高知県旅行記2021年3月-2
旅行期間:2021年3月某日(2泊3日旅)
カツオ三昧!
高知空港でレンタカーを借りて、そのまま高知市内の中心部にある「オリエントホテル高知」へと直行します。HISの激安ツアーだったので、ホテルの選択肢は少なくて、また他のホテルを選ぶと追加料金が加算される事もあってそのまま選んだホテルだった。外観はこのようにちょっと汚れていて不安に思えたけど、中は普通にビジネスホテルといった感じだった。
「オリエントホテル高知」にチェックイン!
HISセールで選んだホテルだったので、特に部屋は選べなかったけど、最初からツインルームだったので特に問題は無かった。そしてHISの予約時に備考に「禁煙ルーム希望!」と記載しておいたので、リクエスト通り禁煙ルームとなっていた。
このツインルームは2種類ホテルに存在していて、その中でも安い方の「スタンダード・ツインルーム(17㎡)」だった。激安プランの旅行だっただけに、部屋が広くないという文句など言う権利はない。
HISの激安セールにパックとなっていたホテルであまり期待していなかったけど、口コミ評価はそれなりだった。そしてこのホテルの売りは1人1500円程の追加料金となっていた朝食らしく、それを堪能できなかった今回の宿泊はちょっとホテルを評価できる状態ではなかったのである。
朝食、食べたかったわ・・・orz
人間という生き物は贅沢に慣れてしまうと、次からはもっと欲が出てしまいやすくなる生き物でもある。そういった贅沢な人間程に、ホテルの部屋の広さにこだわりを持つ傾向があり、「狭い部屋には泊まりたくない!」という声を聞く。しかし本来宿泊施設というのは泊まる場所なので、横になって眠れるスペースさえあれば、問題はないハズなのであるが。
やっぱ広い部屋の方がエエで!
部屋には加湿器が用意されていて、最近は比較的多く加湿器が設置されているホテルを見かける気がする。特に最近は口コミ評価を重視するホテルも増えてきており、また他のホテルの口コミ評価などを参考にして、お客さんが喜ぶサービスを取り入れるホテルも多いのだろう。
バスタブは至って普通のユニットバスとなっている。ホテルに大浴場は無いので、部屋の風呂を使う必要がある。ホテルに大浴場があれば何も言う事がないのであるが、ホテルによって大浴場の有り無しは仕方ない。
シャンプー・トリートメント・ボディソープ類はDHCの製品を使っていた。個人的にはあまりこういった物にはこだわらないけど、シャンプーして髪がゴワゴワになるシャンプーはあまり使いたくはない。
部屋のWi-Fiは、このようにテレビモニターにパスワードが表示されるタイプとなっていて、更に部屋毎に違うのでセキュリティー面ではちょっと安心できそうだ。
夜の高知市内に繰り出す!
そしてホテルの部屋をチェックした後は、まだ晩飯を食べていないので、夜の高知市内に繰り出してどこかのお店で何かを食べる事にした。最近の旅では早い時間帯の飛行機に乗る事が多かっただけに、今回のように飛行機で到着したら暗くなっている時間帯というのはちょっと違和感を感じた。
そしてまずは高知市内の中心部にある、高知市を象徴する「高知城」を見に行くとする。宿泊する「オリエントホテル高知」は高知市内中心部にあり、ホテルから高知城までは徒歩数分の距離で、散歩がてらで立ち寄れる距離となっているのは地味に有難い。
高知市では”高知県観光キャンペーン”の一環として、「リョーマの休日」という企画が行われていた。たださっき高知市内に到着した観光客からすれば、赤い灯篭が設置されているイベントにしか見えないが。。
高知市内の南側から高知城に向かうと、その南側に高知県庁が造られているので、その中は通れずに迂回して高知城へと向かう必要があった。城の周辺には内堀がそのまま残されており、昔の侵入者のように近くの入れる門を探して徘徊するのであった。
さっきの赤い灯篭も、このように内堀の水面に反射している景色は綺麗に見える。普段からこのような灯篭が設置されているのかは分からないけど、このように明るいと夜道を歩くのも怖くないような雰囲気だった。
夜の高知城にて
そして暗闇の中にボワっと明るくライトアップされている「高知城」に到着する。今回の高知県旅で一番の目的は、この江戸時代から現存する天守の建物を持つ高知城の見学であった。前回の旅では同じく江戸時代から現存する備中松山城の天守を見学したので、立ち続けに江戸時代から残る天守を眺めれる事に幸せを感じるのであった。
ただ一言に”江戸時代から現存する”と言っても江戸時代は約270年も続いたので、江戸時代でもどの時代に造られたかで大きくその歴史は変わる。この高知城は江戸時代初期にこの土佐に移封されてきた「山内 一豊(やまうち かずとよ)」によって土佐藩が立藩され、それからこの地に高知城が築かれた。
1601年頃に土佐に移封されてきた山内 一豊は、約10年掛かりで高知城を完成させる。しかし、1727年頃に城下で大火が発生し、主要な建物は殆ど焼失してしまった。その大火から約25年を掛けて高知城は再建され、今の現存している天守は1749年頃に再建されたと考えられている。
そして高知城には、坂本龍馬に次ぐ偉人の銅像が夜間ながらライトアップされていた。こちらも土佐藩出身の「板垣 退助(いたがき たいすけ)」で、 ”板垣死すとも自由は死せず”という言葉と共に自由民権運動の主導者としても知られる人物である。
教科書で習う人物だね!
教科書で習って、その名言も知っている板垣退助だけど、それ以外にどういった人物なのかは意外と知らない。”板垣死すとも自由は死せず”という言葉は暴漢に襲われた際に発したとされて、大隈重信みたいに殺されたのかと思っていた。しかし実際はその襲撃の際には命に別状はなく、82歳に肺炎で亡くなっている。
もっと日本の歴史を勉強しなさい!(怒)
そして階段を登っていくと見えてきたのは、城跡にはお馴染みの武将の銅像ではなく、馬と珍しい女性の像だった。こちらの銅像は土佐藩初代藩主:山内一豊の正室で、「見性院(けんしょういん)/千代」という人物。
なんで藩主の奥さんの像がわざわざ設置されているのかと思っていたけど、後から調べてみれば2006年に放送されたNHK大河ドラマ『功名が辻』の主人公が山内一豊とその正室であった「千代(見性院)」だったのである。
この頃の仲間由紀恵チャン、可愛かったやか~!
NHKの大河ドラマは全く見た事が無かったので、こういった歴史上の人物も知らなかったのである。ちなみに脇に建っていた馬は、”良妻賢母”の代表として戦争前の時代に女性にあるべき姿として学校教育でも教えられていたという千代が、”内助の功”としてコッソリ蓄えた資金で夫の欲しがった馬を買って贈った話からきているようだ。
当時の馬は高級品で、かつ男の憧れでもあったぜよ!
現代のフェラーリみたいじゃのぉ
もう既に20時を回っていたので城内の見学は出来ないけど、綺麗にスポットライトを浴びていたので、もう少し近寄って江戸時代から現存する天守を間近に眺める事にした。
高知市内の中心部にあり、高知県でも一番のランドマーク的な存在の高知城。下手に近代的な違和感の感じる高い建造物よりも、日本人にとってはこのような歴史ある城郭の建物が似合うのである。
そして時期的にそろそろ桜の花がいい感じに開花してきた頃でもあったので、城の見物と共に夜桜見物も楽しめた高知城。他の城でも周辺に多くの桜が植えられているけど、やっぱり城それぞれの個性が感じられる。
そして20時を過ぎていたので、同行していたオカンより「早く晩飯、喰いたい!」という愚痴が溢れ出してきた。なので仕方なしに高知城見物は諦めて、周辺の飲食店を探す事にした。すると「ひろめ市場」という観光客にも人気の集合型屋台村となっている、高知らしい料理が食べれる場所が見えてきた。しかし、ボクはこういった観光客が多そうな場所は、あまり好きではないのでスルーしてみた。
私はハラ減ったら動けないのよ!(怒)
そのまま城の東側の方を歩いて行くと繫華街となっていて、飲食店が密集しているエリアとなっていた。ただ今日来たばかりの”高知市初心者”としては、なかなか店選びに苦労して見つけてはスルーしての繰り返しとなる・・・。
商店街には板垣退助の顔出しパネルが設置されていて、坂本龍馬に次ぐ知名度を誇る人物という事が分かる。なお、板垣退助も若い頃に江戸に遊学に出ており、「佐藤 一斎(さとう いっさい)」の元で儒学を学んでいる。佐藤 一斎というと、前回訪れた岡山県高梁市が輩出した偉人の山田方谷も、この佐藤一斎の下で学んでいたのである(ただ約30年程、時代は違う)。
偉大な師が、偉大な人物を輩出したぜよ!
こちらは高知城の東側に続く「帯屋町(おびやまち)商店街」で、東西約650mに渡ってアーケード商店街となっている。戦前までは「はりまや橋」より東側の街が繫華街として栄えていたが、戦争の時に高知市内は空襲を受けて繫華街は焼失してしまう。そして空襲被害の少なかった西側のこの帯屋町商店街に、商売人が鞍替えしてきて一気に繫華街の中心地となったようだ。
「明神丸 帯屋町店」で晩御飯!
そして高知市内をブラブラ歩いていると、あっという間に21時前となってきた。すると、後ろを歩いている”大魔神”が・・・ではなくオカンがそろそろブチ切れそうな雰囲気を漂わせていたので、すぐさま近くに見えた「明神丸 帯屋町店」というお店に入る事にしたのであった。
さてまずは旅の開始を祝って、瓶ビールで乾杯する。初めて高知県に来たオカンは、その喜びではなく、やっと食べ物を食べる事が出来る&店内で休憩できる事の方が嬉しそうだったが。。
ホンマ、アンタと居るとヤレヤレやで・・・
注文して一番最初に到着したのは「土佐巻き」という、高知県の郷土料理の1つ。普通の鉄火巻きのようにも見えるけど、中の刺身はマグロではなく、高知らしくカツオとなっている。そしてカツオのタタキとセットになっている、生のニンニクも一緒に巻かれているのだ(この明神丸では大葉も巻かれている)。
そして野菜を一品という事で、こちらの米茄子の田楽も注文してみた。大人になってから美味しく感じてきた茄子だけど、日本古来の味噌の味とネギが乗っかって、茄子に更なる魅力が追加されたように美味しかった。
この後、ワタシの得意料理レシピに「米茄子の田楽」が追加されました♪
そしてこちらはなかなかその辺では見かけられない、「カツオのバッテラ」である。普通バッテラというと、酢じめされた鯖(サバ)が載っているのだが、ここは高知県という事で鯖の代わりに鰹(カツオ)が鎮座していた。
そしてカツオの刺身とタタキと、どちらにしようかと迷っていると、そんな迷う人向けに「明神丸 鰹ざんまい」というセットメニューがあった。そのセットは「カツオのタタキ(塩)」と「カツオのタタキ(タレ)」と「カツオの刺身」が各4切れずつとなっていた。
こちらはシンプルな「カツオの刺身」。一般的にはカツオの旬な時期は9~10月頃の”戻りカツオ”と呼ばれる、脂がタップリと乗った時とされている。ただし日本人は”初物”が特に好きな民族で、江戸時代から”初ガツオ”と呼ばれた5~6月頃に獲れたカツオが好まれたという。
江戸時代には「女房・子供を質に出してでも食え!」って言われてたぜよ!
そして次に運ばれてきたのが、高知では一般的な「カツオのタタキ(塩)」。”タタキ”という名前なので知らない人は「カツオを叩いた」刺身だと思いやすいらしいけど、実際には叩いたりはせずに、カツオの刺身の周囲を軽く炙って中は生になっている半生の刺身である。
こちらは初めての高知県に来て、本場のカツオのタタキを味わって嬉しそうな顔をしていたオカンである。いつもの1人旅の時と違って、あまり歩き過ぎるとお供するオカンが疲れ果ててしまうので、足に鎖で繋がれた重たい錘が付いていたような感じでもあった。
アンタは私を接待せな、アカンねんで!(怒)
そして最後に「カツオのタタキ(タレ)」を味わう。個人的にはタレが絡むよりも、塩だけの方がカツオの味がより楽しめるので塩だけで良かったようにも思えた。
ちなみに、この高知県にあった土佐藩では、初代藩主の山内一豊が藩内で食当たりに遭う庶民が多かった為に、その中でも人気だった「カツオの刺身」を食べる事を禁じた。
ただカツオは火を通すと身がパサついて美味しくなくなるので、庶民らはカツオの周囲だけを焼く事にして、その命令を上手く切り抜けたという説がある。
火で炙ったり、藁焼きにしたりと、同じタタキでも違う料理法があるぜよ!
そしてこのカツオのタタキに付き物なのが、生ニンニクである。ニンニクは火を通した方が美味しくなるけど、生だと強い殺菌作用があり、昔から肉などの臭み取りとして使われてきた。高知県では今でも江戸時代の風習をそのままに、生ニンニクと一緒に食べるのが主流となっている。
生ニンニクは辛くて、食べ過ぎるとお腹を壊すのでほどほどに!
こんな旅はまた次回に続きます!
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