佐和口多聞櫓や馬屋など江戸時代から現存する建造物を眺めながら、彦根城本丸へ向かう【彦根城旅行記2】

彦根城旅行記2022年1月-2

旅行期間:2022年1月(当日旅)

車でも入れる道!

彦根城 いろは松 道路

ここは”日本のヘソ”とも称される事のある滋賀県でも、特に交通の要所として昔から多くの人の往来があった彦根市。そんな重要な場所には、江戸時代に徳川家康の家臣の中でも特に優秀だった「井伊直政」が送り込まれ、彦根藩が立藩されてその居城となっていた「彦根城」が現存している。

 

【彦根城】

住所:滋賀県彦根市金亀町1-1
営業時間:8時30分~17時頃(※年中無休)
電話番号:0749-22-2742
入館料:一般800円/小中学生200円/セット券あり

 

 

 

彦根城の見学!

彦根城 いろは松 

こちらは城内へと向かう道と堀の間に植えられていた、土佐からわざわざ運ばれて移植されてきた「土佐松」。何も街路樹がない通りに比べると、立派な松の木だけに、余計に彦根城の雰囲気が良く感じられるようになっている。

 

彦根城 いろは松 井伊大老歌碑

その道の脇には、こちらの『井伊大老歌碑』という石碑が設置されていた。こちらは”桜田門外の変”でも有名な、近江彦根藩:第15代藩主「井伊 直弼(いい なおすけ)が詠んだ歌の記念碑となっている。

 

彦根城 いろは松 井伊大老歌碑 案内

井伊直弼というと、素晴らしい業績を残した人物ではなく、悪いイメージのある人物という印象がある。そういった悪い印象は『安政の大獄』という、一橋慶喜(のちの徳川慶喜)を次期将軍に推す公武合体構想の一橋派や、著名な言論人を処罰した事件の首謀者という立場から来ているのかもしれない。

 

彦根城 いろは松 井伊大老歌碑 記念碑

井伊直弼が大老に就任した時代は、まさにペリー提督が日本に来航してきて、約250年間続けてきた鎖国時代が終わって、新しい動乱の時代を迎えようとしていた頃である。外国勢を追い払う思想の尊王攘夷派などの過激思考の浪人達によって、その時代の先行きを見る事なく井伊直弼は亡くなってしまう。

 

彦根城 いろは松 道 景観

そんな悪役っぽいイメージのある井伊直弼だが、やっぱりその地元である彦根では今もなお崇められている人物でもある。しかし、自分の推し進める政策の反対派を武力で弾圧すると、その大きな反動が返ってくるという歴史の見本にもなった井伊直弼の事件である。

 

 

佐和口から入城!

彦根城 佐和口多聞櫓

そして南東側の「佐和口」から、彦根城内へと入城していく事にした。なお、入城といってもこの「佐和口多聞櫓」から中は城の敷地内ではありながらも、入場料が発生するのはその更に内側の内堀に囲まれた本丸内へと入る時である。

それとこの彦根城で面白いのは、このように江戸時代からの建造物が残っている城内を車が普通に行き来できる事である。普通の城は本丸周辺ぐらいしか江戸時代の建造物が残されていない場所が多いけど、この彦根城は外堀付近の建物まで残されている為に、その脇を車で通行する事が出来るようになっている。

 

 

佐和口から城を眺める! 動画

 

 

彦根城 佐和口多聞櫓 入口

このように普通の城だったら一般車両は通行止めとなっていてもおかしくないような光景だが、この彦根城ではその内側を平気で車で通れるのである。ただ本丸内までは流石に車で入る事は出来なく、その周辺の二ノ丸や西の丸付近だけであるが。

 

彦根城 佐和口多聞櫓 建物

二の丸の入口となっている佐和口の「佐和口多聞櫓」は、江戸時代中頃に建造された建物。そして江戸時代には堀に向かって高麗門が設置されていたらしいけど、今ではその門は見られない。

 

彦根城 佐和口多聞櫓 石垣

近年では昔の景観などを復元する動きが全国で多くなっている城郭だが、完全に昔の状態に復元されている城も少ない。こういった櫓などは復元される事が多いけど、小さな門などは通行の邪魔になったりするので、櫓ほどに復元される事も少ないのだろう。

 

彦根城 佐和口多聞櫓を抜けて城に入る

その佐和口を進んで行くと、鈎のように進路が曲がっているが、これはこの先にまた別の「櫓門」が造られていた跡である。城跡では櫓門があった石垣跡が多々見られるけど、その多くが今では見る事が出来ない。しかし、さっき高麗門があったばかりなのに、ここですぐにまた櫓門が存在していたという事で、それだけ江戸時代の城が堅固だった事が分かるのである。

 

彦根城 佐和口多聞櫓 本丸へと進む

そんな堅固な時代とは違って、今では何の苦労も無く、佐和口から城内へと進めるようになっている。結局昔の城の保存状態がいいと言われる場所も、このように道路があったり道路標識などが立っていたりで、完全に江戸時代の景観が保存されている訳ではないのである。

 

彦根城 佐和口多聞櫓 本丸へと進む2

そして進んで行くと、内堀に囲まれた本丸が見えてくる。彦根城はここから本丸内の天守閣へ向かうゾーンから、入場料が発生する場所となっている。また彦根城のマスコットキャラクターでもある「ひこにゃん」は、その入場料が発生しない外側のゾーンに出没する。

 

重要文化財の「馬屋」を見学!

彦根城 馬屋 入口

そしてそんな内堀の手前に、こちらの「馬屋」が見えてくる。こちらの馬屋は”国の重要文化財”に指定されており、現存する馬屋としては珍しい建物となっている。というのも明治時代以降には馬が乗り物として使われる機会が大幅に減ってしまった事もあって、その影響で殆どの馬小屋が取り壊されているからである。

 

彦根城 馬屋 内部

この馬小屋は1700年頃に建てられた建物で、一部は復元されているが取り壊されてしまっている箇所もあるようだ。なお、この馬小屋では21頭の馬が飼われていたそうで、平穏な江戸時代には戦用というよりも、武芸の練習に使う事が多かったそうだ。

 

彦根城 馬屋 内部 馬の模型

馬は古来より人間達に使われてきた動物。しかし産業革命以降に蒸気機関などの発明もあって、馬が乗り物として使われる機会は減った。ヨーロッパの旧市街地などで観光用の馬車を引っ張っている馬の姿を見かける事もあるけど、国内では乗馬クラブや競馬用の馬ぐらいしか見かける機会がない。

 

彦根城 馬屋 内観

個人的には馬というと「競馬」をイメージするのだが、競馬は元々は軍馬を育成する為に始められた競技である。そういった歴史を調べると、今のように高額な賞金を求めて馬を走らせていた訳ではなく、ただ鍛える為に走らされていたのが理解できる。

 

彦根城 馬屋 内観 案内

そして普段馬に接しない人からすればあまり理解できないかもしれないけど、動物は人間と同様に排泄物を出すので、その処理などに手間が掛かる。産業革命以前のヨーロッパの都市などでは、至る所で馬に乗ったり馬車を引っ張らせていたが、その多くの馬がいた環境では町中の至る場所に馬糞が転がっていたという。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

その為にヨーロッパの建物は、ちょっと階段を登った所に入口が造られているんだよ!

 

彦根城 琵琶湖八景 記念碑

こちらには『琵琶湖八景:月明 彦根の古城』という石碑も見られる。この彦根城は「琵琶湖八景」だけではなく、『彦根八景』という彦根市内の8つの景観地にも選ばれている。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

それだけ滋賀県には欠かせない建造物なんだよ!

 

 

 

「表門橋」にて

彦根城 表門橋

そんな馬小屋の近くには、こちらの「表門橋」という木造の橋が架けられている。この彦根城本丸内へは、この「表門橋」と、もう少し左に行った先にある「大手門」と2つの玄関がある。当初の彦根城の玄関は築城された時代が大阪の陣の後だったので大坂を向いた「大手門」となっていたが、後になって中山道などに近い、この「表門橋」が玄関的な役割を果たすようになっていったという。

 

彦根城 表門橋 擬宝珠

この木造の「表門橋」は、江戸時代から残る雰囲気を出しているけど、近年に復元された橋となっている。大きな川に架かっている橋ではなく、内堀に架かっている橋なので、大雨が降っても激しい流れとなる事もないので、このような木橋でも流される心配はない。

 

彦根城 表門橋 入口

この「表門橋」を渡った先に、かつて「表御殿」として藩主が使っていた建物跡を復元した博物館が設置されていて、その手前からはちょっと険しい「表門山道」から天守閣の建物まで行けるようになっている。しかし、この時は積雪があった事が影響していたからか、「表門山道」が通行止めとなっていたので天守閣までは行けないようになっていた。

 

彦根城 表門橋 本日のひこにゃん

そして彦根城というと、そのマスコットキャラクター「ひこにゃん」を連想する人も多い事だろう。「ひこにゃん」は2007年に築城400周年を迎えた彦根城の記念イベント用キャラクターとして生み出されたが、その可愛らしさから『ゆるキャラグランプリ』で1位にもなった事があり、全国的な人気を博す程になっている。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

博物館に入らなくても、「ひこにゃん」の見学が出来るようになっているよ!

 

 

彦根城 表門橋からの景色

この彦根城は東西の中継地点であり、また戦にも商売にも重要な地点でもあったので、徳川幕府が生まれた際に特に信頼できる優秀な人間が配置された。”徳川四天王”と称された4人の忠実な家臣の中でも、江戸時代を通して転封や改易されずにその藩を守り続けたのは井伊家だけであった。

 

彦根城 内堀の景観

この内堀は琵琶湖とも繋がっており、琵琶湖の水運を活用する拠点でもあった。特にこの琵琶湖は、江戸時代に北前船が西廻り航路を行う前までは、この琵琶湖周辺を通過して大坂や京に荷物を運ぶ重要な場所でもあった。

 

彦根城 飛び出し坊や 井伊家

こちらの飛び出し坊や看板は、彦根藩2代藩主の「井伊 直孝(いい なおたか)をイメージしたデザインとなっている。徳川家康の家臣として活躍した初代藩主の井伊直政は、彦根城が造られる前の1602年に関ヶ原合戦の古傷が祟って亡くなってしまい、その家督は長男である井伊直継が継ぐ事になった。

しかし、その井伊直継は病弱だった事と、偉大な父親:井伊直政の跡を継ぐほどの素質を見せなかった事もあって、徳川家康から気に入られなかった。その為に代わりに弟の「井伊 直孝」が大阪の陣で活躍した事もあって、井伊家の家督を継ぐよう家康から指示されて、実質的に彦根藩2代藩主となるのであった。

 

彦根城 本丸の景色

このように彦根城は単なる1つの城という訳ではなく、徳川幕府の重要な場所として、特に注目された城であった。その為に徳川家康がわざわざ跡取りを代えさせるほどに、神経を注いでいた場所だった事が分かるのである。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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