高知県旅行記2021年3月-9
旅行期間:2021年3月某日(2泊3日旅)
生家も見学!
高知県でも西南端に位置する「土佐清水市」。交通の便が昔からあまり良くない土地柄でもあり、車が無ければ中々来ようと思えない場所でもある。近くにある足摺岬まで向かうには、バスを除けば車が必須となっている。
食事処「あしずり」で昼食タイム!
そしてジョン万次郎資料館を見学し終わった頃には12時となっていたので、この土佐清水市にあった食事処をネットで探して訪れる事にした。この辺りは人口も少なく、またコロナ禍の影響で閉まっているお店も多そうに思えたので、すんなりとこちらのお店に決めたのである。
いつもは選択肢が有ると思っているので中々食べるお店を確定させないけど、逆に選べるお店が無いと思ったら、意外とお店を早く確定する事が出来た。そしてちなみにこのお店の駐車場はお店の裏側にあって、「第一駐車場」と「第二駐車場」が用意されていて、7台程駐車できるようになっている。
この時は知らずに、もう少し先のドラッグストアに車を停めましたが・・・
高知県の中でも人口が少ない土佐清水市なので、「飲食店も少なくて昼時には混むかもしれない!」と思って、ドラッグストアの駐車場からお店まで走って飛び入った。幸い、お店に到着時は待たずに座れたけど、それから続々とお客さんがやって来て、ボクらが帰る頃には順番待ち状態となっていたが。
この土佐清水市は昔から漁港として続いてきているので、やっぱりメイン料理は刺身系となっていた。それ以外にも海鮮系の料理が色々とありそうで、魚好きが足摺岬にやって来たなら、是非とも寄るべきお店でもある。
やっぱり漁師飯というと、丼の上に豪快に刺身を乗せたのをガッつくイメージがある。ただそんな刺身が乗っている丼よりも、いつもながらの習慣で「カツ丼」の方に目が行ってしまった・・・。
こちらは「長太郎貝」という、ホタテ貝の仲間である「緋扇貝(ヒオウギ貝)」を焼いた定食は、オカンが嬉しそうに選択した。他の場所では「ヒオウギ貝」と呼ばれる事が多いが、この土佐清水市では”長太郎貝”という愛称で親しまれている。
長太郎君が見つけたから、「長太郎貝」って呼ばれてるぜよ!
そしてボクはカツ丼の誘惑を断ち切れなかった為に、刺身とカツを半分こしたカツ定食を注文してみた。土佐名物というと勿論「カツオ」であるが、「カツオは昨日も食べたし、多分明日も食べるし・・・」という事でトンカツを添えてみたのであった。
ただ港から近い場所だけあって、刺身も新鮮な雰囲気が漂っている。ただし、それは人間の脳が勝手に立地だけでそう思わせているだけで、必ずしも新鮮な刺身が出てきているという訳ではないので注意である。
土佐では、新鮮な刺身しか出さんぜよ!(怒)
この高知県でも南西端にあって、海から近い土佐清水市の海鮮系料理が美味しいお店で、わざわざ注文したトンカツ。しかし、このトンカツが定食メニューに載っているという事は、それだけ同じようにトンカツを注文する人が不特定多数存在しているという訳でもある。
そしてオカンの前には、長太郎貝を焼いた「黄金焼き定食」が出てくる。やっぱり海が近い場所にある食堂では、トンカツよりも海鮮系の料理の方が当然ながら美味しく思える。。
味噌とマヨネーズを乗せて焼いた食べ方が”黄金焼き”らしく、このような土佐に来たからこそ食べれる食べ方でもあった。上にはナスっぽいのも載っていて、オカンは「旨い!」を連発しながら味わっていたのである。
旨いワ~~♪
「ヒオウギ貝」というと、このように貝殻の色がカラフルな貝で、食べ終わった後に殻を持って帰って、家に旅の記念品として飾る人も多いとか。こちらはお店の窓に飾られていたもので、カラフルな日差し除けとしても活躍していた。
お店の入口脇の壁には、このようにジョン万次郎に関連したパネルが貼られていた。恐らくこの土佐清水市の町興しの一環なんだろうけど、他の場所でこのようなパネルは見かけなかったけど・・・。
そして土佐で有名なのが「清水サバ」。足摺岬付近で獲れた「ゴマサバ(胡麻鯖)」は一匹ずつ”立縄漁”という独自の方法で釣り上げ、傷まないようにたも網ですくう。
そして漁で獲れた清水サバは2種類の流通ルートがあり、「活魚」は港に戻ってから水槽に1日以上入れて、釣られた時のストレスなどを取り除いて出荷される。「鮮魚」は船上で冷たい氷水に入れられ、港に陸揚げされてからスグに血抜きが行われて、急いで出荷される。
清水サバは鮮度が命ぜよ!
ジョン万次郎の生家も訪問!
そして、足摺岬の先端に向けて移動していると、途中に「ジョン(中浜)万次郎の生家」という看板が見えてきたので、ついでに寄り道してみる事にした。
この建物は「ジョン万次郎の生家」ではなく、この中浜の「中浜区長場」で観光案内所でもある。「ジョン万次郎の生家」はこれから先の混み入った集落の中にあるので、車で訪れた場合にはこの「中浜区長場」周辺に車を停めて、中の人に場所を教えてもらって進むのがベストな選択のようだ。
ただボクはナビを見ながら進んでいたので、この案内所には気付かなくて、周辺をウロウロとする事になった。というのも「ジョン万次郎の生家」は、この道から見える所にはなく、また車も入れない場所にあるからだ。
万次郎は日本に帰国した後に土佐の藩士として登用され、更に幕末の海外勢の脅威が迫る中で”アメリカ滞在”という重要な経験をした事のある日本人だったので、江戸幕府に引き抜かれる。その際に苗字が無かったので、この出身地の「中濱」という性が与えられる事になる。
この中浜という場所は漁師村だったので、民家が隣接し、密接して建てられている。そして車で来ると、さっきの「中浜区長場」にしか案内が無かったので、それを見逃すと万次郎の生家がドコにあるのか、分からないような場所だった。
とりあえず車を邪魔にならない所に置かせてもらって、周囲を歩き回って探す事にした。すると、車が通れないような狭い道があって、その通路に「中浜万次郎生家⇒60m」という看板を発見したのである。
「中浜区長場」から徒歩でやって来る観光客には、この看板がすぐに目に入ったかもしれないが、「中浜区長場」を行き過ぎた観光客はこの看板が見当たらないので、恐らく迷子になって「中浜区長場」に辿り着く人も多いように思えた。
そして万次郎の生家に向かって進んで行くと、その脇に万次郎の母親(汐)が出た「中谷家」があった。ただこの家は特に観光客向けに何かある訳でもなさそうで、単なる民家で観光客が訪れる様な場所ではなかったが・・・。
なかなかに狭い道で、車が入れない狭さとなっている。ただ、こういった集落の造りは漁師村によく見られたもので、昔から漁をしてきた人達が住んでいた歴史を、説明なしに理解する事が出来る光景でもある。
「ジョン万次郎の生家」にて
そして半信半疑で狭い通りを進んで行くと、角に立派な茅葺屋根の建物が見えてきた。この万次郎の生家の建物は2010年10月に復元された物で、昔からここに建っていた建物ではない。
万次郎は半農半漁で暮らす、貧しい漁師の家に次男として生まれた。そして9歳頃に父親が亡くなってしまった為に、仕方なしに幼いながらに労働に駆り出されてしまう。陸での重労働よりも漁師の手助けをする方を選んだ事が、万次郎のその後の運命を大きく左右したのでもある。
こちらの生家は無人の施設となっていて、中はこのように江戸時代後半に人々が使っていた生活道具などが展示されていたり、パンフレットやカレンダーなども販売されていたりしていた。
当然ながら建物内はそんなに広くはなく、貧しい江戸時代の庶民からすれば、まだこのような家があった事だけでも幸せな方だったのかもしれない。万次郎もそのまま育てば、”一漁師の名もなき人物”として歴史に埋もれる存在だっただろうが、”漂流”という事件をきっかけにして江戸幕府に注目される人物になったのである。
ここにはこちらの無料ティッシュが配布されていて、それにはジョン万次郎の署名活動を訴求する物となっていた。
この大河ドラマ向けの署名活動は全国で行われているけど、どうやらまず100万人の署名を集める事が採用候補に載る準備段階となるらしく、100万人の署名を集めたからといって大河ドラマに採用される訳ではないようだ。
署名集めは大変だけど、大河ドラマの経済効果は凄いので頑張るぜよ!
万次郎の生家といっても、単なる茅葺屋根の昔風の建物なので、そこまで見学に時間が掛かる訳でもなかった。逆に万次郎の歴史とかも殆ど展示されていなかったので、わざわざ生家を見に来た人からすれば、「えっ、これだけ・・・?!」と思うような生家だったように思えたが。。
生家の近くには綺麗に咲いた桜の花も見られた。ただ目の前に見えている復元された建物をそのまま見ているだけでは雰囲気が出ないけど、そこに自分の想像力をプラスした世界観で見つめる必要があった場所だったのである。。
単なる茅葺屋根の建物にしか見えん・・・
こんな旅はまた次回に続きます!
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