幕末の英雄達の直筆書が語る歴史の真実、東京国立博物館で感じる衝撃【神奈川&東京旅46】

神奈川県&東京旅(2022年12月中旬)-46

訪問:2022年12月中旬(2泊3日)

偉人の直筆!

上野 国立博物館本館  展示ブースの内観

まだまだ続く東京国立博物館の見学。

ただ、これでも展示品の全てを撮影していた訳ではなく、その中でも個人的に目に付いた作品だけを限定して写真に収めていたので、「もし全部の展示品を撮影していれば・・・」と考えるだけで恐ろしくなってしまいそうな場所でもある。。

 

【東京国立博物館】

住所:東京都台東区上野公園13番9号
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:月曜日他)
電話番号:050-5541-8600
総合文化展観覧料:大人1000円/大学生500円/満18歳未満&満70歳以上は無料

 

 

 

館内の見学!

上野 国立博物館本館  『江戸時代の小判』

こちらには江戸時代の時代別に発行されていた「金の小判」が並べられているのが見える。

左側から

「慶長小判」(1601~1695年頃流通)
「元禄小判」(1695~1710年頃流通)
「享保小判」(1714~1736年頃流通)
「万延小判」(1860~1867年頃流通)

となっている。(江戸時代には合計10種の小判あり)

江戸時代の金が含まれた小判も、このように横並びで見てみると、時代を経る毎に金の含有量が減ってるように見える外見となっている。

江戸春男
江戸春男

幕末に発行された万延小判は、滅茶苦茶に小さかったぜい!

大坂黒門
大坂黒門

時代毎にインフレが進み、幕末は破綻状態にあったのが判るな!

 

上野 国立博物館本館  『双龍図』

こちらは江戸時代の17世紀に作られた、狩野派の絵師であった「狩野 山雪(かのう さんせつ)が描いた『双龍図』

 

上野 国立博物館本館  『双龍図』2

墨の濃淡だけで表現された、”昇竜と降龍”の周りを渦巻く大気の動きなどの繊細なタッチには驚きしか感じない作品でもある。。

大坂黒門
大坂黒門

モノクロの表現が一番芸術的やで!

 

上野 国立博物館本館  『龍唫起雲図』

こちらは江戸時代の1794年に江戸時代中期を代表する絵師として、また”円山派”の祖ともなった「円山 応挙(まるやま おうきょ)が描いた『龍唫起雲図』

円山応挙の亡くなる約1年前に仕上げられた作品で、筆と墨だけでここまで迫力ある龍を描いた、これまでの集大成的な作品だったのだろう。

 

上野 国立博物館本館  『佐藤一斎 肖像画(50歳像)』

こちらは江戸時代の1821年頃に渡辺崋山によって描かれた、朱子学の師匠で江戸時代には大勢の門下生を抱えていたという「佐藤 一斎(さとう いっさい)の50歳頃の姿を描いた肖像画

※国の重要文化財

 

佐藤 一斎というと江戸時代後半を代表する儒学者であり、師の中井竹山から”朱子学”と共に”陽明学”を習得し、門下生には、山田方谷・佐久間象山・横井小楠・渡辺崋山などの儒学者として大成する人材を多く輩出した人物としても有名である。

 

鹿角クン
鹿角クン

佐藤一斎の門下生の中でも、一番優れていたと言われるのが「山田方谷」だな!

江戸春男
江戸春男

山田方谷のライバルだった佐久間象山も、幕末に活躍する人物を多く指導した人だぜい!

 

上野 国立博物館本館  『佐藤一斎 肖像画(70歳像)』

こちらも江戸時代の1841年に70歳を迎えた『佐藤一斎夫婦』を描いた肖像画であるが、この作者は儒学者であり優れた画家でもあった渡辺崋山の弟子であった「椿 椿山(つばき ちんざん)によって描かれた作品となっている。

朋ちゃん
朋ちゃん

やっぱり70歳になると、背中が丸くなってくるよね!

 

上野 国立博物館本館  『佐藤一斎夫人 肖像画(70歳像)』

本来であれば50歳の肖像画を描いた渡辺崋山が仕上げていたのかもしれないが、渡辺崋山は『蛮社の獄(ばんしゃのごく)という江戸幕府が蘭学者の言論を厳しく弾圧した事件で逮捕され、蟄居処分を受けたが風評被害が拡がる事を危惧して1841年に自刃している。

江戸春男
江戸春男

幕府は儒学の朱子学だけを認めていたぜい!

 

 

国立博物館本館 『佐藤一斎 肖像画(80歳像)』 椿椿山作

『佐藤一斎夫妻像(一斎八十歳)』 ※出典:国立博物館所蔵品統合検索システム「佐藤一斎夫妻像(一斎八十歳)」より

ちなみにこの訪問時には展示されていなかったが、東京国立博物館にはその10年後にも描かれた『佐藤一斎夫妻像(80歳)』の肖像画も収蔵されている。

江戸春男
江戸春男

これも椿 椿山の作品だぜい!

 

国立博物館本館 『佐藤一斎 肖像画(80歳像)』 椿椿山作

『佐藤一斎夫妻像(一斎八十歳)』 ※出典:国立博物館所蔵品統合検索システム「佐藤一斎夫妻像(一斎八十歳)」より

こちらは佐藤一斎夫人の肖像画で、夫婦ともに80歳まで生きるとは、平均寿命が今みたいに長くなかった江戸時代には”長寿夫婦”だった事だろう。

 

国立博物館本館 『佐藤一斎 肖像画(88歳像)』 石丸師曽筆

『佐藤一斎像(一斎88歳)』 ※出典:国立博物館所蔵品統合検索システム「佐藤一斎像(一斎八十八歳)」より

更にはなんと、佐藤一斎が『米寿』88歳を迎えた時の肖像画まで描かれていた。

なお佐藤一斎は88歳で生涯を閉じたが、孫弟子の椿 椿山はその約5年前に死去していたので、この肖像画は「石丸師曽」という人物によって1859年に描かれた作品となっている。。

 

上野 国立博物館本館  『源氏物語色紙』

こちらは17世紀初期の江戸時代に作られた『源氏物語色紙』で、元々は「源氏物語画帖」となっていた本をバラした色紙の1枚となっている。

 

大和絵土佐派の絵師だった「土佐 光吉(とさ みつよし)の作品だと考えられており、『源氏物語』を題材とする作品を数多く制作している。

 

上野 国立博物館本館  『鯉魚図襖』

こちらは18世紀の江戸時代に作られた『鯉魚図襖』で、円山応挙の長男で”円山派”を継いだ「円山 応瑞(まるやま おうずい)の作品となっている。

『紙本墨画淡彩金砂子蒔きと呼ばれる、金箔を細かく千切った片を全面に細かく蒔いた上に、墨で濃淡をつけて描いた物。

 

上野 国立博物館本館  『椿椿山/野口幽谷 所有印』

こちらは椿 椿山とその弟子である「野口 幽谷(のぐち ゆうこく)が所有していた判子で、描いた作品に自分の刻印を入れる為に何種類もの判子が用意されていたようだ。

 

上野 国立博物館本館  『椿椿山/野口幽谷 所有印』2

江戸時代の人々は本名ではなく「号」と呼ばれる、”ペンネーム”的な別名を何個も持っており、それぞれの作品毎にその名前を使い分けていたようだ。

江戸春男
江戸春男

人によって何個も呼び名があったので、ややこしかったぜい!

 

上野 国立博物館本館  『書簡(佐久間象山)』

こちらは18世紀の江戸時代に佐藤一斎の門下生でもあった、松代藩の思想家でもあった「佐久間 象山(さくま しょうざん)が書いた『書簡』

 

 

上野 国立博物館本館  『書簡(佐久間象山)』2

江戸に出て朱子学などを学んだ佐久間象山は、松代藩主:真田幸貫が国防(海防)の任を任ぜられると顧問に抜擢され、江川英龍から洋式砲術や兵学などを学ぶ。

その後は得た洋式砲術などの知識を、吉田松陰・勝海舟・坂本龍馬などの幕末を代表する偉人にも教えたという。

ただ、佐久間象山は”開国論”を主張していた為に、京都滞在中に尊王攘夷派の浪人達に暗殺されてしまうのである。。

江戸春男
江戸春男

幕末の偉人達も、元を辿れば佐藤一斎に行き着くぜい!

 

上野 国立博物館本館  『書状(吉田松陰)』

こちらはそんな佐久間象山に師事を受けた「吉田 松陰(よしだ しょういん)が残した『詩歌/書状』

この書状は吉田松陰と交流のあった大垣藩士へ送った物とされているが、吉田松陰も高杉晋作・伊藤博文・久坂玄瑞・山縣有朋・桂小五郎などといった幕末~明治初期に活躍する偉人を多く輩出した人物でもある。

江戸春男
江戸春男

吉田松陰は”安政の大獄”で投獄されて、死刑になったぜい!

大坂黒門
大坂黒門

吉田松陰はペリー提督が再来日した際に、独断で船に乗り込もうとした話も有名やで!

 

上野 国立博物館本館  『十体和歌』

こちらは19世紀の江戸時代に有栖川宮熾仁親王によって作られた『十体和歌(じっていわか)で、藤原定家の残した歌に基づいた10種類の和歌を題材にした書簡。

 

上野 国立博物館本館  『十体和歌』2

このような和歌は『古今伝授』など”奥義相伝”として、跡を継ぐ子供などに教えられていた。

大坂黒門
大坂黒門

「奥義相伝」といえば、『北斗の拳』の”北斗神拳”を思い出すな!

 

上野 国立博物館本館  『和歌詠草(徳川斉昭)』

こちらは19世紀の江戸時代に御三家の水戸藩主だった「徳川 斉昭(とくがわ なりあき)が書いた、『和歌詠草(八千年の)』である。

 

徳川 斉昭はペリー提督が来航した際に”強硬な攘夷論”を主張し、開国論を展開していた井伊直弼と対立し、井伊直弼が独断で日米修好通商条約を結んだ為に怒り心頭で江戸城に無断登城し、井伊直弼に詰め寄った為に幕府内から排除されてしまうのであった。。

江戸春男
江戸春男

徳川斉昭は徳川慶喜の実のお父さんだぜい!

鹿角クン
鹿角クン

その仕返しに、水戸藩士の浪人が井伊直弼を襲撃したんだな!

 

上野 国立博物館本館  『七言絶句(島津久光)』

こちらは幕末頃に書かれた『七言絶句』という書で、幕末に薩摩藩の実権を握っていた「島津 久光」による物。

 

『七言絶句』という書は古代中国時代から続いてきた漢詩を記したもので、朱子学が中心だった江戸時代には俳句などではなく、このような漢詩を多くの人が制作していたようだ。

 

上野 国立博物館本館  『戊辰作詩(勝海舟)』

こちらも19世紀の江戸~明治時代に、勝海舟が書いた『戊辰作詩』という漢詩の1つ。

現代日本人には江戸時代の人々が書き記した文字は”達筆”過ぎて解読がほぼ不可能にも思える文字となっているが、勝海舟が江戸城を”無血開城”した時の心情が描かれているという。

江戸春男
江戸春男

江戸城の無血開城は、歴史的にも凄い判断だぜい!

 

上野 国立博物館本館  『五言律詩(西郷隆盛)』

こちらは明治時代初期にあの西郷隆盛が残した『五言律詩』

 

『五言律詩』は1句に5語で、全部で8句×5語=合計40語になる詩形漢詩であるが、西郷隆盛の『五言律詩』は単に5行に書き分けた詩のようにも見えるが。。

東郷どん
東郷どん

ワシん考えは、定型には収まらんでごわす!

 

上野 国立博物館本館  『五言律詩(西郷隆盛)』 サイン

この『五言律詩』の左下には、西郷隆盛が号として名乗っていた『南洲』という名前が書かれているのが見える。

東郷どん
東郷どん

おいどんのきもっを書きうったくった、本文ん方をちゃんと見やんせ!

 

上野 国立博物館本館  『七言絶句(大久保利通光)』

こちらも同時期に西郷隆盛の旧友でもあった、大久保利通の作った『七言絶句』

江戸春男
江戸春男

現代日本人は、このような筆跡を読めないのが不幸せだぜい!

 

『七言絶句』も7文字を4句にするという決まりよりも、”起承転結”的な漢詩という意味合いが強かったのかもしれない。。

朋ちゃん
朋ちゃん

英語表記は「Chinese Style Poem」となってたよ~!

 

上野 国立博物館本館  『書簡(岩倉具視・三条実美)』

こちらも明治時代に作られた岩倉具視と三条実美が作った『書簡』

それまで約270年近くに渡ってきて日本を治めてきた江戸幕府を討幕し、新しく明治新政府を旗揚げした主力メンバー達の自筆筆跡は、その内容が読めればもっと感激できたのであろうが。。

朋ちゃん
朋ちゃん

さすがの”Googleレンズ”でも、江戸時代の文字は読み取れない・・・

 

上野 国立博物館本館  『七言二句(中林梧竹)』

こちらは明治時代に作られた『七言二句』で、明治時代を代表する書家だった「中林 梧竹(なかばやし ごちく)の作品。

”明治の三筆”の1人とも称された中林 梧竹は、清国に渡って古碑や拓本の研究を行い、帰国してからは明治天皇に書を献上する程に知られた存在だった人物でもある。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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神奈川&東京旅(2022)

2022年12月中旬に『どこかでマイル』を使って訪れた、2泊3日の神奈川県&東京旅です。

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