沖縄旅行記2020年秋-⑦
旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(View of the nostalgic Shurei Gate and the World Heritage Sonohyan Utaki Stone Gate [Okinawa Travelogue 7])
13年振りの再訪!
さて約13年振りに訪れた沖縄県旅行で、首里城へと繋がる歴史的な石畳の街道で浪漫を感じながら登っていきます。前に社員旅行で訪れた時のボクはまだ20代後半で趣を感じれる人間では無かったけど、それから約13年程が過ぎた今では趣を嫌でも感じてしまう年頃になっていたのである。
首里城周辺を散策!
このように沖縄の街中では、先程も見かけた「石敢富」が至る所に設置されているのが見える。沖縄県民ってふんわりとしてノンビリな性格に思えるけど、意外と信じ深いというか、宗教心を持っている県民性があるのかもしれない。
この石畳の道は首里城手前まで繋がっているようだけど、ここからは真っ直ぐに進むのではなくて、右に曲がって地図に載っていた「大アカギの木」というのを見に行く事にする。
このように復元された石畳の道以外は、普通に沖縄でも今どきのアスファルトで綺麗に舗装された道となっているので、そこまで趣をどこでも感じられる訳でもない。
首里金城の大アカギにて
そして少し歩くとこのように、「首里金城の大アカギ」という石碑が置かれた場所が見えてくる。「アカギ」という名前を聞くと木ではなくて、昔に流行った麻雀漫画の主人公を連想してしまうけど、ここにはそのギャンブル狂の主人公ではなくて、かなりの樹齢を誇る木があるという。
その石碑の後ろには少し背の高い木が生えていたけど、アカギの木ってこんな木では無かったと思うが。この場所は簡単に地図で探して何気なく訪れた場所なので、もっと周辺を散策する事なく後にしてしまった。しかしこの場所ではなくて、ここの脇にあった細い道を下に降りて行くと、大きなアカギの木や沖縄の神様を祀る場所があったようだ。。
もっと真剣に観光をしろサ~~!
細い路地を進んで下に降りて行くと、このような樹齢200年を超す大きなアカギの木が見られる場所だった。ただ石碑のあった場所から見えなかったのは、下に下った場所にあったので上からは見る事が出来なかったのだ。
こちらはその大アカギの木周辺に造られていた、「内金城の御嶽」という神様を祀った神聖な場所。沖縄県民にとっての神社的な場所で、信仰深い人達は未だにこの場所に花を捧げたりしている姿を見かける事が出来る。
そんな道の下の方に大アカギの木がある事に気付かずに道を進んで行くと、こちらの「沖縄県立美術大学」の建物が見えてくる。この芸術大学は1986年に開校したので、そこまで歴史がある大学という訳でもなかった。
そんな芸術大学の門を入った先に大きな木が見えてきたけど、これはガジュマルの木でアカギの木とは違う。敷地内に入って近くで眺めようかとも思ったけど、敷地内は「関係者以外立ち入り禁止」だったので外から眺めるだけにしたのであった。。
そして丘の上にある首里城へと向かって歩いて行くと、古くて歴史を感じるような家は見かけなかったけど、このように何とも面白い外観をしている家なども見られる。現代的なマンションが造られるよりも、このように遊び心などを持った家などが並んでいる方が景観的にはまだいいように思える。
首里城公園に到着!
そうしてやっと首里城公園に到着する。約13年前にこの首里城を訪問した時の記憶が殆ど無いだけに、今回の訪問は初めて首里城を訪れたような新鮮な気分となっていた。
首里城公園に入ると、まずレストランや観光案内所のような建物が並ぶ一角があり、その広場にはこのような大きな木が植えられている光景が見えてくる。
ここでは首里城の資料などが少し展示されていたりと、無料で勉強できる場所にもなっているが、沖縄の首里城でたこ焼きが売られているというのもどうかと思う。地元の人達からすれば美味しいたこ焼きかもしれないけど、観光客からするとわざわざ沖縄の首里城まで来て、たこ焼きの文字を見るとその雰囲気が台無しになるような気がするが。。
こちらは首里城から西の那覇市内の方角を眺める事が出来る。首里城周辺は公園にもなっているので、このように手前には木々が邪魔して市街地が見えにくいけど、西の空に雲の隙間から太陽が顔を覗かしている景色が見える。
そんな高台の景色を眺めた後は、本当に昔ここにやって来た感覚がない首里城へと向かいます。ただ13年前とは違って、首里城の本殿周辺は2019年に起きた大火事で焼失してしまっているので、今はその焼け跡と復旧中の様子しか見る事が出来ないのであるが。。
13年振りに守礼門を眺める!
そして進んで行くと、何だか懐かしい気持ちに思える「守礼門」を発見する。この景色を見て懐かしいと思うのはその当時の記憶が残っているからではなく、その際にここで記念撮影した写真を何回もその後に見ている為に懐かしいと思ってしまうのである。
この2007年に首里城を訪れた時にこの守礼門をバックに撮影した、こちらの記念写真を何回も見ていたので守礼門だけは見慣れていたのである。ちなみにこの社員旅行は工場の従業員は別として本社で一緒に働く人達と行ったのであるが、実はこのメンバーの中に”関西ジャニーズJr.”の西畑大吾のおじいちゃんが含まれているのだ。
そのおじいちゃんを見ていると、孫がジャニーズに行きそうな顔はしてなかったですが・・(笑)
この首里城には何箇所かの門が造られているけど、その中でも特に使者などを出迎える重要な入口だったのがこの守礼門である。
この守礼門は、琉球王国:第二尚氏王朝時代の4代目だった尚清王の頃(1500年代の前半頃)に建てられたとされており、第二次世界大戦時にアメリカ軍の攻撃によって首里城が破壊された時に、この首里城も破壊されてしまった。
しかし戦後の1958年に首里城本殿などが再建される前に、この守礼門だけ先に復元された。しかし沖縄に来る観光客からすれば、このような豪華な門があればその奥に豪華な本殿がある物だと思い込んで首里城にやって来ると、実際にはこの守礼門しか無くて肝心の本殿が見当たらなくてガッカリとした気分になり、『日本三大ガッカリ名所』の1つになっていたという。。
守礼門の今 動画
しかし首里城本殿が1992年に復元工事が完了した事もあって、その後はガッカリ名所ではなくて、沖縄を代表する観光地となった首里城。しかし2019年に首里城本殿で発生した火災によって本殿とその周辺の施設が消失してしまうが、この守礼門は本殿とは少し距離が離れていた事もあって、その火災に巻き込まれる事は無くて、未だに残っている。
それと守礼門を見ると思い出すのが、2000年から発行が開始された二千円札である。今の若い世代からすると見た事が無い程の本州ではレアなお札ではあるが、なんと未だに日本国内では発行され続けている現行紙幣である。
二千円札の想い出というと、段々と「使いにくいな・・・」と思うようになって、しまいにはお釣りで二千円札を貰った場合は嫌な気分になる時もあった。そういう事もあってか本州ではまずこの二千円札を見かけなくなってしまったけど、実は沖縄県ではこちらのグラフのように年々右肩上がりに二千円札の発行が増えているという。
沖縄県民にとっては、二千円札は特別なお札よ!
この守礼門も残念ながら第二次世界大戦時に犠牲となってしまったので、今見られる建造物は戦後に再建された物。だから近くでじっくりと門を眺めてみると、外観はそれっぽい雰囲気で赤く塗られているけど、そこまで趣を感じないような。。
雰囲気を楽しむのが大事サ~!
しかし全くこの守礼門を訪れた時の記憶が蘇って来ない。やっぱり13年も経過すると特に記憶に刻まれる程の出来事以外は、忘却の彼方に飛んでいくのだろう。ただ今はこのように守礼門だけで何枚も写真に撮って、このような旅行記ブログを作成して復習もしているので、まだこのブログを作成している段階ではしっかり記憶に残っている。
この沖縄では『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として9つの場所が複合遺産として、2000年に世界遺産登録されている。その中には首里城も含まれているのだが、2019年に焼失した首里城本殿は世界遺産になっている訳ではなくて、その首里城の下にあった昔の首里城遺構跡が実は世界遺産になっている。だから首里城が世界遺産になっていると言っても、その遺構跡なので意外と勘違いしやすい場所となっている。
世界遺産の「園比屋武御嶽石門」にて
そしてこの首里城公園の中にはその首里城遺構跡意外に、実はもう一つ世界遺産に含まれている遺構がある。それが守礼門を過ぎた先の脇にひっそりと建てられていたこの門で、「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」といい、この門の奥にあった森が神聖な場所として王様がお参りしていた場所となっている。
このようにこの石門の脇には世界遺産に認定されたという内容が彫られている石碑が置かれているが、油断しているとこのような歴史的な建造物を見逃してしまう程に、地味な門だった。
先程の守礼門とは異なって、地味な石が積まれただけの閉ざされた門なので、ここに説明板などが無ければ殆どの観光客が気にせず通り過ぎて行く事だろう。この門は使者を迎えるような役目が無かったので、特に装飾などにこだわって造られたものではないので、地味な門になっているのだろう。
この園比屋武御嶽石門は第二尚氏王朝の第3代目の王で約50年に及び琉球王国を治めた尚真王が、1520年頃に造らせたとされている。日本本土であれば本丸内に神社を造らせて、その鳥居的な石門だった事だろう。
ただこの門も第二次世界大戦に戦場となった影響で、石の為に焼失する事はなかったけど、破壊されて荒廃してしまう。戦後の1957年に復元されてから1972年に国の重要文化財に指定され、2000年に世界遺産の一部として認定される事になる。
こちらはその園比屋武御嶽石門を反対側から眺めた景色であるが、建造物としてはそこまで特徴的な物ではないようにも思える。ただ15世紀に元々造られた物で、琉球王国時代の建造物としてその価値が認められているのである。
その裏側にはこのように世界遺産に認定された時の書類のコピーも、設置されていた。やっぱりこの世界遺産に複合遺産の一部として認められるだけでも、観光的には”世界遺産の○○”と謳えるので、観光客が来る数が変わってくるのだろう。
この園比屋武御嶽石門は世界遺産の一部として認定されているが、本当に大事なのはこの石門ではなくて、その反対側にある俗に「御嶽」と呼ばれる琉球王国で神聖な場所とされていた所なのであるが。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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