沖縄旅行記2020年秋-㊽
旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(Green cliffs that don’t look like the site of the fierce battle of Hacksaw Ridge from below the cliffs of Urasoe Castle Ruins [Okinawa Travelogue 48])
本当にハクソーリッジ?
ここは沖縄県浦添市にある、琉球王国時代に城だった「浦添城跡」。高台にある場所で、しかも遠くには海も見えて風も心地よく吹き付けてきており、また緑が綺麗に管理されている公園でもあるので、リラックスできてしまう場所でもある。
住所:沖縄県浦添市仲間2-53-1
浦添城跡にて
浦添城跡は1945年の沖縄戦では一番激しい激戦地になった場所でもあり、アメリカ映画『ハクソー・リッジ』の舞台としても有名になった場所。しかし、今ではこのようにそんな激戦地という場所とは思えないように、それ以前にあったとされる浦添城の城壁が綺麗に復元されている場所に変貌を遂げている。
浦添城跡の眺め! 動画
この浦添城跡は1992年度より復元工事が行われ始めているが、古代の城跡の復元には細かい発掘調査などを経てから行うので、全体の復元工事が完了するのは着工しだしてから約34年後を見込んでいるようだ。この浦添城跡北側にあたる部分は、2005年にひとまず復元工事が完了し、先程も見学した英祖王や尚寧王などが眠る霊廟「浦添ようどれ」も綺麗に完成している。
この「浦添ようどれ」の下部分には、そのお墓の番人をしていた島袋家・比嘉家・翁長家の屋敷があった場所だけど、その跡形は殆ど残っていないようだ。13世紀に造られて、その後改修されながら数百年も霊廟として存続するという事は、それだけの間にそのお墓を守ってきた人達がいた訳である。
ここを見学した時は単に「広場が広がってて、サッカーでもする場所かな?」と思っていたけど、実はお墓の番人の家が存在していた場所だったのである。しかし、そんな番人の屋敷も戦争に巻き込まれて、消え去ってしまっているのだ。
そんな琉球王国の栄枯盛衰を見てきた浦添城も、現代21世紀の復元された新しい浦添城となっている。古代に造られたままの城郭が残っていれば素晴らしかったのであろうが、人類の醜い戦争の影響でそんな歴史的に価値のある建造物などは殆ど壊されてしまった。
浦添城北側の景色 動画
北側崖のハクソーリッジ跡
今回ここを訪れたのは浦添城跡を見学したかったのではなくて、メルギブソン監督作品の映画『ハクソー・リッジ』で描かれた前田高地という場所を知っての事だった。映画の中では切り立った断崖絶壁にロープを掛けてアメリカ軍兵士が登る様子が描かれていたが、その断崖絶壁だっただろう場所を歩いて探すも、このように緑が溢れた場所になっていてその崖を見つけられない。
そしてこの辺りの道に「ハクソーリッジ」の案内板も見られない。2016年に公開されたアメリカ映画『ハクソー・リッジ』の影響で、アメリカ人観光客が急に増えたというけど、それだったらもう少しアメリカ人観光客にそのハクソー・リッジを分かり易く案内してあげる表示板などを作ってもいいのかもしれない。
恐らくこの辺りが映画で断崖絶壁となっていたような現場なのだろうが、残念ながらその当時の断崖絶壁は戦後70年以上も経過すると、このように自然の力に覆い包められている。所詮人類は長くても100年程しか生きれないが、植物は時間を経る毎にその規模が大きくなっていく。
ハクソー・リッジの崖?! 動画
1945年の沖縄戦争が終結した後に、この城跡に残骸として残っていた石は、復興する沖縄の街を作る為に採石されてしまって、昔の景色が消えてしまった。戦争でボロボロにされてしまった沖縄では、新しく石を切り出すよりも、目の前に落ちている石を再利用する方が早かったからだろう。
そう思うと、この浦添城跡を見学すると琉球王国時代の事も勉強できるし、沖縄戦争時の事も勉強できる素晴らしい場所だった。今回沖縄を旅して記憶に印象的に残ったのは、琉球王国時代の独自な文化を持つ沖縄と、沖縄戦争で悲惨な運命を辿った沖縄であった。
そんな歴史を経験した沖縄は、21世紀にも力強く生きていくよ!
そして浦添城の西側の方向へと進んで行くと、駐車場が見えてきた。この場所を見学しにやって来る人の多くは車で来ているようで、「てだこ浦西駅」から徒歩でやって来る人間は稀な事だろう。。
駐車場に辿り着くと、ここに居座っている野良猫に餌を与えているオジサンを発見する。このような街中ではなく、観光地に野良猫が住み着いているというのは勝手にやって来た猫ではなくて、ここに捨てられた猫という事が多い。
このような野良猫に餌を与えるのに賛否両論あるけど、その元の原因を作っているのは猫ではなく人間。だから人間たちが色んな問題を作り出して、それぞれに喧嘩し、最終的には戦争を起こしたりしている。だから、地球上でこの上なく自分勝手な存在は、我々人類だという事を忘れてはいけない。
ホントに人類の存在は迷惑だブ~~!
この浦添城跡を東から入ってきた時には何もない場所に思えたけど、このように西側にやって来ると駐車場やちょっとしたカフェなどもあって、普通に観光地のように思える景色となっていた。
今日はこの浦添城跡を見学してから、更に北西側の宜野湾近くまで徒歩で散策しようと思っていたので、とりあえず西側に続く道を進んで行く事にする。
すると森の入口のような箇所に、また案内板が立てられているのが見えてくる。沖縄では昔から自然を大事にしていて、そのような場所に神様が宿るとされていて、地元住民がよくお参りしている場所が多い。
「シーマヌウタキ」にて
「シーマヌウタキ」という文字が書かれているけど、沖縄県外から来た観光客からしたら、それが何を意味する物なのか全然分からない。。
しかしここから50mほどの場所にそれがあるという表示だったので、とりあえず道らしきものが見えているのでそれに沿ってちょっとだけ探索してみる事にする。
中の道を進んで行くと、このように木々が生い茂った場所となっており、またハブが出没しても不思議ではないような雰囲気でもある。なお前回訪れた奄美大島や、今回の沖縄でもハブと遭遇する事は無かった。昔に比べて人間の生息域が広がった影響もあって、ハブも駆逐されて数を減らしているのも原因らしい。
ハブには優しくしてくださいブ~~!
少し進むけど、まだその「シーマヌウタキ」らしき場所は見えてこない。途中にはこのような自然の段差もあったりで少々ワイルドな道になっているが、それほど歩くのが困難な道でもなかったが。
「本当に何かあるのかな?!」と半信半疑で進んで行くと、こちらの場所に出てくる。すると先に来ていた人達が何やら捧げものを置いている様子が見られて、その人達に思いっ切り変な目で見られてしまった・・・。どうやらウータキ(御嶽)という場所は神聖なる場所で、未だに現地の人達はお参りを欠かさない場所なので、観光客は無下に立ち入らない方が良さそうだ。
その近くにあったのは、「ガマ」という洞穴跡。天然に出来た洞穴で沖縄戦の時には、このような穴に地元住民が避難していた場所でもあるようだ。しかしこのような洞穴は近くに造られた地下塹壕とも繋がっていたとされていて、日本軍兵士も出入りしていたようだ。
対アメリカ軍との戦争でゲリラ戦を繰り広げていたのはベトナムだと思い込んでいるけど、このように太平洋戦争時に日本軍は地中に通路を掘って、同じようなゲリラ戦を行っていたようだ。南国諸島を次々と押さえられていった日本軍は、最終的には自国領土に籠城するしか方法がなかったからだろう。
そんな跡地も今ではススキやら、色んな雑草が生い茂っている何気ない場所に変わり果てている。人類の歴史は色々あれど、地球上では長い年月が経過すると、その不毛の場所にはいつのまにか雑草が生えていき、次第にはこのように緑溢れる場所に変貌していくのである。
地球上の自然の力って、本当に凄いね!
「浦添グスクようどれ館」にて
そして浦添城跡から西の方に進んで行くと、こちらの「浦添グスクようどれ館」という建物が見えてくる。この「浦添グスクようどれ館」は入場料が必要だけど、この周辺で発掘された物や、霊廟だった「浦添ようどれ」にかつて存在した英祖王のお墓内が再現されているので、興味があれば是非見学をオススメする。
2016年に公開されたアメリカ映画『ハクソー・リッジ』で一躍世界的に有名になった場所ではあるが、地元からするとここはハクソー・リッジではなくて、「浦添城跡」だという認識の方が強そうだ。現地にはハクソー・リッジを紹介する看板はあったものの、この案内板にはそのハクソー・リッジという文字が見当たらない。
この場所はハクソー・リッジと呼ばれたのは僅かな期間だけど、それ以前には何百年に渡って「浦添城」と呼ばれていただけに、それも当然なんだろう。13世紀頃からの城跡と、20世紀の一時期だけ戦地になった場所とは、その歴史が全然違う。
この辺りはかつて仲間後原遺跡という、13~14世紀にこの辺にあった集落の遺跡があった場所のようだ。発掘作業が終わった後にその遺跡は埋められて、今ではこの「浦添グスクようどれ館」とその駐車場になっている。
今日は出掛けてからまだ水分補給をしていなかったので、ここで水を入れたついでに、この「浦添グスクようどれ館」でこの浦添城関連の勉強をしていく事にします。
こんな旅はまた次回に続きます!
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