薩摩藩英国留学生記念館の見学③:日本に帰国した人生と、アメリカに生きた人生【熊本&鹿児島旅行記19】

熊本&鹿児島旅行記2021年12月-19

旅行期間:2021年12月頭(2泊3日旅)

日米のアルコール!

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 館内の景色

激動の幕末に江戸幕府に隠れて海外に留学した人物は、大きな成長という収穫を持って日本に帰国し、明治時代以降の日本近代化に大きく貢献する事になる。

 

 

 

薩摩藩英国留学生記念館の見学!

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 サッポロビールの説明

幕末に薩摩藩がイギリスに派遣した留学生の中に、今のサッポロビールの前身となる「開拓使麦酒醸造所」の設立に大きく関わった人物がいた。”開拓使”というのは明治時代を迎えて、未開拓の地だった北海道に赴任した役人である。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 村橋久成の説明パネル

その開拓使麦酒醸造所の設立に関わった留学生の「村橋 久成(むらはし ひさなり)は、加治木島津家の分家:村橋家に長男として生まれた。この”加治木:島津家”は2代藩主:島津光久の長男だった島津綱久の次男から、分家した家系であった。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 村橋久成の説明パネル2

その村橋久成は当初、留学生のメンバーに入っていなかったが、この羽島を出航直前に固辞者が2人出た為に、その代役として急遽留学に参加する事になった。この留学は江戸幕府に無断で行っていた為に、藩内でも極秘扱いされていた事もあって、秘密を守れる島津家分家の人物が候補になったのかもしれない。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 サッポロビール 初期のラベルが貼られたビール瓶

こちらにはその村橋久成が設立に関与した開拓使麦酒醸造所の、初代第1号ラベルが貼られた瓶ビールが展示されている。最近ではサッポロビールがこの「開拓使麦酒」時代を記念して、昔を思い出させる商品としてこの時代のラベルを再現してビールを発売したりもしているので、馴染みがある人もそこそこいる事だろう。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 サッポロビール 初期のラベル

このように普段何気なく飲んでいるお酒にも、このような薩摩藩との繋がりがあったりする事が判った瞬間に、感慨深くなってしまう。今では簡単にその辺のコンビニなどで買えるビールも、薩摩藩の壮大な計画の末に生まれていた産物なのかもしれない。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 長澤鼎の幼い頃の写真

そしてこの記念館の中でも特に展示されている資料が多かったのが、留学生の中でも最年少で海外に渡った「長澤 鼎(ながさわ かなえ)だった。13歳という最年少ながら、他にも14歳の少年がいたにも関わらず、ここまで多くの資料が残る程の人物となったのは、長澤鼎が幼い頃から非凡な才能を見せていた事と、負けん気の強さがあったからだという。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 長澤鼎の経歴

薩摩からの留学生はロンドン大学に迎えられたが、長澤鼎は若過ぎた為に大学には入れず、その代わりに武器商人でこの密航に手を貸したトーマス・グラバーの実家に預けられる事となる。そして約2年後にトマス・ハリスの誘いを受けて渡米する。そして大学に通ったりしながらハリスの教団で奉仕を続け、ハリスが広大な農園用の土地を取得してからは、ワイン造りに精進する事となる。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 長澤鼎の説明パネル

そして長澤鼎はアメリカの地を定住の地と定め、一心不乱にワイン造りに励んだ。トマス・ハリス亡き後は自分で買い取った農園でワイン造りを続け、カリフォルニア地域でも有数のワイン農家に成長する。そして”葡萄王”という称号まで付けられる人物となり、禁酒法時代には大打撃を受けるものの、苦心しながら経営を続けたという。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 長澤鼎の経営するワイナリーが燃えた際の木材

長澤鼎が引き継いだ「ファウンテングローブ・ワイナリー」は成功し、写真右上の円形馬屋「ラウンドバーン」の建物は長澤鼎が生前に建てた建物として近年まで残っていたが、2017年に起きた火災で残念ながら焼失してしまったという。こちらに置かれていた木炭のような物は、その火災で燃えてしまった「ラウンドバーン」の建物の柱が寄贈された物だったようだ。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 トマス・レイク・ハリスの写真

こちらの写真は「トマス・ハリス(Thomas Lake Harris)という、アメリカの思想家で宗教家でもあった人物。1859年頃に宗教団体を興し、最盛期にはアメリカとイギリスで2000人位の信者がいたという。意気揚々とイギリスに乗り込んだ薩摩藩遣英使節団であったが、国内で内戦が起きて戦費が増えて留学費用を捻出できなくなっていった薩摩藩からの仕送りが無くなり、それで諦めて帰国する者と、このハリスに付いてアメリカに渡る者と二分される事となる。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 長澤鼎の胸像

長澤鼎はハリスに付いてアメリカに渡るが、一緒に渡米した他の5人はその後、ハリスの思想に付いて行けずにアメリカを去る事になった。しかし、長澤鼎はアメリカの地で生き続けるという強い意思を持っていたので、ハリスの元を離れる事なく、アメリカで生活を続けた。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 中村晋也の語り説明

上の写真の長澤鼎:胸像は中村晋也さんが造った物のようで、1985年に長澤鼎が生きたカリフォルニア州サンタローザの市
議会ホールに寄贈されたという。これ以外にも鹿児島駅前に設置されている『若き薩摩の群像碑』という、薩摩藩遣英使節団に参加した当時の若い姿の長澤鼎の銅像も作成していて、若い長澤鼎と共に、歳を取って成長して貫禄が出た長澤鼎とも中村晋也作という歴史に残る作品ともなっている。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 デッキに出る扉

そして資料館内の見学はここで終了となり、入口付近にあったデッキへと出る扉へと向かう。そのデッキへと繋がる扉の窓からは、薩摩藩遣英使節団が抱いていた希望のように、眩い光が差し込んできていた。

 

 

羽島浦側のデッキからの眺め!

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 デッキでの景色

そして扉を押し開けてデッキに出てくると、このように船を模ったテラスとなっていた。ちょうどこの辺りから約160年前にイギリスに向けて、20人程の集団が出掛けていった時の光景を想像してしまう場所ともなっていた。

 

 

デッキからの展望! 動画

 

 

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 デッキから眺める羽島浦

このように目の前には東シナ海が広がっていて、洋上の風を遮る障害物が何も見当たらないので、そこそこに強い風が吹き付ける場所となっている。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 デッキでの景色

この資料館から西の方には護岸工事された小さな港があるが、あまり船が行き交ったりする光景は見られない。昔はそこそこな漁師の町だったのだろうが、今では細々とした町となっているのかもしれない。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 デッキから眺める羽島浦

そしてこの資料館の1階部分には、薩摩藩遣英使節団で海を渡った人達のレリーフが飾られていた。15名の留学生全員が大成できた訳ではないけど、当時としてはかなりの留学費用を掛けて送り込んだ価値はあった事だろう。ちなみに薩摩藩の留学よりも2年早く長州藩も若い藩士をヨーロッパに送り込んでいたが、相当な留学費用が掛かったので選抜された5人だけであった。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 デッキの景観

このように人を育てるという事に多大な費用が掛かるのは、今も昔も変わらない。ただお金を掛ければいい人材が育つという訳でもないけど、人材育成に掛ける費用をケチって人材が育たないのでは意味がない。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 デッキの気圧計

ただこのデッキも、もう少し暖かい時期であれば目の前に大海原が広がっている景色をゆっくり見れて楽しいのだろうけど、この12月初頭は鹿児島でもそろそろ寒くなってくる時期でもあり、強い風が吹き付けてくるデッキだったので、そこまで長居する場所でもなかった。

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 デッキで記念撮影

そんな時期だったので、デッキから館内に早く戻りたそうな表情をしていたオカン。。

オカン
オカン

寒いだけやから、はよ戻ろうや!

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 羽島浜中港 看板

こちらの記念館がある所は「羽島浜中港」となっていて、『未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産100選』の1つにも選ばれているという。なお、ここは江戸時代後半の1848年に「万福池」という灌漑用水池が薩摩藩によって造設され、その際に20歳頃だった西郷隆盛も関わっていた可能性があるという。

 

 

鹿児島県いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 羽島浜中港 石垣

そしてその万福池の工事が終わって、余った資金を使ってこの”玉石積み”と呼ばれる丸い石が積み重ねられた防波堤も、合わせて建造されたという。ただ、その工事の時には西郷隆盛もそこまで名前が知れ渡る程の存在では無かったので、具体的に資料に名前が残されていた訳でもないので、あくまで西郷隆盛が関わっていた”可能性がある”という状況のようだ。

 

 

鹿児島県いちき串木野市 海岸道路からの景色

約45分間の滞在で満喫した「薩摩藩英国留学生記念館」。ただ今日は旅行最終日で、これから鹿児島市内で見学したい場所がまだあるので、再び片道約1時間をかけて鹿児島市内へと戻っていく。

 

串木野国家石油備蓄基地にて

日本地下石油備蓄  串木野事業所 景色

そんなあまり寄り道をしている時間はないのに、見学してみたかった「日本地下石油備蓄(株):串木野事業所」の敷地が道の脇に見えてきたので、ちょっとだけ眺めてみる事にした。石油資源の埋蔵量が少ない日本国はその大半を国外からの輸入で補っているが、不測の事態に備えて国内の数箇所にこのような地下石油備蓄基地が設置されているのである。

 

ちなみにこの近くには、地下石油備蓄の設備に関しての資料が展示されている「ちかび展示館」が無料で開放されている。ここ「ちかび展示館」も是非見学したいと考えていた施設だったのだが、火曜&水曜日が休みとなっており、今回鹿児島に滞在していた2日が火曜~水曜だったので残念ながら見学できずだった・・・。

開聞茸
開聞茸

また、次に鹿児島来た時の楽しみになるね!

 

 

 

日本地下石油備蓄  串木野事業所 景色2

ここは「日本地下石油備蓄」という名前の施設だけあって、この地上に見えている施設に石油を溜めているのではなく、”水封式地下岩盤タンク方式”という地下の岩盤を削って、その中に石油を保存しているのだ。全国に10箇所ある日本地下石油備蓄基地も、普段見学できる事もないだけに楽しみにしていたので、余計に悔いが残ったのでもあった。。

 

 

桜島火さん
桜島火さん

 Youtubeにアップされていた動画で我慢するド~~ン!

【ゆっくり解説】日本が誇る巨大石油備蓄基地【水封式地下岩盤タンク】

 

ちかび展示館(串木野国家石油備蓄基地)

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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