彦根城旅行記2022年1月-1
旅行期間:2022年1月(当日旅)
雪の滋賀県!
いきなりの、雪一面の景色。これは2022年1月に訪れた、滋賀県に向かうJR電車内からの車窓。
特に前から滋賀県を訪れる予定はなく、いつも通り、急に思い立って寒い1月に敢えて滋賀県を訪れてみた。
個人的には、普段雪が積もらない大阪市内に住んでいる事もあって、このように雪一面の景色を見るとワクワクしてくるのである。
滋賀県の彦根城を目指して
そして滋賀県内を走っている電車から見えるのは、このような雪一面で他には何もない景色しか見えない。
滋賀県は場所によって多く雪が降る所があり、新幹線も通過する米原では、毎年のように豪雪が降って、新幹線が徐行運転する事も多い。
雪ばかりの車窓! 動画
JR彦根駅に到着!
そして雪一面の景色を想像して、目的の彦根駅に降り立つと、なんとこのように意外と積もっている雪は見られなかった。人があまり住んでいない地域の田畑には雪が積もっていたが、街となっているエリアの駅前は、交通への影響もあって雪が除雪されていたのかもしれない。
住所:滋賀県彦根市古沢町
滋賀県の「JR彦根駅」に降り立つのは、今回が初めてである。滋賀県は奈良県と同様に、大阪市民からすれば近くて電車に乗れば約2時間ほどで行ける場所だけど、あまり何もないイメージがあったので特に観光に来た記憶はない。前に織田信長が築いた「安土桃山城跡」を見学しに来た事がある位だ。
滋賀県というと個人的には、会社員として働いていた会社の工場があった為に、よく来た場所である。
しかし、その工場は近江八幡市八日市にあり、仕事に真面目な人間であったボクは、滋賀県の観光には全く興味すら持たなかったのである。
そんな滋賀県を訪れた訳は、この地を江戸時代に治めていた彦根藩の居城「彦根城」があるからだ。
2021年に備中松山城・高知城・松江城と”江戸時代から現存する天守”を訪れた事で、その歴史ある建造物に大きく興味を持ち、意外と大阪市内からは簡単に来れる彦根城を見学しに来たのである。
彦根藩というと、幕末の『桜田門外の変』で切り殺された「井伊 直弼」が特に歴代藩主の中でも有名であるが、その祖先で有名なのが藩祖ともなった「井伊 直政(いい なおまさ)」である。
井伊直政は徳川家康直属の部下であり、”徳川四天王”とも称される程に戦国時代~江戸時代初期に活躍した武将だった。
彦根藩は譜代大名の中でもトップの存在やったんやで!
そして井伊直政の銅像脇には、こちらの「タチバナ」の植木も見られる。
この彦根市では『市の木』がタチバナとなっていて、また『市の花』が花菖蒲となっている。
その脇には、こちらの『彦根縁起』という石碑が設置されており、古事記の中で国造りする際に神々がこの彦根に鎮座していた事から、それを記念した石碑だったようだ。
この滋賀県は”日本のヘソ”とも呼ばれる事もあり、日本の中でも中心部に位置する県の割に、結構地味な場所でもある。
会社員として働いていた会社の工場がここ滋賀県にあったのだが、その工場で働く滋賀県民は驚くほどにのんびりな気質に驚いた記憶が蘇る。
工場で生産した製品にクレームが発生しても、慌てる事なくのんびりと、まるで牛のようにモッサリと動く印象がある。
よく上司が「滋賀は人より牛の方が多い!」って言っていたのを思い出します!
それもあって特に滋賀県民が嫌いという訳ではないけど、仕事で関わるにはちょっと動きが遅いので、なるべくこの滋賀の工場に来たくなかったのである。
日本国内では”同じ日本人”と思いやすいけど、実際にはその土地によって気質が異なり、違う他府県で育った人達と一緒になると、その気質が違う事を実感できるのである。
大阪人がイラチなだけだよ!
この1月は雪が降る程に寒い滋賀県だが、この彦根市には雪はそこまで積もっていなかったが、気温自体はとても寒かった。寒いのは分かっていたので厚着をして着込んで準備していたが、顔に吹き付ける風は寒かった。。
彦根城は江戸時代から現存する天守があり、しかも国宝にも指定されている天守でもあるので、その歴史的な建造物を基に世界遺産の登録を目指しているようだ。
しかし、日本にオンリーワンな城ではなく、他にも競合の城などがあったりするので、簡単に世界遺産に推薦される訳ではなく、20年以上も推薦が見送られているという。
明治時代の廃城令によって国内にあった木造の天守などの城郭は取り壊されてしまったが、この彦根城が残ったのは明治11年に行われた明治天皇の彦根行幸の際に、同行していた大隈重信から彦根城は残すように助言を受けたという説があるようだ。
彦根藩は徳川家康の家臣から派生した”譜代大名”の中でも、全国で最も石高が高かった藩でもあり、また江戸時代を通じて彦根藩を守り抜き、幕府の老中を4代も務めた名門家系である。
そのように江戸時代に日本の中心地でもある彦根周辺を、守り続けた功績なども評価されたのかもしれない。
江戸時代の老中は基本的に譜代大名の石高があまり高くない藩から人材が選ばれていたが、この彦根藩は徳川家康の家臣の中でも特に優れていた井伊直政の家系だったので、江戸時代には大きな信頼が置かれていたのかもしれない。
滋賀縣護國神社にて
そして彦根駅から通りを進んで彦根城へと向かっていると、こちらの「滋賀縣護國神社」にブチ当たる。
城の敷地跡は神社などに転用された場所が多いので、このように城跡で神社を見かける事が多い。
この滋賀縣護國神社は元々は違う場所に、戊辰戦争で戦死した彦根藩士を祀る為に建立されたようだ。
後にこの場所に移転して、更に今では戊辰戦争だけではなく第二次世界大戦での犠牲者も合わせて、祀っているようだ。
このように参道だけは雪が積もっていないけど、周囲は綺麗に雪が積もっている。
今までの旅行ではあまりこのように雪が積もっている景色を見る事が出来なかっただけに、久々の雪にちょっとテンションが上がってしまう。
しかし、この滋賀縣護國神社では戦争の戦死者などを祀っているので、あまりテンションを高めてしまっても役には立たない。
戦争で力尽きた兵士を見ているような姿の銅像も設置されていて、城の近くにある像という雰囲気はあまり感じられない。
そして兵士だけではなく、こちらには「軍馬」「軍犬」「軍鳩」などの霊も祀る銅像が設置されていた。
人間だけを祀るのではなく、このように馬や犬など戦争に使われた動物達も犠牲者である。
彦根駅前から彦根城方向へ向かう人の姿は殆どなく、このようにわざわざ雪が積もる寒い時期に彦根城を見学しにやって来る観光客も少ないのだろう。
しかし、訪れる人が少ない程に、このように雪が積もったままの場所が多く残っているので、景色としては綺麗に見える。
そんな神社を抜けて本丸の方へと向かっていくと、このように外堀に囲まれた立派な石垣が見えてくる。
この石垣だけを見ていると、雪が全然積もっていないので、この写真だけだとその寒さも意外に伝わりにくい。
着込んでいたものの、なかなかに風が冷たくもあり、外でじ~~っと立ち続けていると凍えそうな気温でもあった。
またスマホも、暑い時期にはスマホが熱くなって動画の撮影が制限される状態になった事はあったが、逆に寒すぎて動画の撮影が制限される状態になったのは初めてであった。
この彦根城の近くにまで来たのは、今回が初めてではなく、昔に滋賀の工場まで立ち合いに来た得意先担当者を連れてきた事がある。
新幹線が停まる米原駅まで得意先担当者を送る際に、道を走っていると見えた彦根城の中を車で走った記憶が蘇る。
彦根城の南東側、彦根駅のある方向に「佐和口」という入口がある。
その入口から城の内部へと入っていこうとすると、道の脇に並んで植わっている松の木が見えてきた。
この松は『いろは松』という名前が付けられており、かつては47本の松が植えられていた事から、この名前になっているようだ。
またこの松は地上に根が張り出さずに人々の通行に邪魔にならない「土佐松」が、わざわざ土佐(高知県)から移植されてきたものだそうだ。
こんな旅はまた次回に続きます!
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