かつて彦根藩主の表御殿となっていた建物を復元した、彦根城博物館の奥を見学する【彦根城旅行記14】

彦根城旅行記2022年1月-14

旅行期間:2022年1月(日帰り旅)

御殿跡!

彦根城博物館  能舞台

彦根城の天守がある彦根山の麓に造られている「彦根城博物館」は、江戸時代に藩主が生活したり、藩政などが行われていた「表御殿」という広大な屋敷があった場所に建物を復元するようにして造られている。

 

【彦根城博物館】

住所:滋賀県彦根市金亀町1-1
営業時間:8時30分~17時頃
電話番号:074-922-6100
入館料:大人500円/小中学生250円
※彦根城とのセット券あり

 

 

 

彦根城博物館の見学!

彦根城博物館  能舞台 モニター

彦根藩では第11代藩主「井伊 直中(いい なおなか)の時代に、能の全盛を迎えていたそうだ。

そして単に能を見るだけではなく、その能を演じる能役者を藩に召し抱え、専属の能役者としてパトロンにもなっていたという。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

芸術や役者は、このようなパトロンの存在が大きいよね!

 

ちなみに、江戸幕府第5代将軍:徳川綱吉が大の”能楽好き”だったらしく、その当時の彦根藩主:井伊直興は50人を超える能役者を一斉に召し抱えたという。

しかし、50人もの能役者を召し抱える事は財政的にかなり苦しかったようで、井伊直興は自分が隠居する際にその能役者殆どを解雇したという。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

将軍家に振り回される、”江戸時代アルアル話”やね!

 

彦根城博物館  能舞台 建物

そして井伊 直中が藩主の時代の1800年頃に、表御殿の真ん中にこちらの「能舞台」が造られた。

芸術の歴史を調べていくと、時の権力者達がお金を支援していたケースが殆どである。

イタリアのルネッサンス期も、単に優れた芸術家が一気に現れた訳ではなく、メディチ家という銀行業で大富豪となった家が、大金を援助したおかげで多くの芸術家が生まれる素地を作ったのである。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

芸術は”お金の結晶”と言っても、過言ではないんよ!

 

彦根城博物館  能舞台 建物を眺める

彦根藩の中心部であった表御殿のまさにド中心に造られていた「能舞台」

当時の藩主はこの砂被り席のような真ん前の特等席に陣取って、能の舞などに興じていたのだろう。なお、この能舞台は明治時代に入って表御殿が解体され民間に払い下げられた際に、岩手県の方に移築されていった。

そしてこの彦根城博物館を造った際に、岩手県から再びその能舞台が移築復元されて今に至っているようだ。

 

彦根城博物館  能舞台 建物2

能は今までに見た事が無いけど、この能舞台の下には空間があって、その空洞部分で音が反響する仕掛けになっていたという。

他には甕を下に敷き詰めて音響を出していたともされているが、とにかく庶民からすれば、藩主の豪勢な趣味だったと映っていたかもしれない。

 

彦根城博物館  奥の木造棟へと進む扉

そして廊下の通路はまだ奥まで繋がっており、ここから先はこのように扉があって、この先に「木造棟」という表御殿の建物が続いているようだ。

ちなみにこの手前部分は近代的な鉄筋コンクリート造りの建物となっていて、寒い日でも空調のおかげで暖かいけど、この奥の部屋は昔の木造建築物を再現しているので、隙間風が入ったりで肌寒い空間となっている。

 

彦根城博物館  奥の木造棟へと進む

この表御殿は1800年頃から建設が開始され、最終的に5~6回に渡る増築が行われて、最盛期には10,000㎡を超える程に広大な敷地となっていたようだ。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

ちなみに東京ドームで換算すると、「約0.2個分」だよ!

直江クン
直江クン

東京ドーム0.2個分だと、小さいように思えるな・・・

 

彦根城博物館  奥の木造棟 内観

この表御殿は、藩主や家老達が藩政を取り仕切ったり、来客者を持て成していた「表向」と、それ以外に藩主のプライベートな空間となっていた「奥向」に大きく2分されていた。

表御殿では「表向」の方が広く造られており、藩政には多くの人物が関与していた為に、それだけ広くなっていたようだ。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 通路

それにしてもヒンヤリとした空間となっていた表御殿の建物内だけど、特に暖房は見当たらずに、昔の日本家屋のように外気とは障子1枚で遮られているだけなので、寒くて当然であった。

ただ、障子があるだけで、外のような寒さではなく”ヒンヤリ”とした空気となっていたのであるが。。

 

 

彦根城博物館  奥の木造棟 説明

この表御殿は明治時代に解体された跡を大規模な発掘調査を行い、また昔の平面図などが現存していた為に、それらを参考にして復元されている。

単なる日本家屋の見学ではなく、全国イチの譜代大名であった井伊家の中心部でもあった建物だけに、彦根市も力を入れて復元した事だろう。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 通路 内観

江戸時代の建物を復元している為に、目立った暖房器具を設置できないのが難点である。

というのも、外は雪が積もる冬の滋賀県だけに、ヒンヤリした空気だと長時間の見学がしにくいからだ。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

着込んで見学すれば大丈夫なんよ!

 

 

表御殿内の景観! 動画

 

 

彦根城博物館  奥の木造棟 通路 内観 床

ただ、足元は木の板が並べられた廊下の上にビロードのような布が敷かれているので、足先はそんなに冷たくならない。

天守内の見学だと、土足厳禁の為に靴を脱いでだと、木の板が意外と冷たかったりして体が冷えてくるけど、床にこのような布が敷かれているだけで、そこまで寒くは感じなかった。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 「天光室」茶室の入口

そして先に進んで行くと、「天光室」という茶室だった部屋が見えてくる。

戦国時代に大きく日本国内に拡がっていった茶の世界は、江戸時代にも多くの大名などで嗜められ、あの有名な井伊直弼も”茶人大名”とも呼ばれる程に茶道に精通していた人物だったようだ。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

井伊直弼殿は「宗観(そうかん)」という茶号を名乗っていたんよ!

 

 

彦根城博物館  奥の木造棟 「天光室」茶室

多彩な武芸と共に能から茶なども精進していた井伊直弼は、茶器なども自分で焼いたりする程に茶道の達人の域にも達していたようだ。

そして藩主時代に『茶湯一会集』という茶道の心得を記した書物を書き上げており、その冒頭では有名な『一期一会』という言葉が書かれており、文章として『一期一会』が残っているのはこの井伊直弼の『茶湯一会集』が最初だという。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

『一期一会』という四文字熟語の生みの親でもあるんよね!

 

彦根城博物館  奥の木造棟 通路と障子

個人的にはとても人生の中で大事だと感じている『一期一会』という言葉が、元々は千利休の考えから来ているとされているようだが、あの井伊直弼が生み出したものとなっているのを始めて知って、驚きというか、感激してしまった。

今までは井伊直弼という人物のイメージを”悪い大老”と思い込んでしまっていたけど、茶道の心得で真っ先に『一期一会』の言葉が出てくるなんて悪役だった人間には考えられない。

 

彦根城博物館  奥の木造棟の庭

そして障子をソ~~っと開けてみると、このように雪が積もった庭園の光景が目に飛び込んでくる。

寒い滋賀県だけど、このように雪が積もるからこそ、綺麗に見えるようになる景色を実感できるのである。

 

彦根城博物館  奥の木造棟の庭 景色

現代人からすれば、昔の「殿様」は豪勢な生活をしていたように思うけど、藩主としてのプレッシャーはかなりの重圧だった事だろう。

特に昔の人は家を残す事を何よりも重要視していた為に、自分の代で跡継ぎ無しで改易されてしまう事は、何よりもの屈辱だったのだろう。

 

彦根城博物館  奥の木造棟の庭 水が流れる

しかも江戸時代は全国の藩でもその殆どが財政状況に苦しんでおり、そこに更に江戸幕府からの無茶な要求が来て、若い藩主だと古参の家臣団が言う事を聞かずに反乱を企てたりと心底落ち着く暇が無かった事だろう。

そういう苦しい心境の時に、このような素晴らしい庭園の景色を眺めて、心を落ち着かせていたように思う。

 

 

彦根城博物館  奥の木造棟 御納戸

こちらは「御座之御間」という、奥向の藩主が生活などをしていたプライベート空間だった部屋。

ただ江戸時代の藩主は、常にこの国元に滞在していた訳ではなく、江戸の藩邸などに滞在していた事が多かった。

国元へ帰る際は、2年に1回の”参勤交代”の時で、その際も江戸幕府の許可を得なければ国元に帰る事も出来なかったのである。

 

このような立派な御殿があったものの、そのように常に藩主が滞在していた建物ではなく、藩主が帰国した際にだけ、この御殿に滞在していたのである。

ただ藩主無しでも国元の家老達が藩政を取り仕切っており、藩政の中心地ではあった。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 通路階段

この彦根城では、藩主が滞在する御殿は当初天守のすぐ脇に造られていた。

しかし、彦根城が増築されていくに伴い、天守の麓にあった広い土地に大きな表御殿が建設された。

ちなみに天守閣という建物は織田信長時代に、そして御殿という建物は豊臣秀吉時代に、造られるようになっていったという。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 御客座敷

こちらの部屋は「御客座敷」という、特別な来客を通して持て成した場所。

来客者の身分によって、通す部屋が異なり、また身分の高い人には付き人が付いてきているので、その付き人の控室も用意されていたようだ。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 御客座敷から見える中庭

昔は現代のようなストーブやエアコンも無かった為に、博物館内で見たような火鉢が使われていたのだろう。

ただ炭を燃やす火鉢では、人工的に暖かい風を送るエアコンなどと違って、赤外線のような暖かさを感じれるので意外と寒くなかったのかもしれない。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 御座敷

昔の日本家屋は、このように障子や襖で部屋が遮られていただけで、西洋的なドアのように鍵もなく、寄りかかれば戸が外れてしまう物だった。

しかし、ドアと違って横にスライドすると開く障子や襖は、コンパクトに使える設計となっていた事だろう。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 御座敷 景色

なかなかに見応えのある、表御殿の建物。個人的には櫓などの建物が復元されている方が見学する際に楽しめるのだが、こういった日本家屋的な建物も、江戸時代の歴史などを学べるので、興味を持って見学してみるだけでとても勉強になる。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 御亭 内観

こちらは「御亭」という、藩主が寛ぐ部屋だった場所。ヨーロッパの王様などは金襴溢れる豪華な部屋に住んでいたりもしていた人もいたけど、江戸時代の藩主達もそこそこに質素な生活をしていたのだろう。

というのも江戸時代には藩の財政状況も苦しかった事もあり、藩全体で倹約令などを発していた事もあり、藩主が贅沢な生活をする訳にもいかなかった事だろう。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 飾られていた生花

そして体が冷える前に、表御殿内の見学を切り上げる。

今日は雪が積もっているのが分かっていたので、そこそこに着込んでいたけど、さすがに雪が積もる程の寒さは、じ~~っとしていると徐々に効いてくるのである。

 

彦根城博物館  奥の木造棟 飾られていた生花2

こちらは通路の一画に飾られていた生け花で、多芸だった井伊直弼を連想してしまいそうな生け花にも思えた。

そして学校の教科書に出てくる歴史も、あくまで簡単にしか説明されておらず、また日本政府の都合の良い事実だけを伝えているので、何でも鵜吞みにせずに、自分で事実を調べて把握する事の大事さを知った彦根城でもあった。。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

伝えられる情報には、”伝える側の意図”が籠められているんよ!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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