江戸城内堀沿いを散策し過ぎて、本丸への入場時間を過ぎて入れなかった・・・【東京旅㉑】

東京旅(2022年11月)-21

訪問:2022年11月中旬

入場時間の確認必要!

東京 江戸城跡周辺

東京都の中心部である江戸城跡周辺にやって来て、国会議事堂や日本水準原点を見学して、ついでに近くにある「首相官邸」も見に行きたかったけど、既にオカンがお疲れで全く興味が無く、

オカン
オカン

もう、エエやん・・・先に行こうや・・・

との事だったので、首相官邸は諦めて先に進む事にしたのであった。。

 

 

江戸城跡周辺にて

東京 江戸城跡周辺 三宅坂小公園

という事で国会議事堂前の通りを北に向かって進んで行くと、こちらの「三宅坂小公園」という公園が見えてきた。

 

東京 江戸城跡周辺 三宅坂小公園 銅像

この「三宅坂小公園」という場所も江戸時代には、とある藩の上屋敷が構えられていた場所だった。

それは三河国田原を治めていた「田原藩(たはらはん)であり、その田原藩の歴代藩主が「三宅家」だったので、この公園が「三宅坂小公園」と名付けられているという。

 

東京 江戸城跡周辺 三宅坂小公園 渡辺崋山出身地跡

全国的にはマイナーな田原藩出身の有名人というと、こちらの江戸時代の儒学者として有名な「渡辺 崋山(わたなべ かざん)である。

渡辺 崋山は佐藤一斎から儒学を学び、その優れた知識を活用して田原藩では『天保の大飢饉』が起きた際にも、その被害を最小限に留める事などで業績を挙げた。

しかし、1839年に起きた『蛮社の獄』で反乱を企てたとして、高野長英らと共にと投獄されてしまう。

そして田原藩で蟄居を命じられ隠匿していたが、彼に恩を受けた人物などが渡辺崋山の描いた絵を買い取ったりした事で、それが原因で田原藩が江戸幕府に目を付けられる事を危惧して、1841年に渡辺崋山は切腹して命を絶ってしまうのである。。

 

東京 江戸城跡周辺 最高裁判所

そんな田原藩屋敷跡は、今では「最高裁判所」などの建物が見られる。

最高裁判所とはよくニュースなどで目にする裁判沙汰でもお馴染みの、”日本における司法府の最高機関”である。

なので地方裁判所などの判決が不服で上告した場合などに、最高裁判所での判決に持ち込まれる事があるが、その裁判の判決が行われる場所である。

 

東京 江戸城跡周辺 国立劇場

その最高裁判所のすぐ裏には、こちらの「国立劇場」も見られた。

 

このエリアは播磨明石藩松平家の屋敷跡に造られているが、今年2023年の公演を最後に建て替えが行われて、2029年に新しい国立劇場の建物が見られる予定になっているという。

江戸春男
江戸春男

東京の建物も次々と新しくなるぜ!

 

東京 江戸城跡周辺 内堀

このように江戸城跡の皇居周辺では、その内側だけではなく、そのすぐ外側の建物や敷地などを見て回るだけで、色んな勉強ができる場所ともなっている。

 

東京 江戸城跡周辺 内堀2

江戸時代には日本の中心地となっていた江戸城だけど、その周辺に一等級の大名屋敷などが揃っていた為に、その跡地を巡る散策も楽しめる場所となっている。

 

東京 江戸城跡周辺 内堀 半蔵門

こちらの柵の先に見えているのは、有名な「半蔵門

家康のお抱えだった忍者「服部半蔵」から由来している門であるが、現在は天皇陛下が暮らす皇居に最も近い出入口となっている事もあって、一般人は立ち入り禁止の場所となっている。

江戸春男
江戸春男

昔の半蔵門は戦争で燃えたから、今の門は別の場所から移動してきた奴でござる!

 

 

東京 江戸城跡周辺 内堀 半蔵門近くの公園

その半蔵門から北側の内堀沿いに「千代田区立 千鳥ヶ淵公園」という縦に細長い公園が設置されていた。

ただ、この公園に設置されている遊具類は、江戸城にはあまり関係ないような物が設置されていたが。。

 

東京 江戸城跡周辺 内堀 半蔵門近くの公園2

せっかくの江戸城跡近くの公園なので、もっと江戸時代に関係するようなデザインの遊具を設置しても良かったのでは?と思ってしまう公園であった。

 

東京 江戸城跡周辺 内堀 半蔵門近くの公園3

そんな動物の遊具と共に、このよなロダン風の像も設置されていたが、わざわざこの江戸城のすぐ横に設置する程の物かと感じてしまったが。。

 

東京 江戸城跡周辺 内堀 半蔵門近くの公園からの景観

それにしても内堀の幅が広い江戸城跡。

これだけの広さがある内堀が築かれていたという事は、その内側にあった城の規模がそれだけ大きかったという事を表しているのでもある。

 

東京 江戸城跡周辺 代官町通り

そして内堀沿いを北に向かって進んで行くと、「代官町通り」という江戸城跡を東西に貫く道に出てくる。

江戸城跡も天皇陛下が暮らす「西の丸」や、天守台が残る「本丸」などは時間制限などもあって立ち入る事が出来ない場合があるけど、この代官町通りで区切られている「北の丸」などは逆に自由に一般人が入れる場所となっている。

 

東京 江戸城跡周辺 代官町通りから眺める内堀

それにしても内堀の広さから、この江戸城の規模が何となく理解できるような気がする。

しかし、1657年に江戸で発生した「明暦の大火」では、これだけ幅広い堀を火の粉が飛んでいって、本丸にあった天守閣を炎で包んだとされている。

江戸春男
江戸春男

火の粉は生きているでござる!

 

この代官町通りの道沿いには、このように門跡の石垣が見られる。

昔は周辺に数えきれない位の門が設置されていたのだろうが、今ではその必要性が無くなった為に大半の門が撤去されてしまっている。

 

東京 江戸城跡周辺 代官町通り 門跡の石垣2

その為にこのような盛り上がった石垣跡を見て、ここが「門跡」だと気付けるようになるまで、そこそこな時間がかかる。

というボクも最近になってお城に興味が出てきて調べ出した事で、ようやくこのような門跡の石垣を認識できるようになってきたのであるが。。

江戸春男
江戸春男

昔の城の姿を想像できるまで、もっと修行が必要だぜ!

 

 

東京 江戸城跡周辺 代官町通り 乾門

代官町通りを東に進んで行くと、「立ち入り禁止」と札が張られた「乾門」が見えてくる。

この乾門は実は江戸城には存在していなかった門で、明治時代に他の場所にあった門を移設して今に至るという。

なお、普段一般人は乾門に近づけないけど、年初めの”新年一般参賀”の出入口に使われる時があり、その際にこの門に近づく事が可能なようだ。

 

東京 江戸城跡周辺 代官町通り 乾門周辺

かつて日本の中心地だった江戸城は、明治時代に入ってから天皇が暮らす「皇居」へと姿を変えた。

それに合わせて江戸城跡も改造された箇所があり、今見られる姿が昔の名残を残すとは必ずしも言える場所ではないようだ。

 

東京 江戸城跡周辺 北桔橋門

その乾門からすぐ東側には、こちらの「北桔橋門」が見えていて、この門から本丸内への入場が出来る場所となっている。

 

東京 江戸城跡周辺 北桔橋門 看板

なお、江戸城跡(皇居)周辺の周回道路は昔からランニングをする人が多く、この散策時にも多くの人がランニングしている姿を見かけた。

ちなみに、この周回道路は「反時計回り」がマナーとなっているようだ。

江戸春男
江戸春男

左側通行の日本らしい、反時計回りだぜ!

 

東京 江戸城跡周辺 北桔橋門周辺2

そして満を持して「北桔橋門」から江戸城跡本丸内に入城しようとしたら、何と入城最終時刻が「15時30分まで」となっていて、この時点で15時50分と既に入城時刻が終了してしまっていたのである・・・・。

オカン
オカン

もっと時間を考えて行動せな・・・

 

東京 江戸城跡周辺 北桔橋門周辺

江戸城内の散策を楽しみにしていたけど、その前に江戸城周辺をじっくり散策してみたかったので、それを優先してしまった為に肝心の江戸城跡本丸内の散策が出来なくなってしまったのである。。

江戸春男
江戸春男

『二兎を追う者は一兎をも得ず』でござる!

 

東京 江戸城跡周辺 北桔橋門周辺 景色

という事で東京旅初日に江戸城跡本丸内の見学が出来なかった為に、仕方なしに翌日の予定を変更して、強引にも江戸城内の見学を行う事にした。

幸いにも江戸城跡は東京都の中心部に位置する為に、東京内からはどこからでもアクセスしやすいので、とても行き易い場所であったのはラッキーであった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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東京旅(2022)

2022年11月上旬に訪れた、2泊3日の東京旅です。

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