雪が積もって綺麗な日本庭園となっていた玄宮園と、大器晩成で大老となった井伊直弼の銅像【彦根城旅行記10】

彦根城旅行記2022年1月-10

旅行期間:2022年1月(当日旅)

地元の英雄!

彦根市 玄宮園 景色

ここは彦根城本丸の東側に、江戸時代に造られた日本庭園の「玄宮園(げんきゅうえん)

1678年頃に彦根藩4代藩主:井伊直興時代に造成され、更に1813年頃に第11代藩主:井伊直中が隠居した際に、その隠居生活を楽しむ拠点として再整備されて、今見られる大名庭園になったようだ。

 

 

 

「玄宮園」の見学!

彦根市 玄宮園 木の橋

玄宮園に入ってまず奥に進んで行くと、このように水も流れていない場所に木造の橋が架けられている光景が見えてくる。

大名庭園だけに飾りとして造られた可能性も考えられるが、昔はもう少し水位が高く、隣の楽々園との間が池になっていたらしいので、この橋の下辺りまで水が来ていた可能性も考えられる。

 

彦根市 玄宮園 木の橋 下からの景色

ただ木の橋としては規模が小さく、また下の支えとなっている木材もそんなに太い物が使われていないので、藩主もしくは元藩主ぐらいの要人しか渡れなかった、あまり使われる事のなかった橋だった可能性が考えられる。

 

彦根市 玄宮園 木の橋は渡れない

そしてこの木造の橋はこのように「この橋わたるべからず!」という札が掛かっていて、通行禁止となっていた。

人が通っても簡単に崩れそうには見えない橋に見えたけど、もし観光客が渡っている最中に倒壊したら一大事なので、このように通行禁止とするのがベターなんだろう。

 

彦根市 玄宮園 武蔵野からの景色

そんな木造の小さな橋に興味を取られてしまったけど、降り向くとこのように中庭に造られた池の奥に、彦根城の天守がそびえている光景が目に飛び込んでくる。

ここは隠居した藩主が茶室などを楽しみながら滞在した場所で、しかも目の前に彦根城天守の建物が見える特等席だった。

 

 

玄宮園の素晴らしい中庭を眺める! 動画

 

 

彦根市 玄宮園 七間橋

そして中庭の池の方に近づいて行くと、また別の小さな橋が見えてくる。

この橋は「七間橋」という名前で、「魚躍沼(ぎょやくしょう)という池の中にある島に繋がる橋ともなっている。

 

彦根市 玄宮園 七間橋とバックの彦根城

そんな「七間橋」の奥には、このように彦根城の天守がよく見える。

意図的に天守が見えるようにしたというよりも、ただ天守が他の建造物よりも高い位置に築かれた為に、この玄宮園のどこからでも眺める事が出来るのかもしれない。

 

彦根市 玄宮園 綺麗に雪が積もった七間橋

その「七間橋」は通行禁止となっているので、今朝に降った雪が綺麗に橋の上に積もっている光景が見られる。

雪が積もった景色は綺麗だけど、人などが歩いた時にできる足跡などがあると、その綺麗に積もった雪の景観が一気に壊れてしまう気がする。

 

彦根市 玄宮園 綺麗に雪が積もった七間橋の上

この真っ白い雪が積もっている七間橋の先は、長生きの対象として信仰されていた亀や鶴を模った岩が飾られている、聖地的な島である。

そんな聖地の島は一般開放されておらず、ただ外側から眺めるだけしかできないようになっている。

 

彦根市 玄宮園 魚躍沼を眺める

1月は冷たい気温だった彦根市だけど、この玄宮園は雪が積もって化粧された感じだったのもあって、より綺麗な印象が残った。

今までこんな雪が積もる時にわざわざ観光しにいった事が殆どなかっただけに、それもあってより印象的に思えたのかもしれない。

 

 

彦根市 玄宮園 龍臥橋を渡る

渡れない木造の橋ばかりな印象の玄宮園だったけど、こちらの「龍臥橋(りゅうがばし)は渡れるようになっていた。

ただ、人が渡れる橋は、このように人が歩いた跡に雪が残っていなくて、橋の景観的にはちょっと残念な形となっていたが。。

 

彦根市 玄宮園 龍臥橋からの景色

園内の見学は寒い1月だった事もあって、やって来る観光客は殆ど見られなかった。

ボクの滞在時に片手で数えれる程の人数だったが、訪れる人が少ない程に逆に庭園の光景がより素晴らしい物に思えた感じがした。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

隠居した藩主のように、庭園を独占している雰囲気を感じれるんや!

 

彦根市 玄宮園 龍臥橋からの景色2

この正面に見えているのが、「臨池閣(りんちかく)という茶室だった建物から増築されて出来た、かつて料理旅館として営業していた建物である。

明治時代から営業していたお店だったけど、数年前に店主の体調不良を理由に廃業してしまって、現在は彦根市の管理下に置かれており、店舗としての営業はしていなくて建物にも立ち入りできない。

 

彦根市 玄宮園 龍臥橋を渡る

植物も冬を迎える前に紅葉や銀杏みたいに、葉っぱが変色する種もあれば、このように雪が積もる程の寒さになってもビクともしない種もある。

人間のように自己主張をあまりしない植物だけど、生命力は人間に比べて遥かに逞しい。

 

彦根市 玄宮園 木の橋を渡る

この玄宮園は隠居した藩主が滞在する場所として使われていたが、それ以外にも藩主の子供達なども利用していた。

彦根藩主の中でも特に有名になった井伊直弼も、藩主になるまで17歳から32歳までの約15年を『部屋住み』として、他家に出される事もなく、彦根城脇の「埋木舎(うもれぎのや)という屋敷で過ごした。

 

彦根市 玄宮園 木の橋を渡る2

井伊直弼の父:井伊直中は15人の男の子に恵まれたが、後に家督を継ぐ三男:井伊直亮以外は他家に養子に出されたり、彦根藩の家臣へと養子に出された。

しかし、井伊直弼は養子の貰い先が見つからず、仕方なしに彦根城近くで『部屋住み』として、嫁を貰う事も禁じられた”跡継ぎが急逝した時の補欠要員”としてほぼ飼い殺し状態となっていた。

 

彦根市 玄宮園 鳳翔台へ進む

ただこういった跡継ぎ以外の息子が他家に養子入りせずに家で飼い殺しになっているのは『部屋住み』と呼ばれていた事もあって、特に珍しい事でもなく、江戸時代には長男が跡を継ぐ事が由緒正しい事と思われていたので当然な事でもあった。

しかし、そんな時代から長年が経過した、我々現代人の感覚からすれば、苦しい不遇の時代を過ごした井伊直弼という印象に映ってしまうのである。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

何よりも「血筋」が優先されてきた日本らしいわ!

 

彦根市 玄宮園 鳳翔台の外観

そして木の橋を渡って進んで行くと、こちらの「鳳翔台(ほうしょうだい)と呼ばれる古そうな建物が見えてくる。

ここではかつて井伊直弼も部屋住み時代に、茶を立てていたとも言われている。

 

彦根市 玄宮園 鳳翔台の外観2

この「鳳翔台」は今でも営業していて、500円を支払えば建物内で抹茶を楽しむ事ができるようになっている。

この雪が積もる寒い1月でも営業していたが、この訪問時はあまり興味が湧かなかったのでスルーしてしまったが。。

 

彦根市 玄宮園 外へ向かう道

初めて訪問した場所は、その場所の歴史的な背景をあまり知らぬまま見学してしまう為に、色んな事を調べた後になってから、行かなかった事を後悔する事が度々ある。

さっきの抹茶が楽しめる鳳翔台も、単なる茶室で抹茶を呑むだけではなく、井伊家の重要人物達が素晴らしい景観を楽しんだ場所だったので、次に彦根城を訪れる際には必ず立ち寄りたいと思う。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

後悔、先に立たずだね。もっと勉強してから来てや!

 

彦根市 玄宮園 外へ向かう道2

歴史的な背景を何も知らないままだと、単なるよくある日本庭園の見学だけで終わってしまう。

しかし、井伊家の歴史などを調べてみると、より趣を感じるようになってしまう。

同じ景色でも人間の脳内での想像力によって、より色の濃い景色に見えてしまうのだろう。

 

彦根市 彦根城 遊覧船乗り場

そして玄宮園を出て内堀沿いを歩いていると、こちらの「遊覧船乗り場」が見えてくる。

普段は1日6~7回の運航をしている遊覧船だけど、この寒い冬場は”予約運航”のみとなっていて、この時は船すら見られなかった。

 

彦根市 彦根城 遊覧船乗り場 案内板

この「彦根城屋形船」の定期運行便だと、大人:1300円/子供:600円となっていて、彦根城の内堀内を約45分遊覧するようだ。

内堀を一周する訳ではなく、ここから南周りに内堀を半周するコースとなっている。また、貸し切り運航なども出来るようで、大勢で彦根城を訪れる人には楽しめるのかもしれない。

 

 

彦根市 彦根城 遊覧船乗り場 屋台船の案内板

個人的には船のクルーズにあまり興味が無いだけに、しかも寒い時期のクルーズは余計に寒く感じるだけなので、興味が出ない。もしこの時も屋形船の運航が行われていたとしても、十中八九、乗る事は無かっただろうが。。

 

 

井伊直弼の銅像!

彦根市 彦根城 井伊直弼の銅像

そして内堀沿いを進んで行くと金亀児童公園という公園があって、その脇に「井伊 直弼(いい なおすけ)の銅像が立っているのが見えてくる。

こちらの銅像は、元々は明治の終わり1910年頃に滋賀縣護國神社に設置された物が戦時中に金属回収令で姿を消した後、1949年頃に再び2代目として制作された銅像となっている。

 

彦根市 彦根城 井伊直弼の銅像 正面

明治時代以降に造られていった銅像は、元々はその人の権威を表す為に、高い台座の上に造られていたのが一般的であった。

しかし、『桜田門外の変』で暗殺された井伊直弼は、天皇の勅許を得ずにアメリカとの条約締結を行った為に、後の明治時代には政府から”悪者”というレッテルが張られてしまった。

その為に、元藩主の悪いイメージの挽回を願う元彦根藩士達が、井伊直弼の銅像設置運動を行った。

 

彦根市 彦根城 井伊直弼の銅像 正面 アップ

最初の井伊直弼の銅像は、西郷隆盛と同様に上野の寛永寺跡地に造る予定だったが許可が下りず、その後に「横浜港開港50周年」記念に便乗して、井伊直弼の銅像の設置許可を得る事になる。

そして横浜市内の「鉄道山」と当時呼ばれていた山の麓の土地を元彦根藩士達が購入し、そこに井伊直弼の銅像を設置し、後にその土地を横浜市に寄贈して今に至っている。

 

彦根市 彦根城 井伊直弼の銅像 正面 斜め

その横浜市内で井伊直弼の銅像が設置されている場所は、かつての鉄道山ではなく、井伊直弼の官位の1つだった『掃部頭(かもんのかみ)に由来する「掃部山(かもんやま)となっている程に地元に浸透しているようだ。

 

飛虎ヤン
飛虎ヤン

彦根藩士からすれば、英雄のような存在やからね!

 

彦根市 彦根城 井伊直弼 名言の石碑

そしてその手前脇には、戦後に彦根市長を務めた井伊直弼のひ孫「井伊 直愛」の妻となった「井伊 文子」が、残した一文が刻まれていた。

 

一身に

責負ひまして

立ちましし

大老ありてこそ

開港はなりぬ

 by 井伊 文子

ちなみに「井伊 文子」は、第二尚氏王統:第19代で最後の琉球国王ともなった「尚 泰王(しょう たいおう)の娘でもある。学習院大学を卒業後に結婚し、以降に歌人や随筆家としても活躍していた人物でもある。

それもあって、ここに井伊直弼に向けた彼女の言葉が刻まれていたようだ。

 

彦根市 彦根城 井伊直弼の銅像 名言の石碑

”井伊直弼は悪者”というイメージは、大体が教育内容によって植え付けられた印象という事が多い。

歴史というものは面白い物で、歴史の勝者によって情報操作が行われ、それ以前に英雄だった人物も都合が悪いと悪人に仕立てられる事もある。

また、その時代ではなく、数百年後の時代に陽の目が当たる事もあったりで、その歴史を評価する時代によっても捉え方が変わる事が多々ある。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

約15年もの部屋住みでも腐らずに修行に励んだ井伊直弼公は、まさに英雄やね!

 

彦根市 彦根城 「花の生涯」記念碑

そしてその脇には『花の生涯』という文字が入った記念碑も設置されていた。ボクはこれを見ても全く反応しなかったけど、年配の人からすれば、『花の生涯』という文字を見て頭に何か浮かんでくる人も多いかもしれない。

 

というのもこの『花の生涯』は、1963年から始まった”NHK大河ドラマ”の第1作目となった記念の作品だからだ。そしてその第1作目:NHK大河ドラマの主人公が、この井伊直弼であったのだ。

当時は今みたいにどんな俳優でもキャスティングできる時代ではなく、松竹や東映などの五大映画会社の専属俳優はテレビ番組に出演できない協定があったという。

その為に井伊直弼の配役に歌舞伎役者の「二代目/尾上松緑(おのえ しょうろく)が選ばれたようだ。

 

大河ドラマの歴史では、歴史的にネガティブな印象を持たれている人物が主役に登用される事が多く、井伊直弼の他にも「平清盛」「足利尊氏」「明智光秀」などにもスポットライトが当たっている。

 

ちなみに今年2023年の大河ドラマは、元嵐のメンバーである松本潤クンが徳川家康を演じる『どうする家康』が放映されている。

 

それと、翌年の2024年には『光る君へ』へと題した、吉高由里子が紫式部を演じる作品が内定している。

 

個人的には2022年に放映された『鎌倉殿の13人』を始めてリアルタイムに鑑賞したが、あまりにも長過ぎて途中で興味が無くなって見なくなってしまった。

そして年末に放送されていた合計約4時間に及ぶ「総集編」を見るだけで、充分に思えたのであるが。。

飛虎ヤン
飛虎ヤン

大河ドラマは多くの人達が真剣に制作している大作なので、もっとしっかり鑑賞しようね!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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