横浜港で関東大震災の瓦礫が埋め立てられて出来た、山下公園を散策する【神奈川旅行記59】

神奈川旅行記2020年秋-59

 旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(Take a stroll through Yamashita Park, which was created by reclaiming rubble from the Great Kanto Earthquake at Yokohama Port. [Kanagawa Travelogue 59)

震災の瓦礫の上にある公園

幕末に開港されてから首都圏の商業の中心地でもあった横浜港のメインターミナルだった大さん橋の見学を終えて、13時も過ぎていたのでそろそろ昼食タイムにする事に。出来ればこの大さん橋近くのお店で良さげな場所があれば、そこに決めるのだが。

 

 

海員生協の立ち食い食堂にて

そんな風に空腹感と闘いつつ大さん橋から戻る途中に見つけたのが、こちらの「海員生協名物:カレーライス!」と書かれたのぼりだった。カレーというと横須賀の街でも”海軍カレー”として街の名物料理にとアピールされていたけど、ここも海員生協向けに”赤字覚悟”という文字にも惹かれてしまうのであった。。

 

海員生協大桟橋店:立ち食いコーナー:Googleマップより

海員生協大桟橋店:立ち食いコーナー:Googleマップより

こちらは大さん橋組合ビルの1階に入っている「海員生協大桟橋店」という、外から見る分には普通の食堂っぽいお店だった。実は少しカレーを食べたいという気持ちもあっただけに、のぼりのカレーの文字にも大きく惹き付けられてしまう。

 

【海員生協大桟橋店】

住所:神奈川県横浜市中区海岸通1-1
営業時間:6時45分~14時30分頃(※日曜:7時~13時30分)
電話番号:045-201-3169

 

 

このようにガラスにはカレー以外にも丼やそば・うどんなどもメニューも貼られていて、普通に食堂っぽい雰囲気をしている。なおこの食堂は海員生協(全日本海員生活協同組合)が運営しているお店だけど、別に海員生協に加入している人の専用食堂ではなく、一般人も普通に出入りできるお店。

 

そして店内に入ると4~5人ぐらいの人が慌ただしく立ってご飯を食べていた。そんなに広くはない店内でとりあえずカツカレーを注文し、食券ではなく普通に現金を払うアナログなシステムだった。そして注文してから数分で出てきたのが、こちらのカツカレーだった。

 

「海員生協名物:カレーライス!」という文字にも魅せられて頼んでしまったカツカレーだけど、味は至って普通にカレーであった。特に辛くもなく、一般的な家庭で好まれて食べられるカレー味で、まさにボクが求めているカレーの味がそれだったので満足な昼飯を食べれたのであった。

 

さて昼飯を食べて空腹を満たした後は、横浜の街の中でも高級住宅街にもなっている山手側へと移動する事にした。その前に横浜港の大さん橋の東側にある「山下公園」にちょっと寄り道してみる。

 

こちらは先程まで訪れていた大さん橋のターミナルが見えているが、船も時代が進む毎に大型化していき、昔から使われてきた桟橋では対応できなくなったりしていく。また桟橋だけではなく橋も、近年クルーズ業界が大盛況でどんどんと大型クルーズ船が造られていき、この周辺でも横浜ベイブリッジの下を通れないクルーズ船が出て来るまでなってきている。

鎌大仏君
鎌大仏君

その内タイタニック号を超える豪華客船も、出て来るのだろうね・・・

 

 

横浜港を見渡す山下公園にて

この山下公園は元から公園だった場所ではなく、幕末に開国された頃には波止場となっていた場所だった。それから横浜や鎌倉を襲った関東大震災(1923年)で、瓦礫だらけとなってしまった横浜の街の復興作業の一環で、その街の瓦礫がこの山下公園の場所に埋め立てられて造成されたという。

鎌大仏君
鎌大仏君

まさに関東大震災の瓦礫の上にある公園ダね!

 

 

山下公園のカモメ! 動画

 

 

【山下公園】

住所:神奈川県横浜市中区山下町279

 

 

大震災で街が壊滅的な状態になった後の復興作業も、何よりも大変なのはまずその瓦礫や大量の死体を片付ける事である。関東大震災によってこの横浜市街地で被害にあって亡くなった人は26000人を超えており、その大半は震災時に発生した火災に巻き込まれて焼死体となるか、海に溺れての水死体か、建物の崩れた下敷きになる埋没死体だったようだ。

 

そしてそんな急に増えた大量の死体を焼却処分するのも大変で、直ぐには全部を処理できなかったので死体が腐って腐乱臭を出して大変だったようだ。

ちなみにポルトガルのリスボンで1755年に起きた”リスボン地震”では約6万人前後がその地震で亡くなったとされているが、その大量に発生した地震犠牲者の死体は海に流すという水葬を止む無く行った。

しかしこの策は死体の腐乱などにより感染症などが都市に蔓延するのを防ぎ、歴史的に英断だったと評価されているようだ。

鎌大仏君
鎌大仏君

大量の死体の処理も、大地震で頭を悩ます事なんダね・・・

 

そして崩れた横浜の街の建物の瓦礫はこのような湾岸に集められて、”埋め立てられた”という言葉で海に捨てられた。

その為にもしこの関東大震災が起きていなければ、この山下公園は存在していなかった可能性も考えられる。

横浜や鎌倉の街の運命を大きく変えた関東大震災だけど、まさに山下公園は関東大震災によって生まれた公園だったのである。

 

しかし山下公園はその後にパビリオンなどが造られたり、1988年に開催された横浜博覧会の会場としても整備された事もあって、そんな関東大震災の鎮魂的なイメージの場所ではなく、爽やかな海沿いの気持ちいい公園という雰囲気の場所になっている。

 

そんな山下公園には1人の少女が座っている像が設置されていたけど、こちらはさっき神奈川県立歴史博物館の売店で売られていた赤い靴下を履いてた女の子の像のようだ。

『異人さんに連れられて行っちゃった・・・』という現代では誘拐を連想させるような内容の童謡だが、義理の外人の親に連れられて行っただけで誘拐されてしまった訳ではないのである。。

鎌大仏君
鎌大仏君

現代は色んな表現に敏感過ぎて、生きにくい時代になったもんダね・・・

 

また山下公園内にはバラや他の花なども綺麗に植えられて管理されているので、気持ちいい庭園のような場所になっている。

このような景色だけを見ていると、ここに過去に起こった大震災の瓦礫が埋められているなんて思いもしない光景でもあった。。

 

開園された1930年頃の山下公園

開園された1930年頃の山下公園-Wikipediaより

こちらは関東大震災の瓦礫などが埋められて、1930年に完成した山下公園の当時の写真。

今とは違ってバラ園など色んな花が沢山植えられる前なので、今と比べるとスッキリとした空間の公園になっているようにも思える。

 

そしてこの山下公園には、こちらの氷川丸が係留されているのも見えている。

この氷川丸は1961年からこの山下公園脇に係留され続けており、最初はユースホステルとしても使われたりしていて、今では”国の重要文化財”にも指定されており、「日本郵船歴史博物館」として船型の博物館ともなっている。

 

こちらには噴水に囲まれた「水の守護神像」という、アメリカのサンディエゴから贈られた像が設置されている。

この横浜市とサンディエゴは1957年10月に姉妹都市を提携し、こちらの水の守護神像は1960年に贈られた物のようだ。

 

 

そしてその周辺にあったこちらのベルも、姉妹都市提携をしているサンディエゴから贈られた品物。

「エル・カミーノ・レアールのミッションベル」という名前が付けられているベルだが、これはアメリカに入植してきたヨーロッパの人々が彼らの守護聖者の名前(サンディエゴ)を街に付けた事から始まる。

 

そして16世紀にスペインに支配されていたメキシコから聖フランシスコ修道会の修道士が、サンディエゴにやって来て更に北のサンフランシスコに至る道を開拓していった。

その道沿いに21の伝道所を造り、そこに『スペイン国王の道』(エル・カミーノ・レアール)という名前を名付けた。そして20世紀に入ってからその道にこのミッションベルを設置し、21の伝道所を結ぶルートを確立したという。そんなミッションベルの複製がここに置かれているという事らしい。

※サンディエゴは元々スペインの植民地で独立戦争に勝利したメキシコの領土となり、その後に起きたアメリカ・メキシコ戦争で勝ったアメリカ合衆国に組み込まれる事になる。

鎌大仏君
鎌大仏君

だからアメリカにはスペイン語名が付いた街があるんダね!

 

現在の山下公園では『未来のバラ園』と呼ばれる、約160種1,900株のバラが植えられている。

このような綺麗に咲くバラだらけの景色を見ていると、ここが大震災で出来た瓦礫の上に造られた場所だとは全く思えない光景でもある。

 

このようなバラが咲く公園でしかも海からの風が心地よく吹き付ける公園として、爽やかに過ごせる山下公園。「山下」という名前を聞くと画家「山下清」を連想してしまうが、特に関係はないみたい。

ただこの山下公園近くにある横浜マリンタワー内に、山下清が描いた『横浜の今昔』をもとにしたモザイク壁画が飾られているらしいが、2019年4月から2022年度中まで改装工事中なので中には入れないのであったが。。

 

 

このサンディエゴから贈られた「水の守護神像」の後ろに見えている大きなタワーが、今改装中で休館となっている「横浜マリンタワー」

そしてその右側に見えているホテルが「ホテルニューグランド」で、関東大震災で倒壊した外国ホテル「グランドホテル」の後継館としての役割も兼ねて1927年に建てられた横浜を代表するクラシックホテルとなっている。

 

このホテルニューグランドはチャップリン、日米野球で来日したベーブ・ルース、連合軍司令官ダグラス・マッカーサーなども宿泊した事のある伝統的なホテルともなっている。

 

そして山下公園内にはこちらの『かもめの水兵さん』という、1937年に発表された日本の童謡の記念碑も設置されているのが見える。

こちらの童謡は体が白いカモメの姿が水兵さんのように見える事から歌われた内容になっていて、日本語以外にも訳された事もあって海外でも人気の曲になっているという。

 


 

【童謡:かもめの水兵さん】 動画


 

 

こちらの山下公園脇に係留されている「氷川丸」は、今では日本郵船歴史博物館となっているので内部の見学も出来る船となっている。ちなみに氷川丸はこの近くのみなとみらい地区にかつてあった横浜船渠という、今ではそのドッグ跡が残されている造船会社で造られた船でもある。

鎌大仏君
鎌大仏君

この横浜で生まれ育った船ダね!

 

 

氷川丸は主に北太平洋航路で長く運航された船であるが、約30年間に渡る役目を引退して今ではこの場所に係留されている。ちなみに昨日訪れた横須賀新港埠頭で見た記念艦:三笠とは違って、この氷川丸は今でも海に浮かんでいる船である。

 

山下公園の海沿いを見ると、海から流れてきたゴミなどが浮かんでいて、お世辞にも良い景色には見えなかった横浜港。しかしそんなゴミだらけの海の中でも、必死に水中に潜り込んでエサを採ろうとしているカモを眺めてしまうのであった。。

 

 

横浜港で潜るカモ達 動画

 

 

この山下公園内にも横浜の街のライトアップイベント『ヨルノヨ』の、夜に通過すると音が鳴るオブジェが設置されていた。みなとみらい地区だけではなく、この山下公園付近まで夜に散策してくれば、横浜の街の綺麗な夜景をもっと楽しめた事だろう。

 

山下公園の東側には、スペインのバルセロナにある有名な建築家:アントニ・ガウディが設計した「グエル公園」をモチーフにしたような場所も造られている。こちらはその段々となっている水路の下にあった噴水だけど、ここから見ると大きな魚が口を開いているように見える造りとなっていて、意外と面白い形の噴水だった。

 

 

山下公園のガウディ風噴水?! 動画

 

 

こちらは先程も見えていた「横浜マリンタワー」で、1961年に造られた灯台の機能も併せ持った観光用のタワー。一時は”最も高い灯台”としてギネスブックにも載った事があるそうだけど、実用的な高さになかったので2008年には灯台は廃止されてしまっている。また横浜港を眺める高台のタワーとして開業当初は賑わったが、次第に客数が落ちていき、一時は営業が終了される事態まで陥ってしまった。

 

なお現在は横浜市に経営権が譲渡されており、今は約3年間に渡る改装工事の真っ最中で入る事は出来なくなっている。この改修工事は3月頃までの予定となっているので、4月以降には再び営業を開始する日が来るかもしれない。

 

この横浜マリンタワーの奥の方に行けば中華街があるのだけど、今日は中華街に行くつもりはあまりなくて、ここから約10年程前に1回だけ来た事のある山手の高級住宅街へと向かう事にする。ただ以前来た時の記憶は殆どなく、その時は観光ではなく仕事で配達に来ただけなので、その時のリベンジの意味合いが強いのであるが。。

 

このイチョウ並木が綺麗な道は通称:山下公園通りと呼ばれる、「横浜市主要地方道82号:山下本牧磯子線」という長い名前が付けられた道でもある。

 

なおこの道は『日本の道100選』という建設省などが選定した道にも含まれているが、この「日本の道100選」には100本の道路ではなく、合計104本の道路が選ばれているのだが。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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