熊本&鹿児島旅行記2021年12月-15
旅行期間:2021年12月頭(2泊3日旅)
見た事のある彫刻作品!
鹿児島を治めてきた島津家に大事な教えを残した島津日新公のお墓がある「竹田神社」を後にして、鹿児島市でも西側の石谷町にある「中村晋也美術館」を訪れました。日本各地を訪れていると、色んな場所で銅像を目にする機会があるけど、その銅像と出会った時にその作者もついでに調べてみると、この中村晋也さんが制作した銅像が多かったので興味を持ったのである。
住所:鹿児島県鹿児島市石谷2366
営業時間:10時~17時頃(※月曜定休日)
電話番号:099-246-7070
入館料:大人500円/高校生200円/小中学生100円
※館内の写真撮影は可能ですが、”個人の楽しむ範囲内”での扱いという条件
中村晋也美術館を訪問!
旅行記を作成している時に、旅先で見つけた銅像の情報を調べている時に知った、「中村 晋也」という彫刻家。大正15年(1926年)に三重県で生まれ、フランスに留学し、帰国してからは鹿児島大学教授ともなって、今年2022年も96歳という高齢でありながら、現役の彫刻家として活動を続けているという。
中村晋也さん、ウチのばあさんと同じ年やで!
①大阪城近くの豊国神社に飾られている、太閤:豊臣秀吉の銅像
こちらは、中村晋也氏が2007年に完成させた、大阪城の脇にある豊国神社の境内に飾られている「豊臣秀吉」の銅像である。この豊臣秀吉の銅像が大阪城に設置されている事は知っていたものの、中村晋也氏の作品とは知らなかった事もあって、この中村晋也美術館で原型を見た後に、大阪に戻ってから早速確認しにいったのである。
たまに大阪城を見に行く時はあっても、その一角に造られている豊国神社など全く興味が無かったので、その境内に入る事も滅多にない場所でもある。
②大阪城近くの玉造稲荷神社に飾られている、豊臣秀吉の息子:豊臣秀頼の銅像
こちらの豊臣秀頼の銅像も、中村晋也美術館で原型を見た後に大阪に戻ってから、すぐ確認しに行ったのである。大阪城の南側の玉造で、今まで全くその存在を知らなかった「玉造稲荷神社」の境内に、確かにこの秀頼の銅像が設置されていたのであった。
秀吉の銅像が造られた数年後の2011年に、中村晋也氏が制作して設置された豊臣秀頼の銅像。歴史的には、あまりいいイメージが無くて、徳川家康に簡単に滅ぼされてしまった人物という認識だが、意外と体は大柄だったとか。。
③大阪の北浜にある大阪証券取引所前に飾られている、五代友厚の銅像
こちらの大阪証券取引所前に飾られている五代友厚の銅像の存在は知っていたものの、中村晋也氏の作品とは知らなかったので、この旅の後に再訪したのであった。
2004年に制作された銅像だが、この大阪にはこの1体だけではなく、2016年に大阪大学の構内にも新しく設置されている。また五代友厚は大阪の街を近代商業地として大きく発展する事に貢献した人物であり、彼のお墓も大阪市内に安置されている。
④鹿児島市駅前に設置されている、『若き薩摩の群像』の銅像
こちらは鹿児島市内の新幹線も停まる、鹿児島市駅前に造られている大きな彫刻作品『若き薩摩の群像』である。こちらは1982年に制作された彫刻だが、江戸幕府に内密で海外留学に送り込んだ五代友厚を含む19名の『薩摩藩遣英使節団』のうち、薩摩藩出身者の17名だけとなっていた。
しかし、2020年に薩摩藩出身ではなかった2人の彫刻も追加され、今では薩摩藩遣英使節団の全員が顔を揃えている。
⑤鹿児島市内に設置されている、大久保利通の銅像
こちらは鹿児島市内を流れる甲突川の畔に造られている、「大久保利通」の銅像である。明治維新にも大きく尽力した西郷隆盛と薩摩藩では双璧を成す存在でもあった人物だが、西南戦争では新政府軍側についた事もあって、鹿児島人からすれば「裏切り者」扱いされて悪役となってしまったのもあって、この銅像が設置されたのは彼の死後から100年が経過した後だという。。
⑥鹿児島市内の黎明館に設置されている、篤姫(天璋院)の銅像
こちらは2008年に放送された大河ドラマ『篤姫』の影響で、すっかり有名になってしまった「篤姫(天璋院)」の銅像。島津家から将軍家に嫁いで、陰で将軍家を操っていたともされる肝っ玉の据わった人物でもあったそうな。
⑦青森県内に設置されている、太宰治の銅像
青森県五所川原市金木町にある芦野公園は、太宰治の生家が近くにあるという事もあって、中村晋也氏制作の太宰治の銅像が2009年に設置されている。しかし、この旅の時にはその芦野公園を訪れる事が出来ず、こちらの作品は太宰治の生家「斜陽館」の中に飾られていた、芦野公園とは形が違う、中村晋也氏制作の小さな像の原型だった。
⑧宮城県の白石城に設置されている、横綱:大砲の銅像
宮城県の白石城には、明治生まれの第18代横綱「大砲 万右エ門」の銅像が飾られている。こちらは1999年に制作された像で、この白石市に生まれた相撲界のヒーローの像を城の近くに置いたようだ。
この白石城では、この地を治めた白石家の当主の像は敷地内には見られなくて、その代わりに大横綱の銅像となっていたのである。
⑨鹿児島県立図書館に設置されている、薩摩辞書之碑
こちらは人物の肖像ではないけど、鹿児島城跡に造られた鹿児島県立図書館の一画に設置されていた『薩摩辞書之碑』。明治初めの頃に、薩摩の学生達が上海で創刊した「薩摩版英和辞書」を記念した碑で、1981年の作品となっている。
⑩奈良の薬師寺に設置されている、「釈迦八相像」「釈迦十大弟子」
こちらは2015年に奈良市の薬師寺の西塔1階内部に設置された、仏陀の人生を再現した像となっている。ただ、この像は写真撮影が禁止になっており、ちょっと残念に感じたのであるが。。
【釈迦の生涯ブロンズ像で再現 奈良・薬師寺西塔】動画
薬師寺にはこの釈迦八相像だけではなく、大勢いた仏陀の弟子の中でも、特に優れていたという『釈迦十大弟子』の銅像も設置されている。中村晋也氏はこの仏陀の弟子の姿を調べる為に、インドやスリランカなどを実際に訪れて数年滞在し、現地の人々などを観察して、当時の仏陀の弟子の外観を精密に再現した力作でもある。
⑪鹿児島の伊集院町駅前に設置されている、島津義弘の銅像
こちらは鹿児島県日置市の伊集院駅前に設置されている、”最強の島津四兄弟”とも謳われた島津貴久の4人の息子の中でも、特に戦などで活躍した「島津義弘」の銅像である。
⑫今治城に設置されている、藤堂高虎の銅像
こちらは愛媛県今治市の今治城跡に設置されている、築城の名手として徳川家康にも絶大な信頼を置かれていた「藤堂高虎」の銅像である。
この今治城は再建された天守があるけど、このように敷地内に立派な武将の銅像があるだけで、雰囲気が全然違ってくるように感じる。それだけこのような銅像には迫力があり、またその土地の歴史を伝える大事な役目をしている。そしてその銅像に姿を吹き込む彫刻家の魂が籠められている作品でもあるのだ。
⑬熊本県菊池市の市民広場に設置されている、菊池武光の銅像
この熊本県菊池市に設置されている「菊池武光」の銅像は、国内でも有数の大きさとなっており、この中村晋也美術館内で飾られていた原型の中でも、ひと際大きくて存在感のあった像だった。
15時45分くらいに入館したのだが、学芸員の人が時間を勘違いしていて、閉館15分前にボクらが入ってきたと思っていたらしく、足早に館内を簡単に案内してくれた。しかし一応営業時間は17時までとなっていて、結局1時間近く閉館ギリギリまで滞在したのであった。
銅像って、真横で見るとめっちゃデカいんやな・・・
美術館の道を挟んだ土地にもこのような銅像が飾られていて、中村晋也ワールドが広がっている雰囲気を感じた。ただ、見学を終えて外に出てみると、意外に雨が降っていたので近くの駐車場まで戻るだけだったのだが、係員のお姉さんが親切にも傘を貸してくれたのであった。
こちらの倉庫のような建物は、中村晋也美術館の向かい側にあった建物で、恐らくここが中村晋也氏のアトリエとなっていそうな場所に見えた。銅像の原型はかなり大きいので、このような大きな出入口が必要となっているのだろう。
建物の中はこのように電気が点いており、この2021年時には95歳だった中村晋也氏がひょっとしたら、中で創作活動をしていたのかもしれない。しかし、90歳代に入ってまだ創作活動を続けるなんて、まさに芸術家の鏡のように感じる。
近くにはちゃんと無料の駐車場も用意されており、美術館内には多数の彫刻作品の原型が展示されていたので、芸術が好きな人や、中村晋也氏のファンからすれば、訪れる価値が大いにある場所となっていた。
鹿児島市内で、薩摩隼人と再会!
そして中村晋也美術館を後にして、そこそこに雨脚が降りつけて視界の悪い中でも車を走らせて、すっかり暗くなった鹿児島市内に戻ってきた。鹿児島というと、昔に旅で出会ったお友達がいるので、今夜は彼と再会する予定だった。
という事で約2年ぶりに再会したのが、通称”西郷どん”であった。彼は鹿児島市内に在住しているのだが、初めて出会ったのが遥か彼方のトルコだった。
トルコの世界遺産にもなっている「パムッカレ」を訪れた際に、同じ日本から来た阪急トラピックスの別のツアーに参加していた”西郷どん”にたまたま喋りかけて、そこから仲良くなってしまい、帰国してからは鹿児島まで会いに行って、鹿児島内を案内してもらったりしたのである。
自分と同じように37歳頃に会社を辞めて、海外旅行に参加したという境遇が似ている事もあって、妙に仲良くなってしまった”西郷どん”。ただ鹿児島人でもある”西郷どん”は、そこそこに酒豪で、かつては薩摩芋焼酎を飲み過ぎて肝臓の数値が悪くなってしまった事があるらしく、今は控えめにお酒を呑んでいるのだとか。
それと”西郷どん”はお酒を販売する会社に勤めていた経験があり、更にはソムリエの資格も持っているらしく、単なるその辺の芋焼酎を呑んでいるだけの”吞兵衛”とは違うようだった。
薩摩隼人からすりゃ、芋焼酎は水と同じべ!
そして鹿児島で食べる、熱々状態の揚げたてで提供される「さつま揚げ」は、美味しく思えてしまう。また芋焼酎とも合うツマミでもあるので、余計に酒が進んでしまうのでもあった。。
そして特に渡す土産も買っていなかったので、前に沖縄旅行の際に購入した、パッケージが面白かったコンドームをプレゼントする事にした。”西郷どん”もボクと同じく独身なので、これから使う機会が多々ある事だろう。。
当然の如く、1軒では終わらず、前も訪れた居酒屋さんに立ち寄り、そこでもあ~だ~こ~だ~と芋焼酎を飲みながら、楽しい時間が続く。
そして後から居酒屋に1人で入ってきたお客さんに、”西郷どん”がスマホを渡して強引に記念撮影をお願いして、居酒屋の大将も入れての記念撮影を行う。このような居酒屋は特にコロナ禍で大きくダメージを受けた業種ではあったが、何とか営業を細々と続けていてくれたので嬉しく思えた。
そして酔っ払った帰り道に、甲突川に架かる高見橋の東側に設置されている、中村晋也氏の作品である「大久保利通」を再び眺める。このような高い台座の上に載せられて、下から見てもちょっと遠いので小さく見えるけど、銅像現物自体は4mほどあって、近くで見ると「アンドレ・ザ・ジャイアント」以上の大きさに感じる像でもある。
2020年夏に鹿児島を訪れた際には、コロナ禍だった事もあり、また鹿児島に比べると遥かに人口が多い大阪から来るという事で、対面を拒否されてしまっただけに、約2年振りの再会であった。だが、2021年となって世界中もコロナ禍に慣れつつあった時代となってきたので、”西郷どん”もお決まりの像と共に「元気ですよ~!」ポーズをしていたのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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