カリフォルニアでゴールドラッシュに参加した日本人を「ジョン万次郎資料館」で学ぶ【高知県旅行記6】

高知県旅行記2021年3月-6

旅行期間:2021年3月某日(2泊3日旅)

商売人の勝ち!

高知県 足摺岬 ジョン万次郎記念館 建物

ここは高知県の足摺岬に造られている「ジョン万次郎資料館」。江戸時代後半に海で漂流して無人島に辿り着き、それから紆余曲折を経てアメリカ本土まで渡って、その当時全盛だった捕鯨やゴールドラッシュという波乱の時期を生き抜いた日本人:ジョン万次郎の人生を、更に勉強していきます!

 

【ジョン万次郎資料館】

住所:高知県土佐清水市養老303
営業時間:8時30分~17時頃
電話番号:0880-82-3155
入館料:大人:440円/小中学生:220円

 

 

 

「ジョン万次郎資料館」の見学!

ジョン万次郎資料館 ゴールドラッシュ 模型

無人島に漂着してからアメリカの捕鯨船に救出され、アメリカ本土まで渡った万次郎は1848年に勃発したカリフォルニアのゴールドラッシュに加わる事になった。というのもその当時にアメリカの産業で最盛期を誇っていた捕鯨船の乗組員達が、こぞって船を降りてカリフォルニアに向かったからである。

 

ジョン万次郎資料館 ゴールドラッシュ 模型 説明パネル

カリフォルニアで発生したゴールドラッシュは1848年初めから世界に知られていき、大量の金が採掘できるという噂が全世界に拡がった。それを聞いたアメリカ人だけではなく、中国人や南米の人間などもこぞってアメリカの西海岸に押しかける事になる。

このゴールドラッシュにより、それまではアメリカの中では州になっておらずに、どちらかというとメキシコ領とも考えられていたカリフォルニアが今のような大都市に発展する契機となった大イベントであった。そしてカリフォルニアだけではなく、その手前のサンフランシスコもそのおこぼれに預かり、大都市に発展していくのであった。

 

ジョン万次郎資料館 ゴールドラッシュ 模型 万次郎2

1848年から始まったカリフォルニアのゴールドラッシュは、その噂を聞きつけた人間が続々とやってきて、その翌年1849年には10万人を超える金鉱夫が集まった。ちなみにこの1849年に沢山の金が採れる事を夢見てやって来た人達は、「フォーティナイナーズ(Forty-niners)/49ers」と呼ばれた。

 

そして現在サンフランシスコを本拠地とするプロ・フットボールチーム『サンフランシスコ・フォーティナイナーズ
(San Francisco 49ers)』の名前は、このカリフォルニアのゴールドラッシュから来ている。

 

ジョン万次郎資料館 ゴールドラッシュ 模型 万次郎

そしてジョン万次郎がカリフォルニアに到着したのは、フォーティナイナーズに遅れを取った1850年前半。このカリフォルニアに集まった人達は金鉱で一発当てて金持ちになる事を夢見ていたけど、実際には殆どの人は儲ける事が出来なかったという。

なお、この当時のカリフォルニアは政府組織が成立していなかった為に土地の権利というのが曖昧で、金は参加者の取り放題だったようだ。だが問題は金の採掘よりも、何も無い荒野のカリフォルニアに大勢の人が大挙して押し寄せた事により、生活必需品や住宅の価格が高騰した事にあった。

そしてカリフォルニアは一気に相当なインフレ状態となり、値段が高くても生活必需品を買わざるを得ない状況となっていた。その為にせっかく金を採掘できても、それ以上に高い生活費を払う必要があった為に、集まった人々は逆にお金をむしり取られる結果となったのだ。

 

こういった出来事は俗に「バブル」と表現されるが、欲の厚い人々が金の匂いに吊られて大挙して集まると、一時はおこぼれに預かって金持ちも出てくるけど、大半は逆にお金を失ってしまう事態に陥る事が殆どである。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

欲の深い人間程、自分の資産が失われるという事ぜよ!

 

ちなみにこのようなゴールドラッシュで一番成功した人達は金鉱夫ではなく、「商人」だった。というのも大挙して押し寄せた人々に、他の町で買い占めた生活必需品を仕入れ値の10倍以上で売り捌いたり、金採掘りに必要なシャベル・金だらい・長靴も高値で販売した。

そしてこのゴールドラッシュ時代に上手い事商売して、現代にもその名前が残っている有名な会社には、世界的なジーンズメーカーとして有名なリーバイ・ストラウス(Levi Strauss & Co.)や、アメリカで最も支店数が多い金融機関のウェルズ・ファーゴ(Wells Fargo & Company)などがある。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

日本もそうだけど、商売の上手な奴が金持ちになったぜよ!

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 冒険号

万次郎は1850年という遅いタイミングでゴールドラッシュに参加したが、金払いの悪いオランダ人の下で少し働いたものの、給料が支払われず独立して働いたが約1ヶ月で体調を崩して、カリフォルニアを去る事になる。そして稼いだお金を持って、漂流していた時の仲間たちが住むホノルルへ向かう事にした。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 冒険号 絵

この頃の万次郎は日本に帰る気がマンマンだったようで、ちょっと前に日本に帰国するつもりで出航したものの、その計画が頓挫してホノルルに失意の中、戻っていた仲間の伝蔵と五右衛門に再び日本帰国プランを打ち明けた。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 冒険号 説明パネル

そしてホノルルから上海に向かう商船の情報を聞きつけた万次郎は、その船長に直談判をして、一旦は断られたものの、自らボートを持ち込んで琉球近くで下船して自力で日本に辿り着く事を条件に同乗させてもらう事に成功した。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 冒険号 模型

そして万次郎一行はゴールドラッシュの稼ぎなどで貯めたお金で、ホノルル内で中古で売りに出ていた小舟を探して購入する。それがこちらに模型のあった「冒険号(アドベンチュラル)で、日本へ帰国する意図が強く出ているような雰囲気を出していた舟である。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 冒険号 模型2

そして仲間の伝蔵と五右衛門は、長くホノルルに住んだ事もあって、地元の宣教師の力を借りて地元住民からの寄付を取り付ける。江戸時代当時の日本は鎖国をしていたので外国人の扱いは酷かったが、外国では漂流して救助された日本人に、生活の場を与えて受け入れてくれていたのである。

 

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 帰国時の逸話

そして万次郎の作戦が成功して、無事琉球に上陸したものの、そこで待ち受けていたのは約1年半に及ぶ取り調べと拘留であった。現代の日本でも役所に行くとたらい回しに何回も同じことを説明しないといけないように、この当時もまずは琉球を支配していた薩摩藩の取り調べを受け、そこから長崎に移されて奉行所でまた尋問されたようだ。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 帰国時の逸話2

そしてやっと長崎の奉行所での尋問を終えて、土佐藩からの迎えが来て土佐の地に戻ったものの、そこでも2~3ヶ月に渡って再び尋問された。しかし命を懸けて日本に戻ってきた万次郎にとっては、これらの長い尋問にも耐えれる精神力を持っていたのだろう。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 帰国時の逸話3

そして万次郎が帰国したのは、外国船が日本に頻繁に出没するようになっていた幕末で、万次郎が最終的に開放されたのは”黒船来航”の一年前だった。既にその頃には国内の大名の中にも”開国派”が大勢出てきて、西洋諸国の文明に明るい薩摩藩の当主だった島津斉彬公からは、尋問というよりは外国の世間話を聞かれたりもしたそうだ。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 銅像 沖縄

万次郎一行が上陸した琉球は、今の沖縄本島。久々に降り立った日本の地だけに、約10年も日本から離れていた事もあって、万次郎一行は日本語を殆ど忘れてしまっており、また日本では地方毎にその方言があるので、地元住民と全然話が通じなかったという。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 帰国時の絵

こちらは土佐藩で取り調べを受けた時の万次郎の口述内容をまとめた書物『漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)内で、挿絵として入れられていた27歳当時の万次郎の姿。頭はチョンマゲとなっていて、お腹はポッコリと出ており、アメリカナイズされた姿では無かったようだ。

 

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 帰国時の絵 説明

そして長崎の奉行所で長い取り調べを受けて、やっと無罪放任となって土佐藩に戻ってきた万次郎。その時の藩主は”幕末の四賢候”の1人としても知られる、土佐藩15代藩主山内 容堂(やまうち ようどう)だった。万次郎と同じ年だった山内容堂は万次郎の能力を認め、土佐藩の藩士として取り立てられて藩校で英語などを教える役目になる。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 帰国後 説明

万次郎から直接話を聞いた河田小龍は『漂巽紀畧』を仕上げて、土佐藩に提出した。そしてその『漂巽紀畧』は万次郎が体験した異国の世界をリアルに伝えていたので好評となり、写本として日本中に出回って、今でいう”ベストセラー”になったのである。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

この当時は印刷ではなく、まだ写本という書き写しをしていた時代ぜよ!

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 帰国後 説明2

この当時は階級社会が根強かった日本国内で、元漁師から武士に登用されるというのは前代未聞の出来事だった。しかし幕末に近づいていた江戸時代には、生まれながらの身分に留まるよりも、身分に留まらずに活躍の場を広げる思想が広まっていた事を受けて、万次郎も武士になる事が出来たのである。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 帰国後 似顔絵

こちらも『漂巽紀畧』内に描かれていた、帰国した27歳の万次郎の似顔絵である。さっきの絵よりは、まだニヒルな顔をしているこちらの似顔絵の方が、愛嬌があって良さそうだが。。

 

ジョン万次郎資料館 万次郎 帰国後 ペリー提督来航

そして1853年7月にペリー提督一行の”黒船来航”が起こり、英語が堪能でアメリカの事情通でもあった万次郎は、江戸幕府に召喚され、旗本の身分を与えられて代々譜代の家系にあった江川 英龍(えがわ ひでたつ)の配下になった。

 

 

ジョン万次郎資料館 館内 模型 船

江川英龍は幕末当時に伊豆韮山の代官となっていた人物で、迫りくる海外諸国勢に対して海防の強化を図り、長崎の高島秋帆を直々に訪れて洋式砲術を学んだりした。そして大砲などを製造する為に使う鉄鋼へと加工する反射炉の建造にも取り組み、息子の代で完成させた。そして台場の建造などを急ピッチで進めるが、老中が保守派から開国派の阿部正弘に変わった事で一気に開国ムードが広まり、1854年に日米和親条約が調印されるとその台場建造も中止となってしまうのであった。

 

ジョン万次郎資料館 館内 模型 船1

こちらの船の模型は、幕末当時の西洋艦船を再現した物。ペリー提督が1853年に来航してからは、江戸幕府も今までの方針を180度転換し、国防の為に西洋船の建造や購入を全国の藩に許可する事になる。そして江戸幕府を含めて一気に国内は西洋から購入した、このような西洋船が増えていく。

 

ジョン万次郎資料館 館内 模型 西洋戦艦 

当時の西洋艦はこのような大きな水車を推進器に使う「外輪船(がいりんせん)がメインだった。現代ではこのような外輪船は少なくて、大部分はスクリューを推進器として使う船ばかりになっている。

 

ジョン万次郎資料館 館内 模型 船2

幕末に西洋艦の建造にいち早く乗り出した薩摩藩だったが、ジョン万次郎の指導などを受けて一応船は造ったものの、江戸幕府のように海外から出来上がった西洋戦艦を購入するのが一番手っ取り早かった為に、最終的には船の建造は諦めて海外から購入する事になった。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

この時は船を造る技術が向上するまで、気長に待ってられなかった時期ぜよ!

 

ジョン万次郎資料館 館内 垂れ幕

この万次郎が帰国した当時の日本は、現代みたいにパスポートを提示して簡単な質問を受けて入国・・・という訳ではなく、何日にも及ぶ尋問が行われた。万次郎が帰国する以前までは、特に海外からの流入者を排除していた国だけあって厳しい取り調べが行われており、ロシアから帰ってきた日本人がその厳しさで牢屋で自殺してしまった事もあったんだとか。

 

ジョン万次郎資料館 館内 垂れ幕 案内

ちなみに漂流した万次郎一行の5人のうち、1人はホノルルで死去し、万次郎を含む3人は無事日本に帰国した。だが「寅右衛門」という人だけはホノルルで生活をしていた事もあって、残る事になった。知らぬ土地であったホノルルやアメリカでも、ある程度住み続ければ”住めば都”という感覚になったのだろう。

 

ジョン万次郎資料館 館内 垂れ幕 案内2

万次郎一行は帰国して長崎へ移送され、その際に踏み絵も行われたようだ。日本に居たキリシタンほどにキリスト教を信仰していた訳ではなかった為に、踏み絵では特に問題も起きなかったようだ。

 

ジョン万次郎資料館 館内 万次郎英語

こちらは万次郎が残した「ジョン万次郎式英語」の発音で、日本人は英語の発音をカタカナで覚えようとするけど、下手にカタカナで英語を覚えるのであれば、実際にアメリカで生き抜いてきた万次郎の発音方法の方が意外と役に立つ。

 

ジョン万次郎資料館 館内 万次郎説明1

ちなみに万次郎は日本に帰国後に、合計3回も結婚をしている。その万次郎の血を継ぐ子供達は、この現代にも生き長らえている。

 

 

ジョン万次郎資料館 館内 漂流時の苦労

万次郎一行の5人が漂着した、太平洋の「鳥島」は万次郎以外にも何人もの漂流者が流れ着いた場所であった。万次郎が漂着する前には10年以上もこの鳥島で生き延びた日本人が存在していたらしく、もしその時代に万次郎一行が鳥島に行っていれば、万次郎一行が5人ではなく、6人となっていた事だろう。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

大海に流されて、運命の出会いをする時もあるぜよ!

 

ジョン万次郎資料館 館内 漂流時の苦労1

そして鳥島に漂着した人達が生き延びれたのは、島に豊富に居たアホウドリのおかげであった。そんな人類の命を救ってくれた恩ある鳥に対して、「アホウドリ(阿呆鳥)」と無礼な名前を付けたのは日本人らしい。

ちなみに英語圏では「albatross(アルバトロス)という名前が付けられていて、ゴルフ競技で1ホールの基準打数から3打少なくカップインさせる事を「アルバトロス」と名付けられているが、それは風を利用して大きな翼で長距離を飛べるアホウドリの特性から由来しているのである。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

「アホウドリ」の改名運動、起こすぜよ!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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