高知県旅行記2021年3月-28
旅行期間:2021年3月某日(2泊3日旅)
膝の上が好きな猫!
さて高知市内中心部に鎮座する高知城の見学を終えたので、これから南側にある観光地としても有名な「桂浜」まで車で移動します。この街路樹のある通りでは「木曜市」が行われていたけど、観光客向けの屋台というよりは、地元民向けの野菜や食べ物が売られていた。
高知城から桂浜までは、寄り道しなければ車で約20分ほどの距離。
寄り道しなければな・・・
山内神社で山内容堂公の銅像を眺める!
そして桂浜まで向かう途中に寄り道したかったのが、城の南側にある鏡川沿いに建立されている「山内神社」。この山内神社は土佐藩歴代藩主が祭神として祀られている神社で、初代藩主の山内一豊から最後の藩主となった山内豊範までが神様として祀られている。
この山内神社で今見られる社殿は、1970年頃に再建された建物となっている。というのもこの山内神社と高知城近くにあった土佐藩歴代藩主を祀った藤並神社は、1945年の高知大空襲の際に焼失してしまっている。
藩主を祀る神社を焼き払うなんて、極悪非道ぜよ!
そしてこの山内神社の境内には、ご覧のように土佐藩第15代目藩主だった「山内 容堂(ようどう)」の銅像が鎮座している。山内神社は元々土佐藩主3代目から14代目までを祀る神社として建立されたが、昭和になってから15~16代藩主を祀る為にそれまでの3~14代目藩主の神様を、高知城近くの藤並神社に移したのである。
そのように土佐藩歴代藩主は藤並神社と山内神社の2箇所で祀られていたが、戦争時の空襲によって結果的に一箇所に集約される事になった。なお、銅像というと立派な姿勢の姿で作られている事が多いが、この山内容堂の銅像は彼が”酒豪”としても知られていた事もあって、酒を飲みながら「大政奉還を慶ぶ」姿をイメージして作られていた。
酒が飲めない勝海舟に、強引に酒を呑ませたとか、酒乱藩主ぜよ!
こちらの銅像は2002年に、山内家が土佐入りしてから400周年記念として設置された物。なお、銅像の制作者は富山県の彫刻家「梶原幸山」となっている。
小雨が降ってたから、容堂公が涙流しているように見えるぜよ!
なお、この彫刻家:梶原幸山が手掛けた銅像には、愛媛県松山市内の日露戦争で活躍した秋山兄弟生誕地に設置されていた像もあった。
「鎮守の森公園」の長宗我部元親の銅像も見学!
そして山内容堂公の銅像を眺めてから桂浜に向かう途中に、また寄り道をする。ここは桂浜に近い「鎮守の森公園」という、高知県道34号(桂浜はりまや線)沿いにある南北に縦長の公園となっていた。
住所:高知県高知市長浜5716
この「鎮守の森公園」に立ち寄った訳は、この中央に見えている銅像を見たかったからである。これまで高知県に来てから見た銅像は、江戸時代から幕末にかけて活躍した人物ばかりであったが、ここには江戸時代以前に活躍した人物のカッコイイ姿の銅像が設置されている。
その人物とは、四国統一を成し遂げた「長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)」である。これから向かう桂浜には、その高台にかつて長宗我部元親が居城としていた「浦戸城」があり、その城が見える近くの天甫寺山に長宗我部元親の墓が設置されている。
半農半兵の兵士組織である「一領具足」の導入によって、四国を統一した長宗我部元親。しかし、もっと争いの激しい近畿~中部地方を制して全国制覇を目指す豊臣秀吉の前には、屈服せざるを得なかった。
こちらの銅像は1999年に、長宗我部元親が亡くなってから400周年を記念して製作された物となっている。この銅像は長宗我部元親が1560年頃に初陣を飾った時の姿を、想像で再現したポーズとなっているようだ。
こちらがその長宗我部元親の銅像で、右手に5.7mもある長い槍を抱えて、なかなかにカッコイイ姿で作られていた。さっき見た毎日酒を浴びるように吞んでいたという山内容堂公の銅像とは違って、とても勇ましい姿となっていた長宗我部元親の像。
ただこの銅像はそれなりに高い台座の上に設置されていて、長宗我部元親の顔部分がちょっと見えにくい。そして台座の高さを含めて高さ7mもある銅像で、近寄ってみると意外と大きな銅像となっていた。
そして銅像手前の地面には、このように長宗我部元親が統一した四国の地図も設置されていた。アチコチで色んな銅像を見てきたけど、このように銅像手前の地面にその人物が治めた地図が記されている光景は、見た記憶がなく初めてであった。
こちらの銅像の作者は、高知市内出身の彫刻家「濱田 浩造」(1940~2001年没)となっている。この濱田浩造氏は高知県内に設置されている銅像を何個も手掛けており、高知県高岡郡梼原町に設置されている坂本龍馬を含む8人分の「維新の群像(維新の門)」や、高知県安芸市にある「岩崎弥太郎像」も製作している。
また、昨日訪れた足摺岬の「ジョン万次郎資料館」近くに造られていた、漂着した無人島から船を見つけて駆け抜ける万次郎一行の姿をイメージした像も、この濱田浩造氏が製作した物となっていた。
銅像DVD「濱田浩造作品集」 動画
昔の戦国武将の銅像は騎馬に乗っているポーズが多かったりするけど、このように長い槍を脇に抱えて斬り込もうとする姿は、とてもカッコイイ。最近は戦国時代の武将を主人公にしたゲームなどが多数造られているけど、そんなゲームの中で主役を張れそうな雰囲気を感じる。
そして天気は曇りのち小雨という感じで、背景は曇り空でパッとしなかった。けど、このように周りに桜の木があって、咲き出した桜の花と勇ましい槍を抱えた長宗我部元親像が何とも印象的だった。
そしてその公園の敷地内には、このような鯨の形をした水飲み場が設置されていた。江戸時代には鯨漁が盛んだった土佐だけあって、このように太平洋近くの公園に鯨の形をモチーフにした物が作られていたのだろう。
桂浜のニャン!
そして車で少し走ると、桂浜に到着する。ここは「高知県立坂本龍馬記念館」が造られている高台で、かつては長宗我部元親の居城があった浦戸城跡近くで、このようにとても見晴らしが良い場所となっていた。
これが「高知県立 坂本龍馬記念館」の建物で、1991年に造られた本館と、2018年にそのすぐ脇に新たに造られた新館に分かれている。この近代的な建造物に見えるのは、1991年に造られた本館部分となっている。
そしてすぐ目の前には、土佐湾とも呼ばれる太平洋が広がっている景色が見られる。そしてこの湾から見える部分には、思っていた以上に運航している船舶の姿も見られた。
いきなり膝に乗ってきた猫ちゃん! 動画
駐車場に車を停めて太平洋の絶景を眺めていると、近くにこの猫ちゃんの姿を発見。そして最近得意にしている”猫ちゃんの鳴き声”を「ミャ~~オ~~!」と披露すると、その鳴き声に共感するようにこの猫ちゃんが寄ってきて、いきなり膝の上に乗ってきたのであった。。
まっこと人懐っこい猫ぜよ!
いきなり初対面で、しかもまだ出会ってから1分も経っていないにも関わらず、躊躇する事なく膝の上に乗ってきた猫ちゃん。この前に尾道に行った際にも”膝の上に乗りたがる猫ちゃん”と出会ったばかりであるが、その時はその猫ちゃん並みに人懐っこくて膝に乗ってくる猫とはそう出会えないだろうと思っていただけに、ビックリしたのであった。
それにしても人慣れしているニャンチャンやな!
膝の上を満喫する猫ちゃん! 動画
この猫ちゃんの右耳は”桜耳”にカットされていたので、地域猫として可愛がられているのか、それとも飼われていた猫ちゃんが捨てられたのか? ただ、この人懐っこさは小さい頃から人間と接していたとしか考えられない。
しかし尾道で出会った”膝の上に乗りたがる猫ちゃん”もそうだったけど、このようにいきなり膝の上に乗ってくる猫ちゃんは、どうやら膝の上がとても居心地が良いように感じるらしく、なかなか膝から降りる様子が見受けられない。
というか、降りる気なさそうぜよ!
しまいには、膝の上でフミフミしだす猫ちゃん。ただ初対面にも関わらず、このような可愛らしい仕草をしてくれて、警戒せずに近寄ってくれる猫ちゃんを見ていると、段々愛くるしさを感じてくる。
ちなみにYoutubeに寄せられたコメントによると、この猫ちゃんは後日新しい飼い主が見つかって引き取られていったそうだ。これだけ人懐っこい猫ちゃんだと、飼いたいと思う人が居て当然だと思う。ただ我が家はオカンが綺麗好きで、しかもボクは猫アレルギーがあり、飼いたくても飼えないのだが。。
猫飼ったら、その辺引っ搔き回されて大変やで!
そしてこの高台にも、先程長宗我部元親の銅像が建てられていた公園でも見かけた、こちらの鯨型の水飲み場が設置されていた。ちょっとだけ手を洗いたそうにしていたオカンがその水飲み場を利用していたけど、よほど水に濡れたくないからか、このようにへっぴり腰姿となっていたが・・・。
濡れたら大変や!!
そしてやっと膝から降りてくれた猫ちゃんは、今度はオカンに撫でられているが、ちょっと顔が険しいように見える。もしかしたら、もう少しボクの膝の上で寛ぎたかったのかもしれない。
そして桂浜の海岸をバックにして、この猫ちゃんの記念写真を撮影する。なかなか写真を撮られる時のポーズを意識していた猫ちゃんで、振り向き姿でこちらをしっかりと見つめていたのであった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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