城山の下で祀られる島津斉彬公の像と、西郷隆盛が朽ち果てた裏の洞窟【熊本&鹿児島旅行記16】

熊本&鹿児島旅行記2021年12月-16

旅行期間:2021年12月頭(2泊3日旅)

目前に立てる喜び!

ホテル法華クラブ鹿児島 廊下

さて鹿児島市内のホテルで目覚めた3日目の朝。昨晩は鹿児島在住の”西郷どん”君とそこそこ焼酎を飲んだ影響で、朝が起きれずに朝食をパスする事に。せっかく美味しい朝食バイキングを用意してくれていたホテルだったのに、少々残念な気持ちはあったものの、それよりも今日もアチコチと移動しまくる予定となっていたので、旅程を優先したのであった。。

 

 

島津斉彬公を祀る「照国神社」を訪れる!

鹿児島市 照国神社 鳥居 朝

そして早々にホテルをチェックアウトして向かったのは、鹿児島市内でも大きな敷地となっている「照国神社」であった。照国神社というと、島津氏28代当主で薩摩藩第11代藩主ともなる「島津 斉彬(しまづ なりあきら)が神様として祀られている場所である。

 

 

鹿児島市 照国神社 境内 朝

そして大きな鳥居をくぐって境内に進んで行くと、鶴が羽を伸ばしたような形をした植木が見えてくる。こちらはこの神社の脇にかつてあった島津家の居城「鶴丸城」(鹿児島城とも)の名前にあやかって、鶴の形にしているようだ。

 

島津斉彬公の銅像に再会!

鹿児島市 照国神社 島津斉彬公の銅像

そして今回の鹿児島県旅の中でも特に楽しみにしていたのが、この照国神社の祭神である「島津斉彬公」の銅像を再び間近から眺める事だった。というのも、前回約1年前に訪れた時には、この島津斉彬公の銅像周辺が工事中で、この銅像に近づけなかったからだった。。

 

鹿児島市 照国神社 島津斉彬公の銅像と台座

このようなその地域を治めていた藩の藩祖はよく神様として祀られている所が多いけど、この鹿児島では照国神社の大きさから、この島津斉彬公を崇める心の大きさが並外れているように感じる。

東郷どん
東郷どん

斉彬公無しに、明治維新は起きらんやったじゃ!

 

鹿児島市 照国神社 島津斉彬公の銅像 アップ写真

薩摩藩主の中でもこの島津斉彬はたった7年間しか藩主の座に無くて、その藩主在位年数だけをみていると、そこまで実績を残した人に思わない事だろう。しかし、逆にその短い藩主在位期間でこのように大きな神社に祀られている人物という事だけで、この島津斉彬の偉大さと周囲からとても尊敬されていた事が伺い知れるのである。

東郷どん
東郷どん

斉彬公は、もっとはよに藩主になっべき人やったじゃ!

 

鹿児島市 照国神社 島津斉彬公の銅像 横からのアップ写真

前回鹿児島に来た際には、この島津斉彬公を事前に勉強して訪れた為に、この照国神社に来て感激してしまったけど、その代わりに周辺が工事中でこの島津斉彬公の銅像に近寄れなかった事が唯一の悔いとして、ボクの中に残っていたのだ。

 

鹿児島市 照国神社 戊辰戦争の碑

その銅像の横には、こちらの「戊辰之役戦士顕彰碑」という、薩長連合が中心となった新政府軍と江戸幕府の残党となる旧幕府軍との戦い『戊辰戦争』に従軍した、8000人近い薩摩藩の兵士と、その戦いで600を超える失われた命と、多くの負傷者に捧げる碑である。

 

鹿児島市 照国神社 島津家の銅像 紅葉

照国神社の境内脇には、島津斉彬公が亡くなった後に藩主となった「島津 忠義(しまづ ただよし)や、島津斉彬公の弟で幕末に実質的に薩摩藩を動かしていた「島津 久光(しまづ ひさみつ)の銅像も設置されているけど、個人的には島津斉彬公に感情移入し過ぎてこの2つの銅像にはそこまで興味が向かなかったが。。

 

鹿児島市 照国神社 本殿の入口

ただ前回の訪問時には、昨日訪れた竹田神社で祀られている「島津日新公」の存在を知らなかっただけに、今回は島津家も島津斉彬公が名君に育つ環境が、その島津日新公時代に代々教え込まれる教訓として根付いていた事を知れて感激したのであった。

 

鹿児島市 照国神社 本殿 拝観

鹿児島市民が多く参拝しに来る照国神社の本殿で、参拝をしているオカンの後ろ姿。普段は神社や寺への信仰心を見せないオカンだが、こういった場所に来ると、周りの目を気にする日本人だけあって、他の人と同じように形式的に祈るポーズを良くみせる。。

オカン
オカン

そら、とりあえず拝んどかなアカンで!

 

鹿児島市 照国神社 島津斉彬公 資料館 建物

そして照国神社の素晴らしい所は、島津斉彬公の資料などが展示されている、こちらの建物「照國文庫資料館」が無料で見学できるのだ。1フロアだけの展示だが、他所ではここまで島津斉彬公に関する資料が展示されている場所が殆どないだけに、ただ単に神社に参拝するだけではなく、島津斉彬公の歴史を学べる素晴らしい場所となっている。

 

鹿児島市 照国神社 島津斉彬公 資料館 肖像

「照國文庫資料館」の入口を入ったすぐの所に飾られている肖像画は、あの西郷隆盛の有名な肖像画を描いた、イタリア人画家の「エドアルド・キヨッソーネ」が描いた島津斉彬公である。なお、この資料館内の模様は前回訪問した際にブログに記しているので、今回は省略する。

 

 

 

「西郷隆盛:最後の洞窟」を訪問

鹿児島市 西郷隆盛最後の洞窟

そしてその照国神社の上にある城山の裏側に、あの西郷隆盛が最後を迎えた場所が残されているので訪れてみた。

 

【西郷隆盛洞窟】

住所:鹿児島県鹿児島市城山町19

 

 

鹿児島市 西郷隆盛最後の洞窟 景色

明治維新の討幕で歴史的に最も貢献した人物の1人であった西郷隆盛という人物が、新しく迎えた明治時代から10年経って、内戦で敗北した軍の将として亡くなったという歴史が、未だにピンと来ない。江戸城の受け渡しでは”無血開城”と呼ばれる旧幕府の抵抗なく開城させたり、戊辰戦争で敗北した東北勢の処遇を温情してやったりと、人一倍”命を大事に扱う”印象がある人物と思っているからだ。

 

鹿児島市 西郷隆盛最後の洞窟 案内板

新政府軍で陸軍大将として重要な立場に据えられた西郷隆盛であるが、岩倉使節団が海外視察に出掛けている間の”留守政府”とも呼ばれる時に、有名な『征韓論』とも称される自分の考えを進めようとした。しかし、それが拒絶された為に陸軍大将を辞して下野するのであった。

 

鹿児島市 西郷隆盛最後の洞窟 景色

そして江戸幕府が崩壊した明治時代は急激な変化が起きたが、誰もが理想とする明治政府ではなく、明治政府の首脳となった人物らが自分の利益を最大化していると考える不満分子が出てくるようになった。特に旧来の士族は今までの権力や領地を奪われる事になり、それに対しての反抗が内乱として各地で起きるようになっていった。

 

鹿児島市 西郷隆盛最後の洞窟 景色2

そして鹿児島でもそのような不満分子が拡がり、鹿児島の地に戻って私学校を開いていた西郷隆盛も、自分が教えている若者達がその反乱に参戦していく動きとなり、新政府軍側に攻撃を開始してしまった為に仕方なしに参加したとされている。

 

鹿児島市 西郷隆盛最後の洞窟 碑

そして熊本城付近で新政府軍と、西郷隆盛を筆頭とする反乱の薩摩軍が激突する事になる。新政府軍は大量の国債を発行して海外から最新の銃器などを大量に仕入れて準備したのに対して、薩摩軍は旧式の武器が多かったという。その熊本城での戦いは膠着化して、想像以上に難攻不落だった熊本城の攻略は失敗に終わり、薩摩軍は敗走するのである。

 

鹿児島市 西郷隆盛最後の洞窟 全体の景観2

そして宮崎での戦いでも不利な状況となり、西南戦争勃発から約半年後にこの鹿児島の地に追い込まれてしまう。この鹿児島の地に追い込まれた時に既に負けは覚悟していたのだろうが、当時の反乱軍は”戦死ありき”の若者が多かったので、城山を取り囲んだ新政府軍側に、最後の総攻撃を掛けていくのである。

 

鹿児島市 西郷隆盛最後の洞窟 像

そして薩摩軍の兵は次々に被弾し、遂に西郷隆盛も腰などに被弾してしまう。腰に被弾して動けなくなった西郷隆盛は観念して、敵に首を斬られるよりは自決の道を選び、仲間に介錯を頼んで斬首されてその生涯を閉じるのであった。そのような新政府軍に対して反乱を起こした薩摩軍の大将として”国賊”扱いされてしまう西郷隆盛であったが、明治22年に恩赦されてその罪が許されるのであった。

 

鹿児島市 西郷隆盛最後の洞窟 全体の景観

本来なら大きな内戦の首謀者として負の歴史に入れられていたかもしれない西郷隆盛だが、恩赦されてその後には明治維新のヒーロー的な存在として崇められる人物になっているのは、それだけ生前に彼の人柄を尊敬していた人が多かったという事なんだろう。

東郷どん
東郷どん

もう戦は懲り懲りじゃ・・・

 

 

城山公園の展望台にて

鹿児島市 城山展望台入口

そしてその西郷隆盛が最後を迎えた城山の地で、山頂付近に造られている「城山公園」の展望台へと向かう。前回訪れた時は夜に来たので、日中に来てみたかったのである。

 

鹿児島市 城山展望台からの景色

そしてこの城山からは、このように鹿児島の象徴でもある「桜島」がよく見えるスポットでもある。やっぱりこの桜島の姿を眺めると、久々に「鹿児島県に帰ってきた!」という印象を受ける光景だ。

桜島火さん
桜島火さん

毎年、帰って来てもいいぞド~~ン!

 

鹿児島市 城山展望台からの景色 街中

この鹿児島の地は幕末~明治時代において、討幕や明治政府などで活躍する主要な人物を多く輩出している事もあって、見所が多い場所である。前回訪れた時にはそこそこに名所を巡ったつもりだったけど、帰ってから調べてみると、その当時には知らなかった歴史あるスポットが沢山見つかって、実は再訪したくて堪らなかった場所でもある。

開聞茸
開聞茸

また、開聞岳も登りに来てね!

 

鹿児島市 城山展望台からの景色 桜島

そして鹿児島県を訪れるのが初めてだというオカンを、当然桜島にも連れて行くのだが、これからちょっと別の場所に寄り道してから桜島に向かう予定となっている。桜島と鹿児島市内を結ぶフェリーは、本数が多いので非常に便利である。

 

鹿児島市 城山展望台 登山レース

城山公園の展望台付近では、多くの学生の姿が見られた。どうやら登山レースのような催しが開催されていたようで、コロナ禍も少しずつマシになって、色んな催しが出来るようになって学生達も嬉しそうだった。

 

鹿児島市 城山展望台 修学旅行生

そしてこちらは、そんな西郷隆盛や島津斉彬公の歴史などあまり知らない、修学旅行のような団体も群がっていた。自分もこの子達の年齢時には全く日本の歴史など興味がなく、また海外旅行に行っている時も全く興味が無かった。しかし、コロナ禍の影響で、海外旅行から国内旅行に切り替えたおかげで、このように日本各地に眠る偉人達の歴史をより勉強する機会を得れたのである。

東郷どん
東郷どん

もっと薩摩ん歴史を勉強しやんせ!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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