琉球王国の迎賓館的庭園だった世界遺産「識名園」に足を踏み入れる【沖縄旅行記㉞】

沖縄旅行記2020年秋-㉞

 旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(Step into the World Heritage Site of Shikina-en, which was once a guesthouse garden of the Ryukyu Kingdom. [Okinawa Travelogue 34])

琉球的な庭園

ここは沖縄県那覇市の東側にあり、首里城の南の方に造られている世界遺産の「識名園」。1800年頃に造られた琉球庭園で、中国からの使者を歓迎する迎賓館的な場所とされていたようだ。ただここも残念ながら沖縄戦で破壊されてしまって、今見られる庭園はその後に復元されたものとなっている。

 

【識名園】

住所:沖縄県那覇市字真地421-7
営業時間:9時~17時30分頃(※定休日:水曜/他)
電話番号:098-855-5936
入園料:大人400円、中学生まで200円、小学生以下無料

 

 

 

識名園内の見学!

入場券を購入して識名園に足を踏み入れると、目の前には沖縄らしい木々が沢山茂っている光景が見られる。日本国内では昔からの日本庭園をよく見る機会があるけど、このように熱帯地方の植物などが特徴の琉球庭園はなかなか見れない。

 

ただここを訪れた時には殆ど観光客らしき人を見かけなかった。平日の昼時という事もあったからか、園内で数人とすれ違うレベルで、世界遺産でありながら意外と観光客はそんなに居ないのかもしれない識名園。

 

 

識名園に足を踏み入れる! 動画

 

 

そんな識名園に足を踏み入れると、まずはこちらの「番屋」という番人が詰めていた建物が見えてきます。ちょっと関係ない個人的な話だが、この「番屋」という文字を見ると、前の職場で工場研修をしていた時に指導してもらった会社の先輩である「番屋さん」という人の事を思い出す。

 

その番屋という人はその部署でもリーダー的な存在で現場でテキパキ動く人で、またメガネを掛けていた事もあってボクの兄にも似たような雰囲気だった。その工場での研修は2ヶ月間だけで終了したけど、その期間の半分はその番屋さんの下で研修した。そしてボクが営業となってから工場を訪れる際には、毎回顔を見に行っていたけど、数年後にその番屋さんが突然亡くなった。

 

ボクの働いていた会社はボクが入社してから一回も黒字になった事がない、いつ潰れてもおかしくないような赤字企業に転落しており、また功労者の創業者の息子である2代目と、更にはその孫のボンボン3代目となる人物があまりにも役立たずで、それも作用して大きく会社の経営が傾いていた。

 

そういう赤字会社になると会社内の雰囲気も悪くなり、ギスギスしてお互いの足を引っ張るような会社になっていく。そんな会社で働く従業員たちはストレスを溜めていき、この急死した番屋さんはどうやら自殺したそうだ。幼い子供もいるテキパキし仕事に真面目な40歳前後の働き手が、自殺するまで追いつめられていたとは全然知らなかった。

 

奇しくもボクの兄も40歳ぐらいで幼い子供3人を残して、不慮の事故で亡くなっている。兄に似ていた番屋さんが同じような運命を辿ったのもたまたまかもしれないが、人はいつ亡くなっても不思議ではない。だから今この生きている瞬間瞬間に、自分の大事な人に対して感謝の気持ちを伝えておく必要がある。

 

人によっては「後で礼を言うわ!」とか後回しする人が多いけど、今この時に礼を言っておかないと今後言える機会がないかもしれない。後になってから「言っておけば良かった・・・」と思う機会も多いかもしれないけど、ボクはこのような番屋さんとかの出会いを通じて、「今伝えたい気持ちは今伝えるベキ!」だと思うようになったのである。

という「番屋」の文字を見かけると頭に浮かぶ話でした。

琉球姫
琉球姫

色んな出会いから、多く学べる事があるよね!

沖縄43
沖縄43

学んだ後は、それを実践するの大事サ~~!

 

この識名園も沖縄戦でその被害を受けて破壊されてしまった場所だけど、今ではこのように当時の戦火の影響が全くない程に復元されている。その様子を見ると悲惨な状況にあった沖縄が、ここまで復興している事の凄さを感じるのである。

 

 

それにしても植物の生命力というのは、いつもながらこれも凄いと思う。桜島で溶岩が流れ出てきた場所は不毛の地となってしまうけど、50年が過ぎると段々と植物が生えるようになってきて、100年以上が経過するとそこが森になっていく。

琉球姫
琉球姫

この植物の生命力があるから、人類も地球で生きれるのよ!

 

琉球王国時代に造られた庭園だけあって、足元の道はこのような石畳が敷かれているのが見える。古代ヨーロッパでもこのような石畳が敷かれていたけど、現代では車社会となっているので、このような石畳が姿を消しているだけに貴重である。

 

今日はちょっと小雨が時折降る雨模様の天気だけど、スカっと晴れている日だったら、もっと景色が良かった事だろう。植物の緑色も晴れていると、その緑色がもっと映えるので、これから出来れば晴れていって欲しいのだが。。

 

こちらには「天然記念物:識名園のシマチスジノリ発生地」と文字が彫られている碑が見える。このシマチスジノリというのは、識名園内に湧き出る「育徳泉(いくとくせん)に生息する紅藻類の植物だという。そのチスジノリ属の種類は日本国内では、この沖縄県と鹿児島県と長崎県でしか見れないという。

 

植物に興味が無い人間からすると、そのシマチスジノリがどれなのかも全然分からない。ましてやその名前を聞いても、それが植物だという事すら連想できないのである。。

 

そして奥に進むとまた綺麗に復元されている門が見えてくる。この門が正門らしく、中国からの使者を迎える際にこの門から招き入れていたそうだ。

 

さっきも石畳の道を見たけど、こっちの道の方が敷かれている石が小さくて、昔ながらの石畳のような印象を受ける。この道は正門から中へと続く使者が通る道なので、他の道に比べて坂道ともなっている事もあって、滑りにくいように石畳の表面をわざとデコボコにして、滑りにくい工夫を凝らしているんだとか。

 

 

正門から進んで行く! 動画

 

 

 

識名園の内部にて

その中国の使者たちが沢山通った道を進んで行くと、識名園の中心部には日本庭園のような池がある風情が見えてくる。緑と水のコンビネーションが織りなす癒しは、いつの時代でも人類を優しく包んでくれるかのように感じる瞬間でもある。

 

ただ日本庭園とは違って、この識名園の池に鯉が生息しているような様子は見えない。日本庭園の多くでは鯉が放たれていて、観光地ではその鯉が餌付けされているので、池の脇に立つと口をパクパクとさせた鯉が集まって来るシーンが実はあまり好きではないのだが。

 

その池の手前側に、「育徳泉」という未だに湧き水が出てくる、この識名園の池の水源になっている泉が見えてくる。城の石垣のように、琉球石灰岩が綺麗に積まれた神秘的な場所。

 

どうやらこの育徳泉という場所に、さっき石碑に書かれていたシマチスジノリが生育する場所のようだ。このシマチスジノリという紅藻類は、一時は食用にもされていたそうだけど、今では”絶滅危惧Ⅰ類”にも指定されている程に珍しくなってしまっている。

 

育徳泉の水面下の部分に、そのシマチスジノリという紅藻類が生育しているようだけど、この時は全然興味が無くてジックリ見なかったので、どれかそうなのか分からない。なお、沖縄戦で破壊された識名園でも、この育徳泉と後で見る石橋は何とか破壊される事なく生き残ったとか。

 

戦争で破壊された識名園は1975年から約20年間&総工費約8億円を掛けて、綺麗に復元された。戦前までは一般人が立ち入れない場所となっていたが、復元された今日では入場料を払いさえすれば、一般人でも入る事が出来るようになっている。

 

その池を見ながら更に奥に進む道には、このように門になっているような通路が見える。昔はここに門があったらしく、使者を迎える御殿が奥にあり、そこへ向かう通路だったようだ。

 

そしてこの御殿へ向かう通路が特徴的なのは、さっきまで石畳で綺麗に積まれた石垣が脇に並ぶ通路だったのに、ここからは石畳ではなく普通に土の道になっている。そして石垣も綺麗な積み方ではなく、いびつな形の石ばかりを無造作に積み重ねたような野面積みになっているし。

 

ここは単に綺麗な石垣を積んでいくのが大変だったから比較的簡単な野面積みにしたという訳ではなくて、この先で自然に還るというテーマがあって、敢えてこのような造りにしているんだとか。

 

 

確かにこうやってこの道を進んで行くと、大自然の中に入れられているような雰囲気を感じる。このようにこの識名園は単に中国からの使者を迎え入れる場所だけではなく、その使者を楽しませる場所としても造られた事が分かるようになっている。

 

識名園の御殿にて

そしてS字の通路を進んで行くと、ここでやっと御殿(うどぅん)が目の前に現れる。この識名園に入ってからここまで進んで来る途中にこの御殿が全く見えなかったのは偶然ではなく、わざとこの御殿や庭園の中心部が近づくまで見えないような設計になっているという。

 

 

識名園の中心部にて 動画

 

 

こちらの御殿は勿論戦争で破壊されてしまったので綺麗に復元された物であるが、破壊される前の建物の図面が残されていたらしく、それを参考にほぼ昔の建物を忠実に再現して造られているそうだ。

 

沖縄の方言ではこの御殿の事を「うどぅん」と呼ぶようだ。だから本州から来た観光客からすると聞き慣れない言葉なので、思わず聞き慣れた「うどん」とすぐに連想してしまう。しかし、ここは”識名園のうどん”ではなく、”識名園の御殿(うどぅん)”なので、間違えないように!

琉球姫
琉球姫

沖縄の方言も覚えて帰ってね!

 

この御殿内は見学が自由となっており(土足厳禁)、見て回る事が出来る。ただ建物内には特に装飾品などはなくて、質素な日本家屋のような建物になっている。また床には畳が敷かれているので、これだけ見ていると日本家屋とあまり違いは感じられない。

 

この御殿は琉球国王の別荘的場所であり、かつ迎賓館的な場所でもあったので、そこそこな広さとなっている。昔だったらこのような御殿に入る事すら出来なかったので、現代に生きていてこのように見学できる我々はとてもラッキーである。

 

この御殿がある識名園内に居てると、ここが沖縄の経済の中心地である那覇市内とは思えない程の静けさが漂っている。さすが琉球国王が滞在する場所だけあって、優雅なひと時を満喫できる場所となっていたのである。

 

 

御殿から眺める中庭! 動画

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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