神奈川県&東京旅(2022年12月中旬)-70:完結編
訪問:2022年12月中旬(2泊3日)
最後の黒玉子!
さて今回の「神奈川&東京旅」も、やっとラストとなります。
『JALどこかにマイル』を使って無料の航空券を入手した旅も、相変わらず大満喫の旅となった。
浅草付近にて
旅のラストに浅草にやって来たのも、帰りの羽田空港に向かう際に電車一本で辿り着ける事を考慮していた。
浅草駅から乗り換えずに約45分程で羽田空港に到着できるのは、とても便利だと感じる。
羽田空港は使い易いよ~!
こちらは吾妻橋を渡った墨田川対岸から眺める、墨田区のランドマーク達。
左から、墨田区役所、東京スカイツリー、アサヒビール本社ビル、リバーピア吾妻橋ライフタワーと並んでいる。
吾妻橋の袂からこの背景をバックに記念撮影している外国人観光客を真似て、ゴジラのような金色の「ウ○チ💩」を吐き出すオカン・・・。
ガオ~~~!(笑)
だから、ウ○チじゃないぜい!!
吾妻橋の案内板はこのように色んなシールが貼られており、無残な姿になっていた。
最初の吾妻橋は江戸時代中期に木橋として造られた物が起源で、明治20年(1887年)に墨田川で初めての鉄橋に架け替えられ、関東大震災で被害を受けた為に1931年に現在の橋に架け替えられて今に至っている。
吾妻橋を渡って浅草方面に進むと、ちょっとレトロな外観をした「浅草エキミセ」という名の浅草駅ビルが見えてくる。
この東武鉄道:浅草駅ビルは1931年に開業した駅ビルで、既に90年が経過している建物。
戦時中には空襲によって内部が焼け落ちてしまったものの、建物自体は取り壊されずに使われ続け、現在の外観は2012年にリニューアルした際に昔のレトロな外観を復元したという。
帰りの羽田空港にて
浅草駅ビル地下の食品売り場で弁当を買って、一路羽田空港に戻ってくる。
前回の羽田空港から帰る際は受付時に待たされ、またターミナル内でもなかなか席が確定しなくて「ANA協力金」が貰える期待までしながら、ギリギリの時間になって普通に飛行機に搭乗できたという思い出がまだ頭の中に鮮明に残っていた。。
いつまでも前の事を言いなや!(怒)
今回のチェックインカウンターではそのような問題は起きずに、アッサリと手続き完了となる。
そして大阪に着くと20時頃となる為に、飛行機に乗る前に先に晩御飯として購入した弁当を食べる事にする。
こちらは大きなサーモンの刺身が乗った弁当で、脂が乗って美味しかった記憶があるような・・・。
そして今回の旅で訪れた大涌谷で購入した、名物の「黒玉子」がまだ1個残っていたので、この際にラストの1つを食べる事にする。
黒玉子で〆タマ!
何回食べても普通のゆで卵にしか思えないのであるが、湧き出す源泉で茹でるだけで名物としてそれなりの値段で売り出せるので、この黒玉子を最初に考案した人はやり手である。。
中身のゆで卵が黒くならなかったのも良かったタマ!
そして無料の航空券で羽田空港の飛行機に乗り込み、大阪に戻っていくのである。。
<まとめ>
今回の旅のキッカケはJALのマイレージ残高期間が迫ってきていたので、マイルを使用して航空券に替えれる『JAL どこかにマイル』を利用したので始まりである。
使った時は6000マイルが、今では7000マイルに値上がりしてるぜい!
『JAL どこかにマイル』は行き先4箇所(空港)がランダムで選ばれるのであるが、その4択までは自分で気の済むまで再チャレンジできるのだが、その4択から1つの行き先はJAL側が確定するので自分で選べない。
そして4択を選んでJAL側からの確定連絡を待っていたら、4択の中で一番選ばれたくなかった「羽田空港」に決まったとメールが来た。。
羽田空港はこの旅行の約1ヵ月前に利用したばかりだったので少々残念に思ったけど、東京周辺はまだ行った事ない場所が多いので、マイルを使って無料で飛行機往復できる機会でもあるし、今回も散々楽しむ旅にする事に決めたのである。
とりあえず「横浜中華街」に行きたいというオカンの要望を受けて、中華街から「港の見える丘公園」に向かう。
港の見える丘公園は前に来た事があるが、その前の交差点に設置されている交番の名前が「港の見える丘公園前交番」という名前だった事に初めて気付いたのである。。
それから山下公園に向かい、その脇にある「横浜マリンタワー」がリニューアルを終えて開業していたので、早速展望台に登ってみた。
横浜マリンタワーは横浜ランドマークタワーに比べると高さが低いけど、その代わりに周辺の建物などが近くに見えて、横浜の街並みを観察した人にとっては素晴らしい展望台へと生まれ変わっていた。
それと横浜名物の崎陽軒の「シウマイ」を、初めて店舗で食べた。
個人的には崎陽軒のシウマイは今まで何回か食べた事があったけど、特に美味しいと思わなかったが、代わりに春巻きがとても美味しかった。
2日目は一路、小田原へ向かった。
小田原というと戦国時代に一大勢力となっていた北条家(後北条家)が支配していた地域だが、その北条家の祖として崇められているのが、小田原駅前に銅像があった「北条早雲」である。
小田原城は天下統一を目指す豊臣秀吉によって、難攻不落とも言われながらも攻め落とされてしまう。
なお、天守閣は昔の時代の物が残っているのではなく、戦後に再建された復興天守となっている。
小田原というと「小田原提灯」も有名であるが、現在は便利なライトが次々と開発されており、更には完全手造りの為に職人が少なくなっていて生産数が激減しているという。
そして小田原周辺出身の有名人というと、小学校などでよく見かける「二宮金次郎」である。
勤労と勉学に励んでいた事から”日本人のあるべき姿”として持ち上げられたが、近年では本ではなくスマホを歩きながら触る「歩きスマホ」で衝突事故が頻繁に起きている為に、新しく設置される二宮金次郎像も座っているタイプに変わりつつあるとか。。
そして小田原城を見学した後は箱根登山鉄道に乗り込んで、箱根を目指す事に。
箱根の名前は聞いた事があったけど、今まで一回も行った事がなかった為にどんな場所かは知らなかった。
なので山の上にあると思っていなかったので、途中に何回も乗り継いでケーブルカーにまで乗る事にやや驚いた。
箱根ケーブルカーを登っていくと「早雲山駅」に到着する。
この早雲山駅は最近リニューアルオープンして無料の足湯も併設されていたが、この時は悪天候もあって暇な観光客がず~~っと占領していた為に足湯は楽しめなかった・・・。
そして早雲山駅から更に上にある大涌谷駅まで向かうには、こちらからロープウェイに乗っていく必要がある。
箱根の登山鉄道などの2日間乗り放題切符が5000円もして”いい値段”だなと思っていたけど、ロープウェイやらケーブルカーなどの維持管理費用にそれなりの金額が掛かるのであろう。
そんなロープウェイに乗って、数十年ぶりに大涌谷にやって来たというオカン。
この大涌谷は標高1000mを越える高地なので、12月中旬に訪れるとかなり寒かった。
平地と比べると風も強い事もあって、12月など寒い時期に大涌谷を訪れる際には防寒対策をしっかりしていった方がいい。
大涌谷駅に到着した時はモヤで全く姿が見えなかった富士山も、昼食を食べている間にすっかりモヤが晴れて、このように雄大な姿を見せつけてくれていた。
そして大涌谷名物という「黒玉子」を購入し、早速味わう。
なお、黒玉子は作り置きできない商品なので、午後に訪れる際には売り切れる可能性があるので、買いたい人は早めに買いに行く事をオススメする。
それと一般には立ち入り出来ない「自然研究路」が、たまたま予約無しでも入る事ができた。
約1時間近くに渡って蒸気が噴き出す「自然研究路」を散策し、また噴き出す有毒ガスによって枯れてしまった草木などを見れて、とても勉強になったツアーであった。
そして2日目の夜は”川崎セレブ”の奥様に、川崎名物の「元祖ニュータンタンメン本舗」のお店に連れてきてもらった。
卵がたっぷり入った辛めの担々麺だけど、普通の辛さでもそこまで辛くなくて、大涌谷で冷えた体が温まった。
今回の旅で宿泊したのは「JR東日本ホテルメッツ川崎」で、朝食会場はホテルの1階に併設されていた「銀座つばめグリル」というレストランだった。
「銀座つばめグリル」はハンブルグ風ハンバーグの元祖として人気なお店で、朝食から美味しいハンバーグを味わう事ができた。
3日目は上野に向かい、国立博物館をじっくり見学する前に、駅前にあった国立西洋美術館で玄関付近に飾られているロダンの彫刻作品に見惚れてしまう。。
ロダンの作品で最も有名な「考える人」は、これ単体がオリジナルではなく、その前に発表された『地獄の門』の一部分に配置されていた人物がスピンオフした作品である事を初めて知ったのだ。
他にも見たかったロダンの『カレーの市民』の銅像も設置されており、入館料を払わずとも入口前で見学できる素晴らしい場所だった。
国内を旅し出してから国内の博物館も合わせて巡るようになってきたけど、東京国立博物館の規模の大きさには驚かされた。。
こちらは明治時代を代表する彫刻家の高村光雲作『老猿』。
こちらは『町田久成』肖像彫刻で、この人物が東京国立博物館の創立に大きく関わり、初代館長となった人物である。
東京国立博物館には個人コレクターが収集した作品も多く展示されており、いつの時代も金持ちのパトロンが芸術を支援していた事が伺える。
こちらは羽柴秀吉の有名な兜で、その実物が東京国立博物館に展示されているとは知らなかったので、驚いたのである。
東京国立博物館の創立に大きく貢献した町田久成という人物は薩摩藩出身で、幕末に幕府に隠れてヨーロッパ留学をしたメンバーの1人でもあった。
海外に実際に行って自分の目で異国の文化を見てきた人物だからこそ、日本の美術品や伝統工芸品の価値を見出せたのだろう。
別館では100年後に国宝になっている可能性のある作品も展示されていたが、ゴジラのように単体の作品というよりは、20世紀に生み出されたキャラクターがそういう対象となる可能性を秘めているのだろう。
20世紀に生み出されたキャラクターは漫画やアニメ内だけではなく、おもちゃやフィギュア、また他の物とのコラボにも使われ、版権が生み出す莫大な利益に群がる人々も多く生み出した。
そんな脇に2022年の日本ダービーを制覇したドウデュース号のゼッケンも展示されていた。
2023年 ジャパンカップ(GⅠ) イクイノックス【カンテレ公式】
しかし2023年末に振り返ると、ドウデュース号と同世代の「イクイノックス号」が世界最強馬として2023年のジャパンカップを制してGI6連勝となり、また総獲得賞金は22億1544万6100円でJRA歴代1位にも輝く活躍をして、すっかりドウデュース号は陰に隠れた存在になってしまったが・・・。
そして上野というと、こちらの「西郷隆盛」の銅像が昔から有名である。
この上野にある西郷隆盛の銅像は今回初めて見たのであるが、以前に鹿児島市内にある軍服姿の凛々しい顔つきの西郷隆盛像を見ていただけに、ちょっと迫力の無い顔に見えたが・・・。
そしてついでにアメ横も訪れてみたが、12月という事が多くの人が行き来していた。
JR上野駅は古くからある駅で内装は一見リニューアルされているように見えるけど、所々にレトロさが混在しているのがなんとも上野らしかった。
浅草の雷門周辺は相変わらず大勢の観光客で賑わっていて、あまりにも人が多過ぎたので中に入るのはパスしたのである。。
今回の旅で最も濃厚な時間を過ごせたのが東京国立博物館かと思っていたら、その後に訪れた、エースカバンで有名なエース社内に設置されている「世界のカバン博物館」であった。
この博物館には昔に使われていたカバンが多く展示されており、中には今ではワシントン条約で海外取引が禁止されている稀少動物の皮を使ったカバンも多く見られた。
中には長嶋茂雄氏が愛用していたカバンや、アントニオ猪木が使っていたカバンなども展示されており、スポーツ業界にも多くのカバンをこれまで提供している。
そんなエース社も新川柳作という貧しい少年時代を過ごした人物が、新しい素材:ナイロンを積極的に採用したりして、新しい道を躊躇なく突き進んでいって、大きなカバン会社にしたのである。
普段何気なく使っているスーツケースも、よ~~く見てみたらエースカバンだったりするけど、そういう時は「エースカバンを使ってやっている!」と思うのではなく、「エースカバンを使わせて頂いている!」と感謝する気持ちを持つと、よりその有難みが感じれるだろう。
今回の旅で最後に訪れたのが、こちらのアサヒビール本社ビル。
「ウ○チ💩」っぽくも見えるオブジェは実は「炎」をイメージした物らしく、奥にある高い方のビルの上層階は泡に包まれているイメージになっているとか。
その近くには墨田区出身の勝海舟の銅像も設置されていた。
低迷期の江戸幕府に認められ、戊辰戦争では江戸城で新政府軍と直に交渉した苦労人でもある。
こちらはエース社でお土産にもらった名言カレンダーにあった言葉で、創業者の新川柳作ではなく太宰治の名言となっている。
個人的には「周りに笑われるから止めよう・・・」という発想は全く無く、それがやりたい事であれば周りの言う事は無視して、とりあえずやり続けるべきだと思っている。
この勝海舟の銅像も遠くを指差して、「行けばわかるさ!」と語りかけているかのような姿をしていた。
今回の旅で見かけた物や歴史なども、過去の人達が色んな苦難に遭いながらも、継続し続けてきた事で今にも残っている事ばかりであった。
そういう事から「続ける事」の大事さを実感した旅であった。。
2023.12.5
<終>
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