東京旅(2022年11月)-23
訪問:2022年11月中旬
見た事のある帯!
久々にやって来た東京も、アチコチと巡っている間にあっという間に夕方を迎えていた。
ただ個人的にはまだまだ行きたい所があったので、
疲れた・・・
早くホテル行きたい・・
と言うオカンを誤魔化しながら、銀座方面に向けて歩いて行くのであった。。
東京都内にて
首都の東京都内でも、この皇居と東京駅の間にあるエリアは高層ビルディングが立ち並んでいて、そのテナントに入っている企業もそこそこに有名な会社が多い事もあって、それなりに上品な街並みとなっている。
そんな江戸城跡の大手門から東側に向けて歩いて行くと、高層ビルディングに囲まれた「東京駅」が見えてくる。
この東京駅は大正3年(1914年)に開業した歴史ある駅で、第二次世界大戦時には空襲で建物が火災を起こしてしまったが、戦後に復元されて、更には平成時代に大掛かりな復元工事が行われて今に至っている。
そんな東京駅の西側ロータリーには、全然知らなかったけど、このような銅像が設置されていた。
個人的な予想では東京駅を設計した「辰野 金吾」かなと思っていたけど、「井上 勝(いのうえ まさる)」という”日本鉄道の父”とも言われる人物だった。
初代は本山白雲、2代目は朝倉文夫により制作されたぞ!
この井上勝は幕末の長州藩出身者で『長州五傑』とも称される事のある、海外留学生の1人でもあった。
『長州五傑』には伊藤博文も入っていたぜ!
当時の海外留学は江戸幕府の許可を得ないといけなかったが、長州藩は海外文化をいち早く吸収する必要性を強く感じていた為に、幕府に隠れて密航したのである。
その密航でもあった留学で、イギリスで当時最先端の鉄道などの技術を学んで帰ってきた人物が、その後の日本の近代化に大きく貢献するのである。
久しぶりに見る東京駅だけど、仕事でよく東京出張していた時には殆ど東京駅の外観を眺める事が無かった。
東京駅は出張時には単なる通過点でしか無かったので、新幹線を降りて地下鉄に乗り継ぐばかりで、じっくり東京駅の外観を眺めた事は意外と少ない。
東京駅周辺にはこちらの「新丸ビル」のような高層ビルディングが乱立しているので、遠くからだと東京駅を見つける事が難しくなっている。
だから土地勘を持って歩かないと、意外と東京駅に辿り着く事が難しいのである。。
この東京駅は皇居の玄関口でもあった為に、特に豪華な外観の駅舎として辰野金吾などによって設計された建物となっている。
今ではあまり見られないが、海外要人の送迎用に東京駅から皇居まで馬車が使われる事もあるという。
高層ビルディングに囲まれて存在感があまり感じられない東京駅舎も、観光客からすれば人気スポットともなっている。
建物としては高くはないものの、東京を象徴する駅でもあるので、意外と外に出て写真を撮る観光客が多い場所ともなっている。
そして後ろ側では、このように綺麗な”黄昏時”を迎えた空が見られた。
高層ビルディングばかりが立ち並ぶこのエリアだが、この筋は皇居に通じる道でもあったので、建物が無くて良く空が見えたのである。
そして電車に乗るつもりはなかったけど、久々に東京駅舎内にも立ち入ってみた。
東京駅構内は最近改装されて綺麗になっており、昔のレンガ造り建物から一転して、内部は21世紀の東京感が溢れる空間となっていた。
仕事の出張で大阪から東京まで移動する際には、その移動手段は100%新幹線のみの移動だった。
天候などに左右されやすい飛行機移動よりも、本数が多くて安定して運行している新幹線をどうしても選んでしまう。
ただ新幹線も降雪が多い日に米原周辺でSTOPして、東京駅に3時間遅れで到着した事が1回あったけど、2時間以上遅延した場合には特急券の払い戻しがある為に、それはそれでちょっと嬉しい出来事となったのである。
東京駅の特徴的な「八角形ドーム」の内側は西洋風建築物のようになっているが、日本らしく「12干支」のレリーフが飾られている。
しかし、この東京駅内には12干支ではなく「8干支」しか飾られておらず、残りの4干支は設計者:辰野金吾の出身地である佐賀県の武雄温泉内で保管されているという。
そしてコロナ禍以降に全国的によく見られるようになってきた食品の自動販売機では、小籠包の「京鼎楼(ジンディンロウ)」も販売されているのが見られた。
このような冷凍の小籠包が6個入りで1000円となかなかなお値段設定となっていたが、これでも買う人が居るからこの値段で販売されているのだろう。
こんな自販機で買う人なんて居るんか?
そしてこれまた久々に東京駅近くの地下通路を歩いていると、このように通路に机が設置されていて、通行途中のビジネスマンに使えるようにと一般開放されていた。
夏場は涼しくてエエやろな!
夕方の銀座にて
そしてやって来たのは「銀座」である。
特に買い物欲もない人間なので個人的には縁遠い街なのであるが、今回は訪れたいお店があったのでわざわざ銀座まで歩いてきたのだ。
銀座もどんどん建物が新しくなっていくので、昔に訪れた事がある人からすれば、全く違う近代的な街になってしまったと感じる景色かもしれない。
そんな新しい建物が増えていく銀座でも、こちらの「三越銀座店」は昔からの面影を残す、数少ない生き残りの建物となっている。
この銀座にある百貨店内では「三越銀座店」が売り上げ第1位となっており、2023年にはコロナ禍から回復したインバウンド需要により、売り上げが大きく伸びている。
百貨店はいつの時代でも強いぜ!
三越百貨店は昔はまだ「広告」という概念が社会に浸透していなかった時代に、時代を先取りするように広告を全面に押し出して宣伝を始めた。
いつの時代でも新しい概念に飛びついて、それまでの常識内の枠から飛び出た会社が大きく発展していくのだろう。
銀座の「伊東屋」に寄り道!
そんな銀座にやって来た理由の1つが、この「銀座:伊東屋」を訪れる事だった。
この「伊東屋」は明治時代に創業した老舗文具店で、他ではあまり見られない丁寧な品揃えなどが人気のお店である。
ちなみにこちらは入口に設置されていた消毒液容器に被されていた”ペンギンの顔っぽい飾り”で、このような装飾が見られるのも伊東屋らしい所だと感じた。
この伊東屋銀座本店を訪れたのには、2021年7月に放送されたNHK番組『ドキュメント72時間』で、「文房具店 この手紙をあなたに」というタイトルで来店する人々にインタビューしながら、デジタル全盛な時代ながらも手書きの手紙にこだわる人々などの様子を写していた。
最近ではあまりテレビを見なくなってきたけど、逆に『ドキュメント72時間』や『孤独のグルメ』で舞台になったお店や場所を訪れたくなってしまうようになってきたのだ。。
電子メールでは、人間の熱い気持ちは伝わらんぜ!
そんな伊東屋銀座本店内を散策していると、何やら見た事のある「青帯」が目に留まった。
一般人ならこの青帯ではなく、その帯で閉じられている便箋に目が行くのだろうが、変人のボクからすればこの青帯がとても重要な物なのである。。
この子、相変わらずの”変態”です!(笑)
というのもこの青帯を、かつて働いていたパッケージ製造会社で受注手配していた製品だったからだ。
直接伊東屋から発注があった訳ではなく、大阪にある某封筒会社経由での受注であったが、自分が手配していた製品がまだ使われている様子を見られて、とても嬉しい気持ちになった。
この青いケント紙にシルク印刷で銀刷りをしている製品なのだが、1回刷るだけではしっかりした銀色にならない為に、この製品は2回銀刷りを施している。
そんな2回の銀刷りをすると”見当ズレ”が起きやすく、しかもこのように”見当ズレ”を誤魔化しにくい細い線や文字が入ったデザインとなっていた為に、このシルク印刷を引き受けてくれる業者探しに苦労したという話を前担当者から聞いた事もあった。。
ちなみにそんな青帯を受注手配している時にはどんな商品に使われているなんて想像すらした事がなかったけど、このような昔からの人気な「和便箋」の一部に貢献できていたと思うと、今更ながら少し感激したのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!
↓↓↓↓東京旅:一覧ページ↓↓
2022年11月上旬に訪れた、2泊3日の東京旅です。