熊本&鹿児島旅行記2021年12月-25:完結
旅行期間:2021年12月頭(2泊3日旅)
やっぱり締めはチャンポン!
今日は旅最終日という事もあり、鹿児島で訪れたいと思っていた場所が沢山あった為に、16時手前となった今でもまだ昼飯を食べていなかった。昼飯を食べている時間があれば、その分どこかに移動したり、見学している方がいいと思って活動していたのだ。
それもあって

腹がさすがに減った・・・
と『孤独のグルメ』の五郎さんのように、何度も空腹を呟くオカン。
「椿の里(椿チャンポン)」にて
そして約1年前に鹿児島を訪れた時に、とても記憶に残る1食を味わったお店にオカンを連れて行く。当初からこのお店を訪れる予定にしていたのだが、色んな所で寄り道している間に、すっかり16時近くになってしまった。
このお店は前回桜島を訪れた際に、真夏のレンタサイクルに無謀にもチャレンジし、坂道だらけの右回りルートと真夏の暑さにヘトヘトとなっていた時に目の前に現れて、そしてその疲れた体が元気になるような美味しいチャンポンを食べさせてもらったお店だった。
前回訪れた時はゴーヤチャンプルの美味しい漬け物が出てきたけど、今回は時期的にゴーヤチャンプルではなく、こちらの大根などの漬け物が出てきた。
このお店の営業時間は一応17時頃までという事になっているらしいけど、その日の店主の女将さんの体調や、客入りなどを見て早めに閉める時もあるようだ。なお、ボクらは15時45分頃にお店にやって来たのだが、後から聞いたら、もうお客は来ないだろうと思って、旗と看板を既に閉まって閉店するつもりだったようだ。
そして1年前に命を救われた、「椿チャンポン」が満を持して登場した。前回の訪問時にはこのチャンポンの美味しさと共に、女将さんの人柄でアットホームなお店の雰囲気もあって、余計にいい印象が残った。その為に宮崎県旅の途中にちょっと足を延ばしてお店に寄ろうかと思ったけど、そう思う日に限って定休日だというオチだったのだが。。
前回訪問時には夏場の暑くて汗を一杯流した様子を見て、「濃い目」で作ってくれていたが、今回は12月頭という事で通常の濃さだったようだ。この椿チャンポンはこのように野菜の具がたっぷり乗っていて、野菜好きな人間からすれば、嬉しいチャンポンとなっている。
そして食後には、こちらのネスカフェのコーヒーメーカーで、コーヒーまでセットで出してくれる。ちなみに前回は汗をいっぱい掻いていた事もあって、リンゴ酢とお水をガブ飲みさせてもらったのである。
そしてその時のお礼とばかりに、バルト三国に旅した時にタリンで購入した「リンゴ型のエコバッグ」をプレゼントしたのであるが、このようにちゃんと棚に掛けられていた。ちなみにこちらの女将さんは『失顔症』とも言われる、人の顔を覚えられない症状が昔からあって、最近カミングアウトして言うようになったけど、これまでそれで大変苦労したという。
ちなみにこちらがバルト三国の1つでもあるエストニアという国の首都:タリンにある、とあるスーパーマーケットでのみ売っている「リンゴ」の形をしたエコバッグ。1つ1ユーロだったけど、今ではインフレの影響もあって、値上がりしていそうにも思うが。。
そして約1年前にボクが訪れた時の”命が救われた”事のお礼や想い出を話し、そして「桜島溶岩なぎさ公園」で岩合光昭さんが撮影に来ていたなどの話をする。すると帰り際に、建物の外に居た、女将さんが飼っている猫ちゃんの紹介をしてくれた。
数匹猫ちゃんを飼っているようだが、みんなあまり人馴れしていないらしく、この猫ちゃんがまだ比較的マシらしい。そして閉店を考えていた所に滑り込んで、何だかんだで約1時間ほど滞在させてもらった。
ただこれから帰りの鹿児島空港まで向かわないといけないので、前回と今回のお礼を伝えて後にするのであった。
埋没鳥居もちょっと見学!
そして「椿の里」のすぐ脇にある、こちらの桜島の大噴火の凄さが分かるスポットもちょっとだけ見学する事にした。こちらは「黒神埋没鳥居」と呼ばれるもので、大正時代に起きた約100年前の大噴火の際に降り積もった土石流などによって、高さ約2mの鳥居がここまで埋まってしまっているのである。
火山の近くに住んでいない人間からすれば、テレビのニュースなどで「噴火」の情報を聞くと、このような火山近くに住んでいる人の事を心配してしまう。しかし、この桜島に長年住んでいる人からすれば、毎日のように噴火が起きている事もあって、微動だにしないという。

噴火にビビらない人間ほど、恐ろしい生き物はいないぞド~~ン!
そしてその約100年前の大正時代に起きた大噴火によって、陸続きになった垂水の方から、鹿児島湾を右回りルートで鹿児島空港を目指す。本当はこの鹿児島空港へ向かう途中に”黒酢”を作っている工場なども見学したかったのだが、「椿の里」で女将さんと喋り過ぎた為に、寄り道する時間が無くなってしまったのである。。
そんな寄り道する時間は無くなってしまったものの、道の脇に車を停めて、鹿児島の象徴である「桜島」の夕焼けの風景を目に焼き付ける事にする。雲が多くて夕焼けが綺麗に見えないけど、桜島の姿はちゃんと見えているので、それで充分である。
熊本は修学旅行以来、そして鹿児島は初上陸というオカン。旅の最後をここ桜島を背景とした記念写真で終えるのであるが、既に気持ちは「早く鹿児島空港に辿り着きたい!」となっていたようだが。。

だって、飛行機に乗り遅れたら大変やで!
鹿児島空港にて
そして途中道が混んでいた事もあって、レンタカー返却時間にギリギリで鹿児島空港近くのトヨタレンタカーに無事到着する。
それと鹿児島空港の外にはこのように無料の足湯コーナーがあったけど、

桜島で足湯に入ったから、エエわ!
といつもながら味気のないオカンであった。。
そして鹿児島空港内で前に”西郷どん”クンに鹿児島を案内してもらった旅の時に、別れる際に厚く握手をした薩摩焼酎:白波の広告前で、カバンに荷物を詰め直すオカンの姿が見える。
そして荷物検査を通って空港内に進み、飛行機の出発時間を待つ間に缶ビールを味わうと共に、ここ鹿児島らしく「薩摩揚げ」を食べる事にした。大阪で食べる薩摩揚げはそこまで美味しく思えないけど、ここ本場鹿児島で味わう薩摩揚げは、何故か美味しく思えてしまうのだ。
薩摩揚げの本場だけあって、鹿児島空港でも、この薩摩揚げが販売されていた。そしてまず最初に食べたのが、こちらのチーズ入りの薩摩揚げ。
次はこのように外からでも、中に何が入っているのかが一目で分かる、レンコンの薩摩揚げ。レンコンというと、九州ではこの薩摩揚げよりも「からし蓮根」の方が頭に浮かんでくるけど、今回の旅では残念ながらからし蓮根を食べる機会がなかったな。。

薩摩揚げんレンコンに浮気したな~!(怒)
そしてこちらは明太子が中に入った薩摩揚げ。色んな場所に住む人が、それぞれの地方で頭を捻って生み出した、その地方独自の食べ物を満喫するのも旅の醍醐味であるが、個人的には食よりも、その地方の名所や歴史の方に興味があるのだが。。
そして楽しかった、熊本県&鹿児島県から去る時間が訪れる。
なお、この旅が2021年最後の旅でもあり、沢山旅した2020年と比べると、旅した量が少ない2021年であった。。
<まとめ>
さて、またいつもの通り、今回の熊本県&鹿児島県を2泊3日で訪れた旅を振り返ってみる。熊本空港を朝イチに降り立ち、まず向かったのは阿蘇山の噴火口:中岳が近くから見られる「草千里ヶ浜」だった。個人的には1年前に訪れた時に「いきなり団子」を売っていた80歳を越えるおばあちゃんが健在かを確認しに来たのであったが、奇しくもオカンが数十年前に訪れて修学旅行での記念撮影をしていた場所でもあった。
そしてこの2021年に、2016年の地震で被災した熊本城下の中でも、真っ先に復興され再建された熊本城の大天守と小天守。前見た時から工事の足場が取れて、21世紀にそびえる新しい天守閣となっていた。
そして個人的に一番中に入って見学してみたい、江戸時代から残る「宇土櫓」。復興工事は天守閣より後回しになっていたが、2022年中にやっと補修工事に取り掛かっていくようで、近い内に綺麗に補修されて、内部の見学できる日が訪れるかもしれない。
それと熊本県での観光で楽しみにしていたのが、江戸時代に建造された「石橋」であった。鹿児島市内に建造されていた石橋が、この肥後国の職人達が築いた物である事を知り、熊本県内を調べてみると、江戸時代に建造された石橋が多数現存していた。
ただこの国の重要文化財にも指定されている「通潤橋」などの熊本県内の石橋は、鹿児島市内のように経済中心地の城下町ではなく、山奥の中に造られている物が多い。熊本では開拓していった山奥で稲作を行う為に必要な水を送る水路が求められた為に、単なる石橋ではなく、水道橋として造られた石橋も多かった。
そしてその通潤橋の上流の水路に造られていたのが、こちらの「小笹円形分水」。昭和時代に造られたものだが、農家にとっては大事な水を、みんなの不満なく平等に分配するシステムとして設置された。そしてこのように電力などは一切使わずに、人間の知恵だけで自然に動く物を造れるという事を、エネルギー価格が高騰した2022年以降は、”温故知新”じゃないけど重宝する時代となればいいのであるが。
そしてロングドライブをして夜に到着した鹿児島市内で味わった、熱々の鹿児島産黒豚のトンカツ。
久々に食べてもやっぱり美味しかったのだが、それよりも1切れ食べさせたオカンの感想が

熱い~~!
と一言だけだったのが、いい思い出であった。

だってホンマに熱かったんや!
そして鹿児島というと、最も県民に尊敬されている人物は、こちらの「西郷隆盛」である。西郷隆盛の歴史を調べてみると、今の鹿児島県民の人柄が象徴されているような存在でもあり、庶民に近いような人物でもあったので、これだけの人気を誇っているのだろう。
しかし鹿児島県民の英雄である西郷隆盛も、明治政府の陸軍大将を辞した後は、西南戦争の首謀者として国賊扱いされてしまう。同じ薩摩出身の大久保利通とは違って、自分の利益だけを追求せずに、世界全体がいい方向に進む事を目指したが、志半ばで散ってしまうのであった。
こちらは鹿児島市内の城山の中腹にあった、西郷隆盛が西南戦争で鹿児島に追い詰められた最後に、数日間籠っていたという洞窟跡。明治新政府で陸軍大将まで上り詰めて、多くの人々から尊敬を集めていた人物ながら、最後はその新政府軍からの射撃で被弾し、自害したのである。
それと鹿児島は「温泉天国」でもあるので、そんな西郷隆盛ゆかりの地にある温泉を訪れてみた。こちらは鰻池というカルデラ湖の畔にあった「鰻温泉」で、スーパー銭湯のように混み合った温泉ではなく、秘境のような温泉が楽しめる場所でもあった。
新政府軍の役職を辞した西郷隆盛が鹿児島に戻ってから、よく滞在していたのがこの鰻池周辺だった。というのも西郷隆盛は大のウナギ好きだったので、昔は養殖された鰻が沢山いた、この鰻池が心地よく感じた場所だったのだろう。
そして薩摩半島を象徴するのが、こちらの「開聞岳」。久々に見ると、周辺には大きな建物なども無いので、このようにひと際大きく見える山で、頂上まで登った事がある山だけに、特に思い入れが強いのである。
そしてその開聞岳周辺のグルメというと、こちらの唐船峡で名物となっている「そうめん流し」である。この唐船峡では”名水百選”にも選ばれる、豊富に湧き出る名水が使われていて、鹿児島の自然をも味わえる人気スポットともなっている。
そして今回の旅で初めて訪れた「大野岳」は、意外と鹿児島県民もあまり知らない、素晴らしい景観スポットだった。薩摩半島の南側に位置していて、このように開聞岳や池田湖などを高い所から眺める事が出来て、また正月には初日の出を見る為に多くの人が訪れる場所でもあるようだ。
そしてこの大野岳を発見するキッカケとなったのが、この周辺に広がる「茶畑」であった。この鹿児島では『知覧茶』として日本イチの生産量を誇るブランドになっているけど、厳密では地方毎に違うお茶となっていて、この大野岳周辺では「頴娃茶(えいちゃ)」として江戸時代から栽培が続けられているのだ。
今では静岡県ではなく、この鹿児島県が日本全国で最もお茶の生産量が多くなっている。鹿児島県を訪れた事のない人からすれば意外に思えるかもしれないが、このような目の前に広大に拡がる一面の茶畑を眺めると、その訳も納得である。
そしてお茶好きなオカンは、観光よりも「知覧茶」が特に買いたかったようで、朝に指宿に到着した時から知覧茶を狙っていた。指宿の道の駅に寄った時もその焦りから、目を離したスキに買い物かご一杯に知覧茶を詰めていたオカン。
そして知覧の特攻平和会館近くに来て、知覧茶を販売しているお土産物屋さんを訪れる事が出来て、その喜びを爆発させていたのであった。

知覧茶、知覧茶~!
それと戦国時代後半の鹿児島や、江戸時代の薩摩藩などに大きな影響を与えた人が眠る「竹田神社」。ここに祀られている人物は歴史マニアぐらいにしか知られていないけど、調べてみると、仏教/神道/儒学などをマスターした聡明な人物で、現代にも通じる教訓を残したのであった。
こちらの竹田神社で祀られていたのは、「島津 忠良(しまづ ただよし)」という1492~1568年頃に生きていた人物。島津といっても宗家ではなく分家に生まれた事で、その島津家の本流になる事が無い運命であったが、戦国時代の身内の争いもあって、島津家宗家から国政を任されて長男を宗家の養子に送り込んで、後の明治時代まで繋がる島津家の基礎を築いたのである。
そんな竹田神社に祀られている「島津 忠良」という人物の凄さは、彼が残した47個も詠まれた『いろは歌』の内容を見れば一目瞭然となっていた。この『いろは歌』は戦国時代後半に”最強の島津四兄弟”とも称された孫や、その後の討幕に大きく貢献する薩摩藩の藩士も、このいろは歌が代々教え込まれて育ったという。
それとこちらも楽しみにしていた「中村晋也」という鹿児島在住の偉大な彫刻家の作品が展示されている、「中村晋也美術館」。内部の写真撮影はOKだったけど、あくまでも”個人の楽しむ範囲内での写真の扱い”という事で、ブログにアップできないのが残念だったが。。
この中村晋也さんは、まだ90歳を越えても現役の彫刻家として活動を続ける巨人でもある。今までにかなりの数の彫刻作品を制作しているのだが、その作品の中でもこちらの鹿児島市内に設置されている「大久保 利通像」が個人的には印象に残る。
同じ薩摩藩から討幕に協力して明治維新の立役者の1人としても有名な人物なのに、西南戦争では敵方に付いて西郷隆盛を死なせた人物として、鹿児島では特に嫌われていたという。なので、大久保利通が亡くなって100年経って、大久保利通を恨む人達が居なくなった時代になってからやっと設置された像となっている。
こちらの銅像は中村晋也さんの作品ではないけど、戦前に造られた「島津 斉彬公」の銅像である。明治維新の中心となった薩摩藩内で最も尊敬されていた人物だけあって、鹿児島市内の広い場所に「照国神社」が造られて、そこで神様として祀られている。
その薩摩藩主としての在任期間は短かったものの、後々の時代にまで尊敬される事となった偉大な藩主の島津斉彬は、蘭学に精通していた曾祖父の影響で、日本国内だけではなく、海の向こうまで常に意識していた。そんな島津斉彬の時代から藩士をヨーロッパに送り込む留学が構想されていたらしいけど、実際にイギリスに渡航するのは幕末の1865年になってからだった。
通訳1人を含む総勢19名で、江戸幕府に内密でイギリスに渡航した「薩摩藩遣英使節団」。江戸幕府に知られれば命の保証さえない留学に、15名の若い留学生が選ばれる。そしてイギリスに渡ってヨーロッパでの文化や技術を学んだ留学生達は、帰国してから明治時代に日本の近代化に大きく貢献する事となる。
こちらはその留学生の1人である「町田 久成(まちだ ひさなり)」。東京都台東区にある広大な敷地の「東京国立博物館」は、この町田久成が国内の歴史的な重要文化財を保管する事を提唱し、”日本最古の博物館”として創設されたのである。
町田久成以外にも、明治政府の官僚やサッポロビールの前身となる「開拓使麦酒醸造所」の設立などに大きく貢献した人物などが、この留学生の中から輩出されている。特に江戸時代には外国の文化は本だけでしか流入してこなかったが、本だけで学ぶのではなく、実際に自ら現地を肌で体感する事の重要性が分かる留学であった。
熊本県内での石橋は通潤橋ぐらいしか見れなかったけど、その代わりに鹿児島市内にある、肥後国の名石工が江戸時代に造った石橋が保管されている「石橋記念公園」を再び訪れる。1年前に同じ場所で同じ建造物を見ても、頭の中が1年経って石橋についての知識が少し増えていたので、目の付け所が依然と比べても細かくなっていく。
その石橋記念公園内には無料の資料館も設置されていて、これがなかなか細かい説明と、このように細部まで精巧に作り込まれて、更にこの小さい人形が動くというギミック付きの模型が特に素晴らしい出来栄えだった。
今では大きなクレーン車などで簡単に造れてしまうように思える橋も、江戸時代まではこのように全て人力で石を切ってから運び、そして並べたり固めたりしていたのだ。このように全て手作業をしていた昔の時代だけに、現代の体を使わない時代と比べて、多くの知恵を得る事が出来たのだろう。
そして、旅の最後に待ちに待った「桜島」を訪れる。桜島の火山は未だ活火山として活動を続けており、たまに噴火するので今回の訪問のタイミングで噴火してくれないかと少し期待していたけど、残念ながら穏やかな桜島であった。

アホな事、考えなや!(怒)
そして今回の桜島訪問でビックリしたのが、猫ちゃんの数。前回訪れた時には全く猫ちゃんの姿を見なかっただけに、今回の旅で20匹以上目撃した。そして、人に飼われていた猫ちゃんだったからか、とても人懐っこい猫が多かった。
そしてそんな猫ちゃんと共に驚きを与えてくれたのが、そんな猫ちゃんにじ~~~っとカメラを構えるオジサンの姿だった。猫好きじゃない人からすれば”単なるオッサン”にしか見えないだろうが、猫好きな人間からすれば、知らぬ者のいないと思われる「岩合 光昭さん」本人だったのである。。
そして桜島で一番人気の展望台「湯之平展望所」にも立ち寄る。ここは標高373mあって、桜島内に設置されている展望台の中でも最も高い場所にあり、噴火した後に溶岩が流れ出て、その溶岩が固まってゴツゴツした山肌がよく見える場所となっている。
そして桜島はいつ噴火してもいいように備えられている島でもあり、桜島では「噴火」をキーワードにして、「噴火対策」や「噴火後の緑化」などに興味を持って散策してみると、より楽しい桜島散策が出来るだろう。
そして桜島で再び食べたいと願っていた、「椿の里」のチャンポン。料理というものは単にその料理の味だけではなく、その地域や作ってくれる人柄などの雰囲気によっても、味というか印象が大きく変化する。そして自分がシンドイ時にほど、優しくしてくれた人の事をより印象的に記憶するので、このチャンポンを忘れる事はないだろう。
今回の旅も何だかんだで休む間もなく、アッチ行ったり、コッチ行ったりと巡ったが、こうやって振り返ると、やっぱりとても自分にとって勉強になったと感じる。
前年の2020年は合計で821話の旅行記となったが、この2021年はたった190話だけとなっている。これは個人的に旅行に行きたい気持ちのピークが2020年にあった事と、国内旅が安く行けた『GO TO キャンペーン』の影響である。
ただこの2021年もこの旅行記として作らなかったけど、1泊2日でちょこちょこと旅行はしていた。しかし旅行記を作らなかった旅の記憶は今思い起こしても、あまり記憶に留まっていない。その反面、このように旅行記として作った旅行の内容はよく覚えている。
その旅行を覚えているか、覚えていないかの差はズバリ「復習」である。
旅行後に一定期間を空けてから再び旅行時の写真の見返したり、記憶を甦らすという事をするだけで、その時の旅行が記憶に残り易い。そしてこのような旅行記を作成する事によって、より自分の記憶にもなるし、またその時に知らなかった事を勉強できる事にも繋がる。
ただ周りはこのような旅行記に膨大な時間を費やすよりも、「早く働け!」という人が多いのだが、これも一種の勉強であり、自分への知識や体験を得れる「投資」だと考えている。
ただ、その投資が後で身を結ぶかは分からないけど、とにかく今は旅行記を作成しながら、昔の歴史を知る事がとても楽しい日々である!
以上。 2022.12.11

早く働け!

早く働け!

また開聞岳登れ!(笑)

また桜島チャンポン、食べに来いド~~ン!
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