東京旅(2022年11月)-43
訪問:2022年11月中旬
地味な墓跡!
鎌倉市に来て鶴岡八幡宮とその脇にあった「源頼朝の墓」を訪れてから、更に東側にある場所へ移動する。
法華堂跡(北条義時の墓跡)にて
「源頼朝の墓」のすぐ西側にはこのような広場が山の中腹に広がっていて、ここが鎌倉時代に執権政治を行った北条氏の「北条義時」の墓跡でもある法華堂が建立されていた場所のようだ。
ここにあった法華堂跡では、源頼朝や北条義時の墓が設置されていた寺で、源頼朝の墓は後年に復興されていたが、北条義時の墓は今では消え去ってしまっていた。
源家の子孫を名乗る人はいても、北条家の子孫を名乗る人は少ないぜ!
そんな法華堂跡近くの洞穴には、”鎌倉殿の13人”の1人でもあった有力御家人の三浦氏一族が、北条氏と戦った『宝治合戦(ほうじかっせん)』でここに追い込まれて集団自決した場所でもあるので、その墓が設置されていた。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の中で山本耕史が演じた、北条義時の従弟で「三浦義村(みうら よしむら)」が特に印象的だった三浦氏。
源家や北条家に協力して鎌倉幕府に尽力した家柄であるが、最終的には敵対する勢力として排除される事になるのが、鎌倉時代の厳しさのようにも思える。
ここから鳥居があって、その奥には上に昇る階段が見えている。
ここまで来たなら、この階段を登らないという選択肢など無いのである。
大河ドラマの影響か、この法華堂跡を散策する人の姿もチラホラと見られた。
恐らく大河ドラマが放送されるまでは北条義時の存在などあまり知られていなかったが、全国的なドラマで小栗旬が主役を演じた人物だけあって、今では多くの人が訪れる場所に変わり果てていたようだ。
その階段を登って上に行くと、ここでも洞穴を改造して作ったような墓が見えてくる。
左側にあったのは「毛利 季光(もうり すえみつ)」の墓で、鎌倉幕府の御家人でもあった人物で、最後は三浦氏と共に北条氏と戦った『宝治合戦』で戦死している。
しかし、その戦いに加わらなかった子孫が生き残り、西国の安芸国に渡り住み、戦国時代以降に頭角を現して、江戸時代討幕の原動力ともなった長州藩の礎を築くのである。
その隣には毛利季光の父親であった貴族の「大江 広元(おおえ の ひろもと)」の墓もあった。
毛利季光も本来は「大江」と名乗るはずであったが、領地が「相模国毛利荘」であったので『毛利氏』を名乗るようになったという。
毛利氏の由来は、関東の相模国から来てたんだ!
この辺りは古墳時代の横穴式古墳が存在していた場所に、江戸時代になってからその祖先が由来する場所として長州藩と薩摩藩が墓を整備した為に、このような墓が見られるようになっているようだ。
勿論墓といっても必ずしも人骨が埋められている訳ではなく、その人物を供養する「供養塔」的な存在として建てられている事も多い。
こちらには”島津氏の祖”ともされている「島津 忠久(しまづ ただひさ)」の墓も設置されていた。
これも実際にここで死んだわけではなく、供養塔として江戸時代に作られた物となっている。
島津氏の祖ともされている島津忠久は、一説には”源頼朝の子供”とも噂されているが、真偽は不明である。
ただ昔話には怪しい話が沢山あったので、後世になってから島津家の箔を挙げる為に創作された話である可能性が高そうだが。。
昔の時代は、誰の子孫であるかが重要だったぜい!
こうやって墓跡を見学すると、鎌倉幕府の主役はやっぱり源頼朝であって、北条義時はその脇役の1人にしか過ぎなかった事が分かる。
北条義時の墓跡でもある場所だが、その墓がないという事はそれだけ後世の人達にとって、重要と思われなかったからかもしれない。。
せっかく小栗旬が演じていたのに・・・
この鎌倉幕府の歴史は主に『吾妻鏡(あずまかがみ)』に記されている内容が多い。
過去の歴史は時代の権力者たちが自分達の都合のいいように編集しており、必ずしも残っている歴史書が過去の真実を表しているとは限らないのだが。。
日本の歴史書も大半がフィクションだぜい!
大河ドラマがその年に放映されている地域では、このようにそのネームバリューを使っての宣伝が行われている。
それに対して、大河ドラマで地元の偉人を起用して欲しいとアピールしている場所とは、雲泥の差となっているのだろう。
そして鎌倉駅に向かって戻っている途中に、鶴岡八幡宮の参道から一本西側の道に入ると、このように観光客が溢れる道が見えてくる。
こちらは「小町通り」となっていて、いかにも観光客向けに商売しているという雰囲気を出しているお店ばかりが立ち並んでいるエリアだった。
ただ、逆に鎌倉の歴史を伝えるようなお店はなく、最近の観光客向けに媚びた食べ物などが販売されている店ばかりなので、個人的には味気なく思えた通りであった。
観光地も金稼ぎたい人が多いぜい!
高徳院へ向かう!
そして鎌倉と言うと、やっぱり一番人気がこちらの案内板にもあるように「大仏」である。
非常に判り易い案内板であったが、せめて「大仏様」と丁寧な表示にしてもいいかと思ったのだが。。
「大仏」が短く、判り易くていいぜ!
鎌倉だけではなく関東旅行に来た際の代名詞的な存在にもなっている「鎌倉:高徳院の大仏」だが、ここでは大仏を見に来たというよりも、それを見に来た大勢の観光客を見に行くような場所でもあるのだが。。
通称「大仏」という名前が人々に浸透している為に、意外とこの鎌倉の大仏が鎮座している寺の名前まで知っている人は少ない。
ここも鶴岡八幡宮と共に鎌倉に来た観光客がセットで訪れる人気の場所となっているので、オカンを引き連れて境内に進んで行くのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!
↓↓↓↓東京旅:一覧ページ↓↓
2022年11月上旬に訪れた、2泊3日の東京旅です。