東京旅(2022年11月)-46:完結編
訪問:2022年11月中旬
ゆとりある心で!
さて、2022年11月中旬に訪れた東京旅も、今回で遂に最終回。
こちらはランドマークタワーの下にある大きなショッピングモールとなっている「ランドマークプラザ」の内観だが、モスクワの赤の広場近くにあった巨大なグム百貨店のような雰囲気の光景となっていた。
横浜にて
そしていつの間にか14時頃となっていて、まだ昼食を食べていなかった事もあり、「ランドマークプラザ」の飲食店フロアを散策してみた。
すると日本国内にもそこそこに出店している、小籠包でも有名な台湾の「鼎泰豐(ディンタイフォン)」が見えてくる。
ただ、あまり悠長に昼食を食べる時間も無かった為に、パスする事に。。
ここで食べてみたかった・・・
旅最終日には昼食を削ってでも現地を見て回るべきだと思い、再びランドマークタワーの足元にある「ドックヤードガーデン」にやって来る。
もう旅の終わりが近づいているという事で、オカンはさっさと昼食を食べるか、それか早く羽田空港に行きたいとボヤいていた。
もう帰りモードに入りました♪
個人的には横浜という街は港と造船ドックで大きく発展した場所なので、その歴史をじっくり観察する程に、横浜の街に愛着が出てくると思う。
ここに存在した「旧横浜船渠第2号ドック」は、国内で最も古い”商船用石造りドック”の名残を味わえる場所。
しかし、その外側にはこのような飲食店街が造られていて、昔の雰囲気を残す外観とは全く正反対の味気ない場所になっているのだが。。
結局、ドックヤードガーデン内側の飲食店フロアも一通り巡ったけど、最終的には「空港に行ってから考えよう!」と、いつもながら食事よりも先に行動する事にしたのであった。。
荷物を預けていた横浜駅のコインロッカーに立ち寄ってから、羽田空港行の電車に乗り込む。
横浜から羽田空港までは電車一本で楽に移動できるので、相変わらずその利便性には感激してしまう。
帰りの羽田空港にて
そして搭乗時間の約1時間前に、羽田空港に到着する。
国内線の飛行機に乗る場合でも搭乗時刻の約1時間前には空港に着くようにしているけど、小籠包を食べていたら、結構ギリギリだったかもしれない。。
新型コロナウイルス感染も下火になりつつあり、また旅行支援という新しい旅行援助がスタートしていた事もあって、思っていた以上に混み合っていた羽田空港。
そしてANAの機械でチェックインをしようとしたら「エラー・・・カウンターへお越しください!」という画面になったので、仕方なく列が出来ていたカウンターに並ぶ事にした。
結構に混雑していたANAのカウンターで15分程待たされ、やっと順番が回ってきて受付をしたら、「お席が混み合っておりまして、場合によっては搭乗便をズラして頂く等の対応は可能でしょうか??」と聞いてきたANA係員のお兄さん。
「勿論、便をズラして頂く場合には”協力金”をお渡しさせて頂きますので。。」という事だった。
今まで飛行機に乗る際にこのような対応は初めてだったのでちょっと戸惑ったけど、飛行機の座席が不足した場合に予約済の搭乗客に、”協力金”を提示した上で、自主的に便の変更等を依頼する事があるという。
ちなみにANAでは『フレックストラベラー制度』と呼ばれている制度で、当日中の便に振り替えの場合は「協力金:10,000円」で、翌日以降の場合は「協力金:20,000円」になるという。
こちらは「一ヶ月も前から予約して、何で当日になって席が不足しているからと席を譲らないといけないんだ!(怒)」と思う人もいるかもしれない。
しかし、航空業界というのも常に搭乗客が確保できている世界ではなく、その日毎に状況が変わって、超混雑する時もあれば、逆に想定外にガラガラな席でもフライトせざるを得ない、厳しい業界でもある。
その為に、当初のフライト便の席販売数を多めに用意して、自社以外にも旅行サイト経由で席を販売しているのが現状だ。
だから当日になって、「席が足らない・・」という事態になる事も想定内の事であり、それ用に”協力金”も用意されているのだ。
そんな状況だったので「便の振り替えには協力します!」とANA係員に伝えると、通常の搭乗券ではなく、こちらの”半券”を渡される。
この券で一旦ターミナル中に入ってから、搭乗口のカウンターにいる係員に確認してくださいと伝えられる。
そして搭乗予定便の搭乗口付近のカウンターには、ボクらと同じように『フレックストラベラー制度』の対象となっている人が既に数名並んでいる光景が見られた。
そして出発まで10分程になっても、「ちょっとお待ちください!」の一点張りだったカウンターのお姉さん。
既にカウンター前には10人以上の順番待ちが発生しており、意外とスムーズに物事が進行しなかった。
個人的には羽田空港~伊丹空港行の飛行機は、搭乗予定の便を逃しても当日には他にも何本もあるし、最悪は1泊しても大丈夫だった。
というよりも、逆に「数時間待ってでも、協力金が欲しい」という気持ちだったのだが。
そして同じようにもう10分以内に出発予定の飛行機に対して、まだどうなるかが確定していない人達はシビレを切らし、カウンターの係員に「オレ、振り替え協力します!」と言っている人もいたけど、係員のお姉さんは「ありがとうございます、只今手続き中なのでもうしばらくお待ちください・・・」との一点張りが続く。。
そして搭乗終了時刻が近づくにつれて、チェックイン予定の搭乗客数がやっと確定してきたからか、行列の処理が始まっていった。
そしてボクはカウンターのお姉さんに「振り替え協力しますよ!」と伝えていた事もあって、頭の中では既に
「協力金が初めて貰える!!」
と思い込んでいた。
ホンマにこんな感じで喜んでました!(笑)
するとカウンターのお姉さんが「大変お待たせ致しました!」と紙切れを渡され、「アレっ、協力金はどうしたら貰えるのかな??」と思って、カウンターのお姉さんに対して「協力金は??」と聞いてみた。
すると「予定通りの便に搭乗できるよう、手配させて頂きましたので!」という、返事が返ってきた。。
よくあるオチやで・・・
結局は予定の飛行機で帰れる事になったのだが、ボクの頭の中は「協力金」で一杯だったので、このように大変ガッカリしてしまった。。
誤解の無い様に説明しておくと、個人的には「1万円」が欲しかったよりも、初めて飛行機便の振り替え『フレックストラベラー制度』を経験してみたかった気持ちが大きかっただけなのだ。
絶対ウソや、何度も「1万円貰える~♪」って言ってたデ!
神様はちゃんと見てるぞい!
という最後の最後で、一人芝居のように振り回される展開となった東京旅。
今回の旅の反省点は、飛行機の『フレックストラベラー制度』の対象者となった際には、手続きをしているカウンターの列の後ろの方に並んだ方が、チャンスがあったのかな?と感じた。
係員からすれば、当然先着順から席を割り当てていくので、順番が後になればなる程に空席が無くなっていくハズ。。
まだ言ってるんかい!(怒)
大阪人はセコいぜ!
<まとめ>
久しぶりにやって来た東京だけど”観光”を目的にしてやって来ると、仕事の出張時と違って、楽し過ぎて時間が経過するのが早過ぎた。
東京は江戸時代から約400年間に渡って、この日本国の首都であり続けている大都市なので、至る所に見所がある。
そんな東京旅で最初に訪れたのが、品川区にある「物流博物館」。
ちょうどこの頃に物流関係の歴史に興味を持って調べていた時だったのもあって、余計に楽しみにしていた場所。
今では何気なく便利に使われている物流も、長い時間をかけて多くの人達が苦労して改良してきた素晴らしい物流システムは、時間をじっくりかけて学ぶべきである。
その近くには、”味の素”が運営する『食とくらしの小さな博物館』も設置されている。
こちらは入館料が無料となっている有難い施設なので、近くに寄る際には行くべき場所でもある。
今までの人生で殆ど口にした事のない「味の素」だけど、このような粉から世界的な企業にまで成長できるシステムがうまい事作られていった歴史を勉強できる、素晴らしい施設である。
こちらは人気グルメ番組「孤独のグルメ」の中で、五郎さんが来店していたギリシャ料理のお店『ギリシャ料理 タベルナ ミリュウ』。
こちらはランチセットで選んだ、ケバブ・サンドイッチ。
日本ではあまりケバブ料理を口にする機会がないけど、久々に食べると日本料理では味わえない”香ばしさ”が美味しい料理であった。
東京のランドマーク的な東京タワーは、今回は素通り。
昔に近くの芝公園で、ライトアップされた東京タワーをツマミ代わりにして、得意先のオッチャンと酒を飲んだ想い出が甦る。
ただ、そのオッチャンも精神を病んで、知らぬ間に得意先を退社していて、時代の移り変わりを感じたのであるが。
こちらは新しく東京のランドマークに仲間入りする、高さ約325mの「麻布台ヒルズ 森JPタワー」。
この訪問時はまだ建設中だったが、このブログが公開されている頃には完成して、「高層ビル」としては”あべのハルカス”を抜いて日本イチの高さを誇る建物となっている。
そして愛宕神社の脇にある、こちらの「NHK放送博物館」も無料となっているので、東京に来たならば是非訪れたい場所。
NHK番組の名場面を見ていると、どれも記憶に残るシーンばかり。
この「平成」に年号が変わった時に、この文字板を持っているオジサンを全く知らなかったけど、後に総理大臣にまでなった人物でもある。
NHKが開設された時の初代総裁は、あの後藤新平である。
後藤新平は色んな所でその名前を目にする事が多いけど、実際にそれだけ優秀だったのだろう。
NHKというとテレビのイメージが強いけど、開設された頃はテレビはまだ放送されておらず、「ラジオ」が始まった時代だった。
その火付け役ともなったNHKから始まり、日本国内で”放送”という業界が大きく発展していくのである。
テレビが大きく各家庭に普及していったのは、その時代に開催された「大イベント」も影響している。
ちなみに最初にラジオ中継された『1932年:ロサンゼルスオリンピック』では、今までラジオ中継した事がなく、開催側がラジオ中継してしまうと観客入場数が減ってしまう事を危惧した。
その為に生中継が禁止されて、競技が終わってからアナウンサーが自社の放送室でその様子を時間差で実況していたという。
それとNHKのテレビ番組を代表する「大河ドラマ」だが、その時代考察や作り込みはとても素晴らしいのだが、個人的には長過ぎるドラマは見る気が失せてしまうので、年末のダイジェストだけ見るだけで充分な気がしたが。。
こちらは江戸時代末頃に、当時江戸幕府の老中首座だった彦根藩主の井伊直弼が暗殺された場所近くの「桜田門」。
その暗殺事件”桜田門外の変”で襲撃された場所は、その名前からしてこの門の手前付近かと勝手に思っていたけど、実際には近くの彦根藩屋敷から出勤途上の間ぐらいで襲われたとされているようだ。
こちらはそんな彦根藩屋敷跡に造られている、日本の標高の原点でもある「日本水準原点」。
この場所の存在を知ったのも、NHKのテレビ番組『ブラタモリ』のおかげである。
そんな風に久々に江戸・・・じゃなくて東京に来た楽しさで、アチコチをウロウロと徘徊しまくっていると、すっかり夕方近くになっていた。
その為に、一番楽しみにしていた江戸城跡の皇居東御苑見学が、入場終了となってしまったのである。。
こちらは東京駅近くに設置されていた銅像で、この人物は”長州ファイブ”とも呼ばれる、幕末に長州藩がヨーロッパに密航させた5人の留学生の1人だった。
伊藤博文もその留学生に名を連ねていたが、この人物「井上 勝」は”鉄道の父”とも称される程に活躍し、海外留学の重要性を再認識したのであった。
そして銀座の街をブラブラして立ち寄ったのが、こちらの「伊東屋:銀座本店」。
こちらもNHKテレビ番組『ドキュメント72時間』で放送に使われていたお店で、店内に置かれていた和便箋には、自分が前職の時に手配していた青帯が今でも使われている様子が見られて感激したのであった。
それと東京というと「もんじゃ焼き」である。
オカンは初体験となる「もんじゃ焼き」と格闘したが、イマイチ初回という事であまりコツを掴めず、ちょっと期待外れだったみたいだが。。
こちらはお台場にある、アメリカではなくフランスにある”自由の女神像”のレプリカ。
最初の”自由の女神像”はフランスからアメリカに贈られ、それに感謝してアメリカが小さい”自由の女神像”をフランスに贈り、このお台場の”自由の女神像”はそのフランスの像のレプリカとなっている。
お台場の夜でも、大好きな双眼鏡クンが待ち受けてくれていたけど、残念ながら100円を入れないままだと
「レインボーブリッジが・・・見えません!!」
と叫びたくなるのであったが。。
そして個人的には今回の東京旅での大テーマだった、自分の小さい頃に生まれ住んでいた「阿佐ヶ谷南」を巡る事だった。
自分が生まれてから3歳まで住んでいた阿佐谷南の団地は、既に取り壊されて別世界となっていた。
近くを流れる川などが当時の面影を残していたようだが。
日本のバブル時代に建設された”バブルタワー”とも皮肉られるという、こちらの「東京都庁」の建物。
しかしながら、バブル期ならではの多額のお金を豪華にかけて建造した建物だけあって、無料の展望台からの景観は素晴らしかった。
その後に訪れた西新宿にあるトンカツ屋「弁けい」は、美味しい味はともかく、テキパキと元気よく動くスタッフさんの姿を見ているだけで感激してしまうお店でもあった。
東京には何度も来た事があったけど、初めて訪れた「江戸城跡」。
今では天皇陛下が住んでいる場所でもあるので「皇居」と呼ばれる事が多いけど、個人的には「江戸城跡」と言いたい場所である。
そんな江戸城跡の本丸に築かれていた「天守台」は、全国的にも最大級規模だった。
しかし、江戸時代初期に3度に渡って建造された天守閣も、4回目の再建は天守台を築いた時点で中止となり、それ以後は再建される事がなかった。
こちらの模型は本丸内の施設内に展示されていた、1636年頃に再建された「3度目の天守閣」である。
3度目の天守閣は完成から約20年後の1657年に発生した『明暦の大火』で残念ながら焼失してしまい、同じく焼失してしまった江戸の街を再建する事を優先した為に、天守閣の再建計画は頓挫したのである。
こちらは凸版印刷本社脇に設置されていた、「印刷博物館」。
元々印刷業界で働いていた身としては、”印刷”の歴史にとても興味を感じたのである。
15世紀以降に人類の科学が大きく発展していく要素の1つともなったのが、グーテンベルクが発明したとされる「活版印刷」である。
それまでは写本と呼ばれる、手書きで写したコピー本を生産するというアナログな時代だった為に、重要な知識を伝える本の絶対数が足りなかった。
しかし、活版印刷の普及で本の大量生産が可能になり、文字を通して沢山の知識が後世の人々に残されていき、それらの書物を読んで大量の知識を吸収していった。
また、それと共にこのような広告ポスターも20世紀になって爆発的に増えて、「広告」という業界が大きく発展していく事にも繋がるである。
日本国内で最も高い建造物となっている「東京スカイツリー」。
大阪の通天閣とは違って、シンプルな外観がより東京らしさを感じさせてくれるように感じた。
そんな東京スカイツリーの展望台から見えた、隅田川に架るこの橋は、今年2023年7月29日に約4年ぶりに開催された『隅田川花火大会2023』で、最初に花火が打ち上げられたポイントでもあった。
そして最終日は神奈川県に寄り道し、前回鎌倉に行った際に見逃した、鶴岡八幡宮の「大鳥居(一の鳥居)」を間近に眺めた。
この鳥居には瀬戸内海の「犬島」で採れた花崗岩が用いられており、江戸時代初期にも瀬戸内海の小さな島から、この関東までわざわざ石を運んでいたというから驚きである。。
そして2022年という事で忘れてはいけないのが、こちら「源頼朝の墓」である。
2022年は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放送された為に、その影響を受けて多くの観光客がこのお墓を訪れている姿が見られた。
実際に亡骸が眠っているかは別として、鎌倉幕府の創設者という歴史的にも偉人である人物の墓が、こんな近くで見れるという事は驚きかもしれない。
逆に言えば、それだけの存在感しかなく、所詮は敗れ去った一勢力の人物だったとも言えなくもないが。。
いつまでも鎮座している鎌倉の大仏も、今年2023年の夏場はとても暑かった事だろう。
なお、今年から胎内見学が再開されているので、是非見に行きたく思うのであるが。。
やっぱり東京は約400年に渡って日本の中心地であり続ける場所なので、見所が多過ぎて、全然時間が足りなかった。
「まだまだ見足りない東京!」と思って帰宅したものの、間を置かずこの東京に舞い戻ってくる事になるのだが、それも”東京で生まれた男の宿命”だったのかもしれない。。
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