高知城天守閣脇に隣接する、本丸御殿だった「懐徳館」から見学して行く【高知県旅行記20】

高知県旅行記2021年3月-20

旅行期間:2021年3月某日(2泊3日旅)

伝統的な日本家屋!

高知市内 高知城 本丸の天守閣

さて高知県旅の中でも一番の楽しみにしていた「高知城」の天守が、目の前に見えてきました。

 

なお、この高知城を訪れる数日前に、天守閣最上階の外側に設置されている「高欄(廻り縁)」の改修工事が終了したばかりだった。

 

 

 

まずは御殿だった「懐徳館」から見学!

高知市内 高知城 蘇鉄

そんな本丸よりも先に目が行ってしまったのが、こちらの「蘇鉄」。奄美大島に行って以来、もうお馴染みに見かける植物の蘇鉄であるが、今までは気にしなかっただけでその存在に全く気が付いていなかったけど、逆に気にするだけでどこでも生えているのを見かけてしまう。

 

高知市内 高知城 蘇鉄 説明

この蘇鉄は基本的には観賞用として、全国の寺などにも設置されているが、緊急時の食用としても食べる事が出来た植物である。しかし、蘇鉄には毒が含まれているのでそのまま食べれず、煮詰めて毒抜きをしなければならなかった。また、名前の由来は蘇鉄が弱ってきた時に、鉄の釘を打ち込んで鉄分を与えると、元気になっていった事から来ているという。

 

高知市内 高知城 入場券売機

そしてまずは入場券を購入する。こちらは江戸時代から現存する天守の雰囲気に合わせて、販売機の周りに木で囲いをしていた。この方が無機質な金属の券売機ではなく、木の温かみを感じれる券売機となっていた。しかし、正確にはここで販売されていたのは「入城引換券」で、窓口で入城券と交換するシステムになっていたが。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

機械だと割引適用の確認が出来ないから、一旦窓口に行くというシステムぜよ!

 

高知市内 高知城 懐徳館 下駄箱

そして江戸時代から現存する天守アルアルの”入城には土足厳禁”という事で、まずは下駄箱が用意されている。城によっては袋に入れて見学中に持ち歩かないといけない城もあるだけに、無料の下駄箱が設置されているのは大変ありがたい。

※下駄箱の鍵を紛失すると、別途「鍵代」を徴収されるので紛失には注意を!

 

高知市内 高知城 懐徳館 入口

高知城天守閣の入口は、かつては本丸御殿だった「懐徳館(かいとくかん)から始まる。本丸御殿だった建物にこのような名前が付けられているのは珍しいように思うが、この「懐徳館」という名前は廃城令のあった明治6年頃に公園化された際に、この名前が付けられたという。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

同じように天守も「咸臨閣」と名付けられているぜよ!

 

高知市内 高知城 懐徳館 入口 進む

ちなみに1950年に制定された『文化財保護法』には、この「懐徳館」という名前で届け出ている為に、現在の名称としては本丸御殿ではなく「懐徳館」として国の重要文化財に指定されている。

 

 

高知市内 高知城 懐徳館 入口 山内一豊

そして懐徳館の入口を入っていくと、すぐに土佐藩初代藩主だった山内一豊と、その妻をモチーフにした大きな立体の飾り物が見えてくる。端には「功名が辻」という文字が見えるので、どうやら2006年に放映された大河ドラマを記念して、造られ設置された物のようだ。

 

 

高知市内 高知城 懐徳館 入口 功名が辻 着物

昨日訪れた足摺岬のある土佐清水市では、「ジョン万次郎」を大河ドラマに採用してもらうべく、署名活動を行っていた。また先日は岡山県の高梁市で、備中松山藩で財政改革を行った「山田方谷」の大河ドラマに向けての署名活動もされていた。そしてここ高知城では、その大河ドラマに山内一豊が採用された為に、その宣伝効果を活かしてPRしていたようだ。

 

 

高知市内 高知城 懐徳館 三の丸欄間

そしてこの高知城に入城すると、すぐに天守閣に入れるわけではなく、まずは本丸御殿内を進んで行く。この御殿は昔ながらの伝統的な日本家屋なので、昔の家によく見られた「欄間」などが置いてあるのが見える。

 

高知市内 高知城 懐徳館 三の丸欄間 説明

こちらは三ノ丸に造られていた”三の丸御殿”に設置されていた欄間で、”慈姑(くわい)に水鳥”という名前が付けられている。こちらの欄間は1700年代に、竹籠細工の名人で彫刻に優れていた通称:甚八が製作した物となっている。

 

高知市内 高知城 懐徳館 三の丸欄間2

この本丸御殿は一般庶民の日本家屋とは違って、藩主が使用する立派な御殿だっただけに、欄間1つでも相当な技術を持った職人によって作られている。部屋の中でも外の景色が楽しめるようにという工夫は、今の現代日本には消えつつある文化なだけに、このような欄間を見ると懐かしい雰囲気が漂ってくるのである。

 

高知市内 高知城 懐徳館 三の丸欄間3

次の欄間は”水に蓮根”という、これも三の丸御殿に設置されていた物。作者は同じ甚八で、藩主に献上する大事な欄間だっただけに、命懸けで取り組んだ事だろう。

 

高知市内 高知城 懐徳館 山内家家紋

そしてこちらに置かれていたのは、土佐山内家の家紋の1つである”三つ柏(土佐柏)”。ただ昔の大名は家紋は1つだけではなく、複数の家紋を使い分けており、土佐山内家は他に「山内一文字」「土佐桐」などを使っていたという。

 

高知市内 高知城 懐徳館 山内家家紋2

「この”三つ柏”は三菱の会社マークに似ているな!」と思った人は、なかなかに鋭い人。というのも今の三菱グループの前身である三菱財閥を築いた「岩崎弥太郎」が土佐藩士だった事から、岩崎家の家紋と山内家の”三つ柏”を合体させて今の三菱グループのマークを作ったとされている。

 

高知市内 高知城 懐徳館 

こちらは江戸時代頃にタクシー代わりの乗り物として使われていた「駕籠」。こちらは1人乗りで目隠しの覆いが取り付けられていたのは、位が高い人が使う駕籠だったという。ちなみに人力車は明治時代になってから国内に普及した乗り物で、それによって駕籠という商売が明治時代に消えてしまうのである。

 

高知市内 高知城 懐徳館 持ち手

こちらは扉の取っ手部分だが、このように山内家の家紋マークが入っているのが分かる。本丸御殿という城の中でも重要な建物だっただけに、このような部分にもお金を掛けた調度品が用いられていた。

 

 

高知市内 高知城 懐徳館 見学 ボランティアガイド同行

そして青い服と帽子を着たボランティアガイドのオバサマが、少しの間無料で説明してくれるという事で、ご厚意に甘えて案内してもらった。何の知識もなく普通に見て回るだけよりも、やっぱり専門的な知識を持っている人の案内の方が、自分の知識に繋がる。

オカン
オカン

勉強する気があればやけどね・・・

 

高知市内 高知城 懐徳館 うちわけ波の欄間

こちらは”うちわけ波の欄間”で、波が立っている様子を再現した欄間となっている。この欄間も先程見た「甚八」が製作した物らしく、土佐らしく黒潮をイメージした波となっているそうだ。

 

高知市内 高知城 懐徳館 廊下

昔の日本家屋は大なり小なり、このような欄間や障子や襖などが見られたけど、最近国内で建てられている家では殆ど見られなくなってきている。障子や襖などは破れたりすると張り替える手間があったりで、洋式な内装が国内で一般的になってきている。

 

高知市内 高知城 懐徳館 廊下から眺める外の景色

本丸の塀の上からは電波塔ぐらいしか顔を見せておらず、高知市内には背の高い高層ビルディングがないのがよく分かる。江戸時代から現存する天守の周囲に、天守以上の大きな近代高層ビルディングが立っているだけで、雰囲気が壊れてしまうので、こういった周囲の景観によっても城の雰囲気が左右されてしまう。

 

高知市内 高知城 懐徳館 書院造の部屋

それにしても回廊が繋がっている連立天守は見た事があるけど、このように本丸御殿と隣接する天守は見た記憶がない。というのも本丸に造られていた本丸御殿が現存しているのは、この高知城以外には他に「川越城」(埼玉県)にしかないという。

※ちなみに二ノ丸御殿が現存しているのは、「二条城」と「掛川城」のみ。他で見られる御殿は、復元された物。

 

高知市内 高知城 懐徳館 書院造の部屋 欄間

なのでこの高知城は、日本全国で唯一天守と本丸御殿が江戸時代の状態から現存する城跡なのである。御殿が残っているのが全国に4箇所しか無いという事は、それだけ明治時代の廃城令で真っ先に解体され易かった建物だったという事でもある。

 

高知市内 高知城 懐徳館 書院造の部屋 説明

このような伝統的な日本家屋は「書院造(しょいんづくり)と呼ばれ、室町時代以降に発展していった住宅様式である。単なる寝住まいする場所というよりは、武士向けの住宅として発展していき、部屋の造りや床の高さを変える事によって、身分や格式の違いを表してもいたようだ。

 

高知市内 高知城 懐徳館 書院造の部屋3

奥の部屋のように、偉い身分になると一段と床が高くなっているのが分かる。江戸時代までは古い身分制度が浸透し続けていた時代なので、日本もかつては階級社会だったのである。

 

高知市内 高知城 懐徳館 書院造の部屋 ボランティアガイド

そして部屋の廊下の戸も、現代の建物みたいにガラス窓の付いた戸ではなく、雨戸のように閉めれば真っ暗になる木の戸となっていた。なお、戸の上にはガラス窓があるが、恐らく後から改装された可能性が高そうだが。。

 

高知市内 高知城 懐徳館 書院造の部屋 説明2

そして高知城本丸の東南側に向いている塀には、珍しい「物見窓」という長細く空いた窓部分が造られている。全国の城跡では鉄砲などを撃てるような丸い穴や菱形の穴が見られるが、この物見窓は長細い。なので鉄砲を打つ為の穴だと視野が狭く、広い視野を求める為に大きな穴が空けられていたと考えられているようだ。

 

高知市内 高知城 懐徳館 外の景色

日本全国のお城って全部似たような造りだと思っていたけど、このように細かい部分はその城独自のコダワリが見られる事が多い。同じような塀に見えても、それぞれに設計した人物が違い、その個性が出ているのである。

 

高知市内 高知城 懐徳館 上段の間

さっき見えた、奥側の部屋が一段高くなっている部屋は「上段の間」で、藩主が来客を出迎える際に使っていた部屋である。藩主はその地域でトップの権力者だったので、どんな来客が来ようと高い位置から対応するのが当然だった。

 

高知市内 高知城 懐徳館 上段の間 天井 部屋

そしてその藩主が座る一段と高い「上段の間」の横には、「帳台(ちょうだい)構え」という部屋が造られている。藩主が来客と対応する時には小姓が脇に居た可能性が高いが、万が一藩主に危険が及びそうな時は警護の者が直ぐに入って来られるように待機していた部屋として使われていたそうだ。

 

高知市内 高知城 懐徳館 上段の間 天井

そして書院造の建物でも位の高い人が使う部屋には、このような「格天井(ごうてんじょう)と呼ばれる格子状に組まれた木枠が設置されていた。部屋内の装飾も天井裏が一番目が行きにくい場所だけど、そこまで綺麗に飾る事でより位の高さを表現していたのだろう。

 

高知市内 高知城 懐徳館 雪隠の間

そしてその上段の間の裏側にあった部屋は、「雪隠(せっちん)の間」という藩主専用のトイレだった部屋である。ちなみにこのトイレはおまるのような容器に藩主が便を排出し、脇に控える藩お抱えの医師が便を確認して、藩主の健康状態をチェックしていたという。

オカン
オカン

猫のトイレみたいやな!

坂本の猟犬
坂本の猟犬

藩主の命1つで、藩の行く末が動いただけに、一挙一動も監視されていたぜよ!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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