沖縄旅行記2020年秋-㊺
旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(Visit Hacksaw Ridge (Maeda Highlands), the site of Urazoe Castle, which was the site of a fierce battle during the Battle of Okinawa. [Okinawa Travelogue 45])
ハブに注意?!
さて沖縄旅最終日は、まず浦添市にある「ハクソーリッジ(前田高地)」としてアメリカの映画で有名になった、1945年の沖縄戦で激戦地だった場所の見学にやって来ました。ボクがこの場所を知ったのも、その2016年に公開されたメルギブソン監督作品『ハクソー・リッジ』 を映画館で見た事がキッカケでした。
住所:沖縄県浦添市仲間2-53-1
ニードルロックにて
そのハクソーリッジと米軍に呼ばれていた場所は、日本軍が拠点を築いていた前線であり、その場所は元々は琉球王国時代に浦添城という城跡があった場所でもある。しかし、その城跡は戦争で大きく破壊されてしまったが、最近になって昔の写真などの資料を元に城郭の一部が復元されており、今では城跡らしい雰囲気の場所に戻りつつある。
ここは浦添城跡の敷地だった場所で、先程見た尖った大岩が御嶽として祀られていた城内の聖地でもあった。それを印象付けるかのように、その周辺にも大岩がゴロゴロと並んでおり、何か神秘的なエネルギーを感じてしまいそうな雰囲気もしている。
そんな浦添城跡も1945年には沖縄本土への上陸作戦を見越して、宜野湾から侵攻してくるだろうアメリカ軍を迎撃する場所に、かつての城跡が選ばれた。映画『ハクソー・リッジ』の中では、洞窟の穴から蟻のように群がって日本兵が出てくるシーンがあったけど、このような穴の奥に塹壕を掘って徹底抗戦をしていたのだろうか。
ニードルロックを眺める! 動画
そんなニードルロックを眺めた後は、浦添城跡の中心部である西側に続く道を進もうとしたけど、このように通行止めになっていて先に進めなくなっていた。なので一旦墓地群の方へ戻ってから、迂回して西側へ進む事にした。
1945年の沖縄戦から約75年程が経過した現在は、このようにかつてこの場所に雨のように艦砲射撃が撃ち込まれて、日本軍にとって修羅場になった激戦地とは思えないように緑が溢れかえっている。激戦地だからボコボコな形で地表が剥き出しになっているような光景を想像していたけど、現実には長い年月を経ると自然に緑が定着して植物だらけの場所になってしまうのだ。
映画の中ではアメリカ軍の兵士を援護する為に、この宜野湾から砲艦射撃によって激しい攻撃に見舞われた前田高地。皮肉にもこのように目と鼻の先に海があり、その海に駐在していた戦艦から狙い撃ちになっていたのである。
戦争は年月が経つと風化して、人々の記憶からその悲惨さが消えてしまうというけど、まさにこの景色を見ていると、その当時の戦争の悲惨さが全く消えてしまっている。でもそれは地球上では一種の循環サイクルの1つであり、地球側からすれば人類が共喰しているような感じで、気にもならない事なのかもしれない。
ハクソーリッジ/前田高地にて
この高台はかつて浦添城があった場所であり、第二次世界大戦の沖縄戦時には「前田高地」とも、またアメリカ軍からは「ハクソーリッジ(Hacksaw Ridge)」と呼ばれていた場所。ただこの高台のどの部分を示しているかという呼称ではなく、この高台を総称した呼び名となっているので、どの呼称で認識するかは訪れる人それぞれだろう。
そして迂回路を進んで行くと、奥に大きなガジュマルの木が見えてくる。何とも神秘的なガジュマルの木だけど、沖縄戦時に激しい砲火を浴びた場所なので、戦争の後に育った木なのかもしれない。
その脇にはこちらのように「前田高地平和之碑」が設置されていた。アメリカ軍からは「ハクソーリッジ」と呼ばれていたけど、日本軍からは「前田高地」と呼ばれていたのだろう。ただこの辺も全然観光客の姿を見なかったので、静かな雰囲気で佇む場所となっていた。
この前田高地平和之碑の文字は、北海道知事だった堂垣内尚弘が書いた文字となっている。北海道出身でこの沖縄に馴染みがない北海道知事が何でここに関係あるのかと思っていたけど、どうやら沖縄で戦った日本軍兵士の内、沖縄出身者に次いで多かったのが北海道と山形県出身の兵士だったという。
この前田高地の争奪戦では、日本軍兵士と地元の住民がそれぞれ数千人も亡くなった場所となっている。第二次世界大戦で唯一日本国土で地上戦が行われたのは沖縄だけで、沖縄以外に住んでいる人からすれば日本国土で戦争が行われたという認識は少ないのかもしれない。
しかしここ沖縄ではこのような戦地跡で多くの日本人兵士と共に、沖縄の地元住民も大勢亡くなっている。このような事実を知ると、戦争とはその争いに関係ない命も巻き添えにして、悲惨な運命に突き進む愚かな行為にしか思えなくなる。
そしてその記念碑の脇には、こちらのコンクリート造りの階段があったので、とりあえず上に登っていく事にする。
しかし、その途中にこちらの「ハブに注意!」の看板を目にして、思わずゾクっとしてしまった。。 というのも他の場所であればそれなりに管理されているように思えてきたけど、ここ前田高地は先程のニードルロック付近とかも雑草だらけで、ハブが出没してもおかしくないような雰囲気がしていたからだ。
ハブが出てくるんじゃなくて、人間がハブの生息地に入ってきてるだけブ~(怒)
その沖縄戦から早や70年以上も経過しているので、これら目の前に見えている光景が戦争でこのような形になった地形なのか、それとも元からこういった地形だったのかも判断が付かない。
そして階段を登ると西側に続く道のような物が見えて、更にはその奥から人の声も聞こえてきている。さっき「ハブに注意!」の看板を見て、ビビッてしまっていたけど、人の声が聞こえて一安心した瞬間でもあった。
どうやらこの「前田高地/ハクソーリッジ」を見学に来る人は、ボクが入ってきた東側からのルートではなく、南側の駐車場がある方からやって来るのが一般的だったようだ。だから車でもこの前田高地の近くまでやって来れるので、意外と観光客が訪れやすい場所になっていたのである。
その道を進んで行くと、さっきまで木が生い茂る狭い道しかなかったのに、ここからは急に開けてきて、公園のように芝生が生えた広場が広がっていた。
このようにさっきまでは周囲にハブが居ないかと警戒していたけど、急に広場となって人もそれなりにやって来ている場所だったので思わず安堵してしまう。そしてもっとボコボコになっている戦地跡かと思っていたけど、ここもそんな歴史を知らなければ、単なる展望がいい公園にしか思えない場所となっている。
この場所は激戦地でもあったが、それ以前には浦添城という城があった場所なので、そのゆかりの遺構跡なども多数紹介されている。ここはかつて浦添城が存在していた頃に「殿(トゥン)」と呼ばれていた場所で、近くの集落の住民達が祭を行っていた場所のようだ。
ここ浦添城はかつて12世紀頃に琉球で最初の国王となったとされる「舜天(しゅんてん)」の時代に築かれたとされていて、それ以降約10代の国王の居城として使用されていた場所のようだ。そして3つの地域に分かれて治められていたのを、1429年頃に第一尚氏王統の尚巴志王が統一したとされている。その尚巴志王の時代に居城をここ浦添城から、新しく南側にある首里城へと移転したそうだ。
首里城はここから見える方向にあるわよ!
そんな浦添城跡には激しい戦地だったとは思えない程に大きな枝を伸ばしている木々が見られる。まるでここを防衛していた日本軍兵士の慰霊が乗り移って、今でもこの地を守っているかのような感じにも思える木のようだ。
尚巴志王の時代に拠点を首里城に移したが、浦添城から首里城までは街道として石畳の道を商業発展の為に整備した。しかし、江戸時代に入って薩摩藩が琉球王国に侵攻してきた際に、まずこの浦添城を落とされ、その整備された街道を伝って首里城が攻められてしまい、琉球王国としては裏目になってしまった石畳の道であった。
今ではすっかり昔の街並みとは風景が変わってしまった沖縄の街と同様、この前田高地も戦争の悲惨な場所というのが緑で溢れかえってしまっているので、全然分からない場所となっている。そしてその辺には、浦添城があった際の物が復元されていたりしているのが多く見受けられる。
こちらの記念碑は、1597年にここ浦添城から首里城まで繋がる石畳の街道を整備した時の竣工記念として設置された石碑のようだ。勿論沖縄戦で激戦地となったので石碑は破壊されてしまっているので、最近に復元された物になっているが、琉球の初代国王である「舜天」の文字も石碑に刻まれているのが見える。
沖縄では1945年の本土戦争が起きなければ、もっと琉球王国時代の貴重な遺構が残っていたのだろうが、残念ながら多数破壊されてしまってはいるが、今ではこのような元の姿を復元する運動の一環で造り直されている物も多く見られる。
カガンウカーにて
さて他に何があるのかと目を配っていると、目の前に「カガンウカー」という案内杭が立てられているのが見える。日本の他の場所であればその名前を見れば大体の目安が付くけど、ここ沖縄では独自の方言なので、この「カガンウカー」を見てもそれが何なのか全く想像も出来ない。
「カガンウカー」とは、ここで水が湧き出た泉の事よ!
とりあえずその案内が示している場所の方に向かって進むが、緑ばかりでどこにそれがあるのかが分かりにくい。こういう時は現地のガイドさんに教えてもらって案内してもらうのが、一番勉強になるのだろうと思ってしまう。
こちらに案内板があって、この周辺の集落に住んでいる住民達が定期的に行われるお祭り的な行事の際に、祈りの場所として使われていた泉だったようだ。沖縄ではこのように自然溢れる場所に神が宿ると考えられていたようで、未だにこのような聖なる場所で祈りを捧げる人がいる。
この辺りにはこのように日本軍兵士が隠れていた地下の塹壕に通じる様な穴もあって、中に入れるのであれば入ってみたい気持ちもする。
数年前にベトナムを訪れた時に、ベトナム戦争時に地下に穴を掘ってゲリラ戦を行っていたクチのトンネルを見学したけど、そのトンネルは実際に使われていたトンネルではなく、観光用に復元されたトンネルであった。この前田高地もそのような地下塹壕を復元して観光客に開放しても面白いかと思うけど、冷静に考えるとここは激戦地で多くの日本軍兵士が亡くなった場所でもあるので、静かにしておく方がいいだろうと思う。。
多くの屍が眠っている場所では、静かにしましょう!
こんな旅はまた次回に続きます!
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