今ではシンハラ語とタミル語の2つが公用語が併用されているのである。

何気なく見る看板にはシンハラ語とタミル語の2種類が必ず書かれているが、その裏には多くの血が流された悲しい過去が隠されているのである。。

 


シギリヤロックからの帰り道でコブラを操るオジサン

そんな事を想いながら、コブラの岩の下辺りを歩いていると道端で笛を吹いて座っているオジサンを発見。現地ガイドさんから「この人はコブラ使いです、有料のパフォーマンスをしてくれますよ!」との事。

なので正面から写真を撮るとお金を要求されるので、岩に隠れて写真を撮るのであった。。

 

コブラ使いのパフォーマンス 動画
シギリヤロックの下ではコブラを操る、観光客相手に商売をするオジサンの様子

 

シギリヤロックからの帰り道でコブラを操るオジサンと記念撮影をするオバサマ

ただこのコブラ使いのオジサンと写真を撮る値段は、思った以上に安かったのでこちらの奥様は嬉しそうに記念写真を撮っていた。

 

シギリヤロックからの帰り道で見えた光景

シギリヤロックも夢の跡状態だったけど、ここにはその後仏教僧が一時住み着いていたようだけど、大仏様の像などは全然見られなかった。仏教の僧侶には仏像は必要ないものなのかもしれない。

ブッダ君
ブッダ君

ワシの考えでは、自分の中に真理があり、神様などはいないんじゃ!だから本来は像を祀る行為は不要なんじゃ!

 

 

シギリヤロックからの帰り道にいたワンちゃん

こちらで鎮座していたワンちゃんは「お疲れだワン、期待通りのシギリヤロックだったワンか??」というような顔をしていたな。。

 

シギリヤロックからの帰り道にあったお土産屋さん

そして帰り道の最後は、定番のお土産コーナーが並んでいる。こういった場所は意外と高かったりしたりするけど、値段交渉次第で値段はあって無いような物。

 

シギリヤロックからの帰り道にあったお土産屋さん-2

このアジア地方では象が大人気である。牙が生えているのは雄で、ペラヘラ祭で仏歯を運ぶ象は雄なんだそうだ。それも頭が良く、大人しい雄の象が選ばれるけども、残念ながら去勢されているという。

 

シギリヤロックからの帰り道にあったお土産屋さん-2

今回スリランカ雑貨をこのような場所でゆっくりと見学する時間は殆ど無かった。だからこういった時は、このような露店でもし気になる物を見かけたら、その場で買わないと購入するチャンスが無いのである。

 

シギリヤロックからの帰り道にあったお土産屋さんで展示されていた商品

個人的にはこちらの黒いシートの上にキラキラな装飾がされたものが目を惹いた。こちらの黒い素材は”ウーペ”という、厚紙の表面にレーヨン繊維を植毛した植毛紙で平和紙業という加工紙メーカーの独占販売品(日本では)である。

 

 

シギリヤロックからの帰り道にあったお土産屋さんで展示されていた商品-2

前職は印刷関係の会社で働いていた時代があるボクは、この植毛された紙であるウーペを見るとこの紙を取り扱った時の仕事の事を思い出してしまう。その時は自社内ではこのウーペを扱えなかったので協力会社に委託して加工を全部してもらったのだが、その協力会社の担当者からかなり嫌味を言われてしまった。

というのも植毛だけあって打ち抜き作業をしていたりすると、そんな毛が工場内に飛び散ってしまい、「鼻をかむ度にウーペの毛でティッシュが黒くなった!もう二度とこの紙は触りたくも無い!」と言われた。。

 

シギリヤロックからの帰り道にあったお土産屋さんで展示されていたスリランカ・パンツ

こちらはタイとかアジア地方では必ずお土産に買って帰りたくなる、俗に言うタイパンツである。薄い生地で部屋着などに持ってこいのパンツ。個人的には外で履きたいのだけど、ポケットが無いので結局は部屋着となる運命にある。。

 

シギリヤロックから降りて駐車場にたどり着く

という事でお土産屋さんゾーンでは立ち止まる事なく通り過ぎて、駐車場に向かう。途中でスリランカの日本語版ガイドブックが売っていたので、値段を聞いたら「3000ルピーだ!(約1800円)」と言われたので無視。するとそのオジサンは追いかけてきて「2000ルピー(約1200円)にするよ、どうだ?!」と言われたけど、ビニール袋に入っていなくて本が劣化している可能性があったので結局買わず。

 

シギリヤロックから降りて駐車場で見かけたプリウス

スリランカでは結構日本の車が人気で、街によっては日本車のパーツばかりを売っている所もあるという。ただスリランカに入って来るトヨタ車は殆どがインドの工場で生産されたものだという。

 

シギリヤロックから降りて駐車場で日本語ガイドブックを売りつけるお兄さん

そしてバスの外を見ると、珍しくガイドブック片手にアピールするお兄さんが立っていた。最近のボクはなるべく現地のガイドブックを買うようにしているけど、周りの人達はあまり買わないような気がする。。

 

ダンブッラまで移動する

シギリヤロックからダンブッラ寺院まで移動するバス

シギリヤロックの観光を終えた後は、近くにあるダンブッラの世界遺産に登録されている石窟寺院を見学しに行きます。この2つは近くの場所にあるので、だいたいこのようなツアーとかではセットで観光するようです。

 


シギリヤロックからダンブッラの寺院までは約20kmで、バスではたったの30分で行ける距離。

 

ダンブッラに向かう途中の景色 動画

シギリヤからダンブッラまで移動する途中に見えたスリランカの景色です!

 

シギリヤロックからダンブッラ寺院まで移動するバスからの景色

バスから見える郊外の景色はこのように緑一色。スリランカは昔から稲作を多く行っていて、国民食でもあった米。しかし後年はヨーロッパ勢の占領した影響もあり、プランテーション農業による紅茶栽培がメインに切り替わっていくのである。

 

ダンブッラの街に到着

ダンブッラ寺院の駐車場に到着

そしてダンブッラの街に到着します。この横にある岩山の上の、石の隙間に造られた寺院には100を超える仏像が置かれていて、約2000年前が起源なんだとか。

 

ダンブッラ寺院の駐車場にあった仏旗

先程のシギリヤロックでは全く見れなかった、この仏旗。それだけこの場所は仏教色が強い場所だという証拠でもある。

 

ダンブッラ寺院の駐車場横にあるトイレ

さてまずは観光前にトイレに向かいます。岩の上にある石窟寺院周辺にはトイレは無いので。

 

ダンブッラ寺院の駐車場横にあるトイレ-2

トイレは無料なのであまり必要な無いように思っても、行ける時になるべく行っておきましょう!

 

ダンブッラ寺院の駐車場横で出会った現地家族連れと挨拶

トイレを出て休憩していたら、後ろで”マジシャン会長オジサン”が現地のファミリーとなにやらひと悶着している様子。
話を聞いてみたら日本の百円均一店で購入したシールなどを持って来て、現地の子供達にプレゼントするのが楽しいらしくて、この女の子にあげたらパパさんから「もう一人姉妹が居るから、もう一枚シールを頂戴!」って言われて催促されていた。

それに渋ってシールを渡すか、渡さないかと迷っていた”マジシャン会長オジサン”でした。。

 

ダンブッラ寺院の駐車場横で出会った現地家族連れと挨拶-2

結局渋々シールを2枚渡した”マジシャン会長オジサン”、そして勝利したようなドヤ顔をしていたパパさん。こういった国に来て小物を子供にプレゼントすると、結構喜んでくれるので嬉しくなって旅行の度にお土産を持って行きたくなるのである。

 

 

ダンブッラ石窟寺院に向かう

ダンブッラ寺院の駐車場から階段を登って行く

これから向かう寺院はこれまた大きな岩の上の隙間に造られた寺院跡なので、当然の如くここでも階段を登ります。

 

ダンブッラ寺院の駐車場から階段を登って行く看板

上に上がるとこのような看板に描かれている絵の寺院が待ち受けているようだ。

 

ダンブッラ寺院の駐車場から階段を登って行く-2

朝もシギリヤロックに登って、ちょっとお疲れが出ているような人も見かけた。何せこの暑さなので、その厳しい日差しに体力を奪われるようである。

 

ダンブッラ寺院の駐車場から階段を登って行く看板-2

「King’s Way」と看板があり、”王の道”といった道のようだ。

 

ダンブッラ寺院の駐車場から階段にいたお猿さん

そしてここでも人の荷物を狙うお猿さんを発見する。日本では低俗な生き物と思われガチなお猿さんも、こちらの地方ではもてはやされているのである。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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