本丸を守る防御要塞「天秤櫓」内部を見学し、その窓の隙間から見えた佐和山城跡【彦根城旅行記4】

彦根城旅行記2022年1月-4

旅行期間:2022年1月(当日旅)

禿山!

彦根城 天秤櫓 正面入り口

さて江戸時代から現存する天守がある「彦根城」で、本丸を守る防御要塞「天秤櫓」の前までやって来ました。

かつては本丸に入る時にはこの天秤櫓とその手前に架かる廊下橋を通過しないといけなかった為に、関所の役割も果たしていた建物でもある。

 

【彦根城】

住所:滋賀県彦根市金亀町1-1
営業時間:8時30分~17時頃(※年中無休)
電話番号:0749-22-2742
入館料:一般800円/小中学生200円/セット券あり

 

 

 

彦根城の見学!

彦根城 天秤櫓 門を入る

いざという時には橋を壊せるようになっていたという廊下橋を難なく渡り、天秤棒も今では門番も居ない為に簡単に中を通って本丸内へと足を踏み入れていく。

ただ今ではこのように簡単に入れるようになっている天秤櫓だけど、江戸時代にはまず一般人は立ち入れなかった場所でもある。

 

彦根城 天秤櫓から本丸内に入る

1月の彦根市はこのように雪が積もっていて、かなり寒かった。撮影用のスマホは常に外に出していた事もあって、「低温表示」の警告が出ていた程だった。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

昔はもっと雪が積もったけどね!

 

彦根城 天秤櫓 本丸内からの景観

そして天守への入口の要塞となっていた天秤櫓は、その内部を見学できるようになっている。彦根城では、江戸時代から残る木造建築物は天守閣だけではなく、この天秤櫓太鼓門櫓西の丸三重櫓なども存在している。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

彦根城は明治時代に取壊しを逃れたから、江戸時代の建造物が多く残っているよ!

 

 

天秤櫓内部の見学!

彦根城 天秤櫓内部 入口

という事で天守閣を間近に眺める前に、こちらの「天秤櫓」内部を見学してみる事にした。

江戸時代から残る建造物の見学では、このように”土足厳禁”になっており、ここで用意されているスリッパに履き替えて、内部の見学をするようになっていた。

 

彦根城 天秤櫓内部 階段

この天秤櫓は、下に門がある2階建の櫓となっているので、入ってすぐの場所にこのように階段が設置されていた。しかし、残念ながらその2階部分には入る事が出来ないようになっていた。

 

彦根城 天秤櫓内部 内観

天秤櫓の内部は特に珍しい物は見られずに、”江戸時代の普通の櫓”という感じだった。

そして元々は彦根城の天守閣に向かって攻め込んでくる敵を迎撃する為の櫓だったものの、江戸時代には平穏な時代となった事もあって、この本丸にあった天守や櫓などは主に年貢などを収める倉庫として使われていたという。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

江戸時代には殆ど「有事」は無かったからね!

 

彦根城 天秤櫓内部 内観 格子から外を眺める

この天秤櫓は「コ」の字に造られている建物で、主に南側の廊下門へと攻めてくる敵を迎撃するのがメインだったが、その左右にも南側の半分ほどの長さの櫓という設計になっている。

 

上空から見た天秤櫓(彦根城)---Googleマップより

上空から見た天秤櫓(彦根城)—Googleマップより

上空からの天秤櫓の様子を見れば分かるように、このように「コ」の字になっているのが分かる。

無駄に大きな櫓を造るのは非効率だった事もあって、敵を迎撃するのに必要最低限な長さに設計されていたのだろう。

 

彦根城 天秤櫓内部 佐和城跡の説明

そしてこの彦根城の近くには、かつて石田三成が本拠としていた「佐和山城跡」も見えるようだ。

この佐和山城は織田信長時代に要所として、丹羽長秀や、後に松江藩の祖となる堀尾吉晴などが城主として任されていた地でもある。

 

彦根城 天秤櫓内部 佐和城跡の景色

なお、この彦根に移封されてきた井伊家も、当初はこの佐和山城を居城として使っていた時期がある。

しかし、関ヶ原の戦いで西軍の将でもあった石田三成の居城という、あまりいいイメージの無い城だった事もあってか、新しい江戸時代の城となる彦根城を新たに居城として築城する事になる。

 

彦根城 天秤櫓内部 廊下

そんな佐和山城は廃城となったものの、佐和山城で使われていた櫓などの木材はこの彦根城を築城する際に流用して使われているようだ。

江戸時代初期には全国で築城ラッシュとなっていたので、城に使う立派な木材が入手しにくい時代ともなっており、廃城となった城もその木材は新たな城で活かされる事になった。

 

彦根城 天秤櫓内部 廊下 案内

彦根城は1604年に築城が進められたが、彦根藩祖の井伊直政は彦根城築城が始められる約2年前に死去してしまっているので、この完成した彦根城の姿は見る事が無かった。

1606年頃には天守閣の工事が完了し、佐和山城から彦根城に居城が移されるが、最終的に彦根城全体が完成したのは1622年のようだ。

 

 

彦根城 天秤櫓内部 廊下橋 景色

この天秤櫓の建物は、同じく琵琶湖の畔にあった長浜城から移設された物だとされている。昔の日本人は木造建築物を大事に使ってきた為に、このように実は他の場所で使われていた門などが多く見受けられる。

 

彦根城 天秤櫓内部 廊下 案内 説明2

こちらには「天秤櫓の見所」と称した説明が見られる。

”天秤”というと重さを測る道具だが、この天秤櫓自体はそのような役割ではなく、単に見た目に横長の形から、その名前が付けられたとされている。

 

彦根城 天秤櫓内部 木材

やっぱり江戸時代から現存する木造建築物は、このように木材しかない内観が何とも言えない良い雰囲気を出している。

現代では鉄筋コンクリート造りの建物ばかりとなっているけど、切られても生きている木の木材があるだけで、その場の雰囲気が和む気がする。

 

彦根城 天秤櫓内部 木材 屋根

このように屋根を支える部分には立派な木材が使われていて、全国で築城ラッシュとなった江戸時代初期には、このような木材が獲り合いになる程に貴重な品だった事だろう。

 

彦根城 天秤櫓内部 木材 案内

そしてパッと見た感じには判りにくいけど、この櫓の壁は分厚い壁となっている。そんな壁の中でもコの字になっている外側は、敵襲に備えて特に分厚い造りになっているようだ。

 

彦根城 天秤櫓内部 階段2階

出来れば天秤櫓の2階部分に登ってみたかったけど、江戸時代から残る建物という事もあって、立ち入り禁止となっていた。

このような歴史ある建物に使われている木材も、流石に長い時間が経過すると腐ってくる部分もあるので、沢山の観光客を迎え入れるに適さない場所もある。

 

彦根城 天秤櫓内部 出入口

この天秤櫓の出入り口では、「ペットの入館できません!」との案内も見られた。

ペットを飼っていない人間からすれば、こんな歴史ある彦根城の本丸に犬を連れて来るなんて事は想像できないけど、犬を飼う人からすれば「犬はペットではなく家族の一員!」と思っている人も多いので、中にはペットと一緒に入場しようという人もいるのかもしれない。

 

彦根城 本丸から佐和城跡を眺める

そして天秤櫓の外に出て、改めて石田三成の居城であった「佐和山城跡」を眺める。

このように雪が降る時期には佐和山の頂上付近に白く雪が積もって、まるで「ハゲ山」のように見える光景となっているが、あれは人為的な建造物が建てられていた証でもある。

 

彦根城 天秤櫓 建物

本当はその佐和城跡も訪れてみたかったけど、この雪が降る冬場は道が舗装されていない事もあって、初めて訪れる観光客には適さない場所らしいので諦めた。

普段は雪が積もらない場所に住んでいる人間からすれば、雪が積もる場所の大変さを知らないので、雪が積もらない温かい時期に再訪した方がいいようだ。

 

彦根城 天秤櫓から天守へと繋がる道

そんな天秤櫓や佐和山城跡を眺めてから、また階段を進んで本丸の内側へ向かっていく。

天秤櫓を通過して本丸に入ったハズなのに、まだ肝心の天守閣は見えて来ず、まだ次の櫓のような建築物が先の方に見えてくる。

 

彦根城 本丸 時報鐘

そんな次の櫓を目指して進んで行くと、左手から鐘の音が聞こえてきた。こちらには寺でよく見る様な鐘が吊るされている「時報鐘(じほうしょう)という建物で、城内に時刻の知らせなどを伝える際にこの鐘が鳴らされていたようだ。

なお、この鐘は元々この場所では無く、天秤櫓の外側にある「鐘の丸」に設置されていた物。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

鐘があったさかい、「鐘の丸」という名前が付けられとったんやで!

 

彦根城 本丸 時報鐘 茶屋の案内

そんな「時報鐘」は今では茶屋となっていて、このように城の営業時間内には有料で抹茶が楽しめる場所となっている。雪が降る寒い1月には観光客が少なくなるのだろうが、それでもこの茶屋は営業している様子だった。

 

 

太鼓門櫓にて

彦根城 本丸 太鼓門櫓

そして鐘の突かれる音色を聞きながら進むと、こちらの「太鼓門櫓」なる、天守閣への最後の砦が姿を現した。

普通の城だったら天秤櫓を突破すれば目の前に天守閣の建物が見えてきてもおかしくないけど、この彦根城は重要な場所でもあったので、更にこのような立派な門を設けて強固な造りにしていたのかもしれない。

 

上空から見た太鼓門櫓(彦根城)---Googleマップより

上空から見た太鼓門櫓(彦根城)—Googleマップより

それとこの太鼓門櫓も上空から見えると判り易いけど、このように天守閣へと突進してくる敵兵の勢いを削ぐように、門が天守閣に対して正面ではなく右側を向いた造りになっている。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

防御要塞として造られとったのがよう分かるなぁ!

 

彦根城 本丸 太鼓門櫓 正面

仮に天秤櫓を突破されても、この太鼓門櫓でまだ敵を迎撃できるようになっていた。

ただ本丸内でも天守閣に最も近い、この太鼓門櫓まで攻め込まれると、ほぼ防戦状態となって、迎撃するというよりは援軍待ちで防戦する想定だったのかもしれないが。

 

彦根城 本丸 太鼓門櫓 天守閣

この太鼓門櫓がある場所からは、このように上の方に天守が顔を覗かしている。この部分の石垣も昔はもっと高かったのか、それともこの石垣の上に櫓が存在していたのかもしれない。

そうでなければこれぐらいの高さの壁であれば、よじ登って本丸内へと進入できそうに思える。

 

彦根城 本丸 太鼓門櫓 木の門

この太鼓門櫓も江戸時代に建造された建物で”国の重要文化財”に指定されているが、実は他の場所にあった寺から運ばれてきた門だという。

このように昔は他の建物を流用していた事が多く、立派な寺の門まで城郭に利用されていたのだ。

 

彦根城 本丸 太鼓門櫓 門の内部

江戸時代に造られた門だけあって、歴史ある建造物となっている太鼓門櫓。門脇の石垣が”野面積み”という、石の間に隙間がある方式になっているので、江戸時代でも初期頃に建造されたであろうと推測できる景色となっている。

 

彦根城 本丸 太鼓門櫓 内側からの景観

こちらは太鼓門櫓を通過して、振り向いてその背面を眺めた景色。全国の城跡を訪れると、左右に石垣がある場所が多く残されているけど、そんな場所はかつてこのような立派な門櫓がそびえていた跡なのである。

 

なお、2017年に放映された日本映画『関ヶ原』で、岡田准一演じる主人公の石田三成が関ヶ原の戦いで負けて捕らえられた後に、城門の脇に拘束されていたシーンを撮影した場所が、この「太鼓門櫓」だったのである。

他にもこの彦根周辺の場所がロケ地に使われていたりしているので、彦根城に興味がある人からは、そういった撮影場所を楽しむ要素もある映画となっている。

 

 

彦根城 本丸 太鼓門櫓 天守閣へと向かう道

そしてそんな太鼓門櫓を抜けて、更に目の前にあった階段を登っていく。

このように本丸の中心部にあった天守閣まで向かおうとすると、築城当時に要塞として設計されていた城郭だけあって、簡単に辿り着けない構造だったのがよく分かる。

 

彦根城 本丸 天守閣が見える

そしてその階段を登ると、本丸の中にポツンとこちらの小さくも思える天守閣の建物が見えてくる。

そしてその手前には彦根城のマスコットキャラクターらしき物も見えているが、この本丸内の地面は土なので、このように雪が降った日などは足元がグチャグチャになっているので、油断せずに足元をしっかり確認しながら進む事をオススメします。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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