敗北した日本軍の哀れさを感じる「旧海軍司令部壕跡」を更に進む【沖縄旅行記㉙】

沖縄旅行記2020年秋-㉙

 旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(Feel the pity of the defeated Japanese army as you walk further into the “ruins of the former naval headquarters bunker” [Okinawa Travelogue 29])

迷路のような通路

ここは1944年の後半に迫りくる沖縄地上戦を前にして、突貫工事で築かれた日本軍の防空壕だった「旧海軍司令部壕」。戦争終結後に長期間放棄された後に、掘り直されて今ではこのように当時の様子を保存する場所になっている。

 

【旧海軍司令部壕】

住所:沖縄県豊見城市字豊見城236
営業時間:9時~16時30分頃(※年中無休)
電話番号:098-850-4055
入場料金:大人600円/小中学生300円

 

 

 

引き続き、迷路を進む!

次の部屋は「医療室」となっていたが、生存者の話によるとこの部屋に大勢の負傷兵が詰め込まれていたという。ただ医療室と言っても、今の病院みたいな施設ではなく、簡単な処置しかする事が出来なかった事だろうが。

 

その当時の様子を想像して描いたような絵だが、沖縄戦では軍需物資などと共に医療品も不足し、負傷した兵士も満足に治療できなくなっていった。そして治療を続けて行ってもドンドンと負傷者が運び込まれてきて、治療する側も疲弊していき、更には医療品も届かなくなって底を尽き、最終的には治療を諦めて衛生兵自身も敵地に突撃していったという。。

 

その医療室とされていた部屋は、このようにチェーンが張ってあって立ち入りは出来なくなっていた。特に部屋の中に入ってまで見てみる程の物があるようにも見えないけど、ここだけは入れなかったのには訳があるのかもしれない。

 

このような追い込まれていた戦争では、負傷するという事はその後には死しか待ち受けていなかったのかもしれない。特に致命傷を負った者は手当てする手筈もなく、自決するか、誰かに殺してもらうしかなかったのかも。

 

この塹壕跡からは2,000人を超える遺骨が発見されており、という事はこのような通路に数えきれない程の日本軍兵士が死んでいたのかもしれない。だから今通っている通路の足元では誰かが死んでいた場所で、我々ここを見学に来る観光客はそんな日本軍兵士達の屍の上を歩いていると言っても過言ではないのかもしれない。。

 

こちらにはこの塹壕の司令官だった大田實が、本部に向けて送った電報の現代訳にした文章が飾られている。迫りくるアメリカ軍と徹底的に戦うという所存ではなく、この戦争の舞台となった沖縄に住んでいる人達にどれだけの迷惑を掛けてしまったかという自責の念が如実に描かれた内容となっている。

 

この沖縄戦は近代に起きた戦争なので、もう既にこのように発電機なる物が開発されて、真っ暗だったこの塹壕内に電気をもたらしていた。その電気によりライトが灯されて、最低限度の生活が行える場所となっていたのだろう。

 

そんな発電機もここには見られなくて、その跡地だけが残されている。なお、この塹壕は戦争終結後に数年放置されていた為に、発掘が行われた際には水溜りになっていたそうだ。今では綺麗に改装されてその痕跡はあまり感じられないが、暗い日本の過去が垣間見られる場所である。

 

この塹壕は日本軍兵士の手作業によって掘られた場所で、近代的な重機は使われずに、こちらの絵にもあるようにひたすらにこのようなツルハシを手に穴を掘り続けたようだ。近代的な戦争だった第二次世界大戦ではあるが、このような昔ながらの手作業で塹壕を掘らねばならなかった日本軍の追い詰められた状況が、映し出されているようなツルハシでもあった。。

 

ただ通路によっては鍾乳洞のように、壁がツルツルとなっている場所もある。このような地下深い場所でも、雨水が染み出てきて、それが壁に伝わって落ちてきて滑らかな外観へと変えていったのかもしれない。

 

 

「下士官室」にて

お次の部屋は「下士官室」となっていて、それなりの広さがある場所となっている。ただ名前は「下士官室」となっているものの、その他大勢が与えられたオープンスペースだったのだろう。

 

この塹壕内には2000人以上の兵士がいたので、このような狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めになっていたようだ。さっき見たような通路で寝れる者はまだマシで、人によっては満員電車のように立ちながら寝ざるを得なかったという。

琉球姫
琉球姫

「立ったまま寝る」というのは、日本人の気質なのかもね!

 

「人は横になって寝るもの」だと思い込んでいるけど、追い詰められた戦争下ではそんな待遇も求める事が出来ないので、立ってでも寝れるだけ幸せだったのかもしれない。ただこのような狭い部屋に多くの人が押し込められていると、当時は不衛生だった事もあって、シラミに悩まされていたという。

ナベツネさんもシラミには悩まされたって言ってましたね。。

 

そしてこのような横になって寝れる程のスペースがない狭い通路にも、立ったまま眠らざるを得ない兵士達で溢れていたのだろう。先の見えない暗い戦争で国の為に命を捧げた兵士達は、ここでどういう気持ちで立ったまま寝ていたのだろうか。

 

この塹壕内に設置されている部屋では、このように沖縄名産のリュウキュウマツの木材を使って、部屋を補強していたようだ。せっかく苦労してこのような大規模な地下基地を作っておきながら、それが簡単に倒壊したら目も当てれない。。

 

こちらの部屋にはそんな補強用の木材の雰囲気を残しているような展示がされている。このような状況下では自分のスペースが与えられるなんて贅沢はなく、共用部でプライバシーもなく、何とか生き繋ぐ日々だった事だろう。

 

 

隠れた出撃口にて

そしてまた通路を進んで行くと、大きな音を立てて塹壕内に循環する空気を送り込んでいる扇風機が見えてくる。そしてその通路の奥には明るい光が差し込んでいるのも見えて、下界と繋がっている様子が見れてホッとした心境になる。

 

この1944~1945年の沖縄戦を舞台にしたアメリカ映画『ハクソー・リッジ』では、海に佇む戦艦からの砲艦射撃で攻撃したにも関わらず、次々と湧いて出てくる日本兵の様子が描かれている。あれだけ激しい砲撃を受けたのにどこに隠れていたのかと思っていたけど、このように地下に掘った洞窟内に隠れていて、そこから砲撃が止んだ後に繰り出して来たのかもしれない。

 

 

このように換気口も兼ねている出口がしっかりとこの塹壕にも造られており、ここから大勢の日本軍兵士が旅立って帰って来なかった事だろう。今我々がここから見る景色と当時の日本兵が見る景色は心境が全然違っているので、仮に同じ景色であったとしても見え方は大きく異なっていたであろう。

 

今は固く閉ざされた出入口で、その金網の隙間から外を眺める。ここから見る分には特に目に付くものはなく、単なる出口といった感じであった。しかしここから出ていく兵士達は毎回ここを出る度に、「もう、ここには戻って来れないかも・・・」と思っていたのかもしれない。

 

これは出口側に立ってみて、この塹壕内の通路を眺めてみた景色。こうやって通路内を眺めると、煌々と灯りが照らされて、美術館みたいな雰囲気を感じなくもない。しかし冷静に考えると、この塹壕では多くの日本兵が苦しみ、そして死んでいった場所。

 

そんな場所も今では一般公開されている事もあって、悲惨な場所であった事も説明板が無いと全く想像も出来ないような場所になっている。なので、単なる洞窟見学で終わってしまうか、終戦間近の虚しい日本軍の状況を勉強できるかは、ここでの心掛け次第かもしれない。

 

こちらは先程チラっとだけ反対側から見た「司令官室」。先程は奥側にある扉の所から部屋を見たが、反対側に回ってくるとまた違う部屋のようにも見える気がする。

 

ここで太田司令官が沖縄県民を戦争に巻き込んだ無念の電報を作成し、また最後には数人の幕僚と自決した部屋でもあるそうだ。敗軍の将はこのように自害する事によって、その敗北した組織は大きく変わっていく。しかし、トラブルを起こしたり問題のある組織のトップを変えないまま、組織の変革をしようと思っても、その大半は失敗する事が多い。

 

この司令官室の片隅には、このように菩薩像が鎮座して、この塹壕内で亡くなった戦没者たちの魂を鎮魂している。このような戦争は現代の日本人からしたら他人事ではなく、こういった日本人の先祖達が多くの血を流した上で成り立っている日本という国に生かせてもらっているのである。だから、こういった戦没者に感謝しないといけない。

 

こちらには那覇市に上陸してきたアメリカ軍の侵入経過が描かれた地図もある。今の那覇空港があるエリアから上陸し、この海軍司令部近くまで南下して攻めてきたようだ。まず空港を押さえてしまえば、後は艦砲射撃の後に攻め込んで行くだけという安全策でもあったのだろうか。

 

この沖縄という地は長い間、日本国の1つではなかったのに、この第二次世界大戦では日本で唯一の地上戦が行われた悲惨な場所でもある。他の地域は空爆や原爆などで壊滅的に破壊されてしまった都市もあるけど、このような悲惨な地上戦が行われたのはここ沖縄だけである。

 

しかし、そんな戦争から早や70年以上が経過した現代では、沖縄に来てみてもそんな悲惨な戦争を引きずる訳でもなく、明るい南国リゾート地に変貌している。だが、ここで実際に地上戦が行われた過去は消え去る事は無い。

 

そしてこの塹壕の出口は入口とは違って、この通路がある階層の一角に用意されているのでわざわざ最初の入口まで戻って出る必要はない。

僅かな時間ではあったものの、沖縄戦について学べる「旧海軍司令部壕跡」の見学は日本人としてはプライスレスな体験だと感じた、今日この頃であった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ

↓↓↓↓沖縄旅行記:初回↓↓

13年振りに訪れた沖縄でのメンソーレな旅の始まり【沖縄旅行記①】
2020年11月中旬に13年振りに、沖縄の地を踏みしめます。今回は3泊4日の旅程で、沖縄らしさを味わう旅にしたいと思います。
タイトルとURLをコピーしました