琉球王国最大の聖地であった「斎場御嶽」で、数々の神域を見学【沖縄旅行記㉒】

沖縄旅行記2020年秋-㉒

 旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(Visiting Saifa Utaki, the Largest Sacred Site in the Ryukyu Kingdom [Okinawa Travelogue 22])

静かに参拝しましょう!

さて沖縄旅2日目に続いてやって来たのは、沖縄の世界遺産『琉球王国のグスク及び関連遺産群』の1つとして認定されている、琉球王国時代の最大の聖地とされていた「斎場御嶽(せーふぁーうたき)

 

【斎場御嶽(せーふぁーうたき)】

住所:沖縄県南城市知念字久手堅地内
営業時間:9時~18時頃(※安息日という休館日あり)
電話番号:098-949-1899
入場料:大人300円/小中学生150円
※入場券は南城市地域物産館でのみ販売

 

 

 

斎場御嶽へ入場!

これから琉球王国時代に沖縄最大の聖地とされていた場所へ入っていきますが、入場券はこの入口では販売されておらず、先程の無料駐車場があった物産館前でしか販売されていないので買い忘れには注意です。

斎場御嶽の見学をする場合は、必ず物産館前でチケットを購入しておきましょう!

 

この斎場御嶽では予約制ガイドとは別に、土/日/祝限定の1時間1回の定時ガイドコースがあるのだが、コロナ禍では定時ガイドコースは中止となっていた。なのでガイドさんをお願いしたい場合は、2000円の予約ガイドしか選択肢はないようだ。

 

沖縄の世界遺産『琉球王国のグスク及び関連遺産群』は琉球王国時代の遺跡に焦点を当てている為に、この斎場御嶽も琉球王国時代に最盛期を築いた3代目国王の「尚 真王(しょう しんおう)」治世の頃に整備されたとされている。ちなみに斎場御嶽の起源自体は琉球王国の始祖「アマミキヨ」がここを造ったと言われているそうだ。

 

琉球王国は本来は日本に属していなかった国なので、琉球王国時代の遺跡の名前なども一般的な日本人にはまず読めないような名前が付けられている場所が多い。ここも「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」と呼ぶのだが、観光客からすればまずこのような読み方は出てこない事だろう。

 

なお、我々観光客側からすれば「世界遺産だ!色んな場所を見逃さずに、写真撮ったりして満喫するぞ~~!」と思ってしまうけど、沖縄の人々からすると沖縄の始祖や神を祀っている聖地なので、そういった人達に配慮して失礼な振る舞いを避けて観光する必要がある場所でもある。

 

なおこの斎場御嶽が世界遺産に認定されてから大幅に観光客数が増えた為に、自治体としては観光収入が増えて喜んだのかもしれないけど、この聖地でお参りしている地元住民達からは無作法で自分勝手な観光客の増加に頭を悩ませているという。本来琉球王国では聖地(御嶽)は男子禁制というルールがあり、また騒ぐ所ではなくお祈りをする場所なのだが、観光客はそういった事を全く知らずに観光するだけなので、地元では観光客を規制する声も挙がっているという。

 

・ここは聖地なので祈りの場所という事を忘れないように!
・お祈りしている人の写真を撮ったり、みだりに声を掛けないように!
・敷地内にある動植物や石などは持ち出し厳禁です!
・敷地内にある香炉には座ったり、荷物を置いたりしないでください!
琉球姫
琉球姫

パンフレットにもこのような注意事項が記載されているので、事前に確認してから入ってね!

 

こちらはかつての参道として使われていた道のようだが、今では通行禁止となっている。歴史的な石畳の道も観光客が増加する事によって、その石が段々とすり減ってしまい、昔の景観などが消えてしまうという問題も起こっているという。

琉球姫
琉球姫

世界遺産になる事は、デメリットも多いのよ!

 

特に海外旅行をすると、世界遺産に登録されている教会などに連れていってくれるけど、その宗教に興味が無い観光客が中に入ると、熱心にお祈りをしている人など無視して好きに写真を撮りまくったりすると、そのお祈りしている信者の人からは不満の声しか挙がらない。海外の教会ではマナーを守れば写真撮影は構わない場所も多いけど、日本の教会では信者に配慮して建物内では写真撮影が禁止されている所も多いのである。

 

そして少し階段を登った所に開けている場所があり、ここは「久高島礼拝所」という名前が付けられている。この先に小さな久高島が見えており、かつては琉球王国の始祖であるアマミキヨが最初に造った島と考えられており、またこの聖地から東側に位置しているのでちょうど日の出の方向となり、神事の対象となっている島でもある。

 

琉球王国時代に「神の島」とされていた久高島には、国王が毎年2回ほど海を渡って参拝に通っていた場所でもあるという。日本本土からは大きく離れている琉球王国だったけど、その太陽への信仰などは全世界の人類共通の認識だったようだ。

 

 

確かに東側にある島だと、ここから見ていると毎朝その方向から太陽が昇って来る姿を見ると、神々しく思える事だろう。ちなみに久高島には約200人前後の住民が住んでいるが、観光地化はされておらず、また標高も最高地点で17m程しか無い為に、大きな津波が来た場合にはひとたまりもないような島のようだ。

 

ちなみに久高島では12年に1度「イザイホー」という神事が島を挙げて行われる。そんな神事の取材に1966年頃、岡本太郎が久高島にやって来た。そしてその時に久高島では亡くなった亡骸をそのまま放置して腐敗させる「風葬」を行っている場面を写真撮影し、後日断りなしにその写真を週刊誌に載せたという。その事件が起きてから久高島では、その風葬が行われなくなったという。。

 

このように敷地内の路地は琉球王国らしい石畳の道が整備されていますが、所々にグリーンのマットが敷かれているのが見られます。ここはその下の石畳の道がすり減っている為に滑りやすくなっているので、その配慮として敷かれていたようだ。

 

 

斎場御嶽の奥へと進んで行く! 動画

 

 

石畳の道も長年使用されると自然とすり減ってしまうのは仕方ない事だけど、それだけ世界遺産に登録された影響によって多くの観光客が来ての、嬉しい悲鳴と共に悲しい悲鳴も挙がっているのだろう。知らない人が多く来るという事は財政面では喜ばしいけど、そこに住む人達からすれば迷惑でしかない事だろう。

 

この斎場御嶽敷地内の路地は複雑ではなくて、簡単な一本道になっているので迷子になる心配はない場所となっている。それに元々観光する場所として造られた場所ではなく、あくまでもお祈りを捧げる聖地として造られている場所なので、そんな複雑になっている訳でもないようだ。

 

 

大庫理(うふぐーい)にて

こちらは道を真っ直ぐ進むと左側に見えてきた、「大庫理(うふぐーい)」という最初の礼拝所となっている。なお前にいた人は個人的にガイドさんを雇っていたので、アレコレと詳しい説明を受けていたのを見て、自分もガイドさんを雇えば良かったかなと思う。色んな観光地で有料のガイドさんがいるけど、単に写真撮って終わりだけだったら不要だけど、このように後日その場所について詳しい事などを記載するブログなどをしていると、その場所に詳しい人の説明を聞いておく事はプラスでしかないと感じる。

あとは費用との相談だけですね・・・

 

奄美大島でもそうだったけど、ここ沖縄神道は基本的に女性が行う物で、このような御嶽という聖地は”男子禁制”となっていた。そしてまずここを訪れた神女達は、その中で最も位の高い神女「聞得大君(きこえおおきみ)を祝福などしていたそうだ。

 

その為、ここは単なる広場ではなくて礼拝所となっているが、初めて来る人からすればそんな意味合いなど全く知らないので、この岩の下にある四角い香炉を見てベンチだと思って、腰を掛ける人が居るという。その地域の文化を知らない人からすれば、ちょっとこの香炉に荷物を置きたくなる行為も分からない訳ではないが・・・。

琉球姫
琉球姫

ここにある物、全てが神聖な物なんだけどね・・・

 

このような穴などに神様が住み着いているという考えで信仰されており、今ほど科学が発達していない昔には根拠が無くても、国王がそう決めたり民衆がそうだと思い込むと、それが正しいとされていたのであろう。

 

しかし昔の人達は現代人とは違って、地球の自然の大切さを大事にしていた事がこういった聖地に来ると分かる。このような聖地では日本の神社のように自分の利益の為に神様にお祈りするのではなくて、自然の恵みに感謝するという真理に叶ったお祈りが捧げられていたようだ。

 

さて大庫理でちょっと寄り道をした後は再び元の道に戻り、先へと進んで行きます。その道中にはこのように道を塞ごうと意図しているかのような木も見られたりと、聖地だけあって神秘的な雰囲気を醸し出している景色が見られます。

 

そんな聖地のあるこのような壁なども、何となく眠っている巨人の顔のような雰囲気にも見えないような、見える??、やっぱ見えないか?!

沖縄43
沖縄43

ちょっと強引サ~~!

 

琉球王国時代の聖地:御嶽は基本的に男子禁制で女性しか入る事が出来なかった為に、琉球国王も入る事が出来なかった。しかしどうしても国王が入りたい場合には、女装して女性のフリをしてまで入る程だったという。日本本土では女子禁制という場所が多いけど、この琉球王国では反対だったようだ。

 

人類って信仰を求めだすと、このような壁に空いて穴を見ていると、それが神様のような顔に見えて崇拝するようになるんだろうな。ヨーロッパでもキリスト教の信仰に厚い国に行くと、聖母マリア様が出現した場所などと言われている所が多々あるけど、その伝説話を聞いてみると奇跡というよりも作り話にしか思えないような物が多いようにも感じるのだが。。

 

 

斎場御嶽の艦砲穴跡にて

そんな沖縄県民の聖地である斎場御嶽だけど、1945年の沖縄戦では大きな被害を受けている。ここは海から近い事もあって太平洋上に待機していたアメリカ軍の戦艦から放たれた砲弾が至る所に被弾し、この斎場御嶽の敷地内にも着弾した跡が残されているようだ。

 

ただ1945年の沖縄戦と言っても、今から約70年以上も前の事なので、その当時の砲弾跡などはしっかり残っていないのが現状である。ここもこのように特に大きくへこんでいるという訳でもなく、ここに案内板が設置されていなければ砲弾が落ちた場所とは全く分からない場所だと思う。

 

悲惨な戦争だった沖縄戦も70年以上が経過すると、その大半が風化してしまい、その当時を知る人の大半が亡くなっている事もあってどんどんと忘れられていく。この艦砲穴跡もその殆どは埋められてしまって消えているが、ここではその戦争の悲惨さを忘れない為にもこのようにして維持されているようだ。

 

ここは聖地だけあって、このような岩の切れ目の空洞にも何か神秘的な雰囲気を感じ取ってしまうような気がする。ボクは神様という対象に対しての信仰心は殆ど無いけど、地元住民の気持ちになって見てみると、このような場所に何かしらの神々しい雰囲気を感じてしまうのである。

 

1945年の沖縄戦ではアメリカ軍は上陸する前にまずは戦艦からの一斉射撃で、徹底的に沖縄本土を攻撃していた。それに対して日本軍は地下に塹壕を掘って、そこに隠れて砲撃を凌いだという。

 

ベトナム旅行した際にもベトナム戦争時に地下に長~~いトンネルが掘られていた場所を訪問したけど、アリやモグラも驚く程の地下要塞のような穴蔵を造っていた事実を見て驚いた記憶が蘇る。。

 

そして突き当りの道を一旦左側に曲がって進んで行くと、この「寄満(ゆいんち)と呼ばれる場所に辿り着きます。寄満とは首里城で王様の食事を作る料理場という意味合いがあるようですが、実際にここは台所として使われていた場所ではなくて、ここに色んな食材が集まっていた為に”豊穣の寄り満つる”場所として認識されていたそうな。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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