東京旅(2022年11月)-10
訪問:2022年11月
ラジオのマイク!
日本の放送はテレビではなく、約100年前のラジオから始まっていた歴史が学べる、東京都港区にある「NHK放送博物館」。
NHK放送博物館の見学!
今では「日本放送協会(NHK)」と呼ばれる、当初「東京放送局」という名前の放送局が、日本で初めてラジオ放送を始めたのが、1925年3月22日であった。
そんな新しい文明の利器は、すぐに競争相手として「大阪放送局」と「名古屋放送局」が出てきて、3局が競い合う構造となる。
こちらの書は、東京放送局の初代総裁になっていた後藤新平が、放送開始日に総裁としてラジオ放送で挨拶する際に、事前に自筆で書いた演説の内容である。
このラジオ放送が開始された頃の日本は、まだアメリカと敵対していた訳では無かったので、早速ラジオで「英語講座」の番組が流されていた。
こちらはラジオ放送が開始された1925年に使われていた、認定を受けたラジオ受信機である。
この当時はまだ「逓信省」からの”型式証明”や”封印”などで認定を受けたラジオ受信機しか販売する事ができず、ラジオ受信機が一気に世間に出回る事にはならなかったようだ。
こちらは1925年当時に国産高級機だった「ジュノラ 6A型 6球スーパーヘテロダインラジオ」。
こちらは”日本初の放送機”となる、ゼネラルエレクトリック社の「AT-702型送信機」。
1925年3月22日の放送時に、この機械からラジオ放送の電波が送られたという。
このようにいきなりテレビ映像の歴史を見ていくよりも、その前の時代にあったラジオの歴史から見ていく方が、日本の放送業界の歴史をより勉強できるようになっている。
こちらは1925年7月に、芝浦にある高校の一室から移転する為に、この愛宕山に新しく造られた東京放送局の局舎模型である。
『JOAK』は東京放送局のコールサインさ!
そしてラジオ人気が年々高まるにつれ、全国的にラジオ放送局がどんどん増えていき、ラジオ放送開始から10年後には27局まで増えていった。
ラジオバブルさ!
そして増えていくラジオ局はそれぞれに競争しているので、新しい分野のラジオ放送もどんどん手掛けていった。
その中でもスポーツ中継は人気があり、それまでは翌日の新聞のスポーツ蘭を見なければ分からなかった勝ち負けが、すぐにラジオで聞けたので革命的な存在でもあったラジオ。
今でも「ラジオ体操」という言葉をよく耳にするけど、これはラジオ全盛時代に放送されていた「体操番組」だったからである。
テレビの時代でも「ラジオ体操」さ!
こちらは1926年に逓信省が東京&名古屋&大阪の放送局3局を統合して、全国的な組織にする為に発令された「社団法人:日本放送教会 設立許可命令書」である。
なお、この統合で生まれた「日本放送協会」が、現在の「NHK」である。
ラジオ体操は1928年11月に、”昭和天皇即位を祝う事業”の一環として国内でスタートした。
元々はアメリカの生命保険会社が健康促進の為に、アメリカでラジオ体操番組を流していたのを参考にして、国内にも取り入れられた。
人気を博したラジオ体操は、第1~第3まで作られる事になる。
シンプルな体操の割に、約100年間に渡って日本国民に愛される体操となっており、如何にストレッチ体操が体にとって大事かという事を実感させられる体操でもある。
ラジオ体操:第3まで、できる奴はいないさ~♪
こちらは1927年8月に、”初めての野球実況中継”となった「第13回:全国中等学校優勝大会」の様子を記した書類。
何事も最初は苦労するもので、この野球実況も色んなトラブルや問題などが続出したという。
こちらは「ライツ型 MHマイク」という、仙台放送局の職員が研究開発した、日本初の国産マイク。
それまで高価で修理が困難だった外国製マイクに代わって、安価で修理しやすい為に国内のラジオ局で重宝されたというマイク。
こちらは1928年に初めてラジオ小説として放送された、『海国兵談(かいこくへいだん)』の原稿。
こちらは1930年に行われた「ロンドン軍縮条約:成立記念放送開始アナウンス原稿」で、イギリスから日本国内向けに初めて外国からラジオの送受信に成功したもの。
こちらは「ベリカード(Verification Card)」という、無線局の通信を受信したと証明する”受信確認証”だった物。
これは1928年にニュージーランドからの報告に対して、発行したベリカードとなっている。
今ではラジオやテレビニュースの際に必ず伝えられる「気象通報」も、1928年頃に全国的に始まったという。
こちらは”第10回オリンピック競技大会”として開催された、1932年の『ロサンゼルス・オリンピック』の際に、日本放送協会が行った「実感放送」用のメモが書かれた、公式プログラムの一部である。
このオリンピックはロサンゼルスしか立候補した都市がいなかったさ!
この時はまだオリンピックの実況中継が行われていなかった時代で、日本放送協会はいち早くラジオ中継を実施したが、オリンピック主催側から「生中継されると観客が減る!」という理由から、実況中継を禁止されてしまう。
そこで仕方なく日本放送協会のアナウンサーは、オリンピックで見た様子などをプログラムにメモって、スタジオに帰ってからその様子を再現して放送を行ったという。
最初は何でも反対勢力がウルサイんだよね!
こんな旅はまた次回に続きます!
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2022年11月上旬に訪れた、2泊3日の東京旅です。