ロシア旅行記:3日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
2大都市を繋ぐ特急列車
モスクワ市内にて
さてモスクワ市内でクレムリン内の見学を終えて、これから第2の首都でもあるサンクトペテルブルク(St. Petersburg)へと移動します。ただ時間的に列車までの時間に余裕があった為に、これからチョコレート専門店に立ち寄るみたいです。
チョコレート専門店「アリョンカ」にて
そして辿り着いたのがこちらのお店。こちらは昨晩もスーパーで箱買いした、ロシアでは人気のチョコレートのメーカーだった。
このアリョンカ・チョコレートはロシアを代表するお菓子メーカーよ!
住所:Ulitsa Lobachika, 1, стр. 1, Moscow,107140
オカンから「買って来い!」と言われてたこのアリョンカ・チョコレートだけど、既に昨日箱のまま2ケースも購入してしまったし、今年はあまりお土産買わないでおこうと思っていただけに少し躊躇する・・・。
ただスーパーでよく見る可愛らしい子供のイラストが入っていない、別の種類のチョコレートも沢山置かれていた。
こちらはアリョンカを代表するイラストの女の子。オカンにこのチョコレートの何がいいのかを聞いてみたら「このパッケージの女の子が可愛いやんか!」とだけ、答えが返ってきました・・・。
ただ単にチョコレートだけではなく、エプロンやTシャツ、またエコバッグなどこのように赤ちゃんの顔がプリントされた商品も置かれていました。
こちらのお店ではチョコレートの量り売りもしていて、小さい種類のチョコレートなど山のように置かれていました。
昨日のスーパーマーケットで売っていたアリョンカはあまり種類が無かったけど、ここには味が違うのか、このように沢山のチョコレートばかりが置かれていました。
板チョコは主に100ロシアルーブルで約150円前後と買いやすいお値段。ただプレゼント用にチョコを買おうと思っていたら、このようなパッケージではなく、やっぱりアリョンカならではの女の子の顔が正面にデカデカと入ったものの方がいいかもしれませんね。
何だかんだで結局ここでも約1400円分のチョコレートやエコバッグを購入してしまった・・・。ちなみに帰りのJAL便でCAさんへあげるプレゼントは、ここのちょっと豪華に見えるパッケージのチョコレートに決定。
そして思わぬ買い物をして、バスに乗り込み駅へと向かいます。
レニングラーツキー駅にて
そして近くの駅の裏に到着します。こちらのレニングラーツキー駅(Ленингра́дский вокзал)は主にサンクトペテルブルク方面行の電車が出発する駅だとか。
まずは裏口に到着したバスにポーターがやって来て、我々のスーツケースを運んでくれるようです。
住所:Komsomolskaya Square, 3, Moscow,107140
こちらがレニングラーツキー駅の裏側の入口です。ここでは駅に入る際に荷物検査が行われます。
そしてこちらがこれからサンクトペテルブルクまで乗るロシア鉄道が誇る、ノンストップ特急列車サプサンの乗車券です。パックツアーなので自分で事前に手配する必要が無くて、旅行会社が代理で予約してくれているのでこういった時は楽ですね。
荷物検査を済ませてレニングラーツキー駅構内へと入ってきました。こちらの駅は1851年に開業した年代物の駅ですが、あまりレトロな感じとかは特に受けません。
この駅は開業当社はペテルブルクスキー駅という名前だったが、時の皇帝ニコライ1世が亡くなるとニコラエフスキー駅と名前が変わり、更にロシア革命後はオクチャブリスキー駅となり、サンクトペテルブルクがレニングラードと名前を変えた翌年に今のレニングラーツキー駅となってそれ以降は変更されていない。
これから向かうピョートル大帝が造り上げた、旧首都のサンクトペテルブルクも1914年の第一次世界大戦勃発からペトログラード(Петроград:1914~24年)と名前が変えられた。そしてソビエト連邦時代にはレーニンの名前を取ってレニングラード(Ленинград:1924~91年)となる。
モスクワでは最古の駅舎となるこの駅だけど、改装されたのは数年前なのでまだ新しく見える。
特急列車の発車まではまだ時間があったので、駅内で休憩する。そしてツアー参加者さんのオジサンと、色んな話をして時間を過ごす事に。
阪急交通社のパックツアーを使うのも13回目だけど、こんな「列車座席表」なんてものを初めて貰った。添乗員さんの年代や性格などによって、会社が用意している書類を使うか使わないかなどの個性もあるみたい。ちなみに今回の添乗員さんは、複写型の朝の予定表は使わない人だった。ツアー参加者さんのある人曰く「いつも添乗員さんは複写型のメモをくれるけど、それをくれないのは今回が初めて」と言っていた。
特急サプサンでサンクトペテルブルクへ向かう
そしてやっと特急列車がホームに入ってきたので、搭乗する時間となります。
勿論この特急列車サプサン以外にも、サンクトペテルブルクへ向かう列車はあり、更にエストニアのタリンまで向かう路線もあるようです。
さてバスだとサンクトペテルブルクの約700kmでは約10時間も掛かるのですが、モスクワ~サンクトペテルブルク間がノンストップの特急列車サプサンでは、約4時間程。ちなみに帰りはモスクワからそのまま飛行機で飛び立つので、飛行機でモスクワまで帰ります。
出発は15:40となっているので、まだ出発までは約40分程あるようです。ただし早く用意しておく事に憂いはなしです。
こちらが今回お世話になる特急列車サプサン。2009年から運行を開始した特急列車サプサンは、ドイツのシーメンス社の10両編成車両で乗客定員は600人。最高時速は330km/hでモスクワ~サンクトペテルブルク間を止まらずに進むというのが魅力である。
それとロシアの鉄道は時間に正確なのよ!
さて不特定多数の人が乗る列車などの移動中は、ちゃんとマスクを着用します。この3月中旬は日本国内ではマスクの品切ればかりで、全然マスクが手に入らなかった時期。この時のマスクはスリランカに行った時に使ったマスクを洗って、再利用して使っていました。
こちらが特急列車サプサンの車内。意外とゆったり座れそうです。そしてこの3月はシーズンオフなのか、全然他に乗客の姿が見えませんでした。コロナウイルスの影響もあって観光客が少なくなっていたのも要因だったかもしれない。
日本の列車と海外の列車との違いは、このように席が固定されている事で、日本みたいに全部が進行方向を向くなんて列車はない。なのでそう思うと日本の新幹線とかは、非常に日本らしく快適な乗り物である。
結局隣の席に人は来なかったけど、一応上の荷物棚にカバンを置くレッドソックス・ジャンパーの男が見える。
座席の物入れには、このように世界的に拡がりつつあるコロナウイルスへの警戒を示すパンフレットが挟まれていた。
窓の上には窓際か通路側かの座席番号が表示されている。
動き出した特急列車サプサンからの景色 動画
列車内ではツアー参加者さん達はバラバラの席だったので、とりあえず席に備えてあったカタログを見てみる。すると日本の会社である加美乃素本舗の商品が、ロシアでも売られていたのには少々ビックリ。ロシア人も薄毛は気になるようだ。
途中にドリンクなどのワゴンサービスがやって来た。ロシアっぽく、特に愛想もない販売員のお姉さん。可愛い感じで「ハ~~イお兄さん!何か買ってくれませんか??」と言われたら買っちゃうけど、ロシア人はそういう民族ではなく、常にブスっとした作り笑いも愛想笑いもしないようだ。。
サンクトペテルブルクにて
列車がモスクワを出発して、約3時間40分後にサンクトペテルブルクの駅に到着しました。意外とロシアの電車のダイアは正確みたいで、思っていた以上に優秀な鉄道です。
意外とじゃなくて、本当に正確なんですよ!
そして駅構内で待っていた現地ガイドさんとも合流し、先を進みます。しかしモスクワより北に位置するサンクトペテルブルクは、一段と寒く、この時も0度近い温度でした。
昔はモスクワからサンクトペテルブルクまで移動するだけでもかなりの時間が掛かっていたようだけど、特急列車サプサンのおかげでだいぶ便利になってきているようだ。
こちらの着いた駅は「モスコーフスキー駅(Moscow Station)」となっていて、先程の駅もそうだったけどその街の名前ではなく、これから向かう街の名前が付けられているようで面白い。どうやら元々モスクワ~サンクトペテルブルク間を結ぶ為の鉄道という事で造られたので、それぞれ相手先の都市名を駅に付けているようだ。
Московский вокзал
住所:Nevsky Ave, 85, St Petersburg, Leningrad Oblast, 191036
この駅も先程のレニングラーツキー駅と同様に、モスクワ・サンクトペテルブルク鉄道を結ぶ駅として1851年に造られた年代物の駅である。
そしてこのモスコーフスキー駅で、早速このサンクトペテルブルクを造ったピョートル大帝の銅像を見かける。この湿地帯で何も無かった場所にこれだけの都市を造ったとして、歴史に名を刻むピョートル大帝だけど、実際に働いた人達は重労働と劣悪な労働環境だったので、この都市建設の為に10万人以上の人が亡くなったとか。。
そう思うと我々が生きている、この地面の下には多くの人達の汗と涙と血の結晶が詰まっているのである。そう思うと簡単な一歩でもしっかりと気持ちを込めて、足を踏み出していかないといけないと思うのである。
そしてモスコーフスキー駅を出ると、いきなり目の前にはサンクトペテルブルクの中心街が広がっている。まず目に飛び込んできたのが、この大きなオベリスクである。第二次世界大戦でナチスドイツ軍を撃退した、当時のレニングラードは”英雄都市”として称号を与えられた。その記念としてまだ新しい1985年に造られた、全長36mの花崗岩で出来たオベリスク。
ただ駅を出てみたら外はめちゃくちゃ寒かった。
この駅辺りは大通りのネフスキー通りもあって、大きなショッピングセンターもあり、地下鉄の駅などもあるので華やかでかつ大勢の人が行き交う場所であった。
そして早速バスに乗り込み、一安心。さて全然どんな街かを勉強していないサンクトペテルブルクだけど、思った以上にしっかりした都市の街並みをしているようだ。知っている事と言えば、約300年前までは都市なんて無かった街というだけ。
古代エジプトが発祥のオベリスクだけど、未だに全世界でも愛されるオベリスク。シンプルな造りだけど、これだけの荘厳さが出る建造物というのは流石に古代エジプト人が造っただけある。
こんな旅はまた次回に続きます!
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