起伏の激しい首里城周辺で、歴史的な金城町石畳道の坂道を登る【沖縄旅行記⑥】

沖縄旅行記2020年秋-⑥

 旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
( Climbing the slopes of the historic cobblestone streets around the rugged Shuri Castle [Okinawa Travelogue 6])

歴史的な街道の石畳

沖縄旅初日は14時過ぎにホテルにチェックインして荷物を降ろした後は、国際通りから首里城まで歩いて向かいます。首里城まではバスやモノレールなどでも簡単に移動する事が出来ますが、歩きだと首里城周辺で起伏に富んだ地形や、歴史的な石畳の坂道を登る事を体験できます。

 

 

首里城周辺にて

首里城がある周辺の地名は「金城町(きんじょうちょう)という名前で、この名前を見ると我々の世代だと、過去に一世風靡した「金城武(かねしろ たけし)」という台湾出身で日本人とのハーフの俳優を思い出してしまう。金城武のおじいちゃんは沖縄出身なので、この沖縄でよくある苗字の金城だったという訳である。

 

首里城までの移動を歩きに決めたのは、その道中に色んな景色を見れるのを楽しみにしていた為で、特に中世の頃に首里城から南側の街に向けて造られたという歴史的な石畳の坂道をとても楽しみにしていた。琉球王国の国王が城と街などを快適に移動できるように街道を多く整えたが、江戸時代に侵略してきた薩摩軍がその街道を使って城を攻め落としたので、皮肉にも琉球王国にとっては諸刃の刃的な街道を整えてしまった訳である。

 

沖縄の那覇市は第二次世界大戦中に戦争に見舞われた事もあって、昔ながらの歴史的な建物も殆ど残っておらず、そこまでの古い琉球王国時代の雰囲気は全然見られない。

 

金城町石畳道にて

そしてやっと見えてきた、こちらが沖縄県指定の名勝ともなっている「金城町石畳道」の入口である。首里城から城下町を繋ぐ石畳の街道として整備された道で、中世の頃には首里城から更に北側にあった浦添城までも石畳の街道で結ばれていたという。

 

【金城町石畳道】

住所:沖縄県那覇市首里金城町2-84-3

 

 

この金城町石畳道は1500年代から整備されていったようだが、第二次世界大戦中の空爆などによって破壊されてしまい、戦後はコンクリート舗装の坂道となってしまったそうだ。しかし1983年にかつての姿を甦らす歴史的地区環境整備事業の一環として、この場所から首里城手前までの約230mの区間だけ、このように昔の姿が復元されている。

 

この石畳に使用されている石は「琉球石灰岩」という、珊瑚礁っぽい石で造られている。この琉球石灰岩は珊瑚礁のように気孔が沢山空いていて、水を通しやすい性質になっているらしいが、逆に雨の日には滑りやすくなるので注意が必要な坂道でもある。

 

 

金城町石畳道を登る! 動画

 

 

この金城町石畳道の坂道には、このような飲食店もあったりと観光用の場所としても今ではそれなりに有名な場所となっている。ただ普通にバスや車などで首里城観光をすると、こういった沖縄らしさを感じれる場所には立ち寄れないので、歩きで観光するのが一番その土地らしさを感じれる行為だと思う。

 

昔の石畳が復元されたからといっても今は21世紀なので、その歴史的な坂道の雰囲気を壊すような電柱や車なども見えてしまうのは、仕方のない事かな。出来ればこの区間だけでも電線は地下に埋めるとかにすれば、景観的に更に中世の頃の雰囲気を味わえたかもしれない。。

 

この沖縄周辺は珊瑚礁の上に隆起して出来た土地なので、サンゴ礁の化石が多く含まれる琉球石灰岩が沢山昔から城や石畳の建築に使われてきたという。しかし戦争という物は人命を多く奪い、更にはその土地が築いてきた歴史的な建造物なども消し去ってしまう。人類が長年に渡って築いてきたものを人類が奪ってしまうので、何とも皮肉なものである。。

 

 

この金城町石畳道も復元にそれなりの費用や労力が掛かるので、この1本の坂道部分だけしか復元されておらず、この坂道から分岐している道の先にはコンクリートの壁や道が見えている。

 

普段綺麗に舗装されたアスファルトの上を歩いてばかりの現代人からすると、ちょっと凸凹感のある石畳の道は少々歩きにくいように感じる。しかしこの石畳も歩き慣れてくれば、逆に味わいを感じる凸凹感のように思えてくる。

琉球姫
琉球姫

琉球王国の民は、この石畳が最高の道だと思っているよ!

 

沖縄ではこのように家の壁は煉瓦などを積み重ねた物ではなくて、琉球石灰岩を重ねた石垣のような壁ばかりがとても特徴的に見える。それとそんな壁の一部に、表札ではないとは思うけど、何かの文字がプレートに彫られて埋め込まれているのをよく見かける。

 

そんなプレートに彫られていた文字は「石敢富(いしがんとう)という、魔除け的な交通事故防止の意味合いがあるお守りだった。初めはこの町名などが入れられているプレートかと思っていたけど、どこでも同じ文字ばかりだったので、旅中は不思議に思っていたのである。

 

「石敢富」はこのようにT字路などの交差点に、よく設置されているのを見かける。しかも上の方にではなくて、下の方に埋め込まれている事が多い。この石敢富は中国大陸から伝わった風習らしいけど、隣の鹿児島県でも一部では同じように設置されているようだ。

 

そして石畳と共にその脇の壁も琉球石灰岩で造られていたが、その壁もこのように植物が周囲を覆うように被さってきている光景が、何とも長年に渡っての植物の生命力の凄さを見せつけられているかのようだった。

 

ヨーロッパの歴史的な街ではその歴史的な景観を守る為に、電線を地下に埋めている所なども多くあるけど、日本は電柱王国でそれらを地下に埋めるにはまた莫大な費用が掛かるので、なかなか簡単には切り替えが出来ないようだ。しかしこの中世の頃の石畳を復元するのであれば、その区間だけは電線は地下に埋めてて欲しかったと勝手ながら思うのである。

沖縄43
沖縄43

最近の人類は電気無しでは生きれないサ~!

 

そんな坂道を登っていくと、これまた風情を感じさせてくれるガジュマルの木が見える。南国に生息するガジュマルの木であるが、ここでは何とそのガジュマルの木を貫通して電線が引かれている光景も見られた。。

電線まみれのガジュマルも珍しいですね!

 

ガジュマルというと、枝から根っこのようなものが地面に向けて垂れ落ちてくるという、不思議な植物。その不思議な姿もあって、人類からは神秘的な木として昔から愛されている木でもある。

 

そしてそのガジュマルの近くにあった小屋には、このようにサボテンまで植えられている光景が見える。サボテンというと乾燥地域で見かける植物のように思うけど、沖縄でサボテンを見かけてもあまり沖縄らしさは感じないように思うけども。。

 

 

こちらのサボテンは「キメンカク(鬼面角)」というサボテンの種類で、主に南アメリカ大陸原産の植物のようだ。どういう理由でここにサボテンを植えているのかは分からないけど、出来れば沖縄らしいハイビスカスとかの方が良かったように思うけども。。

 

日本の凄い所は至る所に自動販売機が設置されていて、いつでも適温に冷えていたり温まっていたりと素晴らしいサービスを提供してくれている。しかし日本人は便利さばかりを追求するので、このような歴史的な石畳を復元したのに、そんな道の脇に自動販売機が置かれていると、その歴史的な光景が壊されてしまうように感じる。

 

そしてその自動販売機の正面に見えたのは、「金城大樋川(かなぐすくうふひーじゃー)という地元住民が共同で使っていた井戸跡。今では上下水道が整備された事でこの井戸は使われなくなっているようだけど、貴重な生活用水が湧き出る場所だった。

 

昔は暮らしには欠かせなかった井戸だけど、現代では殆ど見かける事が無くなってしまった。現代人からすると水なんて水道の蛇口を捻れば出てくる物と思い込んでいるかもしれないけど、水は地球が提供してくれている大事な資源である。

琉球姫
琉球姫

水があるから、人間は生きれるのよ!

 

しかし大阪などではまずこのようなガジュマルの木を見る機会がないので、ガジュマルの木に出会うとしばし見惚れてしまう。大きな木なのにこんなに細かい触手のような枝先を伸ばすとは、凄い生命力を感じてしまうのである。

 

植物って太陽光を生きる力に変えるので、その太陽光をより多く受け止める為に上へと大きく伸びていくイメージがあるけど、植物の世界でもこのガジュマルのように上ではなくて、下に伸びていく反逆児のような種がいるという事実を見ると面白く思える。

 

こちらの花は「アリアケカズラ(有明葛)」という、これまた南米原産の花のようだ。今は世界中の観光植物が輸入されてきているけど、好き勝手に色んな海外の植物を持ち込み過ぎると、その土地らしさの景観が壊されてしまう事にも繋がる。

 

さてひと休憩した後は再び石畳の坂道を登って、首里城がある高台へと進んで行きます。この石畳もこのように階段があまり造られていない部分が多いので、結構歩きにくいのではあるが、それもこの歴史的な石畳の特徴を味わえると思って楽しんで登っていきます。

 

その石畳に設置されていたこちらの案内板石碑には「首里金城町石畳道まーい」と、「ま~い」という意味不明な言葉が使われているのを見かける。どうやらこの「ま~い」とは沖縄弁らしく、「周辺」とかの意味合いで使われている言葉のようだ。

 

そしてその坂道沿いにある家の門構えには、このように沖縄定番のシーサー像が各家庭に備えられている光景が見られる。殆どの家にシーサー像が置かれているので、このような沖縄らしい光景を見れると、少しホッコリした気分になれる。

 

そしてこの先はちょっと坂の勾配が急になっているので、ここだけはこのように階段状になっている。簡単に車などで首里城に登るよりも、その途中の何百年もの間に多くの人達が歩いた歴史的な街道を進む事によって、より沖縄の浪漫を感じる事が出来る「首里金城町石畳道」だったのである。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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