熊本&鹿児島旅行記2021年12月-8
旅行期間:2021年12月頭(2泊3日旅)
黒豚は鹿児島!
さて旅初日に熊本県で通潤橋を見学して、これから早々に鹿児島市内のホテルへと向けてロングドライブとなる。熊本県から鹿児島県の鹿児島市までは約200km離れており、道中には高速道路が設置されているのである程度快適に走れるようになっているが、そんな高速道路の料金をケチろうと下道を選択して車を走らせた。
夜の下道を走るのは、思っているよりシンドイけ!
高速道路を使えば2時間半~3時間で鹿児島市内に行けるのだが、Googleマップでの下道オンリーのルートであれば、4時間半ほどだった。なので「2時間長めに運転すればいいわ!」と思って車を走らせたものの、熊本県の南部は山間の道が連続し、蛇行した道をグルグルと走らされ、また暗くなってきた事もあって眠気も出てきてしまい、途中で下道走行はツラい事が判明した為に、高速道路を渋々使う事になった。。
下道走行は横に乗っているだけで疲れたわ!
「ホテル法華クラブ:鹿児島」にチェックイン!
そんな風に途中から高速道路を使った事により、約3時間で通潤橋周辺から鹿児島市内の宿泊する「ホテル法華クラブ鹿児島」に無事到着する。
この「ホテル法華クラブ:鹿児島」を選んだのは、大浴場があって、朝食バイキングでは地産地消の料理が提供され、また目の前の大通りは市電が走る便利な立地にあったからだ。繁華街の天文館や鹿児島市駅までも行き易い立地で、そして宿泊料金もリーズナブルであったからでもある。
全国に18店舗のホテルをチェーン展開している「法華クラブ」。元々は大正9年(1920年)に法華経の熱心な信者であった創設者が、京都にホテルをオープンさせたのが始まりのようだ。その大正時代は旅館ばかりで、しかも今のような個室ではなく相部屋が基本だった時代に、先駆けて個室を導入して、かつ低価格で提供して事業を進めてきたようだ。
こちらは「ツインルーム」の室内で、部屋の広さは18㎡とまずまずの間取りとなっている。ベッドは幅120cmが2つ設置されているが、このようにちょっと手狭のようにも思えてしまうけど、ビジネスホテルとして割り切るとこれで充分のように思うが。
トイレはこのようにバスタブとセットになっている、一般的なユニットバス。ただ、ホテル内には①16時~25時 / ②6時~9時まで宿泊客が無料で入れる、『人工温泉「準天然」光明石温泉』の大浴場があるので、バスタブは使わずにトイレだけ使用となる。
ホテルに到着したのは20時過ぎでまだ晩飯を食べていなかったので、オカンから「早く晩御飯食べたい!」というリクエストが寄せられた為に、部屋を出て夜の鹿児島市の街に繰り出す事にした。
そして今夜は鹿児島という事で、前にも訪れた事のある鹿児島産黒豚専門店のトンカツ屋さんに行く予定となっていた。その店は天文館近くにあって、そこまでは徒歩で移動する。そして前にも見た事のある銅像が街中に立っていたが、コロナ禍という事でこのようにマスクが付けられている姿となっていた。
そして20時半頃に天文館通りに到着するものの、コロナ禍のダメージを大きく受けているのかのように、静かな雰囲気となっていた。オカンには「ここが鹿児島の一番の繁華街やで!」と説明した割には、かなりの静けさとなっていた。。
「黒かつ亭 天文館店」で晩飯を!
そしてホテルから約15分歩いて到着したのが、こちらの「黒かつ亭 天文館店」。2020年夏に訪れた事のあるお店だけど、その時に食べた黒豚のトンカツが美味しかった思い出があったので、今回もまた再訪したのであった。
熊本県の通潤橋から下道を通って鹿児島市内まで向かう際に、車のナビでは5時間以上かかると表示されたので、「23時頃の遅い到着は嫌だ!」と怒り出したオカン。しかし、鹿児島産黒豚のトンカツを目の前にして、一転嬉しそうな顔をしていた。
ただ遅い時間にトンカツ食べたから、次の日に響いたわ・・・
そして楽しみにしていた鹿児島産黒豚が使われている「上ロースかつ定食」を注文する。トンカツ大好きな人間としては、やっぱり鹿児島に来たら、まず黒豚のトンカツを食べないといけないのである。
最近は物流が便利になった時代なので、鹿児島にわざわざ来なくても黒豚が簡単に食べれる時代になっているけど、大阪でその黒豚のトンカツを食べてもイマイチ美味しくなかったし、トンカツ自体が小さかった。なので、鹿児島に来てやっぱり前回も食べて美味しかった、間違いのない黒豚のトンカツを食べるのであった。
油で揚げたてでとても美味しかった、鹿児島産黒豚の「上ロースかつ」。
その美味しさに再び感激して、その味をオカンにも味わってもらおうと一切れ渡して食べさせると、
熱いっ~~~~!
という感想が返ってきたのであった。。
そんな美味しい黒豚のトンカツを味わった後は、長いドライブで体が縮こまっていたのもあって、ホテルまでの帰り道をちょっと遠回りしながら散策する事にした。こちらは中央公園の脇に造られている「小松 帯刀(こまつ たてわき)」という、幕末の薩摩藩家老の銅像。
幕末に薩摩藩を率いていた島津久光の下で藩政改革を任され、薩長同盟や大政奉還にも大きく関わった人物であるが、西郷隆盛や坂本龍馬が有名過ぎる反面、成し遂げた業績の割に全国的にその知名度が低い人物でもある。
器用過ぎっ人間ほど、残念ながら評価が低かとじゃ・・・
その小松帯刀の銅像が建てられている一画には、こちらの「鹿児島市中央公民館」という昭和2年(1927年)に建てられた公会堂の建物もあった。建物の設計は「片岡 安(かたおか やすし)」で、日本を代表する建築家である辰野金吾と共同で事務所を開き、数多くの歴史的な建造物を設計した人物でもある。
そして道を挟んだ向かい側には、この光輝くようにライトアップされている銅像が見えてくる。鹿児島の歴史を知る上で欠かせない人物で、今の鹿児島県民のヒーロー的存在の人物でもある。
西郷隆盛の銅像というと、東京都上野にある犬を連れた姿の像が有名だけど、西郷隆盛の夫人からすれば上野の像は全然似ていないと言っていたとか。それに比べて鹿児島市内の西郷隆盛像は、陸軍の軍服姿となっていて、西南戦争で明治政府に反旗を翻した首謀者として国賊にも問われたが、最終的には恩赦が与えられ、このように銅像が設置される事が許された経緯があるようだ。
そしてその道に沿って進むと、すぐに島津家の居城だった場所跡が見えてくる。全国の外様大名の中で、前田家に次いで規模の大きかった島津家。そんな大規模な島津家だが、この居城だった鹿児島城(鶴丸城)は平城で、さっき見た熊本城とも比べても、堅固な城とは思えない雰囲気となっている。
島津家は九州南部という奥まった地を治めていた大名で、度々領地を求めて北進していた事もあって、必ずしも守りの堅い城造りではなかったのかもしれない。それよりも機動性に優れて、普段使いで快適な城にしていたのかもしれない。
こちらは鹿児島城本丸の前にあった「御楼門」で、明治6年(1873年)に火災で焼失したものの、市民の寄付などが集められて2020年に復元された門である。ただこの鹿児島城跡の中は天守閣のような建物などは一切残されておらず、今では「黎明館」という歴史資料館が造られている。
そしてもう少し先の方に進んで行くと、このような石垣にボコボコと穴の開いた箇所がある場所が見えてくる。こちらは明治時代に起きた西南戦争時に、この地まで押し込められた薩摩軍に向けて新政府軍側が鉄砲で射撃した弾丸跡だという。
そしてそんな鹿児島城跡の斜め向かいにあった、『ウィリス、高木に西洋医学を説く』というタイトルが付けられた銅像の前で記念写真をする。幕末に日本に来日し、駐日英国公使館の医師として、生麦事件や戊辰戦争などで負傷者を助けたウィリス医師。しかし、後に鹿児島にも出向いて西郷隆盛とも懇意の仲となったが、西南戦争が起きた為に立場が悪くなって日本国内で仕事が無くなり、イギリスに戻ってからタイ王国に渡って多くの患者の治療をしたという。
このように駆け足で熊本県を駆け抜けて鹿児島市内にやって来てしまったが、阿蘇山や復旧中の熊本城、そして昔の素晴らしい技術が詰め込まれた通潤橋などの想い出よりも、鹿児島産黒豚のトンカツが美味しかった記憶の方が勝ってしまったように思った旅初日であった。。
鹿児島産黒豚んトンカツより、からし蓮根ば食べろや!
こんな旅はまた次回に続きます!
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