熊本&鹿児島旅行記2021年12月-5
旅行期間:2021年12月頭(2泊3日旅)
熊本名物の太平燕!
熊本城に綺麗な大小の天守閣が戻ってきた、2021年。熊本市の象徴的存在でもある熊本城の天守閣が再び見られる事を心待ちにしていた人も、大勢いる事だろう。
宇土櫓を見物!
個人的にはそんな新しい鉄筋コンクリート造りの天守閣よりも、こちらの「宇土櫓」という江戸時代に造られた木造櫓の方が好きなのである。前までは内部の見学が可能だった宇土櫓も、2016年の地震で被災して、今では中に入る事は出来なくなっている。
この宇土櫓が建っている、天守の西側は「平左衛門丸」という名前が付けられている。この名前は加藤清正時代に、この場所に家臣だった加藤平左衛門の屋敷などがあった為に、それが名残りとなっているようだ。
この宇土櫓は加藤清正のライバルでもあった小西行長が治めていた宇土城から移築したとかつて考えられていたが、昭和初めに改修工事が行われた際に、移動してきた痕跡などが見られなかった事で、その可能性は現代では低く考えられている。
熊本城内に6つあった五階櫓の中で、唯一現存しているのがこの宇土櫓である。そして西南戦争時に焼失してから約80年間に渡って大天守が不在だった熊本城で、その代わりの「天守」として城を守ってきた建物でもある。
ただ江戸時代初期に造られた木造建築物ではありながら、昭和初期に行われた改修工事で基礎にコンクリートが用いられたり、柱に鋼が加えられたりと昔からのそのままの姿ではなくなっている。しかし、そのような耐震補強のおかげで、2016年の地震で倒壊する事なく、生き延びたとも言われているようだ。
そしてこちらは熊本城の隅にある「加藤神社」脇からの、大小の天守閣と共に宇土櫓が一緒に見られる写真スポット。一番歴史がある宇土櫓が最も手前にあって、その分大きく見えるようになっている。
宇土櫓が一番綺麗に見るる場所やなあ!
数十年前の修学旅行時にはこの熊本城には来なかったので、初めて見る熊本城と加藤神社に設置されていた「清正くん」に感激していたオカン。
前に熊本城に来た時には工事中だったので天守の周囲に足場が立っていたけど、このように天守が完成すると加藤神社からの眺めが、一番綺麗に見られるスポットという事が改めて分かる景色ともなっていた。
そして大小の天守は再建工事が完成してお披露目となっているけど、他の場所ではこのように崩れた石垣を解体する作業が継続して行われている光景を目にする。
石垣解体中の景色! 動画
当初は20年計画で熊本城の復旧工事が完成する目算だったが、2022年末に想定以上に時間が掛かっており、当初の計画から更に15年遅れの2052年まで工事が延長される事が発表された。ただ、このように石垣に使われている石を1個ずつ移動して、それぞれに番号を記載して保管して、再び再建時に同じ場所に石を戻すというかなりの手間が掛かる再建なので、致し方ない事だろうと思う。
修復工事が進みつつあった戍亥櫓!
そして加藤神社から北側の方に行くと、石垣の角石で櫓を支えて立っている「戌亥櫓」がそろそろ復旧工事に移ってきている様子が見えてきた。前回訪れた時にはそのまま放置してあったけど、戍亥櫓の順番が回ってきたようだ。
この「戌亥櫓」は江戸時代から残る建物ではなく、2007年に新しく復元された建物である。なので、もし倒壊してもまた新しく新築すればいいという考えだったのか、江戸時代から残る建造物が優先して解体されていっていたようだ。
”奇跡の一本角石”とも呼ばれた飯田櫓は既に解体されていたので、この角石で耐え踏ん張っている光景はこの戌亥櫓でしか見られない。しかし、この時は既に工事が着手されていたので、今ではこの姿が解体されて見られなくなっているのかもしれないが。。
そして熊本城周辺の広い公園内には、このように解体された石垣の石が保管されている光景も見られる。熊本城だけで約10万個とも言われる石垣の石が存在しているようで、一旦石垣を解体して、ここに運ばれて修復される時を待っているようだ。
これらの大量の石垣は、修復される際に元あった場所に戻されるように積まれる事になっている。適当に目の前に置かれている石を積んで行くのではなく、元あった場所に合わせてパズルのように嵌め込んで行く必要があるので、それだけ時間が必要になってくる。
崩れた石垣の撤去は、まず①解体前の状態を詳細に記録し、次に②石垣それぞれに番号を振っていく。そして③石垣の石を解体していき、④石置き場に移動され保管される。
こちらは戍亥櫓の脇に並ぶように造られていた塀部分も、このように無残に崩れ去ってしまっているのが見える。江戸時代も大きな地震が起きた際には石垣などが崩れたりしていたのだろうが、現代はクレーン車などが使える時代でもその修復に途方もない時間が掛かってしまうのである。
昔ん人達ん知恵は、凄かったんやろうな!
本丸に西側には、こちらの『花とみどりの博覧会』という2022年3~5月に行われたイベントのオブジェが飾られていた。この花博はこの熊本城周辺の公園だけではなく、飛行機の上空から見えてきた水前寺江津湖公園周辺や、自然公園のある立田山などの3箇所で行われたようだ。
前回来た時と比べると、大小の天守閣が完成して多くの観光客が訪れていた熊本城であるが、全て復興するにはあと約30年という途方もない時間がかかる見通しとなっている。それだけ江戸時代に造られた城郭という建造物は、手間暇を多くかけて造られていたという事が分かるのでもある。
しかし熊本市もあと30年も掛けて復興工事を完成させていくつもりなので、かなり気が遠くてなかなか現役世代には遠い未来のように思えてしまう。。
午前中に阿蘇山で修学旅行生などを見かけたと思ったら、この熊本城にも修学旅行生が溢れていて、すっかりコロナ禍にも慣れてきて、旅行しだす人が戻り始めていた頃だった。前来た時にはガラ~~ンとしていたお土産屋や飲食店がある「城彩苑」も、修学旅行生が群がっている光景が見られた。
紅蘭亭で太平燕を食べる!
そして既に14時近くとなっていてまだ昼食を食べていなかったので、熊本市内で名物の「太平燕(たいぴーえん)」を味わう事にした。そんな太平燕が名物ともなっている人気の中華料理屋「紅蘭亭:下通本店」を訪れたのであるが、14時前にも関わらず、約15分程の待ちとなっていた。
大阪人はあまり飲食店で並んで待つのが好きではない人種なので、すぐにネットで調べると、歩いて行ける近くにある同じ紅蘭亭の「上通パビリオン店」が見つかったので早速足を運んでみた。
※2022年現在は再開発工事の影響で休業中。
「紅蘭亭:下通本店」は並ぶ程だったけど、こちらの「上通パビリオン店」は幸いにも並ばずにすぐに店内に案内された。
やっと昼ご飯が食べれるわ♪
そして前回熊本に来た時には食べなかった「太平燕」を注文する。紅蘭亭の太平燕の盛り付けは、昭和の大芸術家:岡本太郎デザインの顔っぽくも見えるような気がした。
この「太平燕」という麵料理は中国の福建省から伝わってきたとされており、それが熊本で進化して、このようなご当地麺料理となっている。麺はこのような春雨となっていて、個人的な感想は「チャンポンの麺が春雨になったVer」という感じでもあった。。
美味しかったで!
こんな旅はまた次回に続きます!
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