横浜の山手に向かい、「港の見える丘公園」から見えない横浜の街を眺める!【神奈川旅行記60】

神奈川旅行記2020年秋-60

 旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(Head uptown to see the unseen city of Yokohama from Minato no Mieru Oka Park! [Kanagawa Travelogue 60)

横浜の高級住宅街

さて横浜市内の散策は横浜港付近の山下公園を終えて、こちらの歩道橋を渡って横浜の中でも地価が一番高いという山手の高級住宅街へと向かう事にします。ここは山下通の上に造られている歩道橋で、この訪れた時期にはイチョウ並木が綺麗な色となっていた。

 

 

「横浜人形の家」近くにて

そしてこの歩道橋を歩いていると、その上にこのような人形の像が設置されているのが見える。こちらは『青い目の人形:ポーリンちゃん』という、昭和2年(1927年)に日米親善の為にアメリカから贈られた約10,000体を超える青い目の人形の1つだった物。しかし日米の戦争へと発展していくと、そんな青い目の人形は「敵の人形だ!」と燃やされたり壊されたりして、その多くが廃棄されてしまった。

 

その人形の中でも周りに見つからないように隠されていた数少ない人形が、大事に横浜市西区にある西前小学校に保存されている。日米親善の為に贈られたハズの人形なのに、逆にアメリカへの憎しみをブツけられて破壊されてしまう人形たちであったが、その生き残りである「ポーリンちゃん」の何とも言えない顔がその悲惨な歴史を物語っているようにも見えるのである。。

鎌大仏君
鎌大仏君

人形は笑えないし、悲しめないし・・・

 

そんな通路を進んで行くと、こちらの「横浜人形の家」という世界中の人形が集められた資料館が見えてくる。1986年に開館した「横浜人形の家」では世界140ヵ国の10,000体を超える人形の数々が保存されているという。

 

【横浜人形の家】

住所:神奈川県横浜市中区山下町18
営業時間: 9時30分~17時頃(※定休日:月曜日)
電話番号:045-671-9361
入館料:大人400円/子供200円

 

 

ただ今回は「横浜人形の家」の見学をするつもりはなかったので、外に置かれているこれら人形の像を眺める事にした。これから向かう山手には何軒かの博物館などもある為に、資料館の見学は山手側で行おうと考えていたからである。

 

この「横浜人形の家」では第2代目館長に俳優の石坂浩二が就任していた事もあったりと、今まで著名人が館長を務めているようだ。だからといって館長が普段から居る訳でもないだろうし、館長よりも保管されている人形の方がメインなのであるし。。

 

このような西洋風の人形ばかりが保存されているだけではなくて、日本のからくり人形など人間国宝が製作した人形なども置かれているようだが、一般的に人形というとこのような西洋人形を思い浮かべてしまうので、それらの像だけが店頭に飾られていたのかもしれない。

 

そしてそのまま歩道を進んで行くと、首都高速道路の下を流れる中村川を渡って行く。江戸時代前期頃にはこの横浜の街があった場所は「吉田新田」と呼ばれる吉田勘兵衛が開墾した新田地帯で、そこから海に流れる川の1本として造られたのがこの中村川だったようだ。しかし今ではそんな田んぼの風景は消え去ってしまい、それに合わせて何本かあった川もこの中村川しか残されていない。

 

そして中村川を渡ると、高台になっている街が見えて来て、先程の街並みと雰囲気がいきなり変わって来る。ここから先にあるのが横浜市内でも一番地価が高いという山手地区で、俗に高級住宅街と言われている場所。元々は幕末に開国した後に駐留してきたフランス軍などの兵士の居留地となっていた場所でもある。

 

ただ「山手」というだけあって、まずは上り坂の試練を味わう事になる。このような高級住宅街というのは高台に造られている事が多く、高い場所から見下ろす事をお金持ちの人々が好んでいたからかもしれない。思い起こせば会社員時代の偉いさんが兵庫県川西市の「雲雀丘花屋敷駅」近くの勾配の急な坂道の上に住んでいたので、車で登るのもなかなかに大変な坂道だったので毎日の通勤も大変だった事だろう。

 

そしてそんな坂道を登っていくと、明らかに横浜市内とは街並みが変わってきている雰囲気となっている場所に出て来る。大阪でも高級住宅街と呼ばれる場所があるけど、この横浜の山手は多くの外国人が実際に住んでいた場所なので、建物が西洋式になっているのが多く見られるのでその雰囲気が全然違って感じられるのである。

 

 

港の見える丘公園にて

そして坂道を登っていた所の交差点の左側に、このような公園の入口が見えてくる。ここが噂に聞いていた「港の見える丘公園」で、戦後に流行った歌『港が見える丘』に因んだ名前が付けられているという。それとボクが小さい頃によく見ていた好きな刑事ドラマ『あぶない刑事』の中でも度々ロケが行われている場所だったようだ。

 

【港の見える丘公園】

住所:神奈川県横浜市中区山手町114
電話番号:045-671-3648

 

 

この公園はかつて丘の下側にフランス軍が、丘の上にイギリス軍が駐留していた場所で、戦後にアメリカ軍に接収された後に返還されて、1962年から公園として一般公開されるようになった。その為に丘の下の方にはフランス領事館跡の遺構やフランス山が残されていたり、丘の上には「イギリス館」なる、かつてイギリスの総領事官邸だった建物も残されている。

 

そして「港の見える丘公園」という名前だけで横浜港の絶景が見られるのかと楽しみに展望台に向かうが、目の前に見えた景色は期待していたような港の景色ではなく、人工物だらけのちょっと期待ハズレの景色だったが。。

 

確かにこの目の前には港が拡がっているハズなのであるが、近年に沢山のマンションや湾岸高速道路などが造られた事によって、その港の風景が殆ど見えなくなってしまっているだけのようにも感じる。大きく発展した横浜の街の副産物でもある、このような昔からの景観が壊れてしまっている現状を目の当たりに出来た公園でもあった。。

鎌大仏君
鎌大仏君

横浜も随分変わってしまったからね・・・

 

 

港の見える丘公園からの眺め! 動画

 

 

公園の展望台からは目の前を遮るように沢山のマンション群が立ち並んでいるが、よ~~く目を凝らせば奥に横浜ベイブリッジも見えている。しかしこれらの景色もこの「港の見える丘公園」が開場された頃には無かった人工物ばかりで、その何も無かった当時の景色が見たかった。。

 


 

【港が見える丘】


 

 

そして公園の展望台からは、辛うじてこのように横浜市内のみなとみらい地区が少しだけ見えている。手前にあったさっき通って来た山下公園は残念ながら公園に生えている木々で見えないけど、大さん橋や大きな船などは見えていて、港っぽい景色を何とか楽しむ事が出来た。

 

この公園「港の見える丘公園」は当初は港がちゃんと見える公園だったのだろうが、今ではだいぶ景色が変わってしまっているのでそろそろ違うネーミングに替える頃合いが近づいてきているのかもしれない。なお横浜の街を代表する、いしだあゆみの曲『ブルー・ライト・ヨコハマ』は一応この公園から見た景色を歌った内容らしいので、「ブルー・ライト・ヨコハマ公園」でもいいのではなかろうかと思ってしまった。。

 


 

【ブルー・ライト・ヨコハマ/いしだあゆみ】


 

 

 

山手大通り周辺を散策!

そんな公園をあとにして、約10年振り以上に久しぶりに訪れた横浜の山手の街を散策する事にする。昔1度だけ来た時は仕事の荷物を届ける為にタクシーに乗ってきたので全然印象に残っていないが、今回はその当時とは見た目も中身も変わって観光ムード全開なので、沢山この街の良さを吸収できる事だろう。

 

そんな山手大通りを歩いて行くと、こちらの「横浜外国人墓地」が見えてくる。こちらは幕末以降に日本にやって来た外国人達が亡くなった後に葬られた外人向けの墓地となっているので、このように日本風ではなくて西洋風の墓地ばかりが見えている。

 

この外国人墓地は5,600坪とこの横浜でも一番地価が高い山手で、これだけの大きな土地が使われているというのも何とも贅沢なお墓である。ただこの外国人墓地は地方自治体や国の管理下にはなく、公益財団法人「横浜外国人墓地」が運営しているが、近年は無縁墓地が増えてきているのもあって運営費集めに苦労しているようだ。それもあってこの外国人墓地では寄付活動も行われていて、普段は入れない場所も公開して、それで寄付金を募っているようだ。

 

日本に住んでいるとこのようなキリスト教徒のお墓などを見る機会が少ないので、日本のお墓とは違った雰囲気を感じる。ただキリスト教というと亡くなった人は審判の日を迎える事を想定している為に、その遺体は火葬ではなく土葬されているので、この下に亡骸が埋まっているのだろう。

 

この外国人墓地の始まりはペリー提督が日本国からの回答を求めてやって来た、1854年の2回目の来訪時にミシシッピー号に乗船していた水兵の1人が亡くなり、その遺体をこの丘の上の墓地に埋葬したのが始まりのようだ。アメリカ側の埋葬が行われた後に待機していた仏教僧がお経を唱えて、当時禁止されていたキリスト教の埋葬に現地の日本人は特に驚かなかったそうな。

 

日本の街中の墓地もそうだけど、近年は墓じまいなども多くなっているのでお墓の維持費が稼げずに、お墓の維持も大変になってきているようだ。特にこのような横浜でも一番地価が高い場所にある広大な土地だけに、その内墓地が撤去されて大きな建物に変わっている可能性も無きにしも非ず。。

 

そして山手大通り沿いを歩いて行くと、その墓地の反対側にはこのような西洋式の建造物が沢山見られる。こちらの建物は明治から100年を記念した1967年に建てられた「山手十番館」で、洋風のランチやディナーが楽しめるレストランとして営業しているようだ。

 

 

そしてその先にも洋館が続々と見えて来て、近くにいた観光客と見られる女性達は嬉しそうに写真を撮っている姿が見られた。それだけ高級住宅街としての山手であり、また西洋式建造物だらけの洋風の雰囲気を味わえる街並みが女性を惹きつけるのであろう。

 

こちらの建物は明治42年(1909年)に建てられた建物で、横浜市内では唯一の”和洋折衷の木造西洋館”となっている。そして今では「山手資料館」となって一般開放されており、この山手に住んでいた外国人などの資料などが見学できる場所ともなっているようだ。

 

 

そんな歴史的な洋風建築物だらけの山手だったけど、もう横浜の歴史を充分に味わい尽くして満腹状態だったボクが興味を持って探していたのが、こちらに看板が見えている「ブリキのおもちゃ博物館」だった。このおもちゃ博物館は『開運!なんでも鑑定団』の番組で出てくる、おもちゃの鑑定士でもお馴染みの北原照久氏が館長を務める博物館である。

 

その途中に見えたこちらの石造りの建物は「横浜山手聖公会」という、プロテスタント:日本聖公会横浜教区に属する教会の建物で、今見られる物は1931年に再建されたノルマン様式の聖堂。ただ教会脇には赤いベンツが停まっていたりで、ここが高級住宅地であるという事実が垣間見られるという景色だったが。。

 

ただ山手にある全ての建物が昔からの洋風建築物という訳でもなく、所々には新しいマンションなども見られるけど、このように洋風のゆったりした雰囲気が漂っている場所。だから外車に載っているセレブ主婦などが、この辺でランチなどを楽しんでいるような雰囲気を勝手に感じてしまうのであったが。。

 

そして少し歩くと目的地の「ブリキのおもちゃ博物館」が見えてくる。もう少し大きな建物かと思っていたけど、外から見る分にはそこまで大きな建物ではなく、注意していないと見逃してしまいそうな建物でもあった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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