東京旅(2022年11月)-17
訪問:2022年11月中旬
懐かしい場面!
そして「NHK放送博物館」で次のブースに向かうと、見た事のある映像が多い「オリンピックの感動を伝える」コーナーが見えてくる。
NHK放送博物館の見学!
こちらではこれまでのオリンピックで日本人が金メダルを獲った種目をメインに展示がされていたが、昔の物より記憶の問題もあってか、近年の場面の方が多く展示されていた。
水泳というとボクらの世代までは「鈴木 大地」が印象的であったが、それを越えてきたのがこの「北島康介」であった。
【1988年ソウルオリンピック】競泳 鈴木大地
”バサロ”という潜水技が凄かったでござる!
北京五輪 100m平泳ぎ完全版
見ている方も叫んでしまうでござる!
こちらは「2004年アテネオリンピック」の体操競技で、団体総合の金メダルを決定する最終競技でNHKアナウンサーの刈谷富士夫氏が発した言葉が名言となっている。
アテネオリンピック 日本体操男子団体 金メダル
NHKテーマソング、ゆずの『栄光の架橋』ともマッチしてたよね!
金メダルの瞬間は、アナウンサーの見せ場でもあるぜ!
こちらは「1998年長野オリンピック」のスキージャンプ:ラージヒル団体で、金メダルの感動を演出した「原田 雅彦」の名場面である。
この時は「船木 和喜」という選手がワールドカップで総合優勝も成し遂げて、最高のスキージャンパーであり、このオリンピックでも完璧な飛行点を叩き出して、本来なら”完璧なヒーロー”となるハズだった。
しかし、「1998年長野オリンピック」のラージヒル団体では、前回の1994年リレハンメル五輪で失敗ジャンプを最後にしてしまって金メダルを獲り逃した原田 雅彦が、この大舞台でもその”トラウマ”を連想させる場面を引き起こすのであった。
【原田雅彦】立て 立て 立った! ヒーローの誕生
スキージャンプ団体で、岡部と斎藤が順調にジャンプを成功させていた1本目のジャンプが原田に回ってきた時に、タイミングが悪く天候も悪化した。
そんな悪条件の中でジャンプした原田の1本目のジャンプは、”K点”に全然届かない失敗ジャンプとなってしまう。
そして、2回目に回ってきた原田のジャンプは、2本目のジャンプで高得点をたたき出して来た岡部と斎藤の頑張りもプレッシャーとなって厳しい場面であったが、奇跡とも思える”大ジャンプ”を成し遂げたのである。
この瞬間は日本中がガッツポーズをした瞬間でござる!
ちなみにこの時の実況アナウンサーが「立ってくれ~~!」と言った台詞も、NHKが放送していた番組内での事で、民放で同じくジャンプを放送していた番組内では「高くて高くて、立った~~!」という台詞だったのであるが。。
原田が次にジャンプする舟木を見ながら、「ふなき・・・」と叫んでいたのは覚えてるわ!
オリンピックで金メダルを獲得した選手は、それまでインタビュー時は真面目なコメントが多かったが、水泳の北島康介時代になってくると、その時の心情を素直に表現した”イマドキなコメント”が聞かれるようになってくる。
この頃から「チョ~~」という言葉が使われだしたぜ!
こちらは「1996年アトランタオリンピック」で、銅メダルに輝いた有森裕子の名言である。
オリンピックで名場面と共に”名言”のシーンが印象付けられている瞬間では珍しく、金メダルを獲得した瞬間ではなく、銅メダルを獲得した瞬間となっているのも特徴的である。
他は全部金メダルの名言ばかりなのにな!
こちらは『1992年バルセロナオリンピック』で、”競泳競技の最年少金メダル獲得記録”ともなった、当時14歳の岩崎恭子が「200m平泳ぎ」で金メダルに輝いた瞬間の言葉である。
バルセロナオリンピック_競泳女子200m平泳ぎ決勝
冷静に考えれば、14歳の子供が「今まで生きてきた中で一番幸せです!」と言った所で、そこまで大人に興味を持たれる内容でもない。
でもそんな14歳の女の子が金メダルを獲ってしまった為に、あまりその名言にツッコミが報じられなかった場面でもあった。。
中学生で金メダルはヤバすぎるぜ!
こちらは時代がちょっと古いけど、「1984年ロサンゼルスオリンピック」で前回のモスクワオリンピックを涙ながらに日本が辞退する事になった悔しさをバネに、柔道男子無差別級で金メダルを獲得した「山下 泰裕」の名場面である。
山下泰裕(84`ロサンゼルス五輪)
この金メダルが掛かった決勝戦で対決したエジプトの「モハメド・ラシュワン」選手は、山下 泰裕が事前に痛めていた右足を敢えて狙わなかったとして、そのフェアプレー精神が称賛された人物でもある。
相手の怪我を徹底的に攻めてでも、金メダルは獲らないと!
こちらは更に時代を遡って、1972年に行われた「札幌オリンピック」で、”アジアで初めて冬季オリンピック金メダル”を獲得した、スキージャンプ70m級に出場した「笠谷 幸生」が飛んだ瞬間である。
1972札幌オリンピック ジャンプ
この時代はまだV字ジャンプしてない頃よね!
金メダルに輝いた笠谷選手は、あの竹鶴政孝のニッカウヰスキー所属だったぜ!
こちらは更に古い「1936年ベルリンオリンピック」で、当時はヒットラー独裁政権下で行われたオリンピックでもあった。
ベルリン五輪、前畑選手の泳ぎ
この大会で”日本人女性初の五輪金メダリスト”となった「前畑 秀子」は、女子200m平泳ぎで金メダルに輝いた。
この時の前畑は、「今まで生きてきた中で一番幸せです!」とは言わなかったぜ!
このようにオリンピックの歴史を見ていくと、日本人選手の競技後のコメントの変化で、それまでの封建的な社会で周囲に気を遣った発言から、各自が自由にその時の気持ちを発言できる時代に移り変わっていった事が理解できるのである。
ちなみにこちらの「2IO 分離輝度方式 カラーカメラヘッド」は、1964年東京オリンピック用に開発された高画質のカラー信号カメラ。
開会式の中継などに使われて、当時としては鮮明な画像で各国選手団の姿をお茶の間に映す役割をしたという。
「大河ドラマコーナー」にて
そしてこちらは「大河ドラマコーナー」となっていて、1963年から放送されている、”NHKの1年間を通して放映される歴史ドラマシリーズ”を紹介するブースとなっていた。
今年2023年に放送されている『どうする家康』で、大河ドラマは第62作目となっている。
ちなみに2024年は吉高由里子主演の紫式部を描いた作品『光る君へ』、そして2025年は横浜流星が蔦屋重三郎という江戸時代後半の出版人を演じる『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』が内定している。
個人的にはNHK大河ドラマは殆ど見た事がないので、これら過去の作品を観ても全く何も感じない。。
こちらは大河ドラマではないけど、2009~2011年に掛けて全13回に渡って放送されたスペシャルドラマ『坂の上の雲』である。
坂の上の雲 第1部
『坂の上の雲』ドラマは司馬遼太郎原作で、日露戦争で活躍した秋山兄弟と、その友人であった愛媛県が誇る文豪でもあった正岡子規の交友などを描いた作品である。
『坂の上の雲』ドラマは愛媛市内でも撮影されているので、ファンならそのロケ地巡りなども楽しめる事だろう。
こちらは昭和63~64年に掛けて放送された、大河ドラマ『武田信玄』と『春日局』の台本が展示されている。
「昭和64年」というと、昭和時代に生きていた人からすれば、思い入れが大きい年である。
というのもそれ以降に生まれた世代には分からないだろうが、この昭和64年1月7日の午前中に昭和天皇が崩御して、昭和が終わって平成に年号が新しく代わった年だからである。
昭和は特に長かったからな!
こちらはその前の昭和62年に放送された『独眼竜政宗』で、主人公の伊達政宗役は、今ではハリウッド俳優としても成功している渡辺謙が演じていた作品でもある。
この『独眼竜政宗』は、”大河ドラマ史上最高の平均視聴率”を獲得した作品でござる!
こちらは大河ドラマではなく、”NHK連続テレビ小説”の第31作目だった『おしん』の台本。
昔の台本は今では考えられないかもしれないが、全て手書きで作られていたのである。
こちらの衣装は2001年に放送された第40作目の大河ドラマ『北条時宗』で、北条時宗の妻となる祝子役を演じた「西田ひかる」が使っていた衣装のようだ。
大河ドラマ『北条時宗』でも、北条時宗の父親役で渡辺謙はまた出ていたさ!
ちなみにこの「西田ひかる」という女優/タレントは、ボクの数少ない”近くで見た事のある有名人”の1人である。
とあるチョコレート屋のオープニングイベントで見かけました!
そんな今まで殆ど見なかった大河ドラマの歴史を勉強していると、裏でオカンが何やら楽しそうに遊んでいる姿が見えてきた。
どうやら堅苦しい歴史などの展示だけではなく、ちょっと気を抜いて誰でも楽しめるようにと、こちらの3D衣装の着せ替えが楽しめるブースが用意されていた。
普段はこのような最先端の機器で遊ぶ機会がないオカンは、すっかり魅せられた子供の如く、アレコレと衣装チェンジしながら楽しんでいた。。
これ、なかなか面白いデ!
こんな風にオリンピックでの名場面や、歴代大河ドラマ作品などを学んでいくのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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2022年11月上旬に訪れた、2泊3日の東京旅です。