近代日本の物流が進化していく過程を勉強できる「物流博物館」【東京旅②】

東京旅(2022年11月)-2

訪問:2022年11月

馬も使っていた!

品川区 物流博物館 館内

ここは東京都港区高輪にある「物流博物館」の館内。

東京都内でも”マイナーな博物館”の1つでもある所だが、個人的にはそういうマイナーな博物館の方がより多くの事を学べると思っている。

 

【物流博物館】

住所:東京都港区高輪4-7-15
営業時間:10時~17時頃(※定休日:毎週月曜日/他)
電話番号:03-3280-1616
入館料:大人200円/65歳以上100円/中学生以下 無料

 

 

物流博物館の見学!

品川区 物流博物館 昔の絵

こちらの錦絵は明治10年代に、隅田川に架る両国橋付近を行き来していた、川蒸気船「通運丸」を描いた物。

 

品川区 物流博物館 模型 蒸気船

明治2年(1869年)になって明治政府が西洋型帆船や蒸気船の民間所有を解禁した為に、「内国通運会社」が明治10年に5隻造らせた船の1つが、この「第一号:通運丸」

 

ちなみにこの時の内国通運会社は、後に日本の物流業界で最大業者に成長する「日本通運株式会社」の前身でもある。

 

品川区 物流博物館 速達便

なお、この物流博物館も元々は日本通運社内に保管/展示されていた歴史的な資料を一般公開する為に造られた施設で、日本通運社から寄付などを受けている影響で、日本通運関係の資料が多く展示されている。

江戸春男
江戸春男

日本通運寄りの資料館やぞ!

 

品川区 物流博物館 馬車の模型

エジプトに初めて訪れた際に、その首都であるカイロでまだ馬車が使われているのに驚いたけど、明治時代の日本国内も途中まではこのような馬が荷台を引く姿がよく見られたようだ。

また前回探索した阪堺電車なども、当初は「電車」ではなく「馬車鉄道」から始動した会社であった。

江戸春男
江戸春男

トラックが使われ出すのは、大正に入ってからさ!

 

品川区 物流博物館 歴史

江戸時代から明治時代を迎えて近代化に突っ走る日本にとって、まず大きく発展したのは大正時代。

というのも初めて地球上で勃発した世界大戦(第一次世界大戦)に日本は参戦せず、近くの国に軍需物資を製造して引き渡す事で、多くの利益を得たからだ。

江戸春男
江戸春男

その為に、”大正バブル”が起こったのさ!

 

品川区 物流博物館 馬車

そんな大正バブルは第一次世界大戦の終結と共に弾けてしまったが、昭和時代に入ってアジア地方に侵略していった日本は、次々と領土を拡げていった為に、物流手段などもそれに合わせて発展していった。

 

品川区 物流博物館 オート三輪

今でもアジアの国に行くと、このような「オート三輪」が走っている光景が普通に見られるけど、今から90年近く前の日本でも普通に走っていた。

 

品川区 物流博物館 昔のコンテナ2

そんなトラックやオート三輪以外にも、国内に普及していた鉄道を利用した「コンテナ輸送」の機運も高まりつつあった。

しかし、昭和前半はまだ充分な機械化が進んでおらず、「コンテナ輸送」という物流システムも未熟だった為に、大きく使われるまでには至らなかった。

 

品川区 物流博物館 昔のコンテナ

今では一般的になっている20フィートや40フィートのコンテナという概念は当時にはなく、まだ鉄道の貨車に載せれる大きさの荷物箱という感じだった頃だろう。

コンテナが一気に普及し出していくのは1950年代以降の事なので、この頃はまだ試行錯誤の時代だったと考えられる。

 

品川区 物流博物館 昔のコンテナ3

現代ではあまり竹製の籠は使われなくなったけど、昭和前半まではこのようにコンテナの箱も”竹製”の物があったようだ。

江戸春男
江戸春男

竹製品は日本らしさがあって、いいんだけどさ。。

 

品川区 物流博物館 昔の荷物

大正時代にアメリカから輸入されたトラックが徐々に増えだして、昭和初めにはこのようにトラックを何台も所有するようになっていた運送業者。

この頃にはトラックなどが普及した事もあって、馬車が淘汰されてしまい、物流や移動などの新時代が到来していたようだ。

 

品川区 物流博物館 昔のポスター

そうして”荷物の輸送”という分野が確立し、「宅扱」という文字が見られる時代が来る。

江戸時代までは飛脚という手紙を配達する”メール便”というシステムが一般的な時代だったけど、動力で動く乗り物の普及によって、届けれる物の大きさが拡大していく事になる。

 

品川区 物流博物館 昔のトラック

こちらは昭和20年代の「冷蔵トレーラー」の写真で、当時は画期的な存在だった事だろう。

今では「冷蔵車」は全く珍しくないけど、当時は家庭内に冷蔵庫が無かった時代でもあったので、人々は”技術の進歩の凄さ”を体感していた車だったのかもしれない。

 

品川区 物流博物館 昔の港付近

こちらは昭和30年代前半の、秋葉原駅貨物ホーム周辺を行き来するトラックが混雑している様子の写真。

大きな荷物を送れるようになると、動く荷物が増えていき、荷物が増える程に”荷物を多く/早く”運ぶ為に物流が進化していくのである。

 

品川区 物流博物館 昔のトラック

そして戦後復興を迎えた昭和30年代~昭和40年代には一層物流が成長していき、高速道路の整備などの影響もあって、貨物自動車運送事業の売り上げが大きく増えていく。

 

品川区 物流博物館 昔のトラックが走る写真

こちらの写真はアジア地方の山道を走るトラックの写真に見えるけど、これは昭和30年代前半に富士山近くの道を走っていた、日本の”ボンネット・トラック”の写真である。

江戸春男
江戸春男

日本にもこういう時代があったのさ!

 

品川区 物流博物館 昔の「日通便」のポスター

日本通運というと『ペリカン便』のイメージが強いけど、最近聞かないなと思っていたら、2009年頃に「ゆうパック」事業に吸収されていたようだ。

江戸春男
江戸春男

『ペリカン便』を知っているかで、年齢が判るさ!

 

品川区 物流博物館 トレーラーの模型

そして重機の開発などによって、大きくて重たい物も運べる時代となってくる。

このように物流の発展は輸送機開発に大きく依存しており、”輸送機の発展と共に進化した”と言っても過言ではないのである。

 

品川区 物流博物館 昔の日通のロゴ

人類の技術は20世紀に大きく発展したが、それに大きく影響を及ぼしていたのがこの「物流」である。

そして21世紀には「翌日配送!」などという当時には考えられなかった配送システムまで構築されているが、その歴史を紐解いていくと、一歩ずつ色んな技術が積みあがって今があるのであった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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東京旅(2022)

2022年11月上旬に訪れた、2泊3日の東京旅です。

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