ロシア旅行記:4日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
ロシアの礎を築いた男
サンクトペテルブルクの街にて
ロシアの北西にある旧都のサンクトペテルブルクの街。今日は天気が快晴だったので、余計にこの街も綺麗に見えてしまうような気がします。
元老院広場にて
そんな元老院広場(Сенатская площадь)の中央には、現代ロシア国民に最も尊敬されている歴史的なロシア人のピョートル1世(Пётр I Алексеевич)の騎馬像が設置されている。
18世紀初頭にこのロシア皇帝ピョートル1世の無茶振りが無ければ、こんな湿地帯に大都市は出現しなかったのである。ちなみにこの街の名前はピョートル大帝と同じく「聖ペテロ」から付けられており、そのドイツ語風のサンクト・ペテルブルク(露:Санкт-Петербург 英:St. Petersburg)と名付けられた。
ドイツ語風の名前だったので第一次世界大戦が勃発した後に敵国ドイツ風の名前が嫌われて、ロシア風のペトログラード(Петроград)と街の名前が変えられる事になるのである。
ピョートル大帝の成し遂げた功績と言えば、このサンクトペテルブルクの街を建造したと共にロシア帝国で徴兵制を行い、また海軍なども新設しロシアの軍事力が向上していくキッカケにもなったのである。
ちなみに珍しい制度と言えば”ひげ税”なる物である。その当時のロシア人というのはロシア人風の衣装を着て、ヒゲモジャなのが男性らしいとされていた。そこに西欧かぶれしたピョートル大帝が西欧人の身なりを真似して、洋服を着させて髭を剃らせたのである。それに拒否する人はひげ税を支払わないといけなかったという。
今では考えられない税金も多かったみたいよ!
今から考えると数々の強引な策を行ってきた歴代のロシア皇帝だけど、それは今の時代から振り返ってそう思うだけで、当時は神様に近い皇帝の命令には絶対服従で、皇帝達は自分の思い付いた秘策が正しいと思って行っていたのだろう。
こちらの建物は右側が裁判所で、左側はエリツィン大統領の名前が付けられた国立図書館となっている。
そして元老院広場の南側に隣接する、ロシア正教の巨大な大聖堂は「聖イサク大聖堂(Исаакиевский собор)」。約40年間に渡って建設された大聖堂は世界的にも大きな物で、軟らかい地盤の上に建てるのに苦労したそうだ。
こちらの建物は展示場になっているようで、色んな催し物が開催されているという。
ここで僅かながらの自由時間が与えられる。と言っても15分程なので、あまり遠くにも行けないのだけど・・・。
歴史的な人物でもその後の時代によって、その人物の評価は変動する。後世の人々の物の見方という物は、その時代時代に影響されて安定せずに不安定な物。しかし歴史的な偉人の成し遂げた功績は、その対価である不名誉な事例も含めて、変わることなく後世に残って行くものである。
元老院広場の景色 動画
イサク大聖堂にて
サンクトペテルブルクの街でも、ひと際大きな大聖堂。世界的にも大きい部類に入る大聖堂のようだ。
今ここにいると全然思いもよらないが、この街が造られる約300年前はこの地域は湿地帯で地盤が盤石ではなかった場所。だからバルト海へと繋がる要所ではありながらも、なかなか大きな街へと発展しなかったのである。そんな場所にロシア帝国の全勢力を傾けて、大きな都市を造ったピョートル大帝の先見の明は流石であろう。
それと共にピョートル大帝の行動力も凄かったんだろうね!
こちらの大聖堂はピョートル大帝とロマノフ王朝の守護聖人である「聖イサク」を祀った教会。なおイサクとはアイザックとも呼ばれていて、西欧で付けられるアイザック・ニュートンなどの名前はこの聖イサクから来ているのである。
中世の頃から東西に分裂したキリスト教でもギリシャ正教を国教としたロシア。その為に多くのロシア人の名前には、キリスト教の聖人の名前が付けられているのだ。
聖イサク大聖堂は大祖国戦争(第二次世界大戦のナチスドイツ軍との)で、一部損害を出している。その時に破壊されて折れてしまった柱は、今では遠くから見ると全然分からない位に直されている。
この聖イサク大聖堂は実は初代の大聖堂ではなく、4代目に当たるという。元々は港近くで祀られていた大聖堂だけど、街の規模が大きくなるにつれて大聖堂の規模が釣り合わなくて造り替えられていった。なので、元々の場所ではなく、最終的にこの地に建てられる事になったのである。
この正面奥にあるのは「フォーシーズンズ・ホテル」で、5つ星の老舗ホテルである。2013年にオープンしたまだ新しいホテルではあるが、建物自体は今の聖イサク大聖堂を設計したフランス人建築家オーギュスト・ド・モンフェラン(Огюст Монферран)によって建てられた歴史的な建築物を改装したものである。
なおこのフランス人建築家のモンフェランは、昨日モスクワのクレムリン内で見学した「鐘の皇帝」を地面内から引き揚げて、今のように台座の上に設置した人物でもある
元老院広場の水溜りでは、このように日陰の所では凍っていた。そしてそんな凍った水溜りを突く鳥は「あれはニシコクマルガラスです!」と、野鳥の会に所属する今回の添乗員さんが説明してくれた。
ロシアでは第二次世界大戦とはあまり言わずに「大祖国戦争」と呼ばれていて、それは主にナチスドイツ軍と戦った1941~1945年5月9日までを指す。元々ロシアはポーランドの土地を狙ってナチスドイツ軍と停戦協定を結ぶが、それはポーランドを実質分割する協定でもあった。
そしてポーランドだけの領地では物足りずに、ヒトラー率いるナチスドイツ軍はナポレオンと同様に東ヨーロッパの先であるロシアの広大な領土を欲しがって進軍するのである。「隣の芝生は青く見える」という言葉通りに他の国からしたら、広大な領土で沢山の穀物が採れるロシアの領土は魅力的に見えたのであろう。
しかし極寒の地ロシアは実際に訪れてみると、寒いだけで穀物が豊富な訳でもなかったようだ。こんな極寒の地に住めるのは昔から極寒の地で生活して、その地に順応した民族だから住める訳で、暖かい場所に住む西欧諸国の人間が来たからと言って簡単に住める場所ではない。ナポレオンの歴史的な敗北を教訓とせずに、自分の狂気に満ちた才能を信じたアドルフ・ヒトラーはナポレオンと同じ道を辿る事になるのであった・・・。
そんな第二次世界大戦中は、ロシア国内では歴史的な建造物をナチスドイツ軍の空襲から守る為に、カモフラージュ作戦を行った。特に目立つ大きな大聖堂などは、その金キラの屋根を灰色に塗り直したりして空襲を免れたのである。
サンクトペテルブルクの街でも3大ホテルの1つでもある「フォーシーズンズ・ホテル」。ここからだとサンクトペテルブルクの名所にも、簡単に徒歩でアクセスできるので素晴らしい立地である。
今年はサンクトペテルブルクの街を代表するネヴァ川が凍らなかったので、寂しく道端に出来ていた氷の上で遊ぶ少年の姿が見られる。地球温暖化の影響は、このように世界各地に異変をもたらしているのである。
こちらは聖イサク大聖堂見学のチケット販売所。大聖堂内部の装飾は、見応えがあるので中に入る価値は大いにあるとか。ただし今回の旅行では残念ながら入りませんでしたが・・・。ちなみに6~8月の白夜の時は、夜中にドームの上の展望台に昇れるようだ。
さてお次はこの辺りでバスを降ります。何があるのでしょうか??
するとこの近くにあるお土産屋さんで、ちょっと一休憩のようです。
お土産屋さんにて
そして案内されたのはこちらの「Pushkin Art Gallery」という、お土産屋さんである。
住所:Ulitsa Yakubovicha, 5, St Petersburg,190000
ここは2フロアに渡って、ロシアっぽいお土産が置かれているお店。ガイドブックに載っているようなロシアのお土産があったので、なかなか品揃えは良かったと思う。
こちらの紅茶のティーバッグは世界中のお土産屋さんでよく見るけど、ロマノフ王朝の歴代皇帝たちのデザインが入った物はいい記念になりそうだ。
そしてロシアでも定番のマトリョーシカも、ここでは何層にもなっている凝っている造りではなく、それよりも単なる外観だけ楽しませてくれるマトリョーシカが多く置かれていた。
ちゃんとしたマトリョーシカを買いたかったら、しっかりしたお店で買った方がいいよ!その分”いいお値段”するけど、それは手作りに見合った正当な対価だから我慢してね!
米ソ冷戦は終結したものの個性的な両国の大統領は、世界中からの人気者でもある。ちなみにトランプ大統領の方がプーチン大統領よりも7歳上である。
こちらにはミリタリーグッズなども揃っていて、笛からアーミーナイフやウォッカ入れの缶カンまであった。
2階に上がると棚には、アメリカの4大スポーツの選手のイラストが入ったマトリョーシカが並んでいる。もうこの時代にはマトリョーシカも何でもありの時代のように感じる。
こちらにはユダヤ人Verやロシアの過去の偉人Verも置いてある。マトリョーシカも基本数層構造になっているが、普段置いているだけだと外側しか見えないので、外見だけにこだわって購入するのもアリかもしれない。
マトリョーシカも買ってから数日は中身を取り出すけど、それ以降はこのまま置かれているだけの運命よね・・・
ここでもトランプ大統領とプーチン大統領が仲良く並んでいる。トランプ大統領もロシアと敵対するようなイメージにも見えるニュース映像だが、自分の政権を得るためにプーチン大統領に協力してもらっているので、裏側ではあまり敵対的な事はできないのである。
写真やガイドブックなどで見ていたマトリョーシカが目の前に置いてある。もう売れればマトリョーシカの伝統など、どうでもいいのだろう。。
そしてアメコミのキャラクターのデザインまでも入っている。ここまで来たら、もうマトリョーシカの形をする必要も殆ど無くなってきているようにも見える。
そしてこちらにはMLBのメジャーリーガーのマトリョーシカも置かれている。ただ明らかにMLBのライセンスは得ずに製作しているように見える。。
メジャーリーグ好きのボクにとっては、ちょっと目が行ってしまうマトリョーシカ。小さい頃は日本のプロ野球が大好きだったけど、2004年に大ファンだった近鉄バファローズが消滅してしまった為に、それ以降は日本のプロ野球に興味を無くして、ビジネスライクなメジャーリーグに興味が移ってしまった。
「うわ~~結構な種類があるな~!」と思っていたが、よ~~く棚を見ると同じデザインの物が重複して置かれていた・・・。
そしてサッカー選手デザインのマトリョーシカまで置いてある。これらを見ていると段々とマトリョーシカに、興味が無くなってしまうのであった。。
こちらには聖ワシリー寺院のような外観をした聖堂のオルゴールが置かれていた。2700ロシアルーブルで約4000円程の値段。
こちらではロシア正教がメイン宗教の国なので、沢山のイコンが飾られていた。無宗教を自負するボクには全く興味が無い代物だったけど、龍退治をする聖ゲオルギウスの絵はロシアの象徴ともなっている場面を描いているので、購入する価値はあるとは思う。
そんなお土産よりもボクの興味があるのは、現地で売られている日本語のガイドブックである。このようにブログを書くには、色んな知識があるに越した事はないのである。
昨日はモスクワ版を購入したけど、今日はそのサンクトペテルブルク版を購入。550ルーブルで約850円なり。
そしてこちらは某ガイドブックに載っていた、携帯折り畳み式金属製コップである。サバイバルやキャンプ時に重宝しそうな代物だけど、両方ともしないし・・・。
こちらの携帯式コップは、870ルーブルで約1300円。ただ購入しても欲しがる人が思いつかなかったのでパス。。
ロシアは軍事大国でもあるので、このようにミリタリーグッズなどが充実しているのである。
そして買い物を済ませて他の人を待っている時に、店員さんがコーヒーを入れてくれた。そしてそのコーヒーを飲み干すと「次はウォッカを飲むか??」と聞かれる。勿論ボクの答えは「ダー(Да)」(ハイの意味)で、サンクトペテルブルクのウォッカを味見するのであった。
こういったお土産屋さんでウォッカが飲めるのは、ロシアらしいよね!
こんな旅はまた次回に続きます!
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