神戸市立博物館に展示される、江戸時代に作られた古地図の数々【神戸旅行記⑮】

神戸旅行記2020年-⑮

 旅行期間:2020年10月15日~16日

昔の日本地図

こちらは神戸市内にある、重要文化財の建築物にもなっている「神戸市立博物館」の建物。西洋チックなレトロな外観と、玄関脇で待ち構えているロダンの像が特徴的な場所でもある。

 

【神戸市立博物館】

住所:神戸市中央区京町24番地
営業時間: 9時30分~17時30分(※定休日:月曜日&年末年始)
電話番号:078-391-0035

 

 

 

コレクション展「古地図」ゾーンにて

ここはその神戸市立博物館2階の有料となっているコレクション展の中でも、古地図が展示されているブース内。さっきまでは西洋人を描いた絵画やガラス製品などが展示されていたけど、ここからは古い江戸時代に描かれた地図などの作品が並んでいるエリアとなっている。

 

上記の図は鎌倉の街を描いたもので、木版で刷られた地図。中央上段には鶴岡八幡宮の神社が見えて、その下には長い参道もキッチリと描かれている。この鎌倉の街はまだ行った事が無かったけど、この旅行の約1ヵ月後の2020年11月に訪れる事になる。

 

こちらは『高野山細見絵図』という、1813年頃の作品で高野山の様子を表した図。こちらの絵も木版画で刷られたものに色付けが施されている。

 

修行僧の鍛錬の場でもあった高野山は、この絵が作られた江戸時代当時は女人禁制となっていて、女性は入る事が許されていなかった。なのでこの当時は女性がお参りする場合は、その手前にあった女人堂からのお参りだけしか出来なかった。

 

こちらは『四国徧禮絵図』という、四国のお遍路さんの道筋が記された地図で、現存するお遍路さんの地図の中でも最も古い年代のものだという。1763年に作られたものとされており、今から約250年も前の物。

 

こちらは『西国三十三所順逆絵図道中記』というもので、1832年頃の物。題名通りに日本最古の巡礼路としても有名な、観音霊場を巡る西国三十三番札所巡りの通りが事細かに記されているのが分かる。

 

こちらは『木曽路名所一覧』で1819年頃に刷られたもの。京から江戸を結ぶ中山道の67に及ぶ宿場町や、それぞれの地名や神社などが事細かに記されている。

 

昔は地図しか土地を見渡せるものが無かったので、ドライブなどで出かける際にも地図は必需品であったが、スマホ全盛の現代ではグーグルマップなどの情報を活用しているので、このようなアナログな地図を見る機会も殆ど無くなっている。。

 

こちらは『東海道分間絵図』という1703年頃に制作された地図で、上記の地図と同様に京と江戸を結ぶ中山道を縮尺1/12,000で正確に描いた物。

 

この地図はそれぞれに方角や距離などが細かく記されており、細かい街並みなどもしっかりと描写されている。この地図を作ったのは富山藩の医者だという説があり、見ているだけで几帳面な性格だった人が作った地図というのが見て分かる。

 

 

でもこの当時は今みたいに飛行機は勿論電車も無かったので、この中山道を行き来するのは自らの足で歩いて行っていた訳である。そう思うとその時代からまだ300年程しか経っていないので、現代の人間でも充分に歩ける距離のハズだけど、現代人は発明された機械類によって甘やかされているので、今更こんな長い道を歩こうという発想にすらならないようだ。

オカン
オカン

楽になれたら、もう歩けません!

 

こちらは『東海道路行之図』という、東海道を描いた作品としては最も古い部類に属して、かつ現存するものが少ない為にとても希少なものだという。この地図も京が絵の上になっていて、幕府が置かれていた江戸は下側に位置している。

 

こちらは『大日本早見道中記』という、1855年頃に作られた今で言う旅行用の日本地図。広げると約180cmになる大きなマップであるが、折り畳めるようになっており18cm×12cmという旅の荷物として携帯出来るサイズになるという。

 

こうやって江戸時代の地図を見ると、それぞれの街まで向かう大きな通りには必ず宿場町という休憩する為に場所があったのが見て分かる。今みたいに車で数時間掛けて大阪から東京まで移動できる時代ではなくて、2週間ほど掛けて歩いて移動していた訳なので、当然今と比べると沢山の宿が必要だった訳である。

 

このように関西では「京」と「大坂」が特に大きく表示されている事からも、この2つの場所が特に重要だったのが分かる。

 

こちらは九州の地図で、この神戸旅の先々月に訪れた福岡~大分~熊本~鹿児島を巡った旅である程度回れたけど、この旅の次は宮崎旅行となっており、その後に再び福岡~佐賀~長崎~熊本を巡る旅が始まる事になるのである。

 

このような精密な地図が作られるようになったのも、争いが無くて表上は平穏な時代になった江戸時代だったからこそかもしれない。この頃になると今でもよく見られる地名が、この時代にはほぼ確立していっていたのが分かる。

 

そんな興味深い、江戸時代に作られた地図ゾーンの見学も終了。これだけ興味深い作品が展示されていたコレクション展だけど、たった300円の入場料とはとても安いと感じる。

 

ここで博物館2階の見学は終了となる。フロアの反対側には売店が見えているけど、あまり荷物になるものは出来るだけ買いたくないので、売店には近寄らない方がいい・・・。

 

 

この博物館での見学も終わりかと思っていたら、この通路部分にも僅かながらの作品が展示されていた。下の1階にも展示されていた古い時代の展示品が飾られているようだ。

 

このように余っている収蔵品を空いていた通路にも詰め込んだみたいに見えるゾーンともなっている。せっかくなのでここも見てから帰る事にする。

ただしオカンは少々、お疲れのようだったが・・・

オカン
オカン

アンタが見学している時間が長過ぎて、一緒におると疲れてくるわ・・・

 

こちらには古代から”三種の神器”とされてきた青銅鏡や、それと共にガラス玉や太刀などが展示されている。今みたいに綺麗に反射する鏡が無かった時代には、このような青銅を磨いた物が今の鏡の役割を果たしていたのだろう。

 

この三種の神器は今でも天から授けられたという伝説を継承して、天皇陛下が新たに皇位を継承する時に譲渡される。ただ実際には大昔から伝わっている三種の神器は、壇ノ浦の戦いで平家と共に関門海峡の荒海の中に沈んでしまったので、古来の伝説の三種の神器ではないようだが。。

 

こちらには古墳時代の物と見られる太刀も展示されていたけど、こんな昔の時代にこれだけ長い太刀を綺麗に作る技術があったのか? 少し疑問に感じるが。。

 

こちらには古墳時代に作られた物と見られる、馬型の埴輪(ハニワ)が展示されている。日本列島に馬が伝来したのはこの古墳時代と考えられており、この時代にはハミなどの馬具が既に開発されており、馬を操って家畜などとして活用していたと考えられるようだ。

 

単なる馬具以外にも装飾品が付けられた馬と見られているので、当時の首長の富と権力を象徴する作品として考えられている。

ニイハオさん
ニイハオさん

富と権威の欲望は、昔から変わらないものアル!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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