坂本龍馬が生まれた町にある「龍馬の生まれたまち記念館」でお勉強【高知県旅行記18】

高知県旅行記2021年3月-18

旅行期間:2021年3月某日(2泊3日旅)

龍馬の生まれた町!

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 外観

前回に引き続き、高知市内中心部の坂本龍馬が生まれたという「上町」付近に造られている、「龍馬の生まれたまち記念館」を見学していきます。高知市内の観光施設は坂本龍馬一色となっているので、高知県を訪れた記念として坂本龍馬の歴史について勉強していきます。

 

 

 

「龍馬の生まれたまち記念館」の見学は続く!

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 展示

こちらには土佐藩の絵師だった「河田 小龍(かわだ しょうりょう)が、龍馬に発した言葉が描かれていた。この河田小龍という人物は、ジョン万次郎が日本に帰国して土佐藩に戻ってきた際に、土佐藩の取り調べに立ち合い、更には万次郎の家に住み込んで生活を共にして、万次郎から聞き出した話をまとめた『漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)の作者としても有名な人物である。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 展示 説明

坂本龍馬は初回の江戸遊学を終えて土佐藩に帰国してから、その絵師だった河田小龍の元で、万次郎が見てきたという異国の話などを龍馬に伝え聞く。そして日本の常識とは全く違う異国の世界のイメージを少しずつ認識していった龍馬は、次第に海外に目を向けていくようになる。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 展示 説明2

そんな龍馬の実家は土佐藩の中でも裕福な部類に入る商家で、生活で特に不自由する事なく育った。また実家の近くの饅頭屋には、後に海援隊のメンバーとなる近藤長次郎が居たりと、生まれた場所でそれなりの影響を受けていったようだ。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 龍馬アート作品

こちらは宮崎出身のアーティスト:斎藤裕樹『CALI CALI CALI ART(カリカリカリアート)として、中密度繊維板(MDF板)を文字通り、カリカリと削って仕上げた作品のようだ。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

ハンカチ王子とは違う人ぜよ!

 

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 時のトンネル

そしてその先には『時のトンネル 春』というタイトルの廊下となっている。単なる資料ばかりではやって来た観光客が退屈するだろうという考えなのか、ちょっとした驚きを与えるコーナーとして造ったのだろう。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 時のトンネル 景色

その『時のトンネル 春』とは、このように廊下の地面に動く映像が照らされていた。どうやら最近はこのような仕掛けが全国の観光客向け施設に導入されているが、ある程度他の所も巡っている人間からすれば、あまり驚きを感じない仕掛けとなっていたが・・・・。

オカン
オカン

せっかく設置してくれているんだから、もうちょっと驚いたフリでもしなさい!

 

 

『時のトンネル 春』を歩く! 動画

 

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 時のトンネル 龍馬像

そのトンネルを進むと、最後に待ち受けていたのもまた龍馬像だった。確かこの像は建物入口付近でも見かけた気がするし、この代表的なポーズをした像が多過ぎるので、観光客の印象に残すつもりなら、もうちょっと違うポーズを採用して方が良かったように思えたが・・・。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 龍馬の家

こちらの部屋には、土佐の豪華な料理が再現されている部屋があった。しかし、この部屋は中には立ち入り禁止で遠くから見るだけとなっていたので特に気にしなかったけど、今更だけど撮った写真をよく見ると、大きな器だけが置かれていて料理は載っていなかった。。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 龍馬の家 部屋

そしてその横には、龍馬夫婦のような人形が置かれている部屋もあった。こちらの部屋は上がって良かったので、いかにも記念写真を撮るような場所に見えて、靴を脱いで部屋に上がらせてもらった。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 龍馬の家 記念写真

一応横に座って記念写真を撮らせてもらったけど、精巧な蠟人形ではなく、ちょっと造りの甘い人形のような感じで、龍馬らしき人物の頭がボロボロと亀裂が入っていたりしたのが気になったが。。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

細かい所は気にせず、記念写真を撮るぜよ!

 

 

2階部分も見学!

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階

そしてこちらの施設は2階まであったので、何があるのかと2階に登ってみた。ただこの施設は桂浜にある坂本龍馬記念館程に、龍馬に関する史料の展示が少なく、詳しく龍馬について勉強したい人は桂浜の方に行った方がいいと思う。こちらの施設は、龍馬を知らない人が簡単にどういった人だったかを大まかに説明しているだけといった内容だった。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 展示

こちらには龍馬が残したという『日本を今一度洗濯いたし申し候』という言葉も書かれている。この幕末の時代には、大名や家老レベル以外にも江戸幕府の醜態ぶりを感じ取っている人間が多かった。それもあって、余計に討幕派や主権を朝廷に戻して公武合体を唱える人も増えていったようだ。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 内観

こちらの壁には龍馬が残した有名な言葉が書かれていたけど、これらの言葉もどういった状況の時に龍馬が考えた言葉だったのかなどを考慮しないと、その意味を深く理解できずに終わってしまう事が多い。単なる名言だけを聞くのではなく、その背景まで理解しないと名言は理解できないのである。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 バーチャルシアター

そして2階には「バーチャル4面シアター」なる部屋が用意されていた。1階の入口受付の場所でこの部屋で使う「鳴子」を持って行くように言われたが、ここで使う為だったようだ。

※この「バーチャル4面シアター」の部屋内は、写真が禁止となっております。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 龍馬の年表

坂本龍馬という人物の歴史についてはそれなりに今回の旅で勉強させてもらったけど、龍馬が日本全国でヒーローのように祀り上げられる存在になっている事に、ちょっとした疑問を感じた。この幕末の時代には他にも討幕に尽力した多くの人達が居た訳だけど、龍馬の実績が他の人達よりも飛び抜けていたように感じないからだ。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 腰掛ける龍馬の写真

どうやら坂本龍馬という人物がここまで有名になったのは、明治時代に発表された小説などが人気を博した為だったようだ。更には日露戦争の前日に、明治天皇の皇后が夢の中で坂本龍馬と名乗る人物が表れて、「私が海軍を必ずお守りします!」と誓ったという逸話からも全国に知れ渡ったという。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

歴史に残り易い人物は、非業の早死にした人が多いぜよ!

 

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 近藤長次郎の写真

こちらの写真は、龍馬と小さい頃より仲良しだったという「近藤長次郎」のもの。この写真では判りにくいけど、右手にはピストルを持っているようだ。近藤長次郎は海援隊としてイギリスから購入した蒸気船:ユニオン号を長州藩に引き渡す際に仲介をしたが、その支払代金の一部(2000両)をくすねてイギリスへの密留学費用にしようとした事が海援隊のメンバーに見つかって、最終的に死罪となってしまったとされる。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

長次郎殿が海外留学をしていたら、もっと立派な人間となって活躍しただろうね!

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 近藤長次郎の写真 説明

この説には色々とあるが、当時のイギリス留学費用は1年間で1000両ほど必要だったという。近藤長次郎は2年間イギリスに渡る予定だったのか、それとも2人分で1年ずつの留学を考えていたのかもしれない。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

国内で海外の話を聞くだけと、実際に海外に行くのでは全然違うぜよ!

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 「志士達の宴」 江本象岳の絵

そしてこちらは、そんな幕末に活躍した人々が多く描かれている『志士たちの宴Ⅲ-恩讐を超えて-』という、熊本出身の江本象岳という油絵画家の作品が飾られていた。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 「志士達の宴」 江本象岳の絵 説明

こちらの作品は幕末に活躍した人々を描いたシリーズ第3作目で、この1枚の中には龍馬を含む102人の人物が描かれているという。ただし、幕末というと動乱の時代で、それぞれに違う方針や政策などを掲げていた人物ばかりであるが、その憎しみや争いは置いといて、仲良く洋酒を飲んでいるという構図らしい。

 

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 「志士達の宴」 江本象岳の絵 龍馬

真ん中はやっぱり坂本龍馬となっている。そしてその脇には龍馬の妻となった「お龍」の姿もある。龍馬は亀山社中を設立し、長州藩と薩摩藩との間で最新式の洋式銃と米糧の取引を成功させた後に、京都の寺田屋で襲撃される。その際に命は助かったものの、体を斬られて傷が残り、その傷を癒す為に後ろ盾となっていた薩摩に身を寄せて温泉湯治をした。その薩摩での温泉湯治旅が、日本人として”最初の新婚旅行”だとされている。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 「志士達の宴」 江本象岳の絵 部分アップ写真1

こちらは左上部分で、「ペリー提督」やイギリスの外交官だった「アーネスト・サトウ」や、武器商人でもあった「トーマス・グラバー」などが描かれている。それ以外には「近藤長次郎」や「坂本 乙女」など、外国人と龍馬と個人的にゆかりのある人物ゾーンとなっていたようだ。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 「志士達の宴」 江本象岳の絵 部分アップ写真2

こちらは左下部分で、右側には大きく「勝海舟」が描かれている。坂本龍馬が接した人の中でも、特に尊敬していたのが勝海舟とされており、しかも土佐藩の藩主だった「山内容堂」よりも大きく描かれているのが印象的だった。それ以外にも、土佐藩の「武市半平太」「後藤象二郎」「吉田東洋」など、土佐藩に関連したゾーンとなっていた。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 「志士達の宴」 江本象岳の絵 部分アップ写真3

こちらは右上部分で、龍馬を庇護した薩摩藩のメンバー「小松帯刀」や、坂本龍馬を強く尊敬していたという幕末には討幕派だった「板垣退助」などの顔が見える。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 「志士達の宴」 江本象岳の絵 部分アップ写真4

そして右下には「西郷隆盛」「中岡慎太郎」などが大きく描かれていて、更には新選組の「近藤勇」「沖田総司」「土方歳三」などの姿も見える。龍馬の暗殺には新選組の関与が疑われており、新選組のリーダーである近藤勇が戊辰戦争後に新政府軍に掴まった時には、土佐藩出身の「谷 干城(たてき)」が龍馬の仇討とばかりに斬首刑に処した。そして近藤勇の首は、京都の三条河原で晒し首となった。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

斬首刑は明治を最後に行われる事は無くなったぜよ!

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 2階 「志士達の宴」 江本象岳の絵 部分アップ写真5

そしてこの中でも特に目を惹く人物は、こちらの薩摩藩のメンバー達である。討幕派として動いた長州藩のメンバーも有名ではあるが、個人的には鹿児島に行った時から歴史を勉強しだした身なだけに、その時に知った薩摩藩の錚々たる顔ぶれがどうしても印象に残っているのである。

 

高知市内 風景 街中

簡単に見学できそうな「龍馬の生まれたまち記念館」だったけど、何だかんだで滞在時間が約1時間程になっていた。今日は色々と予定を詰め込んでいるだけにあまりゆっくりする時間が無いので、次の目的地である高知城に向けて早足で移動していくのであった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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