坂本龍馬の生誕地記念碑と、その近くにあった「龍馬の生まれたまち記念館」を訪れる【高知県旅行記17】

高知県旅行記2021年3月-17

旅行期間:2021年3月某日(2泊3日旅)

龍馬一色!

高知市内 オリエントホテル高知 窓からの景色

さて迎えた高知県旅3日目の朝。宿泊している「オリエントホテル高知」の窓から朝の景色を眺めてみると、小雨が降っていたりでぼんやりとしていた高知市内。今回の旅は今日が最終日なので、夜の飛行機の時間までは思い残す事なく、高知市内を巡る事にする。

 

高知市内にて

高知市内 オリエントホテル高知 窓からの景色 高知城見える

そしてホテルの部屋からは、高知市内のシンボルマーク的存在にもなっている「高知城」も見えている。日本国内に江戸時代から現存する12天守の1つともなっている高知城だけに、後程の見学が待ちきれない。

 

高知市内 国道33号沿い 道 歩く

さて3日目の朝はホテルを早々にチェックアウトして、車はホテルと提携している駐車場に預けたまま、高知市内の歩いて行ける場所を訪れる事に。まずはホテルの前を通る「国道33号線」沿いにある、”坂本龍馬の生誕地”とその坂本龍馬についての記念館へと向かう。

 

 

「坂本龍馬の生誕地」にて

高知市内 国道33号沿い 坂本龍馬誕生地

そしてホテルから約3分ほど国道33号線に沿って西に歩いて行くと、「坂本龍馬の生誕地」なる場所が見えてくる。このように国道沿いには、坂本龍馬をイメージさせるようなベンチなどが設置されていて、目印としても判り易い場所だった。

 

【坂本龍馬の生誕地】

住所:高知県高知市上町1-7

 

 

高知市内 国道33号沿い 坂本龍馬誕生地 看板

かつては”土佐”と呼ばれていた高知県から出た”過去の偉人”でいうと、この「坂本龍馬」が圧倒的な一番人気である。坂本龍馬は江戸幕府を討幕するキッカケとなる”薩長同盟”の立役者や、海援隊(旧:亀山社中)という貿易会社を運営する中心人物だった。

 

高知市内 国道33号沿い 坂本龍馬誕生地 記念碑

そして道端に見えた大きな記念碑が立っている場所が、”坂本龍馬が生まれた場所”とされている。土佐藩の郷士(下級武士)の家に天保6年11月15日に生まれたが、この日を西暦に直すと1836年1月3日になる。そして大政奉還が行われた江戸時代最後の年に、京都の近江屋で暗殺されて満31歳という短い人生に幕を下ろす事になる。

 

高知市内 国道33号沿い 坂本龍馬誕生地 記念碑2

この「坂本龍馬誕生地」に設置されていた記念碑は、普通の記念と比べて下に一段と大きい台座の上に載せられているのが特徴的だった。その台座の上に載っていた「坂本龍馬先生 誕生地」という記念碑は、昭和27年(1952年)に高知県出身で当時の首相だった吉田茂の揮毫を入れて設置された物。

 

高知市内 国道33号沿い 坂本龍馬誕生地 記念碑1

その下の大きな台座は、その後に”明治100年記念”として昭和43年(1968年)に新たに設置された物となっている。吉田茂の揮毫が入った記念碑以前には、3度木柱などが建てられていたという。

 

 

高知市内 国道33号沿い 龍馬の生まれたまち記念館 までの道

そして坂本龍馬の生まれたという場所は、この記念碑だけしか今は残っていないので、それ以外には特に見る物はない。しかし、この近くには「龍馬の生まれたまち記念館」なる、観光客向けの施設があったので、そこにも寄り道してみる事にした。

 

 

「龍馬の生まれたまち記念館」の見学!

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 外観

そして先程の記念碑があった場所から徒歩約3分ほどで、その「龍馬の生まれたまち記念館」なる施設が見えてきた。海沿いの桂浜近くには「高知県立坂本龍馬記念館」という、坂本龍馬の資料が沢山展示されている歴史博物館もあるのだが、高知市内には坂本龍馬を説明する施設が無かったので、生まれた場所近くで2004年に開設された建物のようだ。

 

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 看板

最近になって国内を巡る事によって日本の歴史に興味がだいぶ出てきたボクだけど、「坂本龍馬」という人物がどういう実績を挙げた人間かという事は意外と知らない。

 

過去の旅先では、長崎に坂本龍馬らが興した「亀山社中(後の海援隊)」跡があって訪れたけど、それ位だけで意外と歴史の表舞台にはそれ程名前が出てこないようにも思う。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 入口

幕末の動乱時の歴史が好きなマニアからすれば、ヒーローのような存在の坂本龍馬だが、土佐藩を脱藩した1人の浪人だった事もあって、他の場所ではあまりその名前を聞く機会はない。というのも江戸時代の書状などが残っている物も、その多くが大名レベルの物であり、それ以下の位の人間の書物は殆ど他では保存されていないのが現実のようだ。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 入口 龍馬像

そしてこちらの施設の入口でも、毎度お馴染みのポーズをした坂本龍馬がお出迎えしてくれている。こちらのポーズは長崎の写真屋で撮影した写真とされているが、左手が見えずに服の中に隠されているのは、京都で襲撃された際に左手に傷を負ったからだという説もあるようだ。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

龍馬殿ほどの人物でも、見せたくない左手は隠していたぜよ!

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 入口 龍馬一家の像

そして入口を入った中にある中庭でも、また別の坂本龍馬像が置かれていた。それと左側には幼い頃の龍馬の面倒を見ていた姉の「坂本 乙女」と、土佐藩士で坂本龍馬と共に勝海舟の私塾に入ってから神戸海軍操練所にも参加し、後には海援隊のメンバーともなった「近藤長次郎」が右側に置かれていた。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 入口 龍馬一家の像 坂本龍馬

この坂本龍馬のポーズも、写真好きだったという龍馬が撮影された写真のものである。なお、横にはベンチがあって記念撮影できるようになっていたが、このポーズの写真でも同じようなベンチに座って撮影されていた。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 入場

このような観光客向けの資料館などの施設は、だいたい朝9時から営業を始める所が多いけど、この「龍馬の生まれたまち記念館」は朝8時からオープンしていた。なので、オープン仕立ての朝8時に訪問して、まだ他の誰も来ていない一番客として見学して行く事になったのである。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 資料

この土佐という土地は戦国時代に四国を支配していた長宗我部氏から、江戸時代になって山内氏に入れ替えになったので、それぞれの家臣団の扱いで大きく差があった。江戸時代に移封されてきた大名は、その土地から多くの家臣団を連れてきたが、元から居た前の家臣団を追い出すと自勢力が弱体化する為に、住み分けさせて組み入れる事になる。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 見学

この「龍馬の生まれたまち記念館」という施設は2階建で、坂本龍馬の史料などが保管/展示されている堅苦しい歴史博物館というよりは、坂本龍馬がどういった人物だったかなどを分かり易く説明してくれている場所のように感じた。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 見学1

そして1階部分には「お城下今昔マップ」なる物が置かれていて、最近観光施設などでよく目にするプロジェクターでの案内板となっていた。これはかつての高知城下町時代の地図となっていて、その部分にポインターの器具を置くと今の地図に置き換わるようになっていた。

 

 

「お城下今昔マップ」でお勉強! 動画

 

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内見学

朝一番乗りという事で、とても清々しい気持ちで見学出来た。他に全く観光客が居なかったので、特に気を遣わずに好きに見学できる事の有難みを知れる程でもあった。

オカン
オカン

アンタ行く場所は、観光客が少ない所ばっかりやけどな・・・

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 町屋模型

まずは坂本龍馬が生まれた、城下町でも上町付近の商家が再現された建物の模型が見えてくる。坂本龍馬が生まれた家の前にある「土佐街道(松山街道とも)は、愛媛県松山市と高知県を結ぶ重要な街道だったので、この辺りでは道沿いで商家を営む商人が多かった。

 

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 町屋模型2

こちらは「大里屋(おおさとや)という、龍馬の生まれた家の近くにあった饅頭屋さん。龍馬の好きだったという大里屋の饅頭屋には、龍馬より3歳下の「近藤長次郎」が生まれた家でもあった。後に坂本龍馬と同じ道を一緒に歩む事になる同志の近藤長次郎だが、薩摩藩と共に欧州留学密航を計画した事がバレて、大政奉還前に切腹して死去している。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 町屋模型3

そしてこちらは「才谷屋(さいだにや)という、坂本家の本家が営んでいた質屋・酒造店・呉服商をしていた豪商家。土佐藩内でもかなり規模の大きい豪商だった才谷屋から分家された坂本家は、その分家の際にかなりの財産を分与された為に、かなりの裕福な家だったという。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

裕福な家に生まれるとボンボンに成り易いぜよ!

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 資料 龍馬の歴史1

龍馬は22歳も歳が離れた兄が居て、他に3人の姉が居る坂本家に次男として生まれた。下級藩士ではありながらも裕福な家庭に生まれた事で、後には”自費”で江戸遊学を数回行っている。この時代は藩から費用を捻出してもらって遊学に出掛ける藩士が殆どだっただけに、それだけ龍馬が裕福な家に生まれた事が分かるのである。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

「遊学」とは、地方から勉強する為に都会に出て行く事ぜよ!

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 資料 龍馬の歴史2

幼い頃の龍馬は泣き虫だったが、10歳頃の時に実母を亡くして、代わりに坂本家の三女だった「坂本乙女」が面倒を見る事になった。ちなみにこの坂本乙女は、身長170cm超えで体重も100kg超えという、当時の女子としては珍しい巨体だった為に、龍馬はその姉に厳しく指導されていく事になった。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 資料 龍馬の歴史3

その坂本乙女はその巨体を活かして、剣術や馬術などの武芸に秀でており、更には和歌や琴などの文芸にも秀でていて、”文武両道の女性”だったという。そんな逆らう事すら考えにくい姉に対して、龍馬は厳しく躾けられた。龍馬は小さい頃に『おねしょ(夜尿症)』ばかりしていたが、それを見かけた坂本乙女が毎晩夜中に龍馬を起こしてトイレに連れていった為に、後に改善されたという。

オカン
オカン

アンタもおねしょ、よくしてた頃あったな!

・・・何も言えね~・・・!

坂本の猟犬
坂本の猟犬

下の世話をしてくれた人には、文句を言えないぜよ!

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 資料 龍馬の歴史4

そんな風に活発な少年として育った龍馬は、幼い頃から働きの手伝いを逃れて、小さいながらに色んな見聞を得ていく。そして時は幕末で、動乱の時期を迎えようとしていた江戸幕府終焉へのカウントダウンが始まっていた頃だった。

 

高知市内 龍馬の生まれたまち記念館 館内 資料 龍馬の歴史5

その後龍馬は土佐藩の藩士となり、その途中に自費で江戸遊学に出向いて、剣術の指導を受ける。なお、その初回の江戸遊学の際に浦賀にペリー提督一行が来航し、龍馬は土佐藩の屋敷の警備に駆り出されたという。そんな男が日本を大きく動かす原因になっていくのは、この時には誰も想像すら思わなかった事だろう。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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